体組成計を買い替えてデジタル時代の貧乏を再確認した話

こんにちは。

最近、体組成計を買い替えました。その経験を通じて、「かかる世にぞなりにけむ(こんな世の中になってしまったのだなあ)」とあらためて確認した話です。

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デジタル機器は壊れるのもデジタル

減量したくて、毎朝タニタの体組成計で体重を量っています。体重と一緒に、体脂肪率、内臓脂肪レベルなども測ってくれます。

その体組成計がある朝突然、壊れました。体重以外の測定が一切できなくなってしまったのです。液晶画面には、年齢が延々とカウントアップされ続けています。

前日まで、予兆らしきものもありませんでした。問題なく動いていたというのに、はかないものです。

修理するより買い替える方が安い

さっそく、タニタの「お客様サービス相談室」に電話して事象を伝え、修理の可否と、修理できる場合の概算費用を尋ねました。大変丁寧な応対でした。

電子部品の異常のようです。ただし既に製造終了している製品で、部品が用意できるかはなんとも言えないとの答えでした。修理費はおおむね4000円。秋田にある工場へ送る送料は別途とのこと。

決定はあくまでこちら側にゆだねるスタンスでしたが、買い替えを勧めるような話しぶりを感じもしましたので、新製品の実売を調べて、頼むときはまた電話しますと相談を終えました。

壊れた体組成計は購入して8年は経っています。形あるものは壊れます。壊れたこと自体の責任を問うのは酷な話です。

ですが釈然としません。故障したことにでも、故障対応体制にでもありません。「買い替える方が安い」という世の中になっていることを再確認したためです。

生産コストを切り詰めるため、メーカーは努力を続けています。その結果、新製品が低価格で手に入るメリットをわれわれは享受しているわけです。呪うべきは新製品の安さですが、お門違いの呪いであることも承知しています。

「修理して使う」が贅沢になった時代

「ものが壊れたら、できる限り修理して使い続ける」というのが、自分が育った家庭の常識でした。ぽんぽんと買い替えることは贅沢でした。

しかし今や、貧乏人に「修理して使い続ける」決定は事実上できません。「買い替える」選択よりも金銭的コストが上回るからです。

とうの昔に常識が入れ替わってしまいました。ものが壊れたら「修理して使い続ける」ことこそが、今の時代の贅沢なのです。それが新しい常識です。

私には、それは間違った常識に感じられてなりませんが、現実を冷静に観察すれば、新しい常識を拒否することはできません。

貧乏はイヤだ

貧乏はイヤです。お金持ちになりたいです。「一度手に入れたものはできる限り使い続ける」常識を持ち続けるために。

後日談:近所の小売店より通販の方が安い

結局、全国チェーンの家電量販店で新しい体組成計を買ってきました。売価は3980円。 帰宅後にamazon.co.jp や yodobashi.com で確かめると、同じ機種が3000円前後でした。

店舗に行けば、目にして触って確かめられます。画面で見るだけの通販とは、情報量が違います。展示品があればですが、候補機種間での比較も簡単です。そうした機能を提供するための、実店舗の運営コストが販売価格に上乗せされていることは理解できますが、実現されている価値が、彼我の価格差に見合うだけのものかというと、疑問が残りました。

近所の小売店舗を応援したいですし、価格の割高な小売店が滅んでいいとは思いません。しかし、価格競争と違う次元の価値を提供できなければ、割高な店の存在意義もありません。残念ながら今回はちょっと、価値を感じきれなかった。

重ね重ね、貧乏はイヤです。

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