【ひろしまタイムライン】図書館に電凸して相互利用を教えてもらった話(2020)

用件はタイトルのとおりです。

世間の大部分はとっくに忘れ去り、一方で関係者はダメージ食らったままで、今どきはもっぱら「わるいあの人ゲーム」のプレイヤーが、たまに思い出したように引き合いに出す。そんな「1945ひろしまタイムライン」の話をあえて続けます。

「シュン@ひろしまタイムライン」の元資料比較(11月14・15・16日)
元の資料にあたる手間を省いて批判する人だらけのネット世間なので、自身に課しておく倫理基準として、なにかものを言うならせめて関係資料をひととおり読んでからにしようと思ったのです。

のうっすらとした続編にあたります。

要約:Executive Summary

みなさんは図書館の相互利用ってしたことありますか? 

私は電凸したら、親切にも利用法を教えてもらいました。ありがたいことです。

これまでのあらすじ

細かい経緯ははしょります。元の資料にあたる手間を省いて批判する人だらけのネット世間だったので、自身の倫理基準としてなにかものを言うなら関係資料をひととおり読んでからにしようと思ったのです。

新井俊一郎さんが著した『軍国少年シュンちゃんのヒロシマ日記 復刻版』、この冊子には、2004年版と2009年版があります。どちらも非売品です。

2004年版は、広島県立図書館で読めました。

問題は2009年版です。所蔵する施設は、私の調べで次の3か所のみでした。

広島原爆死没者追悼平和祈念館、広島修道大学図書館と、そしてここです。

出典マニアの「1945ひろしまタイムライン」電凸顛末記

スクープ情報をゲットして自分だけが面白かったパート1、相互利用を教えてもらったパート2の2つに分けます。

以下、当該資料のタイトルを『ヒロシマ日記』と略表記します。

パート1:YOUは何しに横浜に?

しかし不思議です。なんで『ヒロシマ日記』が横浜市の図書館にあるんでしょう。

ネットじゃ当然こんなウルトラどマイナーな資料のことなど調べられるはずもなく、考えてもわかりようがないので、ある日「電凸」して聞くことにしました。迷惑な話ですね。

それでも迷惑を蒙ってもらうことにしました。純粋にそれを知りたくて聞くからです。オレがオレの知りたい欲を満たすことはオレ的公共の福祉に資すると判断してのことです。

細かい文言は覚えてないですが、だいたいこういうやり取りをしました。

「突然すみません。ヤシロでございます。これこれこういう資料のことをお聞きしたいのですが」

「その資料でしたら、貸出中で……」

知っとるて。それわかって電話しとるっちゅうねん。

「いえ、そうやなくてですね。私の知りたいのは、どうしてそちらの図書館にその資料があるのか?ってことなんです」

「へ?」

「日本の公立図書館で2009年版の『ヒロシマ日記』を置いてあるの、そこだけなんですよ」

少し盛って煽ってみました。他は国立施設と大学図書館なので、まるきり嘘でもないです。

「はあ」

「それほど珍しい資料がなんでそこにだけあるんかなーって」

通話したまま手元の端末的何かを操作したようで、答えてくれました。

「2010年に寄贈、となってますね」

おお!新情報です。

「寄贈資料なんですね。誰が寄贈したかって、記録あるんですか?」

「そこまでは」

たとえ残っててもたぶん個人だろうから、答えられないでしょう。OKです。

図書館の人、サンキュー!

