福岡・修羅の国のルーツは「地の獄」

こんにちは。用件はタイトルのとおりです。

「修羅の国・福岡」シリーズ、いちおうの完結編です。

これまでのあらすじ

調べてみると、福岡は100年前から修羅の国でした。こちらに書きました。

福岡県による100年前の「修羅の国」対策

100年前の福岡県当局には、炭鉱における労働衛生環境の向上が「脱・修羅の国」の要だという認識があったようです。

上でも使用した神戸大学附属図書館の新聞記事文庫収録の記事からです。

鉱山衛生風紀改善計画 : 県下の炭坑生活者十五万人|福岡日日新聞(1912/12/20付)

冒頭から引用します。

福岡県当局は炭坑地方に於ける鉱業衛生と坑夫労働者の風紀矯正に関する方法手段に就き予て調査研究を重ねつつありし

結びの部分です。※強調・下線は引用者

今回実現されんとする衛生及び風紀の矯救策の将来に向って鉱業界に如何なる利益を与えんとするかは未現の問題なるも鉱業主側に於て漸次納屋制度を改めて鉱主直轄制とし悪漢無頼の徒をして精神修養の途を講し鉱山界の改善を図るは独り無頼の労働者集合せる鉱山自身の利益のみに止らす其風化は必ず附近町村にに至大の影響を及すの利益亦甚大なるを信す云々

ひとつ補足しておきますと、ここでの「風化」は、「徳によって教化すること(広辞苑)」の趣旨です。昨今ではあまり使わない意味ですね。

修羅の国のルーツ

「納屋制度」ってなんだろう?と思って情報を探してみました。

麻生グループ「麻生百年史」の記述が詳しかったです。

23 筑豊の鉱業主たち」から引用します。「修羅の国」の成立過程が想像できます。

ここで炭坑独特の納屋制度について、少し触れておこう。炭坑はあくまでも多くの人間の力によって支えられる産業のため、その規模が拡大するにつれ、初期の村の二、三男の過剰労働者ではまかないきれず、勢い各県の農村の労働力を必要とするようになった。必然的に貧しい農民たちに肩入れ金(前借金)を出して集めるようになり、それでも需要を充たすことができないと、浮浪者やならず者、果ては前科者などまで集め、これらを一般社会から隔離した一定の柵の中の小屋、即ち長屋式の納屋に住まわせた。そして独身者の合宿を大納屋、家族持ちの住宅を小納屋といい、それを納屋頭領が監督する方式であった。

納屋制度について、大枠がつかめました。

とにかく抗夫の人手がいるんで、いろいろアレな無頼の徒まで集めてきちゃったわけですね。

納屋頭領の下に“人繰り”と“勘定”をおいていた。“人繰り”とは坑夫の就業を監視し、“勘定”は会計で、坑夫への前借金の貸付や賃金の支払いなどをするが、そのやり方は半ば力ずくでの支配関係にあった。

もうなんというか、テレビアニメで見た「カイジ」の世界です。

ざわざわきます。

つづき。

だから“ケツワリ”といって、逃亡する坑夫などがいると、厳しい追跡をしてこれを捕え、残酷なリンチを平然と加えた。これには警察も手が出ない一時期もあった。

順序として反対の言い方ですが、世界観がまるで地下労働施設「地の獄」です。

こっからもう完全に「地の獄」です。

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また時には賃金は支払われず、そのヤマだけで通用する私製紙幣(炭券、山券ともいう)を渡し、

ペリカ!

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ヤマの勘場に併設されている売場で、日用品や食糧を買うということもあり、

地の獄!

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醤油や酒も水増しされ、主食も目減りさせるという二重三重の搾取をされても文句も言えない状況におかれていた。

もう1回言っとこ

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地の獄!

※画像はいずれも、逆境無頼カイジ 破戒録篇 ストーリー(ntv.co.jp)より

脱「地の獄」への過渡期

麻生百年史「23 筑豊の鉱業主たち」より。

また筑豊鉄道の延長問題や若松港築港について、太吉の強力な相談相手でもあった安川敬一郎は、明治三十二年(一八九九)二月、今までいろいろと問題のあった納屋制度の廃止に踏み切った。これは炭坑経営の近代化の第一歩となった画期的なことであった。

かつての帝愛グループ、いや、鉱業主たちも、「地の獄」をそのままにしていたわけではありません。

ただ安川では明治の段階で納屋制度を廃止したようですが、福岡全体で見れば、大正の当時はまだ過渡期だったもようです。

安川敬一郎とは、当時「筑豊御三家」と称された有力鉱業主の一人でした。息子の代に安川電機が設立されています。

帝愛(仮)の遺伝子

麻生グループの社史から引用したついでに触れておきます。

麻生太郎さんは、麻生太吉から数えて4代目、ひ孫に当たります。

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※画像はja.wikipedia.orgより

彼の選挙区は福岡8区、筑豊のど真ん中です。

40-福岡

※画像はsenkyo.mainichi.jpより

私の故郷であり、私の選出されている選挙区、福岡県第8選挙区は、かつては日本の近代化、経済発展を支えた石炭産業の街でした。

―ASO TARO OFFICIAL WEB SITE > 我が選挙区

次に「カイジ」を映画化するときは、麻生太郎さんに帝愛グループ兵藤会長役のオファーを出してみてはどうだろうか、などと空想するのであります。

福岡の石炭産業の一翼を担った家に生まれ、近代化と経済発展のその光と影の両面ともに知悉するに違いない麻生さんこそ、適役です。

まとめ

福岡・修羅の国のルーツは「地の獄」でした。

自分のなかで、麻生グループが仮想帝愛グループになっています。

おわり

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