第5形態の「世代」論(今年の新語2022さきがけ)

いま、日本語の「世代」に静かな変革が起こっています。

国民の皆さまと日本語担当大臣に向けて、今年の新語警察がレク(チャー)します。

ここまでのあらすじ

9月7日に三省堂 辞書を編む人が選ぶ「今年の新語2022」の募集が始まりまして、

三省堂 辞書を編む人が選ぶ「今年の新語2022」
読者の皆様と、辞書を編む人の英知を結集し辞書の三省堂が「今年の新語」を選びます。

それに乗じて、今年の新語警察の前々からの懸案をツイートしました。

これを飯間浩明さん(b.1967)が取り上げてくださったことで、多くの方の目に触れました。

えらいもんで、インプレッション数が普段のツイートの数千倍レベルになってます。

途中いろいろありつつもはしょりまして

こんなステータスになっておりました。

結論:Executive Summary

先に結論から述べます。

○○は世代」という語形について(例:トップガンは世代)

審議の結果は次のとおりです。

(1)「世代」の新しい語形です
(2)けれど「語釈も新しい」とまでは言えません
(3)それでも「新語」です

それぞれ簡単に根拠も添えます。

(1)「世代」の新しい語形です

20世紀の用例をまだ見つけられていません。21世紀に入って興ったとみられます。

日本語コーパス「少納言」所収のテキストから拾えたのは「年金は世代と世代の助け合い」みたいなものばかりでした。「年金は世代」だけでは意味が通じませんので、ちと違います。

Twitterからはサービス開始当初の2008-2009年の用例が採集できました。2009年のツイートです。

否定文と肯定文が揃っていて、かつ短く的確に伝わる文章が小気味よく、例文としてパーフェクトです。美しい。

一連のツイートに対し「前からあった気がする」といったコメントも見られましたが、この年代あたりまでを想起しての「前」だと受け取っています。

(2)けれど「語釈も新しい」とまでは言えません

「大辞林4.0」の「世代」から引用します。

生まれた年をほぼ同じくし,時代的経験を共有し,物の考え方や趣味・行動様式などのほぼ共通している一定の年齢層。ジェネレーション。

Twitterでつらつらと見た「○○は世代」の用例その他から判断すれば、「世代」に対する多数派の見方はこの範疇に収まっていると言えそうです。詳しくは後述します。

(3)それでも「新語」です

「○○は世代」形の中に、「世代」の変化の胎動が見られるからです。

こちらも詳しくは後ほど。


なおツイート時は「語法」としていたところを「語形」に修正しました。見た目で判別でき、論点に集中できるからです。

1枚でわかる「世代」のいま

西暦2022年のいまの「世代」の状態を画像1つで説明するなら、これです。

はい。「シン・ゴジラ」のラストシーンに映った、ゴジラ第5形態です。

※画像は、ワンダーフェスティバル2017冬「シン・ゴジラ」特設ブースにて第5形態雛型を初公開! 数量限定・第4形態雛型フィギュアキット版の販売も|eva-info.jp(2017/02/03付)より

まさに日本語の「世代」第5形態が生まれようとする過程に私たちは立ち会っています。「世代」5Gの登場が目前です。

って、「世代」について述べた文章の中に5Gだとか世代(generation)を使うと話が入り組んでややこしいですね。「第5形態」はその点でも好都合です。以後「形態」に統一します。

論点

「トップガンは世代」のような語形について

  1. これは「世代」の新しい語形か?
  2. 語釈も新しいか? 既存の語釈の延長ではないのか?
  3. 語形のみが新しいケースも「新語」なのか?

この3つを当記事で検討する論点としています。

論点整理:「うなぎ文」は検討対象外

私も飯間さんと同様に、上記の各ツイートからたどれるリプライと引用ツイートにひととおり目を通しました。

けれども元のツイートの書き方にまずかった点もあったかして、体感で過半数が「○○はほにゃらら」の語形自体に注目したものとなっていました。

この語形を持ち、かつ一見奇妙な文意となる文章は、その世界で「うなぎ文」とか「こんにゃく文」とか呼ばれているみたいです。当記事でそちらは検討しません。対象外です。

そちらに興味のある方は、「うなぎ文」「ぼくはうなぎだ」「こんにゃく文」「こんにゃくは太らない」とか「ポニーテールはふり向かない」とかで検索してもらえれば、有益であったりなかったりする情報にたどり着けて、しかるべき研究にもアクセスできたりできなかったりするかと思います。

それこそ「夏は夜」「秋は夕暮れ」と記した少納言の昔から、「○○はほにゃらら」の形はあるわけで。日本語警察として食指の動きにくいテーマではあります。

あらためて述べます。私が考えたかったのは、

日本語の「世代」が「○○は世代」の形で使われるようになったのは一体どういうことなのか?

