久保田智子さんの「1945ひろしまタイムラインから考えたこと」を読んで【感想文】

「群像」2021年9月号に載っていた久保田智子さんのエッセイ「1945ひろしまタイムラインから考えたこと」を読みました。11ページの分量でした。

この雑誌の実物を見たのは初めてです。まるで喫茶店の厚焼きトーストのようなサイズ感で驚きました。

「1945ひろしまタイムライン」とは、NHK広島放送局の2020年の企画タイトルです。面倒なのでそれ以上の説明は略します。3分で簡単にわかるスライド動画にしてますので不足ならばそちらへ。

ドキュメント72時間っぽく「ひろしまタイムライン」をふり返る
テーマ曲はもちろん、松崎ナオ《川べりの家》解説は、 へ

以下単に「ひろしまタイムライン」とします。

でもって、久保田さんは一郎@ひろしまタイムラインの「中の人」の1人でした。

私ごとですが、2020年8月20付のシュン@ひろしまタイムラインのツイートに端を発した炎上騒ぎ以来、現在に至るまでほぼ毎日「ひろしまタイムライン」と関連キーワードを検索し続けております。そこに、群像アカウントからの次の告知もヒットしたのでした。

「ひろしまタイムライン」に言及した自身のツイートのインプレッション数から試算して、狭くて広いTwitter世間でさえ、そうした酔狂な「ご同輩」は目いっぱい多く数えても最大50人です。

ですのでこの機会に「ひろしまタイムライン」研究者を自称することにしました。少なくとも研究成果を継続的に公表されている方がネット世間でほかに見あたらないので、いま私が事実上のトップです。

そんなトップ研究者が謎の義務感に駆られて書いた、ウルトラマイノリティの視点からの感想文です。

要約:Executive Summary

(1)当ブログは、久保田智子さんを「ひろしまタイムラインによって傷ついた人」の1人に認定します。

(2)久保田さんへ、宮地尚子さんの対談集『環状島へようこそ』(2021)をオススメします。

読んで途方に暮れてもらいたいです。

はじめに

感想文のはじめに、まずはトップ研究者の私のもとに届く形で考えを公にされたことについて、久保田さん、ならびに関係者各位に敬意を表します。

掲載に至るまでの経緯はまったく不承知なので、チャンスがあれば知りたいところです。知らずじまいでもそれはそれであり。

感想文の構成

「距離」と「時間」を軸にして感想を述べることにします。具体的には

距離

  • 「一郎」チームと「シュン」チームの距離
  • 久保田さんとモデルの「日記」の距離

時間

  • 新井俊一郎さんの時間
  • 大佐古一郎の時間
  • 久保田智子さんの時間

です。そのなかで、あるいはそのあいまあいまに、久保田さんのテキストに現れた

  • 気持ち
  • 被爆者
  • 日記

のワードに引っかかってみます。それらの語法に「ひろしまタイムライン」が抱えていた危うさもまたよく表れているなと思ったからです。

感想文のスタイルであるのをいいことに、少ない情報で雑に認定する姿勢でまいります。

ひろしまタイムラインに傷ついた人の告白

久保田智子さんは「ひろしまタイムラインによって傷ついた人」の1人です。

それが、当ブログ第1の結論です。ここから認定しました。

あれから1年たとうとしている。この間、罪悪感、無力感、不信感など複雑な気持ちが交錯した。改めて、私たちは何をしようとして、何を間違ってしまったのだろうか。(p.193)

傷ついていない人は、ふつうこういう自問はしませんので。

私は意地が悪いので「傷ついていない人が、傷ついた人アピールしている説」も検討してみました。次の事実から、その説は立証しがたいので棄却しました。

その事実とは、全11ページのエッセイが大筋で出来事の時間順となっているにもかかわらず、このくだりが出てくるのが8ページ目であることです。時系列を追う形で、それだけの「前置き」が必要だったと理解しました。

久保田さんの傷つき方は、もし「ひろしまタイムライン傷ついた人ランキング」があったら確実に上位グループ入りするものに感じました。上位だからどうって、特にそういうのはないですけど。なんならラヴィット!でやってみますか?

