一段落、「ひと段落」でいいじゃない

こんにちは。用件はタイトルのとおりです。

ネット世間ではどういうわけか、

  • 一段落を「ひとだんらく」と読むこと
  • 「ひと段落」と書いたり言ったりすること

を「間違い」「誤り」とする説がそこそこ信じられています。

たとえばGoogleで「一段落」を検索すると、トップにくるページは(2018/08/08現在)

ですし、

Google自体も

2018-08-08_2028

と、文責不明の情報を出してきます。

これらをただ信奉するだけならまだしも、こうした言説に扇動された結果、日夜「ひと段落」へのヘイトが表明され、時にはひと段落狩りまでが横行する昨今です。

いかんです。なんなら害悪です。
なぜ、そんな主張ができるのでしょうか。

この記事では、

  • 世間の「ひと段落は誤用」説に有効な根拠がないこと
  • 「ひと」と「段落」を接続することが全く妥当であること

以上の2点を、なるべく論理的かつ簡潔に説明します。

最近では「ひと段落」を使う人も多い

とかいったソーシャルな要因とは関係なく、「ひと段落」が理に適った日本語であることを示し、

といったツイートに象徴される不毛なやり取りや、

のようないわれなき罪に苦しむ人々の救済を目指します。

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※写真と本文は関係ありません

要約:Executive Summary

要するに、こういう理路です。

  1. 辞書では「デビュー」当初より「いちだんらく」だった
  2. しかし、「一段落」の言葉で表される「一」の概念は、〈いち〉よりも〈ひと〉の方が近い
  3. そのため、「いち段落」であったにもかかわらず、「ひと段落」の{読み、表現、表記}が生まれた
  4. だから「ひと段落」でいいじゃない

2.については別記事で考察してしまいましたので詳しくはそちらをご覧ください。
日本語の「いち」と「ひと」の違い(2018/07/07)

反論ダイジェスト

「一段落」に関して世に出回る主な主張を並べ、ダイジェストで反論しておきます。

一段落あるある:伝統的な読みは「いちだんらく」

【反論】異論はない。けれどもその事実から「ひと段落が誤り」は導けない。

漢字熟語「段落」の読み方は、日本語世界ならば目下「だんらく」のみと言っていいでしょう。

けれども漢字の「一」については、「いち」とも「ひと」とも読めます。なのに「段落」につながる「一」の読みがなぜ「いち」に限られるのでしょうか?

実はこの点を、まだ誰も立証できていません。もっと言えば、立証しなければならないことに気づいているかすら疑わしい状況です。

その立証を試みて失敗しているのが、この説明。

一段落あるある:「段落」が音読みだから、一段落は「いち段落」

【反論】論理がグズグズすぎ。反例だらけ。

手持ちの電子辞書で数えてみました。広辞苑第五版でのデータです。最初の例と合わせてどうぞ。

    見出し語「いち―」「ひと―」の「一+漢字熟語」のうち、

  • +音読み:「いち」532語(一握の砂)|「ひと」26語(一安心)
  • +訓読み:「いち」21語(一押し)|「ひと」231語(一足)

音読みの語に接続するなら「いち」、訓読みなら「ひと」となる傾向は認められても、決して絶対的ではありません。5〜8%の「例外」が存在します。大相撲で言えば14勝1敗ってところでしょうか。ただし私の語法では、これぐらいの確率で生じる事象を例外とは認知しませんが。

漢字「一」を含む熟語の読み方での「音訓統一」は、強いは強いのですが、大相撲のたとえで続けると1場所に1敗2敗はする程度の強さです。常勝の絶対王者ではありません。
管見では、極地的に、後続する語の音訓よりも優先されるルールがあるためです。

どういうルールが優先されるかは、拙いながらも前述の記事:日本語の「いち」と「ひと」の違いで整理しました。ポイントは「数え続ける意志」と「同質の他者」です。

くり返しておくと、「数え続ける意志」と「同質の他者」の両者が

  • あると認められれば「いち」を使い、
  • ないか、あっても極めて弱いと「ひと」を使う。

が、「音訓統一」よりも優先して適用される「いち」「ひと」の使い分けルールです。

「一段落」は、後者「ひと」のケースに当てはまります。

区別されている「いち」「ひと」

私の観察では、日本語話者の大半が「いち」と「ひと」を混同せず使い分けできています。

たとえば「いち押し」と「ひと押し」。漢字表記はともに「一押し」であるにもかかわらず、両者の混同は起きていません。過去数か月分をツイート検索してみても、いち押しの意味で「ひと押し」と書いていた用例は見当たりませんでした。
ほか、「一人の個人(として)」の意味で「ひと個人」と言ったり書いたりする例もまだ遭遇したことがありません。