なのでした。

唐突な自分語り:「シン・ゴジラ」と「A面・B面」

ここで唐突な自分語りを始めます。きちんと本題に戻りますので、しばらくお付き合いください。

わたくし、2016年の公開当時「シン・ゴジラ」にドハマりしまして。

その年に映画館で10回、その後Blu-rayで5回と配信で1回、これまで合計16回通しで観てます。同じ映画の鑑賞回数として自分史上断トツです。

以来、たいていのことは「シン・ゴジラ」に当てはめて考えるシン・ゴジラ脳となっております。

ちなみに配信版はもっぱら確認用です。たとえば

  • 首都高多摩川トンネルのケーソン(沈埋函)から気泡の上がるさま(シーン#34)
  • 都庁防災センターのデジタル時計の時刻(シーン#63, #68, #231)

など、観ていて気になったポイントを確かめるときに重宝しています。

もうひとつ、わたくし、田房永子さん(b.1978)による「A面・B面」という区分を買っておりまして。

簡潔に定義するなら、こうなりますでしょうか。

  • A面とは「人間がみんなで生きていくためのシステム、社会通念」
  • B面とは「ゆるぎないもの.自然の摂理」「さからえないもの.生理現象」

出典:田房永子『親はなぜうるさいのか』(2021)pp.064-065

先日(2022/09/28 OA)VTR出演されたNHK「あさイチ」でも、「私の中では(略)社会通念とか常識とかっていうのがA面」「自分の感情とか湧き上がる欲求とかっていうのをB面と考えるようになって」と話されていました。

私自身はざっくり「規律」と「混沌」ととらえています。ともかくこの区分けが、浮世のあれこれを計る際のよい物差しとなっております。

こちらのツイートなど、一見あら削りな「お気持ち表明」に見えて、けっこう芯食ってると感じますし。

そんなこんなで、2つをトム・ブラウンばりに合体させて、過去にこんな記事を書いてもいます。

「B面」としてのシン・ゴジラ
映画「シン・ゴジラ」のテーマは、「B面の取り扱い方」である。 そうとらえ直してみると、さらに楽しめます。 シン・ゴジラが従来の3倍(当社比)面白くなります。ぜひ、お試しください。

われながらよく書けたとうぬぼれているわりに、ページビューは低調です。

「~は世代」を考える

さて、世代です。

カセットテープは世代(@U___U69

のような「世代」について、論点ごとに3つの結論を出しました。言い回しを整えて再掲します。

  • (1)「世代」の新しい語形である
  • (2)けれども「新しい意味」とまでは言えない
  • (3)それでも「新語」でよい

(1)の根拠は先ほどおおかた述べました。以降で(2)(3)の根拠を順に詳しく述べてゆきます。

従来の「世代」については別の記事に分けて詳述しました。故事成語でも「故きを温ね新しきを知る」と申します。必要に応じて各自でご参照ください。

従来の「世代」の大きさと否応なさについて(今年の新語2022さきがけ)
結論から述べます。従来の「世代」の2大特徴は 大きい 大きいゆえに、否応ない です。

くり返すと

  1. 大きい
  2. 否応ない

が従来「世代」の2大特徴です。

以下はそのダイジェスト+補足版です。

「世代」の大きさ

俗に「主語が大きい」という言い方があります。第八版の改訂で新たに

すべてがそうだとは限らないのに、ひとまとめに論じられている状態だ。

と加えられた『三省堂国語辞典』の「主語が大きい」の解説文が、そのまま「世代」にも当てはまります。

主語としての大きさゆえか、中には粗雑きわまる、時に差別的ですらある世代論もまかり通るのが実態です。

「世代」の否応なさ

世代には否応ない面もあります。

まず大きな特質として、

実際私の学年の人間は、
「松坂世代」「氷河期世代」「ロスジェネ」
など色々な言われ方をする世代なんだけど、(@kanipan666

という具合に、「言われる」パターンが圧倒的であることが挙げられます。

こちらは広辞苑(第七版)にあった、社会学的側面からの「世代」の語釈です。

生年・成長時期がほぼ同じで、考え方や生活様式の共通した人々。また、その年代の区切り。ジェネレーション。

ならば生まれた年がほぼ同じでも、生活様式に差が出る「世代」ではどうだろうか。Twitterの投票機能を使って“境界線”を尋ねてみましたら、アカウント史上最多の投票を頂戴しました。ありがたいことです。

