林修さんの「のぞみ」「ひかり」「こだま」のネーミングに関する考え違いを正します

こんばんは。林修ナイトの時間です。

この記事ですること

おためごかしの議論をします。

林修さんは、著書『いつやるか? 今でしょ!』の第3章「逆算の哲学」のなかで、東海道新幹線の特急列車のネーミングを「実害があるわけではありません」としながらも、「逆算の哲学の欠如を感じる」例に出されています。

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それに対して反論し、林さんの心得違いを正す試みです。

この記事の要旨:Executive Summary

  1. 林さんは著書のなかで「ひかり」よりも速い列車の名が「のぞみ」であることに対し「もうここに秩序はありません」と書いていますが、それは心得違いです。光よりも望みの方が速いので、秩序はあります。
  2. 東海道新幹線の特急列車のネーミングに「逆算の哲学」が欠けていたとあえて言うとすれば、それは列車の愛称を付ける際に、当時の国鉄関係者が「速さ」にフォーカスしすぎたという点にあります。

林さんの心得違い

林さんの『いつやるか? 今でしょ!』の第3章は「逆算の哲学」となっています。「ゴールを見極め、そこからの引き算を考える」とサブタイトルが付いています。

同章の「将来を見据えた逆算をするべき」で、林さんは東海道新幹線を走る特急列車のネーミングを引き合いに出されています。引用します。

 仕事柄、東海道新幹線には本当にお世話になっています。(略)しかし、時折このネーミングは何とかならなかったのかなぁ、と思うことがあります。
 東海道新幹線は、最初「ひかり」と「こだま」の2種類で、後から「のぞみ」が加わって、今の3種類となりました。問題はこの「のぞみ」の登場をきっかけに起きたのです。 (p.095)

「こだま」→「ひかり」というネーミングには明確な秩序の存在を感じます。しかし、その「ひかり」よりも速いものがなぜ「のぞみ」なのか? もうここに秩序はありません。 (p.096)

心得違いです。秩序はあります。

「ひかり」よりも速いのは「のぞみ」。実に秩序のあるネーミングではありませんか。

林さんほどの方がなぜこんなことがわからないのか、その方が不思議です。

光の速さを超えるもの

「ひかり」よりも速い「のぞみ」の実例を示します。

地球の公転半径、すなわち太陽との距離は、約1億5000万kmです。

光の速度は秒速30万kmですから、太陽の「ひかり」が地球の表面に到達するまで、8分強かかります。

ですが反対に、地球上にいる僕の「のぞみ」が太陽の表面に届くまで、8分もかかりません。この機会にあらためて計ってみましたが、長めに見積もって2秒ほどでした。

「ひかり」より速いのは「のぞみ」。これで何か問題あるでしょうか?

もしかしてだけど…

ちょっと不安になってきたので付け加えます。

もしかして、これって僕だけ? とまでは言わなくとも、少数派なんでしょうか?

他の多くの方は、自分の「のぞみ」を動かすのにもっと時間がかかるんでしょうか?

続きは次回

新幹線の特急列車のネーミングに「逆算の哲学の欠如」があるとするならば、ネーミングに秩序が感じられないことにではなく、東海道新幹線の開業を機に新たな秩序を作ってしまったことにあります。

長くなりますので、記事を分けます。

つづく。

コメント

  1. 管理人様へ より:

    管理人様が二秒でのぞみが届いたという「太陽」は、8分前に太陽から届いた光によって管理人様の網膜に結ばれた像ですよね。
    確かにその像には2秒足らずで届きますよ。
    管理人様にしか見えていない「太陽」には届きます。
    しかし太陽までは届いていませんよ。

  2. xyst より:

     私も管理人様へ様と同じようなことも考えたりしましたが、そもそものぞみが届くって
    何でしょう。望んだだけで届いたことになるのでしょうか。私が心の中で「太陽消えろ」って思ってから消えるまでの時間や、太陽に自我があるとして太陽が私ののぞみを理解するまでの時間なら計測のしようがありますが、のぞむ時間ってどこがスタートでどこがゴールなのか
    曖昧過ぎて計測のしようがないと思います。

     この話を抜きにしても同じ土俵に立ってない物を比べようとすること自体ナンセンスです。

       鉄より重い物は金。金より重い物は愛。
       ガラスより硬い物はダイヤモンド。ダイヤモンドよりかたい物は絆。

    こんな文に秩序なんてありません。
     理系、文系で分けるのは好きではありませんが、文系的にOKだけど理系的にOUTというやつ
    ですか?それなら納得できます。

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