「一郎」チームと「シュン」チームの距離

次の記述から、シュン@ひろしまタイムラインの「炎上」に関しては、久保田智子さんも一般人と同等の位置にいたことがわかりました。

作成はそれぞれのチームが独立して行っていたため、同じプロジェクトとはいえ、私たちはシュンちゃんの投稿を一般の読み手と同様にツイッター上で初めて確認した。(p.191)

 このツイートがどんな日記や証言に基づいて作成されたのかについては分からなかったが、(後略)(p.192)

ここからいろんな「たられば」は言えますが、この証言自体はまあそんなもんかなという感想です。

というのも、まさにいま携わる仕事の中で、私自身も似たポジションにいるからです。もろもろ都合によりぼやかして書くと、いまとあるXというシステムのサブシステムAのテストとリリースをもっぱら行う時給仕事をやっていて、このXシステムの開発運用体制に、共通点が見いだせるのです。

このXシステムにはほかにサブシステムBとCがあります。サブシステム同士はインタフェースを持っていますが、互いに独立しています。で、Xを製造販売する企業がすべて別々の会社に仕事を出している体制です。

XシステムをNHK広島の「1945ひろしまタイムライン」、そのサブシステムA,B,Cを「一郎」「やすこ」「シュン」各チームに置き換えてみると、相似形をなす類似度の高い組織体制となっています。

この体制下で何か調整を要する事案が生じれば、Xの担当者を介してやり取りします。私が別のサブシステムBやCのメンバーと直接何か話すことはありません。また彼ら彼女らがどんな資格で開発運用プロジェクトに関与しているかも知りません。

こうした体制の要に位置するポジションの担当者がふにゃふにゃだと、末端が困ります。そこもよく似ています。

久保田智子さんとモデルの「日記」の距離

一郎チームが底本とした大佐古一郎『広島 昭和二十年』に自身が没頭してゆくさまを、久保田さんはこう綴っていました。

 それからというもの、毎日、毎日、2020年を生きる自分を抑えながら、大佐古記者の日記を熟読し、当時の中国新聞を読み、自分を1945年の広島に置く努力をつづけた。ちょうどコロナの影響で(略)人との接触が少なく、非日常だったことも後押しした。私の世界は2020年東京から、徐々に1945年広島の割合が増していったのだった。(pp.188-189)

根がまじめなんですかね。久保田さん、どこか「日記」にrely onしすぎな気がしました。しっくりくるいい日本語が出てこないんですが、頼りすぎてるというか、信を置きすぎてるっつーか。とにかく近すぎるんです。

もしこれがコントなら「距離感!」ってつっこむところです。

久保田さんの「日記」ワードに覚えた私の違和感は、後ほどもう少し詳しく触れることにしまして、ここでは「一九六一年二月」付の古いテキストから、私の大好きなエピソードをひとつ紹介します。

円地文子『女坂』の新潮文庫版の解説で、江藤淳が円地とのこんなやりとりを明かしています。

一年ほど前、ある座談会で同席した時、円地氏は
「日記というものは嘘を書くものね。私なんぞ気分次第でお天気まで変えて書きます」といった。(p.216)

そう、これです。この心意気ですよ。知らんけど。

これ自体が江藤と円地の仕掛けた嘘である可能性も込みで、とっても「いいね!」です。そして、私が何かの「日記」や「手記」に向かうときのよきガイドでもあります。

気持ちバカの疑い

あらゆる物事のうち「気持ち」の順位が著しく高い人を、当記事では「気持ちバカ」と呼ぶことにします。「バカ」はいささか不穏当で品位にも欠けるもの言いですが、他にしっくりくるワードも見つけられていないのでこれでいきます。

久保田智子さんにも気持ちバカを感じました。「気持ち」がこんな具合だからです。※下線は引用者。以下別途明記ない限り同じ

私たちが事実として認識している知識こそが、当時の大佐古さんの気持ちに迫る邪魔をしていたのである。(p.188)

改めて、戦争を経験した人々の気持ちを、戦争を経験していない第三者が知ることの難しさを感じる。(p.195)

気持ちバカです。

人を動かす気持ちのパワーも承知しつつ、それでも気持ちは必須事項でないし、とりわけセンシティブなテーマになればなるほど、気持ちがからむとむしろ害を及ぼすケースの比率が増えるんじゃないのって思うんですけどね。どうですかね。

話はそれますが、スポーツ選手などに対して最初に「今のお気持ち」を聞くインタビュアーを、私はバカにしています。それはインタビューではなくアジテーション、扇動だからです。

謎の気持ちワールド

ついでに久保田さんのエッセイから私の初めて知った情報で、いちばん意味がわからなかったところです。シュン@炎上のきっかけとなったツイートが投稿された「その日」、2020年8月20日の段から。

(前略)私の反応が過剰なんだろうと、気持ちを落ち着かせた。しかし、その日の夜、NHK広島のプロジェクト担当者から、ご心配おかけしています、と連絡が入る。 (p.193)

