NHKも他メディアも報じなかった「1945ひろしまタイムライン」の舞台裏【取材ノート】

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2021年はじめに公開したスライド動画

ドキュメント72時間っぽく「ひろしまタイムライン」をふり返る
テーマ曲はもちろん、松崎ナオ《川べりの家》

に、前年来の取材の成果を惜しみなく詰め込みまくったにもかかわらず、力不足なのかなんなのか、再生回数的にはだだすべりの結果になっています。

なのでダサいを承知で、この3分あまりの動画にどれだけ価値ある独自情報が詰まっているかを、脚注代わりに自ら解説しておくことにしました。

自作解説:「ドキュメント・ひろしまタイムライン」のスクープ情報たち

以下に述べる事実を知らないのか、知っていても価値がないとみているのか、私の知る限り当のNHKはもちろんのこと、他のメディアも全然報じていません。

カッコ悪いの極みですが、全部自分から明かすスタイルでいきます。

BGMはもちろん、松崎ナオさんの《川べりの家》で。

演劇人脈

「ひろしまタイムライン」のツイート監修に劇演出家が関わっていたことは、既に知る人は知るところです。

柳沼昭徳 NHK広島「1945ひろしまタイムライン」監修
 NHK広島放送局の被爆75年プロジェクトとして、「1945ひろしまタイムライン」が始動しました。烏丸ストロークロックの柳沼昭徳がプロジェクトの監修として参加しています。 このプロジェクトでは、「戦中

柳沼昭徳 NHK広島「1945ひろしまタイムライン」監修|烏丸ストロークロック(2020/04/03付)

1945ひろしまタイムライン | 広島の舞台芸術制作室 無色透明

企画の根幹部分とも言える「Twitterで毎日発信する」の発案者は、2019年当時入局3年目だった、ディレクターの平尾梨佳さんです。

公正を期するために付け加えておきますと、こちらは

この夏10万人以上が追い続ける原爆ツイート 共感で「消費」しないために #ひろしまタイムライン
75年前の広島市民の日記をツイートするNHK広島の「#ひろしまタイムライン」がこの夏、大きな話題を呼んだ。斬新な企画の発案者は、原爆報道に携わったことのない20代前半の女性だった。その舞台裏を取材した。

原爆を見た広島市民の日記、その文章を一連のツイートで注目させた #ひろしまタイムライン の舞台裏|Buzzfeed News(2020/08/14付)

の情報によります。さらに蛇足ながら、スライド前半は同記事の内容を基調にしました。ここまでは各メディアで既報のとおりです。

平尾さんもまた、大学時代は演劇サークルに所属していました。新入生当時の自己紹介が残っています。

劇団ケッペキblog:新入生ブログリレーその2!

新入生ブログリレーその2! : 劇団ケッペキblog(2013/05/23付)

モデル人物の中で唯一存命であった新井俊一郎さんもまた、「演劇人脈」に連なります。新井さんによる手記『激動の昭和史を生きて』(2009)には、

昭和26年。大学入学と同時に広島大学演劇研究会に所属した。(p.300)

「私は広島大学演劇部を卒業した」と半ば冗談、半ば真剣に宣言した(p.236)

とありました。同書には高校時代の「放送劇」制作の経験が

やはり決定的な理由は、私を含めて放送班員の全員が、いわゆる「芝居好き人間」だったことでしょう。「おい、こんな具合にドラマをやるのは面白いぞ」となったのです。(p.199)

と綴られています。

このあたり、既報分では朝日新聞デジタルの

「シュン」の日記主、NHKに不信感 認識に食い違い:朝日新聞デジタル
 もしも75年前にSNSがあったら――。実在の人物の日記をもとに、広島への原爆投下を挟んだ日々の出来事や思いを、ツイッターに連日投稿するNHK広島放送局の企画「1945ひろしまタイムライン」がこの夏、…

「シュン」の日記主、NHKに不信感 認識に食い違い:朝日新聞デジタル(2020/09/06付)

が、中国放送勤務時代の新井さんがドラマ制作に携わっていたことに触れていた程度です。

各者をつなぐにはまだ「ミッシングリンク」があるとはいえ、ひろしまタイムラインにこれらの「演劇人」の面々が関わっていたことは事実です。

人脈頼りのプロモーション

ひろしまタイムラインのプロモーションは、かなりの程度が人脈頼りだったことがうかがえます。【事務局便り】NHK広島放送局からのお知らせ | 東京広島県人会(2020/05/29付)に、こんなテキストが掲載されていました。

東京広島県人会の皆様へ

発信するツイートは日記の「コピペ」ではなく、この企画に参加してくれている11人の広島県民の皆さんが、日記をもとに想像をふくらませて作っています。

全国の人に、そして「原爆」に関心の薄い人にも広島の思いを届けるムーブメントを作りたい!広島ご出身の皆様の間にこの3つのアカウントを広めていただき、皆様のお力でさらに広く、フォローやいいね、リプライやリツイートなど、アカウントのフォロワーを増やすご協力をいただきたく、何卒、よろしくお願い申し上げます。

