こんにちは。
「丼」でいいのに「丼ぶり」と書いてしまう「どんぶりぶり問題」を考えています。その「2杯目」です。
前回のあらすじ
前の記事
- 「丼」でいいのに「丼ぶり」と書く「どんぶりぶり問題」(1)(2014/09/14)
で、「丼ぶり」のアホっぽさについて述べました。
※2014年8月 東京都内某店にて
こういう「丼ぶり」の表記が、アホっぽくていたたまれないのです。
この記事で言いたいこと
学力(がくりょく)の低(ひく)い皆(みな)さんへお願(ねが)いです。これだけは覚(おぼ)えてください。
- 「丼」の字の読み方は「どん」だけではありません。
- 「丼」の一字だけで「どんぶり」と読めます。
- よって、「丼ぶり」の「ぶり」はムダです。
3つ覚(おぼ)えるのがむずかしければ、最初(さいしょ)の1番目(いちばんめ)だけでもいいです。どうか覚(おぼ)えて帰(かえ)ってください。
「丼ぶり」なんて書いていると、「アホっぽい」と思われます(私に)。
この記事ですること
それではいったい誰が、「丼」でいいのに「丼ぶり」と書き始めたのでしょうか?
この記事ではその「犯人捜し」に走ります。
どんぶりぶり問題(2杯目):犯人捜しの巻
完全な見込み捜査ですが、どうも「こいつ」が怪しいです。
そうです。「丼ぶりと京風うどんのなか卯」です。
はい。松本サリン事件(1994)の教訓をまったく生かさず、決めつけにかかっています。
任意聴取
なか卯さんに署までご同行願い(ウソ)、任意で事情聴取を行いました。
同社のお問い合わせページから、「丼ぶり」の表記について、次の2点を尋ねました。
- 「丼」で十分なのに、どういうつもりか?
- いつから「丼ぶり」を使っているのか?
なか卯の「供述調書」
「株式会社なか卯 お客様窓口課」名で回答をいただきました。ありがとうございます。
要旨は次のとおりです。
1.「丼」で十分なのに、どういうつもりで「丼ぶり」と表記しているのか?
こういう趣旨だそうです。
- 多くの方々が「丼」を「どん」と読んでいる(天丼・カツ丼・牛丼 など)
- 趣を持たせる意味もあり、あえて
2.いつから「丼ぶり」を使っているのか?
なか卯さんの「供述」から抜粋して記します。(下線は引用者)
当社が1999年12月店頭登録銘柄として公開する際に新しいコンセプトとして
「牛丼」と「うどん」の「なか卯」という表記から「丼ぶり」と「うどん」の「なか卯」と表記したことが始まり
だそうです。
ということは、西新宿で親子丼よく食っていた頃は「牛丼とうどんの」だったのか。記憶にないな。どうでもいい話でした。
所見
なか卯さんの「供述」に対する私の所見です。
1.伝わっていないと思う
「趣を持たせたい」ためにあえて「丼ぶり」と書いている、その意図はわかりました。
たとえば私も、ただ「同じ」だとやや軽く、かな書きの「おんなじ」では薄っぺらく感じられて、破格を承知で「同んなじ」と書くことがあります。
しかし「丼ぶり」の場合、持たせようとしているその「趣」、伝わっていないと思います。ことに学力の低い人には。ヘタすると、「趣」を読めるかも怪しい人たちです。
低学力層に属する人の数は、なか卯さんが思っているより、きっとずっと多いです。
2.常習性は明らか
なか卯さんは、1999年12月の株式の店頭公開を機に「丼ぶり」を使い始め、以来15年の長きにわたり「丼ぶり」表記を使い続けています。
中断時期の有無(連続しているか否か)は問題ではありません。
なにしろ、会社概要の「事業の目的」が、こうです。
「丼ぶりと京風うどん」を主力商品としたファストフード店、及びそのチェーン本部の経営
「丼ぶり」の常習性は明らかです。
余談
2つ余談です。
1)「京風」アピール開始は、2014年
ちなみに現在は、上のように「丼ぶりと京風うどんの」と、うどんに「京風」が付いています。
なか卯さんが、うどんの「京風」を前面に押し出し始めたのは、何月かまでの記憶はないですが、今年(2014年)のことであるのは間違いありません
2月に閲覧した時点では、「丼ぶりとうどん」でした。取得していたスクリーンショットを貼り付けておきます。
なか卯ホームページのスクリーンショット(2014年2月時点)
2)「2000年問題」でもあった
それはそうと、ミレニアムイヤー直前から「丼ぶり」だったんですね。これも「2000年問題」の一変種でしょうか。
「低学力ホイホイ」としての「どんぶりぶり問題」
「丼ぶり」の表記が、潜在する低学力層をあぶりだす「低学力ホイホイ」の機能を果たしているという別の側面もあります。
「丼ぶり」のツイート検索結果を見てみればわかります。
どの用例も、ほぼ例外なく「丼」だけで十分です。
「丼ぶり」鑑賞のための基礎学力
ここでいう学力とは、とりもなおさず、国語力です。
「丼ぶり」の表記に趣を感じるには、最低限、「丼」を「どんぶり」と読めるだけの国語力が必要です。
でないと、なか卯の「丼ぶりと京風うどん」を、「丼」で済むところをあえて「丼ぶり」とやっている表記法であることが理解できません。
そして日常生活で日本語を使っている人のうち、これを理解できる人の割合は、決して高くありません。
なか卯さんが「趣を持たせたい」と「丼ぶり」に込めた思いは、全般として、通じていないように思えます。
ではどうすればいいか?