「ご心配おかけしています」っていったいどういう意味なんですかね。いや、日本語単体としての意味ならわかりますよ、いちおう母語なので。

わからないのは、メールなのか電話なのかそれ以外なのか、ともかくこの文脈でプロジェクト担当者から来る連絡がこうなる意味です。本当にわからないです。

気持ちはいらない

実は私が久保田さんの「1945ひろしまタイムラインから考えたこと」を読む決め手となったのは、こちらのツイートでした。先述の群像アカウントの告知だけなら今なお読まないままだった気がします。

ここで使っている「リアル」や「暴力性」や「検証」ってどういう意味なのかなと思い、元のテキストも見ておきたくなりました。

昨年(2020年)の次のツイートも私の記憶に残っていて、「あ、この人読んだのか」となったのもあります。

基本的考え方として「そもそも他人のことなんかわかるわけがない」に私も賛成です。

といったところで、ツイート主の佐々木俊輔さんは、もしも「ひろしまタイムラインクエスト」ってRPGがあったらパーティーに加えたい1人です。どんなクエストのどんなゲームシナリオやねんってのもありますが、極力。

久保田智子さんの「語られないもの」たち

ところで宮地尚子さんによると、「語られないものこそ核心である」が「トラウマのパラドクス」だそうです。2019年8月収録のインタビューでそう述べられていました。

出典:[インタビュー]トラウマとリカバリー 「臨床心理学」115号(2020)p.18

この言を久保田智子さんのエッセイに当てはめて「語られないもの」を探してみました。

ひとつは「名前」です。

エッセイに登場する人物のうち実名で出てくるのは、「一郎」のモデルである大佐古一郎と、チームで話を聞きに行った「戦時下の状況に詳しい人」のうちの1人らしい、西本雅実さんの2名だけです。そして両名とも、奇しくも元中国新聞記者です。

あとは別のルートと組み合わせれば特定可能な「夫」のようなパターンも含め、全部匿名になっていました。たとえば同じ「一郎」チームだった山根尚子さんと伊東直人さんのことも

SNSを駆使して情報発信している広島タウン誌の編集者の女性と、データ分析を得意とする国家公務員の男性 (p.186)

てな具合です。

この原稿にそれら実名を出す必然があるかっていうとないんですが、となると逆になぜ西本雅実さんだけを「実名報道」しているのか、そっちの謎は増します。

新井俊一郎さんの時間

同じように、ひろしまタイムラインがモデルにした日記筆者のうち唯一存命であった新井俊一郎さんのことも、文中では

「シュン」のモデルとなった被爆者の方 (p.193)

と、匿名化しています。

文中で匿名化することも、新井さんを「被爆者の方」と称することにも異論はないんですけどね。でもなんだろう、なんかね、なんでしょうね、ひと言で言えば軽いんですよね。匿名だから私がそう感じるんですかね。

新井さんが自らの被爆体験を公に語り始めたのは73歳の夏、西暦で言えば2005年のことで、被爆から実に60年が経っています。手記でこう述べていました。

彼女(引用者注:3人目の孫)が小学校6年生だった前年の夏、学校の夏休み自由研究として級友3人と共にビデオで私を取材したいと申し込んで来た。(略)
自宅の応接間で私は、わが孫娘が中心になって小型のビデオカメラを構える小学生を前に、初めて我が被爆体験談を語った。(略)これが私にとって、公的にわが被爆体験を語った、初めての証言であった。

出典:新井俊一郎『激動の昭和史を生きて』(2009)p.311

語り始めるまでに60年の時間が必要だった。

この事実の重みを感じてやらにゃいけんのやないって、私なんぞは思いますけどね。事実の重みはそれぞれが勝手に感じればいいのであって、そこで本人の気持ちを知る必要はびた一文ないわけですよ。しつこいですが。

ちなみに新井さんは、その経緯を2015年のラジオインタビューで語っています。気持ち的な何かを知りたければそちらで。

原爆の本当のむごさを伝え続ける|NHK 原爆の記憶 ヒロシマ・ナガサキ

勝手に文字起こしもしました。

【書き起こし】シュン@ひろしまタイムラインのモデル、新井俊一郎さんインタビュー(2015)
「返歌」として、次の音声資料をテキストに書き起こしておくことにしました。 書き起こすのは、NHKアーカイブス「原爆の記憶 ヒロシマ・ナガサキ」の証言ライブラリーに収められたラジオインタビュー「語り継ぎたいあの日の記憶」(2015年放送)です。

話を戻します。手記では、翌年に中学生を前に自身の体験を語ったことを朝日新聞に投稿し掲載された、という話が続きます。2006年のことです。念のため朝日新聞の記事データベースで確認すると、大筋で新井さんの手記の記述どおりでした。

余談ながら、「阿鼻叫喚の中/妹励ました姉」の見出しタイトルが付けられた2006年のその投稿で、新井さんは「被爆体験」のワードは使っていません。「ヒロシマを語った」となっていました。

大佐古一郎の時間

大佐古による「日記」への久保田さんの認識も疑問でした。

あくまで、私個人の考えで、この問題の一面でしかないが、ここに記してみたい。(p.193)

との表明もあって、ここで久保田さんの「考えたこと」そのものへの賛否は述べる気がなかったのですが、これだけは触れずにいられません。すまん。

 私たちがモデルとした大佐古一郎さんは、日記のあとがきでこんな言葉を発している。

私たちは、昭和二十年の愚行を今後絶対に繰り返してはならない。そこで、私は当時を再現し見直すことが、次の戦争への防壁になると考え、またそうすることが私の義務だと思い、古い日記やメモなどをもとに、数多の戦争犠牲者を偲んで流涕しながら、この稿をまとめた。(傍線は筆者による)

これは1975年8月、敗戦から30年経って書かれた文章だ。(p.195)

久保田さんが引用している文章は、大佐古一郎『広島 昭和二十年』(1975)p.264にあります。出典の示し方が甘いですが、別のところで具体的な書名を出しているのでまあいいです。

疑問だらけなのはこのくだりです。読んでずっこけてしまいました。

つまりこれは、日記の軸足が当時の自分ではなく、終戦から30年後の今の自分にあることを示唆している。私たちが参考にした大佐古さんの日記ですらも、実は30年後の読み手に合わせた形にまとめ直されていたものであると推測できる。(p.196)

自分が何か重大な読み違いをしたかと、二度見、三度見、いや、四度見はしたでしょうか。

大佐古一郎の『広島 昭和二十年』が、タイトルの年から数えて30年後の著作以外の何に思えるのでしょう。私には、かりそめの選択肢を出すことさえ難しいのですが。

加えて、「示唆」とか「推測」とか、ふわふわしたもの言いであることも引っかかります。私なら「断定」に近いレベルでそうと認定した上で話を進めるところです。

NHKオンデマンドで視聴したBS1スペシャル 「1945ひろしまタイムライン もし75年前にSNSがあったら」(2020/08/03 OA)から、私の根拠を挙げておきます。

映っていた大佐古のノートは横書きでした。

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1945年の新聞記者が、リアルタイムでノートに横書きしますかね。

そのノートの表紙(画像の右上)も、こんなでしたよ。

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1945年当時の原本に思える左の「シュン」や手前の「やすこ」のものとは、一見して趣が違います。

「NOTE BOOK」と表紙に書かれたノートが、戦時中の1945年に出回ってたんですかね。

仮にあったとして、統制統制であらゆる日用品を手に入れるのに配給切符が必要な時代に、これを大佐古はどうやって入手したんでしょう。

という具合に、『広島 昭和二十年』の本文を「1945年当時に書いたものそのまんま」とみるには元から無理がありすぎるんですよね。

その見解に、いつどの段階で至ったんですか? んで、それまでどう思ってたんですか? って久保田さんを問いただしたい気持ちです。

あ、気持ち言うてもうた。

傷を深めた稚拙な対応

ひろしまタイムラインの炎上騒ぎの渦中で

プロジェクトに参加した私たちからの発信は様々な理由で行われなかった。(p.193)

こともまた、久保田さんの傷を深めた一要因に思えます。自らの発信、つまりは言葉を発することを封じられていたのですから。

プロジェクト参加者を守る観点から、個々を矢面に立たせない方針も理解はできます。ただその場合に肝心かなめとなるのが、プロジェクトを統括するNHK広島局の対応であるはずです。しかし肝心のそこが、私の印象ではふにゃふにゃとやり過ごそう感が強く出てしまっていて、ずいぶんと稚拙でした。平たく言えばヘタクソ。

NHKには、たとえば「被災地に千羽鶴を送る」というクソ迷惑な行為に対して、極力誰も傷つけずにたしなめられるだけの組織ノウハウがあったはずなのです。

参考ツイートです。

なのにひろしまタイムラインの炎上に、こうした過去の知的資産の蓄積を、組織としてまるで活用できませんでした。

自分ならもう少しましな結果出せたのにと、大企業の機動性の悪さなどいろいろ度外視して、謎の自信を抱いて過ごしています。

まとめ:久保田智子さんの時間

「ひろしまタイムライン」後の久保田智子さんは、TBSに復職されています。

少し追ってみると、3月末からは隔週ペースでCS放送とYouTube配信される「政治をSHARE」のMCを務められるなど、精力的な活動ぶりをうかがわせる情報が出てきました。