このほか、広島県営のSNS「日刊わしら」にも2020年1月段階からツイート制作とプロモーションの協力依頼を出していました。

ひろしま県営SNS | 日刊わしら - HIROSHIMA DAILY WASHIRA
話題はひろしまのことだけ。史上初!?前代未聞の広島県営SNS「日刊わしら」です (^ら^)v

開示請求していた方がいてこの事実を知りました。

ひろしまタイムライン関係について関係行政機関に開示請求|taka1984|note
今回の開示請求は、あの「ひろしまタイムライン」に関して広島県に開示請求をかけてみました。 そして、2つの組織から通知をもらいました。 まずは、すでにTwitterで話題になっていたこの組織から そしてもうひとつはこちら 10月22日 追記 延長されていた決定通知が来ました 開示資料は...

ひろしまタイムライン関係について関係行政機関に開示請求|taka1984|note(2020/11/02付の追記部分)

その効果のほどはともかく、選挙出るの?と混ぜかえしたい地道なアプローチです。

たぶんですが、各アカウントのTwitterフォロワー数が10万を超えたのは、「中の人」たちの想像を超えた結果だったんじゃないですかね。炎上騒ぎからこっち、予想外のこともあったろうとはいえ、ひろしまタイムライン側の動きにはまるで準備した様子が見られなかったですから。

ひろしまタイムラインがブレイクして起こった3つのスルー

「ハチロク」をピークにブレイクしたひろしまタイムラインに8月20日以降に起こったことを「スルー」をキーワードに振り返ります。

スルーは次の3つあります。

  1. 先行調査のスルー
  2. Twitter民のスルー
  3. 「中の人」とツイ民の共同スルー

先行調査のスルー

ここでは労作の先行調査である

「シュン@ひろしまタイムライン」について出典元やその他の書籍との比較 - 電脳塵芥
「シュン@ひろしまタイムライン」についての朝鮮人記述と実際の「日記」との比較 - 電脳塵芥 NHKが出典としている『激動の昭和史を生きて : 戦争の時代を乗り越え半世紀』を読んだので新しく記事を……、なのですがその前にタイムリーにも新井氏が朝日新聞の取材に答えていたので、その記事を少しだけ引用します。 "新井の日記をシ...

「シュン@ひろしまタイムライン」について出典元やその他の書籍との比較|電脳塵芥(2020/09/07付)

の足りない部分を補い、事実に関する誤りは正すスタイルで進めます。

この先行調査は、

NHKサイトで見れる日記は1)であり、

としていますが、誤りです。1)とは、先行調査が「4つの位相」としているうち

1)75年前の中学生時代に書かれた新井俊一郎氏の日記(原本)

を指します。NHK広島局がサイトに掲載していたのは、『軍国少年シュンちゃんのヒロシマ日記』(2009年版)の抜粋でした。あくまで復刻版のそちらを底本としており、原本ではありませんので事実に反します。

細かいところをつつくのは、差異は少ないであろうものの、『―ヒロシマ日記』には原本からテキストの改変が入った痕跡が認められるためです。具体例は、当ブログの

「シュン@ひろしまタイムライン」の元資料比較(11月14・15・16日)
元の資料にあたる手間を省いて批判する人だらけのネット世間なので、自身に課しておく倫理基準として、なにかものを言うならせめて関係資料をひととおり読んでからにしようと思ったのです。

に挙げました。

新井俊一郎さんのファイナルアンサー2011

1945年8月18日~21日の時系列については、前出の手記の刊行から2年後、2011年に編纂されたアカシア四一期会の記念誌『わが昭和史 完結編』への寄稿が、新井俊一郎さんとしての「ファイナルアンサー」だろうと考えます。

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新井さんはここに「被爆難民、ヒロシマ脱出の記」(pp.115-120)と題した、まさに検証対象ド真ん中の文章を寄せています。

なのにどういうわけか、先行調査はこの資料をスルーしています。『軍国少年シュンちゃんのヒロシマ日記』『激動の昭和史を生きて』『遺言「ノーモア・ヒロシマ」第5集』の3つを参照したにもかかわらず、

新井俊一郎氏に関連する確認可能な著作はこれだけ*1ですが

自伝を読む限り他にもあるのですが、基本は同窓会メンバーによるものだったりと公にはされない性質のものなので確認は困難です。

出典:「シュン@ひろしまタイムライン」について出典元やその他の書籍との比較|電脳塵芥(2020/09/07付)

と、イソップ童話さながらの酸っぱいブドウ理論を持ち出していました。『わが昭和史 完結編』は広島の所蔵図書館まで行けばごく普通に閲覧できましたから、「確認は困難」のレベルは援用していた資料と大差ないのに。

ごく普通に閲覧して、先行調査が示していた「ツイートの日付差異の疑問」も解消できました。

結論から述べますと、新井さん一家の大阪駅での経験は、シュン@ひろしまタイムラインでのツイートと同じく、昭和20年(1945年)8月20日の出来事と解せます。新井さんによる「被爆難民、ヒロシマ脱出の記」では、

