「1ミリも許さない」でのミリの単位を定めたことにより、許すという行為の本質に迫れた話

こんにちは。

誰も公表していないみたいなので、僕がやっておきました。新傾向への対策です。

要約:Executive Summary

次のような、新しい傾向の日本語表現があります。

  • 1ミリも知らない
  • 1ミリも思わない
  • 1ミリも許さない

どれも単位が省略されています。省略せずに言うと

  • 1ミリビットも知らない
  • 1ミリビットも思わない
  • 1ミリメートルも許さない

です。

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1ミリも~ない

いつの頃からか、「1ミリも~ない」の新しい語法をしばしば見聞きするようになりました。

従来も「1ミリも動かない」や「1ミリも違わない」のような言い方はありました。感じるのは、それらとは傾向の異なる動詞が使われ出していることです。

従来の用法とやや傾向が違う表現として、たとえば僕自身は「1ミリも思わない」をよく耳にします。

それと同時に、こんな疑問も湧いてきます。

このとき、「1ミリ」の単位は何なんでしょうか?

ミリは単位ではない

ミリは「10のマイナス3乗」を意味する接頭辞であって、単位ではありません。「1ミリ」は、単位が省略された言い方です。

略さずに言うなら「1ミリグラム」なり「1ミリ秒」なり、単位を表す言葉が何か必要です。従来の用法であろうが、新傾向の用法であろうが、これは変わりません。

よって、新傾向の用法である「1ミリも~ない」も、略さずに言う場合の「1ミリ○○も~ない」に入る、しかるべき単位がなければいけません。

見つからないので僕やります

では、それぞれどんな単位を入れればよいのでしょうか。

そう思って検索して探してみました。しかし検索結果の2~3ページ分を眺めてみた限り、単位を制定したものが見当たりませんでした。

ですので、僕がここで定めておきます。

制定対象

Google での「1ミリも~ない」の検索結果から、次の3つの「新傾向」の用例を“制定対象”とします。

  • 1ミリも知らない
  • 1ミリも思わない
  • 1ミリも許さない

補足:「1ミリも許さない」の出所

僕自身、3つめの「1ミリも許さない」という用例は、それこそ「1ミリも」知りませんでした。

調べてみると、テレビアニメ「名探偵コナン」の第675話、第676話のタイトルのようです。ytv.co.jp の同番組サイト「事件ファイル」へのリンクを記載しておきます。

結論

先に結論を述べます。3つの動詞の単位を、次のとおり定めます。

  • 「知る」の単位は「ビット」
  • 「思う」の単位は「ビット」
  • 「許す」の単位は「メートル」

ですから、単位を略さずに言うと、次のようになります。

  • 1ミリビットも知らない
  • 1ミリビットも思わない
  • 1ミリメートルも許さない

単位の制定理由

その単位に制定した理由を述べていきます。

まず、「知る」「思う」「許す」の3つは、どれも人の精神活動に係る動詞です。ここを出発点とします。

精神活動とは、情報処理である

人の精神活動は、情報処理とみなすことができます。そこで取り扱われるものが、情報だからです。

パート1.「知る」「思う」

まず、「知る」「思う」の2つから検討します。「許す」は複雑なので後回しにします。

情報処理の文脈での再定義

情報処理の文脈で、それぞれの動詞を定義し直すと

  • 「知る」とは「情報を受け取ること」
  • 「思う」とは「何らかの形で情報を処理加工すること」

となります。

情報量の単位

情報量を表す単位はいくつかありますが、ここで最もふさわしいのは、最小単位の「ビット」です。

ビットを使って言い直してみる

それぞれの動詞の否定形を「ビット」を使って言い直すと、

  • 「知らない」とは「情報を1ビットも受け取っていない」こと
  • 「思わない」とは「処理加工されるような情報が1ビットもない」こと

と言えます。整合性に問題はなさそうです。

以上から「知る」「思う」の単位はビットであると規定いたします。

参考サイト

情報量を表す単位や接頭辞については、 IT関連の単位(IT用語辞典 e-Words)がわかりやすくまとまっていました。

パート2.「許す」

後回しにしていた「許す」を検討します。

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「許す」の情報処理は複雑

「許す」という精神活動を、情報処理の文脈で再定義しようとすると、先ほどの2つよりはいくぶん複雑です。

「許す」の情報処理的表現

「許す」を情報処理的に言い表そうとすると、次のような3つのステップに分解できるでしょう。

  • 情報を処理して結果を出力する
  • 出力した処理結果に対し、価値判断の枠をあてがう
  • 枠に入っているかを判定する

でもって、枠に入っているものを最終的に「許す」。こうなります。

「許す」は空間で行われる

「許容範囲」という言葉があります。「範囲」というのは空間的表現です。そこから、「許す」という精神活動は空間で行われていることがわかります。

「許す」を行うための空間を規定する

では、「許す」はどのような空間で、言いかえるなら何次元の空間で行えばいいのでしょうか。先ほど「枠」という言葉も使いました。2次元でしょうか、3次元でしょうか。

しかし考えを進めていけば、「許す」を行うには1次元空間で十分であるように思えます。2次元以上は必要なさそうです。ごめんね低次元で。

以後、「許す」を行うための空間のことを、単に《「許す」空間》と表記します。

「許す」空間で行われる情報処理

先ほど3つのステップに分解した「許す」の情報処理を、「許す」空間で行われる格好に変形します。

  • 情報処理した結果が、1次元空間のどこかに、ポッと投影されて出現します。
  • 出現した処理結果に対し、価値判断の物差しをあてがいます。
  • 物差しに収まっているかを判定します。

