「今年の新語2018」大賞「映える(ばえる)」、「第九」の仲間説

こんにちは。年末なので書いておきます。

この記事で言いたいこと

三省堂「今年の新語2018」大賞に選ばれた「映える(ばえる)」は、

「インスタ映え」「SNS映え」から独立した語

というよりも

「インスタ映え」「SNS映え」の圧縮形

ととらえた方が、いろいろ整います。

  • 情報量を保ったまま、形が短くなっている。

その点で年末の風物詩「第九」と同じです。

2018-12-23_1950

都響スペシャル「第九」|tmso.or.jp より

あらすじ

三省堂 辞書を編む人が選ぶ「今年の新語2018」の大賞に「映える(ばえる)」が選ばれました。→選考結果

選出そのものに異存はありません。

しかしその選評には変なことが書いてありましたので、整合するように理論を組み直しておきます。

【おことわり】

以後当記事では、「ばえる」と濁点をつけて読む「映える」を、「映゛える」と表記します。

選評の要約

「今年の新語2018」の選評では、大賞「映゛える」をこう説明していました。

「インスタ映えする」「SNS映えする」の

  1. 「ばえ」が独立した
  2. 意味も変化した

反論の要約

反論します。

  1. 独立していません。
  2. 意味も変わっていません。

ここがダメ

選評は次の2点がダメです。

  1. 「インスタ映え」の定義が狭すぎること
  2. 「映゛える」の新しさを強調しようとしてダメな理論を持ち出していること

詳しくは後述します。

もっとエレガントな理論

ダメな部分に代わる理論を示しておきます。

「映゛える」とは

  • 略語の一種です。
  • 「インスタ映え」または「SNS映え」の圧縮形です
    (厳密には、さらに動詞へ還元した形)。

そうとらえた方が、ずっと美しく整います。

類例

「映゛える」と似た例に、「第九」があります。

元の言葉を縮めてありますが、情報が十分保たれています。

大賞「ばえる」選評への反論

2つの論点に分けて、反論を加えます。

独立?

選評から引用します。※下線は引用者(以下同じ)

「インスタ映えする」「SNS映えする」の「ばえ」が独立し、名詞「ばえ」や形容動詞「ばえな○○」、とりわけ、動詞「ばえる」が浸透してきたのです。  

反論します。

独立していますかね。確かに形の上では独立しているようには見えますが。

事実、後ろで

ただし、撮影・投稿したいほど、という語感があります。  

と書いているとおり、見えていないけれど「インスタ(グラム)」や「SNS」が、そこに居ますよね。昼のお星やたんぽぽの根のように、インスタやSNSも、見えぬけれどもあるんです。いるんだよ、ゲロゲーロ。

「撮影・投稿したいほど、という語感があります」。同感です。ならば、独立は「していない」と見た方が都合がいいです。居るからいないよ、ゲロゲーロ。

なぜ「独立していない」と見た方が都合がいいかというと、「映゛える」語頭の濁点「゛」、この存在をきれいに説明できるからです。

そこの説明は後ほど。

意味も変化?

意味も、「インスタ映えする」からは変化しています。

していません。

SNSに投稿しなくても、景色や小物、スイーツなど、見映えがいいものを「ばえる」と表現します。

そこは「インスタ映え」「SNS映え」も同じです。

どちらも現実にSNSへ投稿したものに対してだけでなく、すれば映えるであろう対象にも使われてきました。インスタグラムやその他SNSに実際投稿するかは、どちらでもいいはずです。

2017年の用例から取ると、テレビ番組「ザ!鉄腕!DASH!!」のコーナー「DASH海岸~夏の高級魚~」(2017/08/13 OA)で、

ご飯の上に、漬けにしたカンパチを敷き詰め、
その上に、キンキンに冷やしたカンパチのアラと昆布で
とった出汁をぶっかけて、冷やし出汁茶漬けに!