一般の日本語話者は

  • 「いち押し」「ひと押し」を使い分けている。混同していない
  • 「一人の個人」は「いち個人」であり、「ひと個人」ではない(今のところ)

これらの事実から
「いち」と「ひと」は「完全互換」のワードではなく、それぞれ固有の使い方もまたあるということを、説明できずとも知っていると結論できます。

したがって、一段落の話題になるとしばしば現れる

  • 意味の似た「ひと区切り」「ひと息つく」などと混同が起きた

という説は支持しません。意味が互いに似通っていることには同意できても、混同しているとの見方には異議があります。

蛇足ながら私見を添えておきますと、混同が生じやすい類似は、意味よりも音です。たとえばTwitterでは「犬猿する」「冗長する」といったクリエイティブな用例が観察できます。

なぜ混乱するのか?

ところが、一段落に関しては

  • どっちだっけ?
  • ひと段落と思っていたらいち段落だった

的な言明がくり返し見られます。なぜでしょうか。

理由は大きく2つあります。

まず、一段落の言葉で表される概念が、きわめて「ひと」っぽいことです。

「一段落」は、「数え続ける意志」も「同質の他者」も必要としません。必要なのは、話し手の主観でこしらえた「段落」だけです。むしろ段落をこしらえるその生成作用こそが、一段落の主眼です。そしてそこは、日本語世界では「いち」よりもむしろ「ひと」が担当している領域です。

つづきは前掲の記事:日本語の「いち」と「ひと」の違いを参照してください。

そしてもうひとつ隠れた理由があります。それは何かというと、「正解は1つ」という一種不可思議な「唯一解思想」です。

一段落あるある:正解は「いち段落」

【反論】それで「いち段落以外が不正解」が立証できてますか?と何度言えば

  • 「いち段落、ひと段落、どっち?」と迷ってしまうのも、
  • 「いち段落が正解」だけで「ひと段落は誤り」と主張してしまうのも、

共通して、「正解は1つ」という思想にとらわれています。

くり返します。「段落」の前に置く「一」が「いち」に限られる根拠は一体なんなんでしょうか?

つまるところ、ひと段落を「誤読」「間違い」とする主張が依拠するのは

依然として新聞、テレビ・ラジオでも「ひとだんらく」は認めていないので、新聞記事やニュース番組などでそう使ったら、やはり間違いだと言わざるを得ないのである。

「一段落」の正しい読みとは?|神永曉<日本語どうでしょう>(2011/10/17付)

あたりに収斂するように思えます。「唯一解」思想の影響を強く感じます。

「いち段落」を唯一の正解とし「ひと段落を認めない」という規範自体はありうるでしょうし、その規範を共有する集団がいてもいいでしょう。ですがここまで述べたとおり、賛同できる根拠を欠いています。

「一段落」ファイナルアンサー

以上をふまえたQ&A形式での「ファイナルアンサー」は、こんな感じです。

Q:「一段落」を「ひとだんらく」と読むのは誤りですか?
A:いいえ。間違っていません。

Q:「一段落」の読み方は「いちだんらく」ですか?
A:はい。

Q:どっちなんですか?
A:どっちでもいいです。

コーヒーメーカーのような「一段落」論

念のため付け加えておきます。

「いち段落」でも全然構いません。合ってます。

けれども「いち」段落では、一段落の語で言い表したい何事かを十分に発揮できていないと考えます。多くの一般人にとって、一段落がいち段落では力不足なのです。

雑にたとえると、

  • いち段落がセブンイレブンのコーヒーマシンなら、
  • ひと段落が、そこに貼ってあるテプラ

みたいなもんです。

「一段落」マシンに「ひとだんらく」のテプラを貼る行為は誤り、間違いという観点や主張があってもいいんですが、イケてなくても実利を取る現場の知恵は大事にしたいですよね。

そんなところです。

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