それはそうと、私にはなんとも絶妙な結果でした。

「入る」派が過半数ですが、3分の2までは届いていません。

ん?そのフレーズどっかで聞き覚えあるな、と確認してみると、まあびっくり。衆議院の全議席のうち、政権与党が占める割合 (261+32)/465≒63% とほぼ同じでした。

cf. 会派名及び会派別所属議員数(令和4年9月1日現在)|衆議院

つい「世代与党」「世代野党」の表現が思い浮かびました。でもミスリードがすぎるのでこれ以上使うのはやめます。

とまれ、3つの選択肢のうち最多得票を集めたのは「入る」でした。

たとえ生年や成長時期が同じであっても、子育てしてる家庭としてない家庭で少なくとも「生活様式」はずいぶん異なると思うんですが、「じゃない方」も「子育て世代」に入れてしまうんですね。

否応ないなー

(ダイジェスト+補足ここまで)

既存「世代」のA面性

ここから言えることは、「世代」に対する多数派の感性は

  • “認証方式”が「生まれ育った時期」の1種類だけ

だということです。単一認証方式なんですね。

論理的に設計するなら2要素認証方式であるはずの「子育て世代」ですら、「じゃない方」も含める見方が多数派でした。

子育てしてない20~49歳だから「入らない」に入れたけど、世間は同類として見ている模様。ツラい。(@kalax11

とツイートされた方のツラみを、はたしてどれだけの方が肌身に感じられているのでしょうか。

こうした点をふまえて、当記事では従来の「世代」を田房永子さんの区分にならって

「世代」A面

と呼ぶことにします。

(復習)既存「世代」の4形態

ところで、既存の「世代」は大きく4つの形態に分けられます。前掲記事から再掲します。

  1. 人口学的:息子の世代(デジタル大辞泉)
  2. 生物学的:一世代限りの種子(三省堂国語辞典 第八版)
  3. 社会学的:戦後世代(広辞苑 第七版)
  4. 工学的:第二世代コードレス電話(デジタル大辞泉)

各辞書から抜き出した用例もまた、既存「世代」のA面性を裏づけます。どの形態も時間軸で区切る否応なさがありますね。権力的であるとすら言えます。

「世代」第5形態のきざし

「シン・ゴジラ」劇中では、ゴジラ「第5形態」をこう語っていました。(第5形態のワード自体は出ていませんけれど)

進化的見地から小型化だけでなく、有翼化し、大陸間を飛翔する可能性すらある(シーン#290)

進化的見地から?すれば、日本語の「世代」にもまた、ほぼ同じことが起こり始めています。細かく見ていくと、

  • 小型化=起きてます
  • 有翼化=ある意味、起きてます
  • 大陸間を飛翔する可能性=それは知らん

「○○は世代」の語形を取れる「世代」に特徴的に現れている用例パターンこそが、その最前線であります。シン・ゴジラで言えば、ラストシーンに見る尻尾の先端ですね。

と大きく出てはみましたが、飯間さんのこちらのツイートによって、おおむね探り当てられてしまってはいます。

まるでプロ野球選手のキャッチボールのように、力の抜けた「肩慣らし」程度のムーブでありながら、構えたグラブにすぱんと入ってくる爽快さすら感じました。

こむずかしく付け加えますと、第1~第4形態として整理した従来の「世代」が共通して備えていた

  • 時間軸を基準とした
  • 単一認証方式

のいずれか片方が崩され始めている。それがいま「世代」という名の尻尾の先端で起こっていることです。

別の言い方をすると、一部の「世代」が

  • (1)生まれ育った時期 に加えて
  • (2)それを〈見ていた/聞いていた/楽しんでいた〉こと

の「2要素認証方式」を採用しだした

さらにそこから進化?を遂げて、「世代」単一認証方式の認証要素として

  • (1)に代わって(2)の方を採用しだした

と言えます。

これらはまだ大半の人が気づかないレベルの小さな変化ですが、「新語」と評価するにふさわしい変化です。

「世代」ツイートの分析

御託を並べるより具体例を出した方が早いかもしれません。ツイート検索結果から目に留まったものをいくつか取り上げて個別に検討してゆきます。

その前にいくつか。

まず独自用語の定義です。

  • 先述の(1)に示した、時期的な制約のチェックを「タイム認証」
  • (2)に示した、コンテンツを享受してきたかのチェックを「エンジョイ認証」

と、以後当記事では呼ぶことにします。

そして、焦点を絞るためにツイート引用は

ツイート抜粋(@accountname)