この料理をTOKIOのメンバーが「インスタ映え」と言っていました。

あいにく何メンバーの発言だったかは失念しましたが、誰であったにしろ、彼らがインスタグラムに投稿した事実はないと思われます。

英文法用語で言うと、インスタ映えが「直説法」限定のワードだなんてことはありません。「仮定法」でも使えますし使っていますよね。という話です。

検証・謎のうんちく

選評のダメなところはもうひとつあって、

「ばえる」は、ことばの形の面でも興味深いことがあります。

の段で傾けられるうんちくが、無用であることです。

「映゛える」が

  • やまとことばである
  • 濁音で始まる
  • プラスの評価を表す

事実認識として、そこは同意できるんですが。それでも、「映゛える」の選評になんで次のような話を持ち出すのかがわかりません。

もともと、大和ことばが濁音で始まることはまれでした。(略)ただ、俗語の場合は、最初の音を濁音にしてマイナス評価を表すことがありました。たとえば、「様」から来た「ざま」、「擦(す)れる」から来た「ずれる」、「振れる」から来た「ぶれる」などです。  

意味がわからないです。

後述されているとおり、「映゛える」には当てはまっていないので、この理論は適用できません。

となると、「映゛える」最初の濁音「ば」について、ここでの可能性は主に2つです。

  1. 評価の方向性とは無関係であり、上記の理論が間違っている。
  2. 「マイナス評価を表す」とは別のメカニズムが存在する。

簡単に検討してみました。

可能性1:理論が間違い

最初の音を濁音にしてマイナス評価を表すことがある。

その例として提示された3つの語から濁音を取っても、たとえば

  • ありさま
  • すれっからし
  • (車輪の)フレ取り

の「様」「擦れ」「振れ」はどれもマイナスの評価を帯びています。となると、濁音の採用は、濁らない「様」「擦れる」「振れる」に元々含まれていた意味が強調されている、とする方がより正確でしょう。

ところが、「ばえる」は、濁音で始まるのに、プラス評価を表します。濁音によって「映える」様子を強調する結果になっています。

この例も同じです。「映える」に元々含まれていた意味が、濁音によって強調されているのです。

  • 最初の濁音によって、マイナスの評価を表すことがあったり(ざま 等)、なかったり(ばえる 等)する。

となると、最初の音を濁音にすることと評価の方向性とは無関係、ということになります。理論が間違いです。

むやみに流行語をぶっこんでみるテスト

とはいえ、元の記述はマイナスの評価を表す「ことがありました」となっています。「そういうケースもあったよ」と特称的なもの言いを、間違いと断言してしまうのもやりすぎです。

そこで「そだね~」とスルーするシナリオを、次に示します。

可能性2:濁音になるのは別のメカニズム

評価の方向性とは関係のない、もっとエレガントな説を提示します。

「映゛える」は、「インスタ映え」「SNS映え」の圧縮形です。
より正確に言うと、圧縮形「映゛え」を動詞に還元した語です。

圧縮されてはいますが、「インスタ映え」「SNS映え」と同等の情報が保たれています。ちょうどZIPファイルみたいなもんです。

語句の持つ情報量として、「インスタ映え」と「映゛え」は等価です。

別の言い方をすると、「映゛え」という入れ物には、「インスタ映え」「SNS映え」と等しい情報が載せられるだけの容量があったということです。

類例(その1)

圧縮された形が元の語句と同等の情報量を保っている例をいくつか。

第九

「第九」を文字どおりに読むと、「9番目の」ぐらいの意味しかありません。

しかし承知のとおり、現代日本語の「第九」は、もっと情報量の多い言葉です。

9番目の何なのかが事実上特定されています。

不倫

「不倫」を漢文風に読むと「倫にあらず」です。「道義に反する」ぐらいの意味しかありません。

しかし承知のとおり、現代日本語の「不倫」は、もっと情報量の多い言葉です。具体的に道義にどう反しているか、事実上特定されています。

昔はそうではありませんでした。たとえば19世紀末に、与謝蕪村の俳諧と唐詩を比較することを「不倫」(と主張する人がいる)と正岡子規が書いた例があったりします。
【出典】「人々に答ふ」(1898)