 日付が変わった19日。再び貨車に積み込まれて広駅に辿り着いたのち、やっと糸崎駅へ。そこから何とか大阪行きの客車に乗り込んだときは、既に暗くなり始めていました。(p.118)

(引用者補注:大阪駅から)なんとか東京方面に向かう列車に乗り込めたとき、もう日付は20日になっておりました。(p.119)

となっていました。ひろしまタイムラインの「中の人」もこれを参照したかは不明ですが、シュン@のツイートともだいたい符合しています。

それに加えて、

 大阪駅での乗り換えでも、また一騒動がありました。山のような隠退蔵物資を担いだ、復員軍人の大部隊による優先乗車。それに、とつぜん戦勝国となった第三国人による傍若無人の振る舞い。超満員の列車に窓を打ち壊して雪崩れ込み、先客を追い出して座席を占領する一団、などなど。敗戦国の悲哀とはこういうことか、と憤りながらも哀しさがこみ上げて来て堪りませんでした。(p.118)

と、「一団」が第三国人を指すのかが多少あいまいになっている点も、付言しておく価値があるでしょう。

1939年からの“切り貼り”を完全スルー

2つめのスルーは、Twitter民のウルトラ華麗なスルー事案です。

朝鮮人ばかりが注目された8月20日付のツイートでしたが、私としてはむしろあとのくだりに引っかかっていました。それがこちらです。

このエピソードが当初、新井俊一郎さんの資料に見あたらなかったからです。資料を比較する中で、付随する感情は創作してもエピソード自体は元資料をふまえるのが「中の人」の基本スタンスと見ていたのですが、ここは出来事そのものから創作したのかしらんと疑っていました。

結論から述べると、このくだりは『激動の昭和史を生きて』にあった昭和14年(1939年)秋のエピソードからの切り貼りでした。

 帰郷のルートは、大分から電車で別府港に行き、そこから客船で神戸に着いて汽車に乗り換えて東京へ。東京から上野に出て高崎線で熊谷へ。そこからは秩父鉄道で故郷の長瀞駅に向かい、歩くか自転車で郷里の日野沢村に帰る、という複雑な旅程でした。(p.56)

同書と新井嘉之作『震災・原爆の業火を超えて』によると、当時父の嘉之作は死にかけるほどの大病を患い、術後の療養のため1年間休職します。それで、当時の赴任地だった大分から郷里の秩父へ一家で移ります。「席を二人分占領」は、その旅程でのエピソードです。

(引用者補注:神戸港から)以後の東京までの旅は病後の父を伴っているだけに大変でした。
それでなくとも苦しそうな父ですから、少しでも汽車の座席に寝かせて安静を保とうとしたのに、多くの客が「なんだ、一人で座席を占領して」と盛んに苦情を投げ掛けて来るのです。そのたびに母が必死になって事情を説明し、お客さんの了解を得ながら長い旅を過ごす、という苦難の連続でした。(p.57)

 なんとか苦難の旅を終えて故郷の秩父に帰り着いたのは、昭和14年の11月末でした。(p.57)

率直な感想として、別の年のエピソードをあたかも昭和20年のことのようにコピペするのは、基本スタンスに照らすとさすがに度を超えてない?と私などは軽く引いてしまいました。

しかし新井さんの元の日記が8月17日から27日まで空白で記述がないと知って、この間のツイートに対しやれ日記の偽造だ捏造だと噴き上がっていたTwitter民たちが、この事実に触れていた記憶は一切ございません。朝鮮人記述にのみ群がっていたさまは、まるでクソ素人がサッカーをやると陥る「団子サッカー」でした。

今日び、小学生でも多少はスペースを意識したサッカーをしそうなものですが、Twitter世間にとって朝鮮人という名の「ボール」でなく、その周辺やピッチ全体の状況を見渡すようなマネはまだまだハードルが高い所業なのかもしれません。

11月の朝鮮人スルー

3つめは、「中の人」も加わっての共同スルーです。詳細は既に

「シュン@ひろしまタイムライン」の元資料比較(11月14・15・16日)
元の資料にあたる手間を省いて批判する人だらけのネット世間なので、自身に課しておく倫理基準として、なにかものを言うならせめて関係資料をひととおり読んでからにしようと思ったのです。

に書きました。事実関係をくり返しますと、シュン@ひろしまタイムラインは、広島と秩父の間での一家の移動について

  • 往路、8月18日~21日付は、日記にないのにあちこちの資料からエピソードを集めてツイートを作った
  • 復路の一部、11月14・15日付は、日記に「朝鮮人」記述があるのにツイートせず、サイトにも掲載しなかった

という具合でした。

2021年に入ってTwitter世間には、

のような、お気楽なコメントもありました。

「次に同様の企画を立てる際」どころでなく、同じ企画の中で既に朝鮮人に触れなかった事実があるわけですが、のんきなものです。

そんなところです。

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おわり

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