の書式を基本とし、ツイート全体の埋め込みはその必要を認めた一部に限ります。先ほどより既に実践しております。

また、

  • 「世代」に関しては、時期的な制約=「タイム認証」要素が、百分率で言えば51%~66%のレベルで、すなわち「過半数だが3分の2までは至らない」レベルで最も強い

Twitterアンケートから得られたこの知見をふまえることで、採集当初は難航するかと思われた各種の「世代」解読作業も、実にクリアに終えることができました。

では進めます。

世代は世代なんですけどほとんど知らずにいて…(@chino_y

  • 「タイム認証」合格です。
  • 「エンジョイ認証」不合格です。

タイム認証要素だけでは「世代」と言いきれなかったツイート主の内的規範も読み取れます。ここが地味に大事。


世代じゃないのに世代なんよな(@SUSIZANURAI4343

  • 前者は「タイム認証」不合格だから「世代じゃない」です。
  • 後者は「エンジョイ認証」合格だから「世代なんよな」です。

「でも監督は北斗の拳は世代じゃない感じですか…?」と心配されるも「いや全巻持ってますしお気に入りは北斗有情破顔拳です」って返したところでガッチリ握手した次第です。(@MORITAtoJUMPEI

これも

  • 「タイム」不合格
  • 「エンジョイ」合格

のパターンですね。この文脈で大事だったのはエンジョイ認証の結果のみであって、タイム認証の方ではなかったわけです。


こちらは「世代じゃない」ネガティブ方向の認証パターンの用例です

世代じゃないのに(世代じゃないというか当時そういうのに触れてこなかった)全部分かるの末期(@kageRou_don

()内の補足により、ツイート主は

  • 「タイム認証」合格
  • 「エンジョイ認証」不合格

を「世代じゃない」としていることがわかります。わざわざ補足してあるのは、世代じゃない=タイム認証不合格と誤読される可能性を考慮して、と私はみました。

世代の小型化とB面化

こちらのツイートは、まさに新旧「世代」観が渦巻く最前線でした。

あたかも日本列島沖で黒潮と親潮が、また対馬海流とリマン海流がぶつかり合うさまのようです。実に面白い。

豊かな漁場をもたらすこの潮目を読んでみましょう。順序を入れ替えて、先にツイート主の「世代」からです。

世代ってミスチルと一緒に歳重ねてきた世代なのでは?

世代かどうかは、最低限「タイム認証」が必須だからですね。世代A面=旧来の世代観の持ち主であるのがわかります。

他方、

20代のアナウンサーが、「私世代です!」って言ってた

らしき彼または彼女の「世代」は、「エンジョイ認証」のみの単一認証方式です。

ですから日本語警察の目には、これはいささかピントのずれた感想に見えます。

若者にも「自分は世代だ」と堂々と言わせるミスチルの幅広さよ。

今年(2022年)デビュー30周年を迎えたMr.Childrenが、今なお新しい世代(←これは既存の人口学的・社会学的な方です)のファンを獲得し、幅広いファン層を持つことは確かでしょう。

けれども、この場面で若者にも「自分は世代だ」と堂々と言わせた最大の功労者はミスチルではなく、第5形態の「世代」です。

旧来のA面的な世代観のみで評価しているゆえに、ピントがずれています。


「エンジョイ認証」により、すなわち

  • それを〈見ていた/聞いていた/楽しんでいた〉

だけで判定する「世代」は、もはや「主語が大きい」世代ではなくなっています。

世代かどうかはどこまでも発信者の「私」が決めることですから。

世代の「小型化」が起こっています。

そして同時に「B面化」も起こっています。

その「世代」は私的な、パーソナルなものです。社会通念その他のA面から離れ、B面であるところの自分の感情や欲求が前面に出ています。

また、先ほどの飯間さんのツイートの文言を借りると、「テレビ番組なら初回放送の頃、アーティストなら登場して知名度が上がった頃」といった時間的制約からも自由になりつつあります。