ひろしまタイムラインの派生プロジェクトみたいな企画も告知されていました。

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つなぐ、戦争体験者の記憶 放送×SNS 久保田元アナ発案でTBS 孫世代が話を聞くきっかけに|毎日新聞(2021/08/14付)

によると、ハッシュタグ「#きおくをつなごう」の活用は久保田さんの発案だそうです。

衆目に触れる仕事であることを加味しつつも少ない情報で雑に認定してしまうと、そんな久保田智子さんのさまが、過剰に張り切っているように私には映ります。私は意地が悪いので、過剰なまでに仕事に打ち込むことで、「ひろしまタイムライン」に傷ついた人が自らの痛みを必死に紛らわせようとしているふうに見えてしまうんですよね。

半ば無理やりですが、宮地尚子さんが前出のインタビューで語った次の内容にも重なります。

(前略)多くの人はセラピーを受けたいとも思っていないし,自分の経験したトラウマ記憶を語りたいとも思っていない。しかしそれでも,戦争から帰ってきた兵士たちのなかには,戦後,家庭で家族にDVをするようになったり,自分の感情を切り離してワーカホリックになっていった人たちも少なくないという現実がある。

出典:[インタビュー]トラウマとリカバリー 「臨床心理学」115号(2020)p.18

エピローグ:環状島アイルへの招待

そんな無理やりつながりで、おしまいに私のできる最大限の余計なお世話として、宮地尚子さんの対談集『環状島へようこそ』(2021)を久保田智子さんへオススメしておきます。

「環状島とはなにか」を説いた序章だけでも

大きなトラウマや喪失を抱えてしまった人間にとって、時間は止まったようなもの

(位置No.209)

トラウマの核に迫ることは、誰にもできない。できるのは、ただその周りをなぞることだけだ。

(位置No.332)

などなど、ハイライトしたフレーズが山盛りでした。

収められている7人との各対談はどれもいいですが、あえて挙げるならば、第1章の森茂起さんと、第4章の坂上香さんのパートが、私としてはオススメです。

中でも第1章に出てくる、何度も聞き取りを行ってきた80代の女性がその時はじめて語った戦時体験のエピソードなど、もろもろ「ひっでー」としか感想の出ないひどさで、読んで泣いてしまいました。私も老けたのかな。

その方自身も、語って初めて、その体験が重いものだったことがわかったとおっしゃっていました。(位置No.420)

そこらに、終章「トラウマを語るということ」の

誰にどのような立場や距離から読まれるのかによって、予想外の反応が起きうるのが、トラウマというものである。(位置No.2792)

どれほど気を遣っても、読んで傷つく人をゼロにはできない。(位置No.2794)

あたりを加えて、久保田さんにも途方に暮れてもらいたいです。

後記

「環状島」は傷ついた人に起こることをわりときれいに表せるよくできたモデルなのですが、比喩として即座にコンセプトが理解できるだけのわかりやすさまでは持っていないのが難点と言えば難点です。私も『環状島へようこそ』の序章を読んではじめてその全体像が飲み込めました。

ひろしまタイムライン企画が進行中だった1年前はもちろんのこと、『環状島へようこそ』にたどり着く直前を思い返しても、私のなかで「環状島」ワードのイメージが極めて漠然としていたのが正直なところです。自分がそこを忘れて一連のメタファーに安易に乗っかると、大多数を取り残してしまいそうです。自戒しないといけません。

また、環状島は「かんじょうとう」って読ませたいんでしょうけど、漢語まみれの響きもとっつきにくさがあります。

なので私は勝手にカジュアルさを目指し「ドーナツ島(じま、とう)」とか、重言っぽくかぶせて「環状島アイル」とか、呼び方レベルであれこれ試したいです。前者も気に入ってますし、後者も天王洲アイルのまがいものみたいな響きがして好きです。

20210830_622px-Niuafoʻou_map.svg

Niuafoʻou map from commons.wikimedia.org

リアルとフェイクの関係を考えるためのケーススタディでお別れです。

それでは皆さま、新ドーナツ島でお目にかかりましょう。

このまま君を連れて行くと
ていねていね丁寧に描くと
(略)決めていたよ

サカナクション《新宝島》(2015)

サカナクション / 新宝島 -Music Video-(2015/09/26付)


背を向けた君の心 抜け殻
ノンフィクションなんて たいていたいてい大抵こんなもんかな

犬も食わねぇよ。《珍魚島》(2019)

サカナクションっぽい曲作ってみた #28(2019/10/05付)

おわり

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