「難しいことはよくわからない」のに、はるかに難しい判断を行っている矛盾―小保方晴子さんの会見に思う(4)

こんにちは。用件はタイトルのとおりです。

要約:Executive Summary

STAP細胞の存在や小保方晴子さんの会見について、あれこれ言ったり書いたりしている人の大半が「難しいことはよくわからないが」と前置きしています。

「難しいことはよくわからない」はずなのに、その「難しいこと」よりもはるかに難しい判断基準を使って、STAP細胞や小保方さんのことを判断している人が少なからず見られます。

矛盾しています。

はじめに:「難しいことはよくわからない」を考える

STAP細胞問題にからみ、筆頭著者である小保方晴子さんが会見を行った(4/9)ことで、さらにいろんな人がいろんなことを言っています。

そのなかで、ほとんどの人が枕詞のように「難しいことはよくわからないが」と前置きします。

この「難しいことはよくわからない」を考えてみることにしました。

あたりまえ

「難しいことはよくわからない」

あらためて考えてみると、たいへん面白い言葉です。

あたりまえです。

われわれは全知全能の存在ではありません。当然の話です。誰からも異論は出ないでしょう。

難しいからよくわからないのであり、よくわからないから難しいのです。

ぐるぐる回っています。まるで、自分の尻尾を追いかけて延々と回り続ける犬のようです。

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※画像は、lesliedenning.comより

「難しい」を「難しい」ままわかるというわかり方も、あるにはあります。しかしそれこそ、上級者向けの難しいわかり方です。

「難しいことはよくわからない」の本当の意味

その言い方で、本当は何を言っているかというと、

「世間に出回っている情報のすべてを検討対象としたうえでの見解や判断ではない」

という意味です。

「難しいこと」の線引き

では、人は具体的に、「よくわからない」「難しいこと」をあまたある対象のどのあたりで線引きをして区別しているのでしょう。

多少極端な分け方ですが、当該事案に関してはざっとこの2種類あります。

  • 原論文の記述内容や、幹細胞研究について「難しいことはよくわからない」と言っている人
  • 研究論文や幹細胞について「難しいことはよくわからない」と言っている人

何をわかったつもりでいるか

これを反対に「わかる」の側から言ってみると、この2種類に大別されます

    「難しいことはよくわからない」なりに、

  • 原論文の記述や幹細胞について「わかる」範囲を元に判断する人
  • 原論文の記述や幹細胞について以外の「わかる」範囲を元に判断する人

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僕は前者です。原論文に対して出されている疑義や、幹細胞研究事情について、自分なりに「わかること」を元に考えて判断します。

9日の会見中継を見て、僕にとっては「STAP細胞は現時点で実在しない」と確信を深める結果となりました。その件はまた別途。

《以外の「わかる」》による判断、高度すぎないか?

反対に、原論文の記述や幹細胞について以外の「わかる」を論拠としていそうな記事を探して、いくつか読んでみました。

たとえばこんな論拠です。

  • 誠実に答えている
  • 反省すべきは反省している
  • 嘘をついているようには見えない

なんと高度な、難易度の高い基準で判断しているのでしょう。

ならばこれも、わかるのか?

「嘘をついているように見えるか」といった、きわめて高度な判断をしている人たちに、僕はこう問いたいです。

  • ではあなたは、異性の外見や話し方だけで、彼(女)がこれまで何人とセックスしてきたかわかるのですか?

「わかる」という人を、僕は基本的に信用しません。真正性を検証する術がないためです。

2つの例で説明します。

例1:処女探し

老人の昔語りです。

昔、光文社から出ていた『週刊宝石』という雑誌に、「処女探し」というページがありました。

見開き2ページに、15人ぐらいの若い女性の写真が載っていて、処女を探すというものです。探してみたら、今も『FLASH』でときどきやっているみたいです。

「わかる」のは言葉だけ

この企画、厳密には、女の子が「どう答えるか」を当てるお遊びです。「本人のお答えを100%尊重しました」みたいなことわり書きが付いていた記憶があります。

その回答の真正性については、何の保証も裏づけもありません。よって、本当に処女か否かがわかるわけではありません。

例2:100オーバーの女

このあいだ、BSフジの「カンニングの恋愛中毒」で「100オーバーの女を捜せ!」というコーナーをやっていました。(2014/03/29 28:00-28:55 OA ※30日 4:00-4:55)

河川敷のゴルフコースをロケ地に、20代の女性5人の中から「100オーバーの女」を当てる企画でした。

番組では制約があって明言できなかったのでしょう。ずっとゴルフ的な「100オーバー」で通していましたが、もちろんこれは「男性経験人数が100人以上」という意味です。

全然わかりません。

正解が発表されても「なるほど」ともなりませんでした。わからないのもある意味当然です。

これも、わかるのは「そう言った」のみ

当然ながら、この「スコア」も100%自己申告に依存しています。あいにく人の体は、どこかにカウンターが付いていて、それで経験人数がわかるようにはなっていません。直接には検証不可能です。「アンダー100」だった他の4人も、それが本当かはわかりません。

中には高い精度で推定できる人もいるでしょうが、実際にセックスすればわかるというものでもありません。

ですから正解発表があっても、それで納得できるわけでもありません。わかるのは、1人が「100オーバー」と言い、残りの4人はそう言わなかった。それだけです。

真相はすべて闇の中です。

まとめ:J.S.ミルの言葉から

「嘘をついているように見えるか」みたいな高度で難しすぎる判断などせずに、言ったことが理に適っているか、その合理性、真正性を多角的に検証する方が、よほど簡単だと思うのです。

ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)も、1867年、セント・アンドルーズ大学の名誉学長就任時の講演でこう言っています。

信頼しうる人物が誰であるかを判断するために必要となる知識の量をわれわれは軽く見積もってはなりません。

The amount of knowledge is not to be lightly estimated, which qualifies us for judging to whom we may have recourse for more.

archive.org > Inaugural address, delivered to the University of St. Andrews (1867)

本件の場合であれば、原論文に対して出されている疑義の妥当性、幹細胞とその多能性に関する研究開発状況、といった点を元に判断する方がよほど簡単です。もちろん「難しいことはよくわかりません」が。

おわりに

不正行為の有無を考える話のつもりが、もっぱら性行為の有無を考える話となりました。

ご静聴ありがとうございました。

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