暗黙の制約は「年齢上限」「エモ」「共有」

しかし第5形態の「世代」にもなお、暗黙の制約があります。どれも比較的マイナーな論点ですが

  1. 年齢上限
  2. エモ
  3. 共有

の順に軽く触れておきます。

年齢上限

ひとつは「年齢上限」です。

B面的な性質を帯びる「世代」第5形態にも、いまだA面的「タイム認証」要素の影響が強く残っています。どんな場面でも「エンジョイ」単一認証方式のみで通用する状況ではなさそうです。

たとえば「エンジョイ認証」だけなら資格十分なはずのおじさんも、「シン・ゴジラは世代」とは言いづらいのが現状です。

上限について具体的に何歳という社会的合意はなさげですが、大まかな感触としては幼少期~せいぜい20代あたりまででしょうか。

ここらが変わるには多数派の人間観のアップデートが必要になりますので、当面このままでしょう。

エモ

先ほど「年金は世代」の文例を、特に根拠を示さず「意味が通じない」としました。

同様に

「ゆとり教育世代」は通じるが「ゆとり教育は世代」は通じない。(@_4get3not

とするツイートもありました。

雑駁な印象論ですが、現状でどちらも話し手のエモ(=感情)を乗せづらいからでしょうね。むろん、年金やゆとり教育に対して何らかの感情を持つ人も当然に実在するはずです。けれどもその感情は、「乗せる」タイプの感情ではないのでしょう。そう見ています。

よって論理的な帰結だけで述べると、たまたま現在そうなっていないだけで、そこに何らかのエモが乗せられるようになれば、年金やゆとり教育もまた「世代」第5形態の対象となりえます。

「年金は世代」や「ゆとり教育は世代」の意味が通じる世界の到来は、それはそれで楽しみではあります。

共有:「酒井法子は世代ですか?」

そして「共有」です。こちらは嫁インタビューで発見しました。

突然ですがわたくし、移動中のスクールバスで最後部の荷台のところに乗り上がって酒井法子(b.1971)の曲を歌っていたら、近隣住民に学校へ通報されたという「嫁ヤシロのすべらない話」が大好きなのです。

それで今回嫁に「世代」か聞いてみましたら、意外にもその答えはNOでした。

酒井法子は世代ですか?

うーん……違うなあ

違うの? スクールバスで歌ってたんでしょ?《夢冒険》

夢冒険(1987)
酒井法子
¥255

バスは《1億のスマイル》。《夢冒険》は数学の授業中やね

それは初めて聞きました

教室の後ろで歌ってた。小声だったらわかんないよ、とか、みんなそそのかすから

まあ、先生の声より全然大きかったけどね

ははは

そんで「ヤシロさん、席に戻りなさい」つって

え?注意するのそこだけかよ? って席に戻る

はははは

でも酒井法子は「世代」ではないと

うん

今調べたら、《夢冒険》って第60回春のセンバツ高校野球の入場行進曲にもなってるんですね

cf. 入場行進曲一覧|選抜高校野球|毎日新聞

そうだよ。でもCD持ってたのあたしだけだったし

みんな、あたしの歌う酒井法子が好きだっただけで、誰もCD持ってなかったからなぁ

なるほどねぇ

  • 何かをエンジョイするその仕方を、誰かと共有できていたこと

これもまた、「世代」第5形態の隠れた要件として数えることができそうです。

そこはなお、何らかの集団を表してきた「世代」の性質を受け継いでいる。ということになります。

まとめ:残酷な世代のテーゼ

日本語の「世代」が「○○は世代」の形で使われるようになったのは一体どういうことなのか?

を考えてきました。当記事でそのアウトラインは解明できた気がします。

エヴァ世代を代表して(嘘です)《残酷な天使のテーゼ》になぞらえて言えば、

その「世代」の背中には、はるか未来目指すための羽があります。

池田晶子(1960-2007)はかつて、世代論disテキストの金字塔として(私にだけ)名高い〈「世代論」の腹立たしさ〉をこう締めくくりました。

 世代を信じない世代が出てくるのは、とてもいいことだ。人間が自由になる。

『考える日々Ⅱ』(1999)p.31

第5形態の「世代」は、池田の挙げた「信じない」というハードめな方法論とは違った

小型化

というスタイルを取ることで、A面的な「世代」から自由になり始めました。とてもいいことです。

特定の誰の意志でもないのに、スマートな知性を感じさせます。

そんなところです。

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