不倫の語が指す内容の変遷については過去記事「不倫とは何か?」の近代史―不倫(2)(2016/02/17) に詳しく書きましたので興味があればそちらで。

「濁音で始まる大和ことば」問題の解決

「映゛える」を「インスタ映え」「SNS映え」の圧縮形ととらえれば、「大和ことば(和語)なのに濁音で始まる」問題も解決できます。

  1. 連濁により、語句の後半あたまが濁音となる
     インスタグラム+映え → インスタばえ
  2. 圧縮されて前半が消える
     インスタばえ
  3. 情報量を保つために濁音が残る
     ばえ → 映゛える

こういうメカニズムです。連濁で生じた濁音は、圧縮前の情報量を保つために残されるわけです。

という具合に、「映゛える」の始まりの音が濁音のままになっているのは、「インスタ」「SNS」の意味を表すためだと考えると、いろいろうまくいきます。

逆に言うと、濁音のない「映える(はえる)」では、「インスタ」「SNS」の含意を十分に保ちきれない。それが、日本語話者の目下の総意だと考えられます。

「モヤる連濁」救済チャレンジ

「映゛える」の濁音にモヤっているツイートから2つ紹介し、救済を試みます。

自身の生活経験から言うと、アホも日本語を使っていますが、連濁を取り忘れるようなアホにはいまだ遭遇したことはありません。たとえば「取る」も「使う」も連濁する語ですが、「取゛りわすれた」とか「使゛ってる」とかいう例は聞いたことがないです。

きっとその先生は、「映える」で表しきれない意味あいを含むという点で、「映゛える」を新しいと言ってるんじゃないでしょうかね。

ちなみに、この日こんなことを言った「先生」を探してみました。たぶん、こちらの科目一覧に出てくる「日本語の歴史Ⅰ」担当教員の廣坂直子さんですね。

廣坂さんの名前を検索すると、執筆者の一員として金水敏編『〈役割語〉小辞典』(研究社, 2014)の「はしがき[PDF]」が見つかりましたので、9割方間違いないでしょう。

と無駄にストーキング能力をひけらかして、2つめ。

安心してください。いまだ解明されていません。「どんなときに連濁してどんなときにしないか」って、とんでもない難問なのです。

類例(その2)

成り立ちの似た語句に気づいているツイートもありました。

そうですね。

漬けもの(つけもの)といったら素材はふつう野菜ですが、
漬け(づけ)といったら魚介です。

ついでに、ズリといったら鳥の砂肝、砂擦りです。

「映゛え」も、寿司屋や焼鳥屋のメニューに入りそうな予感がします(しない)。

まとめ:不思議な不思議な池袋

以上、いらぬうんちくを傾け一般人を煙に巻いていた「今年の新語2018」大賞「ばえる」選評の改善を図り、

「映゛える」の成り立ちを

  1. 連濁により、語句の後半あたまが濁音となる
  2. 圧縮されて前半が消える
  3. 情報量を保つために濁音が残る

ととらえてみました。

ちょうど同じ経過をたどった語がありました。「池袋」です。

  1. 連濁により、語句の後半あたまが濁音となる
    →池袋(いけぶくろ)
  2. 圧縮されて前半が消える
  3. 情報量を保つために濁音が残る
    →ブクロ

そんなところです。

ブクロの第九の話でした。

次回予告的な何か

この記事を書いていて、日本語にとって濁音とは、元来

  • 回転を綺麗に保つためのバランスウエイト

あるいは

  • グルーヴを出すためのカッティングノイズ

みたいなもんだったのかなと思うようになりました。もう少し考察します。

つづくかも

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