でもって、物差しに収まっているものを「許す」、収まっていないものを「許さない」ということになります。

言葉じりの話ですが

「許す」空間は1次元空間なので、あてがうのは価値判断の「枠」ではなくて、「物差し」になります。

情報処理的に「許さない」を「許す」にするための2つの方法

情報処理結果が「許さない」ものだった場合、それを「許す」にするには次の2種類の方法があります。

  1. 情報処理の過程(プロセス)を変える。
    それにより、処理結果が「許す」範疇の1次元空間に投影されるようにする。
  2. 価値判断の物差しを変える。
    それにより、同じ処理結果が「許す」範疇に入ると判定し直す。

具体例での説明

具体例で説明してみます。こんな状況設定をしました。

  • 「30歳以上の女とは付き合わない」と公言する男がいたとします。
  • その男が、25歳の女と付き合い始めたとします。
  • 男はある日、女が実は35歳だったという事実を知ります。

こんなシチュエーションです。

ここで男が女を「許す」ためには、次の2種類の方法があります。

  1. 情報処理の過程を変える。たとえば「年齢」の情報処理過程を「生年月日からの経過時間」から「見た目」に変える。
    それにより、処理結果が「許す」範疇に投影されるようにする。女の「見た目」は25歳なので、「許す」範疇となる。
  2. 価値判断の物差しを変える。たとえば「30歳未満」を「40歳未満」に変える。
    それにより、35歳が「許す」範疇に入ると判定されるようになる。

※ただしこの例には論理の穴があります。男が年齢=実年齢を基準にしているのであれば、実年齢が裏づけられるまで女と付き合えないはずです。裏付けが取れる前に女と付き合い始めたことは男の失策であり矛盾です。

情報処理的な「許さない」とは

一方、「許さない」を情報処理の文脈で言うならば、上の1. 2. のどちらもしないということになります。すなわち、

  1. 情報処理の過程を変えない。したがって、その処理結果が投影されて出現する位置も変わらない。
  2. 物差しを変えない。よって、処理結果に対して「許す」範疇も変わらない。

つまり「位置」も「範疇」も変化しない、ということです。

ここまでくると、「許さない」を空間表現に置き換えることもできます。

「許さない」を空間的表現に変換する

別の言い方をすると、「許す」空間に登場する一切が動かない、移動していない、ということになります。つまり、

1次元空間(=「許す」空間)での移動量がゼロである。

これが、空間的表現による「許さない」の定義です。

結論:「許す」の単位は「メートル」

「許す」空間は1次元の空間ですので、移動量は、単純に長さで表現できます。

長さを表す標準的な単位は「メートル」です。

以上より、「許す」の単位は「メートル」と制定いたします。

ちなみに

前段と同じく、空間的表現により「許す」を定義し直すならば

  1. 1次元空間での移動量がゼロより大きい。
    すなわち、「処理結果の位置」「物差し」のどちらか(または両方)に移動が生じる。
  2. 移動が生じた結果、両者が重なる。

とでもなるでしょうか。

あとがきに代えて:ちょっとだけ愚痴

「知らない」「思わない」に比べ、「1ミリも許さない」の単位を定めるのに思いのほか手こずってしまいました。

「許さない」がこんな構造になっているとは、自分でも書き始めるまで「1ミリも」思わなかったです。

しかし「1ミリも許さない」という言葉を使おうとするのであれば、使う前の段階でここで述べたような点を検討しておかないといけません。

「1ミリも許さない」と言っていたらしい名探偵コナン君も、当然ここでしたような検討を経たうえでその言葉を使っているに違いありません。ですので、どうせならばその検討過程や結果を公表しておいてほしかったです。

すみません愚痴でした。

こちらからは以上です。

コメント

  1. ikesuehiroki より:

    ビットはデジタルな最小単位で、分割不能です。ミリ(1000分の1)というSI接頭辞は馴染みません。
    ビットを「知る」について正しく使うなら、「1ビットも知らない」、というのが本当に最小なので、ミリを付ける必要はありません。

    改めて動詞との関係を考えると、このようなものかと。
    「知る」とは「情報を受け取って保持していること」
    「思う」とは「頭の中にイメージを描いていること」

    1ミリも知らない、は「知っている」と言える情報量の1000分の1しか当該情報を保持していない、という意味であると思われます。
    そうすると、それにふさわしい単位は、情報量を表現しつつ、1000分の1にアナログ的分割が可能なものという事になります。
    そうすると、あることについてのそれなりの情報の基本を1ページ程度と考え、そこにある文字や図表、画像を十分理解している状態の1000分の1くらいしか理解していないと取るのはどうでしょう。
    そうなると単位は「ページ」。
    つまり「1ミリも知らない」は「1ミリページも知らない」となります。
    ただ、互いの知性のありようによっては、「ページ」ではなく「冊」や「行」である可能性も残っています。

    1ミリも思わない、は、十分に思う状態の1000分の1。思うというのはあるイメージを一定時間意識に留めることですから、ここでのディメンジョンは時間。「思う」のに必要な時間は評価が難しいですが、ほとんど思っていないという否定形も考えると、ふと思う程度の1秒くらいを基準と考えてよいかと。
    そうすると、「1ミリも思わない」は「1ミリ秒も思わない」というのが適切と思われます。

    許すは確かに空間ですね。
    これは離れている状態から歩み寄ることを拒否していると考えては。単純に人間二人の間の暖かくない関係での距離、1m程度を基準とし、その1000分の1も歩み寄らない、許さない、とすると…
    「1ミリも許さない」は「1ミリメートルも許さない」
    結論は同じですね。

  2. ヤシロタケツグ より:

    ikesuehiroki 様

    コメントありがとうございます。

    「ビット」に関してご指摘のとおりです。
    デジタルとアナログのあいだをゆく、修辞の領域とご理解いただければと思います。

    しっかり読んでいただいていて、大変にありがたく思います。

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