今一度、21世紀の日本語「義実家」を擁護する

この記事で取り上げるのは、盆暮れ正月の手土産が付き合いがストレス疲れる帰省ブルーなんなら絶縁したいとか、そういう話ではなくて、「義実家」という日本語の話です。

要約:義実家の真実

  1. 「義実家」は、21世紀になって普及した新語です。
  2. その情報伝達効率の高さが世間の変化にフィットしたことが、「義実家」が普及した要因だと考えます。
  3. 新しいという理由だけで「義実家」を嫌うことは理不尽です。

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画像はいらすとや より

新語「義実家」の誕生

まず大ざっぱな事実認定をします。

「義実家」は日本語として新しい部類の言葉です。

明治期から60~70年前までの日本語の書き言葉の用例集でもある「青空文庫」収録作品から探しても、「義実家」はひとつも出てきません。用例は皆無です。

ではいつ頃「義実家」が出現したか。その初出までは突き止められていませんが、21世紀初頭とみてよいと考えます。

よく小町では「義実家」って言葉を聞きますが、とても違和感あります。

出典:義実家って?|発言小町(2004/09)

義実家って? | 恋愛・結婚 | 発言小町
32歳既婚です。よく小町では「義実家」って言葉を聞きますが、とても違和感あります。義母、義父はいいとしても、義実家っておかしいと思いませんか?なぜなら「実家」って自分の「実の家」ですよね。「実の家」に”義理”ってあるんでしょうか?夫も妻も実...

とする2004年のこのトピに、「義実家」をめぐる論点はほぼ出そろっていた感があります。

諸論点を補いつつ、義実家を擁護していきます。

「義実家」をめぐる現状

次に、現状を確認しておきます。

結論から述べると、2019年末時点での義実家の出現範囲は、一般人によるオンラインの書き込みが中心としてよいでしょう。

「義実家」の用例をオンラインのSNSやブログから拾うことは簡単です。しかしメディア企業の公式な発信としてはまだまだ希少です。義実家を使ってしかるべき場面でも、別の言葉が使われています。

たとえば、「帰省」に関するアンケート調査|ゼネラルリサーチ(2019/08)では、「義理の実家」を使っています。

特に音声を伴うメディアでは「義実家」を避ける傾向がより顕著といえ、今年(2019年)の8月と12月に「帰省ブルー」を特集した日本テレビの朝の情報番組「スッキリ」でも、番組サイドの文言は「夫の実家」です。

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http://www.ntv.co.jp/sukkiri/form/ より

番組内の個別の発言は未確認ですが。

その他在京テレビキー局のWebサイトを探してみても、「義実家」はブログ記事や視聴者投稿に現れる数例にとどまります。

「義実家」が嫌い?なツイート集

こういった義実家の現在の立ち位置からでしょうか、Twitter世間では義実家を毛嫌いするかのようなツイートが散見されます。

「義実家 日本語 OR 新語」のツイート検索結果からいくつか紹介します。

個々のアカウントにからんで気味悪がられるのも不本意ですので、ここで逐一エアで反論を加えておきます。日本語として「義実家」の何がどうおかしいか、その違和感をつきつめていくと、「見慣れない」「新しい」に収束します。それ以外に、何かあるでしょうか。

義実家のいいところ

ヒトの習性として、なじみのない新しい物事に警戒心を抱くことは十分に理解できます。けれども、そうした違和感を上回る利点が「義実家」にはあります。

簡単

先述の発言小町のトピ「義実家って?」から。※下線は引用者。以下同じ

私は普段、口で言うときは「夫の実家」とか「○○(名字)」などと使って義実家とはいいませんが、こういうネットだと打ち込むのが簡単なので「義実家」と使っています。

面倒なところを我慢しない姿勢が、イノベーティブです。

簡潔でわかりやすい

同じくトピへの書き込みから。

わかりやすくするために。「義」の関係の「家」なだけ。

「夫の」「妻の」といった余計な注釈がいらないのが大きな利点です。「義実家」というワード単体で、何を指しているかが明瞭です。

「義理の実家」でもいいですが、情報量として「義実家」で十分です。

世間の変化にフィットした

ほか、既存の言葉で十分だろという論調への反論です。

世にあまたあふれる「他所ん家」のうち、特定の条件でカテゴライズされたものを「義実家」といいます。

「義父母」との違い

たいていの文章は、『義父母』で通じると思います。文字数も同じなのに、どうしてわざわざ置き換えるのかしら?

