「重言(重ね言葉・二重表現)は間違い」という間違い

こんにちは。

世間での一部の議論が遅れているので、進めておく試みです。

はじめに:重言/重ね言葉/二重表現

意味の重複する言葉を重ねて使うこと、またはそのような言語表現を「重言」とか、「重ね言葉」「二重表現」といいます。以後、この記事では「重言」を使います。

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要約:Executive Summary

重言が、日本語をテーマにするテレビ番組で「間違い」とされていることがしばしばあります。

それこそが間違いです。頭の悪い一般人を惑わせるようなまねは、やめてほしいです。

なぜなら重言はもの言いが冗長なだけで、間違ってはいないからです。冗長であることをもって、一律に間違っているとは言えません。少し考えればすぐにわかる話です。

ですので僕は、重言を、誤用とか間違いとかではなく「頭の悪い言い方」と呼んでいます。

重言は間違っていない

重言は間違っていないというのをまず確認しておきます。

重言としてよく例に出される「馬から落馬」「頭痛が痛い」で考えてみましょう。

どちらも間違ってはいません。落馬するのは馬からですし、頭痛がすると痛いです。何も間違っていません。

間違ってはいないが、ムダではある

ただ、もの言いとして冗長で過剰ではあります。そんなふうに重ねてこなくても「落馬」「頭痛」だけで言いたいことはわかるからです。

重言はムダのあるもの言いです。

指摘するのはあり

そんな重言に対して「何で同じこと2回言うねん」と指摘することは、悪くないと思います。重言の使い手が、そのようなことをまるで意識していないケースも考えられるからです。

そうと知らずに無駄なことをしているというのは、あまりハッピーな話ではありません。

しかしそれは受け手側の一方的な判断

しかし「2回重ねなくてもわかるよ」というのは、重言を受ける側の事情にすぎません。

そのうえで、つまり、重言が冗長で無駄の多いもの言いであることもふまえたそのうえで、どれだけ重ねてくるかの裁量は、ひとえに発信側に委ねられている事柄です。

既にこの世は、それができるだけの豊かな世界になっているはずです。

「重言は間違い」の間違い・再び

くり返します。重言は冗長で過剰でありますが、間違ってはいません。

重言を「間違い」とすることこそが、間違いです。間違っていないものに対して「間違い」と指摘しているからです。

ただし重言は冗長で過剰でありますから、いついかなる場面でも全く問題がないわけではありません。

しかし、そういうものまでひっくるめて「間違い」と称するのは、ものの言い方が粗雑です。もっと言えば害悪です。

なんで2回言うねん

重言を間違いと言うのなら、

  • デュラン・デュラン(1978-)も
  • プリンセス プリンセス(1983-1996, 2012)も、
  • 《Liar! Liar!》(B’z, 1997)も
  • 《会いたくて 会いたくて》(西野カナ, 2010)も、

みな間違いです。

どれも重ねなくていいです。2回言わなくてもわかります。全部「なんで2回言うねん」です。頭悪いです。

しかしその冗長で過剰な部分にこそ、豊かさと魅力があるのではないでしょうか。

まとめ

重言は冗長で過剰ではありますが、どこも間違っていません。時として邪魔にはなれど、その冗長で過剰な部分にこそ、豊かさが宿ります。

ですから、重言を「間違い」とすることは間違っています。粗雑で貧しい態度です。

ご静聴ありがとうございました。

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コメント

  1. より:

    はじめまして。
    あと申します。

    私は国語が得意ではありませんが
    テレビの視聴者=頭の悪い一般人
    又は
    重言を知らない人=頭の悪い一般人
    などと解釈できる書き方をする人に重言について説明されても信用できません。

    あらゆることにおいて知識は大切です。
    あなたはその知識がたくさんあるのだと思います。

    その知識をあなたが単に見せつけるのではなく皆が共有したいと思える文章を書いてほしいです。

    私の一方的な意見で申し訳ありませんが一度考えてみてほしく思います。
    長文を読んで頂きましてありがとうございます。

  2. ヤシロタケツグ より:

    コメントありがとうございます。

    説明をそのまま信用するのでなく、その当否を考えてもらった方が
    書き手としてはうれしいです。

    「共有したいと思える文章を書いてほしい」とのご意見は承りました。
    合いそうなトピックが見つかったら試してみます。
    あと、「皆が」ではなくて「私が」ですよね。細かいですが。

    今後当ブログの記事を共有されることがあれば、お知らせいただければ幸いです。

  3. より:

    初めて記事を拝見しました。重言について調べを進めている中でこちらに行き当たり、興味深く読ませていただきました。
    重言がすべて単なる間違いではない、という指摘に当たれたのは幸いですが、いささか粗雑なように思います。
    「馬から落馬」を例に取ってみます。
    「落馬」の定義は「乗っていた馬から落ちること」(http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/229301/m0u/)ですので、「馬から落馬」は重言に当たりますし、馬から落ちることなので「馬から」と先にあっても意味は通っています。この論法でいう間違いは「フランスに渡米」などが当たるかと思います。
    しかし、テレビ番組などがいう「間違い」は、そもそも「馬から落馬」と言っている人たちは「落馬」の意味をただ「落ちる」ことと思っている、という前提からなるのではないでしょうか。記事にあるとおり、『重言の使い手が、そのようなことをまるで意識していないケースも考えられる』ので、落馬の意味を間違えているだろう相手に「(言葉の意味が)間違っているよ」と指摘しているわけです。
    「重言という修辞技法」は正当なものだが、「(意図せずして)重言になっている文章」は単語の意味を履き違えている、重言を誤って使っているというべきでしょうか。
    確かに、重言という修辞技法を真っ向から否定することは間違っていると思いますが、単語の意味を正しく理解しようとした結果、その重言は間違っていると指摘することは『粗雑で貧しい態度』でしょうか。
    少々、検討不足の感が否めません。

    『当否を考えて』もらうことが趣旨の記事とのことですが、攻撃的かつ偏向した言葉を振りかざした記事に当否を考えさせる意欲を失わせます。穏当な言葉でも、十分に検討されていれば自ずとその記事について読者も深く検討してくれるでしょう。

    最後に「ご静聴ありがとうございました」とのことですが、この記事に接した人たちの中で「聴」く人は稀ではないかと思います。
    それから、おそらく使いたかったのは「清聴」でしょうか。「静聴」は静かに聴くことなのに対し、「清聴」は「他人が自分の話を聞いてくれることを敬っていう語」(http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/122273/m0u/)ですので、前者よりも後者の方が適当かと思います。
    ということで、「ご清覧ありがとうございました」が的確かと思います。既に直されていたら無視してください。失礼しました。

  4. ヤシロタケツグ より:

    夏さま
    ご拝読ならびにコメントありがとうございます。

    「間違い」認定が安易すぎないかという問題提起とご理解いただければ幸いです。

    「静聴」と「清聴」の違いはあまり意識していませんでした。ありがとうございます。
    厳密を期して述べるならば、「ご清覧」「最後まで{目を通して/お読み/お付き合い}いただき―」となるのでしょうが、そちらよりも語調がいいので音声に寄せた表現を採用しております。
    間違いという結論になるかもしれませんが、ご指摘の点をふまえましても、私としては自分の意図を最も乗せられているように思える文言ですので、このままにしておきます。

    当ブログの他の記事でもまたお楽しみいただける機会があればうれしく思います。

  5. カモメのロック より:

    冗長だけど豊かな表現ってありますよね。ホントそう思います。

    この記事を読んで、武満徹の『吃音宣言』というエッセイを思い出したので、気になって読み直したら、こんな終わりかたでした。
    「どもりの偉大さは、反復にある。それは、地球の回転、四季のくりかえし、人間の一生。宇宙のかたちづくる大きな生命のあらわれなのである。もういちどベートーヴェンを‼︎ ダ・ダ・ダ・ダーン。 ダ・ダ・ダ・ダーン。」

    「重言」は意味の重複を指すので、どもりとは違いますが、重複のもつ表現力という点ではつながりがあると思いました。わたしは淀川長治の「恐いですね。恐いですね」「さよなら、さよなら、さよなら」が好きです。こういうのは文字よりも音声の場合に豊かさが際立ちますね。記事に挙げられた四つの例が音楽に関連しているのも必然性を感じます。

    それにしても、白い豆腐の話をすると〝白くない豆腐だってあります〟という人が現実にいるのですね。「重言は間違いではない」と言うと「語義を間違えてる人もいます」と返す人に驚きました。〝白くない豆腐〟は論理的には完全に無駄です。それをいくつ積み重ねても冗長なだけです。でも、すごく笑えたので、これもまた豊かだなあと思います。

    たんに「落ちること」を「落馬」とよぶ人がいるという仮説を受け入れると、まず、鳩の糞が落馬しました。酔っ払いが駅のホームから落馬しました。財布も、受験生も、ヘリコプターも、日経平均株価も、あらゆるものが落馬してゆく世界を想像すると幸せな気分になれました。

  6. カモメのロックさま

    多くの記事を読んでいただき、また有益なフィードバックをいただきありがとうございます。
    お礼ということでもないですが、昔の読書メモから、武満徹の語録をピックアップして記事にしました(記事ID:4586。当方の名前に当該URLのリンクを付けています)。ご参考まで。