ではどうすればいいかを考えます。
なか卯の責任は不可避
「どんぶりぶり問題」に対し、全国37都道府県に482店舗を展開し(2013年3月末時点)、全体の売上高は345億円(2012年3月期)のファストフードチェーンが与えている影響は甚大だと言わざるを得ません。
その「草分け」でなかったにしても、足かけ15年にもわたる「丼ぶり」の常習性と、低学力層への悪影響は明らかです。
これが検察審査会なら「起訴相当」の議決が出て然るべき案件です。管見では、「どんぶりぶり問題」になか卯以上の影響を与えている利害関係者はいません。いたら教えてください。
しかし「求刑」は微妙
しかしそれでも、「バカがまねするからやめろ」と、なか卯に向かって「丼ぶり」表記の取りやめを要求することは失当です。
このケースでは、バカに合わせるのではなく、バカが合わせなければいけません。そこは譲れません。
一般論として、バカに水準を合わせてしまうと、世の中がつまらなくなります。それはイヤです。
ですから、「バカが合わせる」方向で対策を講じなければいけません。
実害を甘受すべきか?
「丼ぶり」表記が蔓延する「どんぶりぶり問題」による損害を見積もってみても、大したことはありません。
せいぜい、「丼」の読みは「どん」と短絡し、よって「丼ぶり」が正式と勘違いし、なか卯の表記を無思慮にまねている(ように見える)低学力層に対し、私のような変質者がいたたまれない思いをする程度です。
結論
よって、どんぶりぶり問題の解決策としては
- 「丼」の字は「どんぶり」と読めること
- 「どんぶり」と漢字で書きたければ、「丼」の一字で済むこと
- なか卯の「丼ぶり」は、あえてやっている変則的な書き方であること
以上を、低学力層に対して根気強く訴え、広く行き渡らせることが最善だと考えます。
地味でつまらない手段ですが、これ以上によい手段はないでしょう。他に妙案があるというならば、ぜひともご提示願いたいところです。
不可能だけど、やるんだよ
実際問題、低学力層に属するすべての人がこの水準に到達することは不可能でしょう。その人にとってそれが容易にできるのならば、現在その学力であるはずがなく、また、今後もそうした取り組みに自ら向かう必要性に乏しい社会階層にいるとも考えられるからです。
それでも、
- 「丼」一字で済むところで「丼ぶり」と書くムダさ加減と、
- そうと知らずに「丼ぶり」表記を使うアホっぽさと、
- 全部知ったうえであえて「丼ぶり」と使うことが、時には趣を呼ぶこと
が、広く知られる世の中を目指さなければいけません。
でないと世の中つまらなくなります。私は面白い方へ向かいたいです。
余録:これも「大杉」問題
「どんぶりぶり問題」をハイレベルに書き換えると、「多すぎ問題」となります。
「丼ぶり」の「ぶり」はいりません。多すぎます。
「多すぎ」の現代性
これは養老孟司さんがどこかで書いていたことの受け売りですが、「多すぎる」というのは、実に現代的な問題です。たとえば生活習慣病の大半は、何かが「足りない」ではなく「多すぎる」ことにより生じます。
次回予告:「丼」のパワーゲーム
ではなぜ、「丼ぶり」の表記が主に低学力層に蔓延するようになったのでしょうか?
ざっくり述べると、日本語世界における「丼パワーゲーム」の結果であると言えそうです。
すなわち、次の2つの現象の同時発生です。
- 食の分野の「丼」の台頭
- 他分野の「丼」の退潮
より具体的に述べるならば、
- 丼もの・丼めしの人気上昇とメニューの多様化
- 他分野での「丼」の死語化
これらが相乗的に作用しあっていることが背景にありそうです。
そのあたりから、「どんぶりぶり問題」の発生メカニズムの検討と考察を進めていきます。
つづく
コメント
これを書いてる人がよほどアホっぽい