義実家って?|発言小町(2004/09)

「義実家」は義父母に限らず、義父母を含めた人間集団を指すからです。

「婚家」との違い

「既存の言葉から置き換える意味のない」が事実誤認です。意味はあります。

婚家(嫁入りまたは婿入りした先の家(大辞林))には、話者あるいは主題の人物がその家に住んでいることが暗黙の前提にあります。

そこで、生活は一変したが、婚家では困ったお嫁さんをもらったのだった。

長谷川時雨「渡りきらぬ橋」(1941)

亭主は出征して戦死したが、戦死しなくとも、帰還のあかつきは離縁の肚にきめていたそうで、もちろん婚家へ戻れなくなり、戻る気もない。

坂口安吾「淪落の青春」(1948)

といった用例を検討すると、「同居が必須」でなくとも、同居が強く示唆されます。

反対に「義実家」は、距離の遠い近いはともかく、言及の対象と別居していることが暗黙の前提です。

したがって、

  • 「婚家」は話し手自身を含み、
  • 「義実家」は自身を含まない

これが通常の解釈となります。

また現行の法的事実として、夫または妻と婚姻したのであって、「家」に嫁いだ、あるいは婿入りしたわけではないという背景もあるでしょう。

まとめ:義実家=いちご大福論

ここまで「義実家」の利点を述べてきました。再掲含め、発言小町のトピへの書き込みから。

私は普段、口で言うときは「夫の実家」とか「○○(名字)」などと使って義実家とはいいません

私は双方の実家を地名で呼んでいます。

と、人間関係やらあれこれ共有する間柄が想定される口頭でのコミュニケーションなら、苗字や地名を言えば何を指すかがわかります。しかし匿名でのやり取りが中心のネット世間では、それでは話が通じません。

そこから、文脈に依存しない言葉が必要となりました。しかし「婚家」「義父母」など、既存の語句ではどれも不十分でした。

「夫の実家」「妻の実家」というのもまだるっこしい。なにしろネットには、自分の配偶者を何と呼ぶかという、ネットで自分の配偶者を何と呼ぶか問題が厳然として存在します。以前記事にしました。

私の観察では、「義実家」は匿名による文字でのコミュニケーションの必要から生まれた言葉です。「義」も「実家」も既に日本語としてあるうえ、両者を組み合わせることに何の問題もありません。しかも組み合わせてみるとことのほか都合が良かった。

そのさまは、「いちご大福」によく似ています。1980年代まで、大福餅にいちごを組み合わせるという発想は世の中に出てきませんでした。しかし組み合わせてみるとことのほか都合が良かった。

ちなみにいちご大福の起源についてはこのリポートが詳しかったです。
いちご大福の起源の話|三浪の忘れ物サミット(2019/04/15付)

「義実家」ってなんだよと違和感を持ったり、ないわと嫌ったりするのは自由ですが、理不尽です。十分筋の通った理が義実家にはあるからです。

嫌うだけならまだしも、「義実家」という日本語などないと、義実家が存在する現実を否認するところまでいくと、理不尽を通り越して偏狭かつ滑稽です。「義実家」に対するそのような態度は、「義実家」の面々があなたに向ける態度と、何も変わらないのではありませんか。

そんなところです。皆さま天国・地獄・大地獄それぞれの義実家ライフをお過ごしください。

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