同館のWebサイトによれば、指定管理者は有隣堂グループとなっていました。「株式会社有隣堂と三洋装備株式会社との共同事業体」とのこと。

2009年から指定管理やってるとどこかで見聞きした気がしますが、ここは記憶あいまい。違ってたらすまん。

パート2:日記にハマって聞いてみた

この時期、横浜の『ヒロシマ日記』はちょいちょい「貸出中」になっていました。

なので読むなら広島修道大学図書館の所蔵資料だなと。物理的にも横浜より近いし。

けれどコロナ禍のあおりで学外の利用者はシャットアウトされ、図書館構内へ久しく立ち入りできなくなっていました。ちょうど、GoToヘブンとかGoToヘルとかやってた頃でしたか。

解除の見込みを聞きたくて電凸しました。そこを織り込んで広島での文献調査スケジュールを組みたかったのです。しかしあいにく、見通しはつかないようです。その点で当時のWebサイト掲載以上の情報もなかったです。

同じく細かい文言は覚えてませんが、こちらの事情を明かして次のようなやり取りをしました。

「そこにある資料で見たいのがあるんですよね。県外なんですけど、置いてある図書館でいちばん近いのがそちらなんです。入館できなくてもいいんで学外の利用者が使えるスペースだとか、ないんですかね?」

「でしたら相互利用があってですね」

「なんですかそれ?」

親切に教えてくださいました。館外貸出できる資料は、別の図書館から取り寄せることができるそうです。最寄りの館から同一県内の県立図書館の資料を借りたことはありますが、もっと広域でもできるのか。へー知らなかった。いいことを聞きました。

さっそく地元の図書館で請求の手続きをし、後日、地元での「館内閲覧のみ」でめでたく閲覧できました。おかげで、2004年版との異同も確認できました。それで書けたのが前掲の記事です。

往復の送付期間を差し引いて、実質1週間ちょっと留め置いてもらったと記憶しています。郵送料の半額だけ、切手で負担しました。500円ぐらいでしたか。

このあたりはケースによっていろいろだと思います。

付記1

Shun-hiroshima

図:クイズ☆シュン@ひろしまタイムライン

誰も興味を持ってなかったスクープをひとつ述べます。新井俊一郎さんによる2009年版の『ヒロシマ日記』は、同年の手記『激動の昭和史を生きて』の付録です。見開き2ページのヘッダに「付録・軍国少年しゅんちゃんのヒロシマ日記〈復刻版〉」と書いてありました。

証拠を出すのはめんどくさいので割愛し、傍証となる事実だけ並べます。どちらも奥付の日付は「2009年・平成21年11月18日発行」でした。非売品です。

実際、どちらの現物にも価格表示はありませんでした。広島の住所を載せた「印刷」の社名も同じ。よって、著者の新井俊一郎さんがセットで自費出版したと見るのが妥当でしょう。

そこで次の謎が生まれます。

  • 横浜市の図書館への『ヒロシマ日記』寄贈の主は誰か?
  • どういう経緯で、付録の日記だけが寄贈されたのか?

まず、新井さんが付録だけをバラで配ったとは考えにくいです。それに渡された誰かが何かの事情で手放すにしても、「付録」のみが図書館に流れ着いた経緯がまるで読み切れません。本なのに。

NHKの調査能力をもって足跡をたどったら、この程度なら割り出すのに1週間もあればお釣りが来そうです。でもやんないだろうな。メリットないもんね。

私にはきわめて興味深い謎なんですが、NHKも含む大多数の人にとってはそれが明かされたとしても、ただのつまらない事実でしょうから。

付記2

『ヒロシマ日記』を通読した私は、9月6日の段が気に入ってます。けれどそのくだりって、シュン@ひろしまタイムラインのチーム関係者もツイートせず、ごく少数の日記底本にあたった人さえもみんなスルーしました。なんででしょう。被爆体験ばかりに目をくらまされてるんですかね。

なので今のこのタイミングで引用し、地味に問います。

9月6日(木)

(略)
 夕方、十三畳敷の座敷で、皆と遊ぶ。粂ちゃん【従弟】を抱かせてもらふ。ところが、変に臭い。あーっ大変、ワシのズボンに黄金のかたまりが着いてゐるではないか。やれやれ一張羅のズボンを大変なこっちゃ。

出典:新井俊一郎『軍国少年シュンちゃんのヒロシマ日記 〈復刻版〉』(2009)p.76

どうですか? 最高にロックだと思うんですけどね。

そんなとこです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました