アディクション(依存症)としての部活動

こんにちは。

ある日書店で『柔道事故』を目にして以来、内田良さんのTwitterアカウント(@RyoUchida_RIRIS)をフォローして動向を追っているおっさんによる臨時レポートです。

この記事で言いたいこと:Executive Summary

  • 「部活動」を一種のアディクション(依存症)ととらえると、俄然、視野が広がりました。
  • アディクションに関する知見の中にも、問題解決へのヒントが隠されていそうです。

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※写真と本文は関係ありません

あと、タイムラインに現れるツイートは残らず読みたいタイプです。

部活動=アディクション説の誕生【Tweetまとめ+】

こちらのツイートが、自分発の割にはずいぶんと(当社比)拡散されていますので、補足説明しておきます。

というのも、自身のタイムラインのこういう流れから「なるほど部活動の問題構造もアディクションと共通なんだな」と思い至ったのでした。

関心ある向きには既に周知の話と思いつつさらに付け加えますと、内田さんは組体操問題(『教育という病』)を経て、現在はもっぱら部活動の問題に取り組まれており、近著『ブラック部活動』のプロモーションも含め、積極的に情報発信をされているところであります。

検証:『人はなぜ部活動になるのか』(2013)

部活動をアディクション(依存症)の問題ととらえる

その妥当性を確かめるため、こちらの本からテキストを拾い出してみました。

ただしひと手間加え、文中の「依存症」を「部活動」に差し替えています。第14章「結論」からです。

部活動は人を奴隷にしてしまう。部活動が持つ、このような、人を困惑させ、途方に暮れさせる性質は、多くの人たちに理解されることを切望している。その性質は、部活動を自ら体験したり、身近な人の問題として目の当たりにしている人たち、さらには、部活動の研究や治療に従事する人たちから理解されたいと切望しているのである。(pp.173-174)

なにこの一致度。

もういっちょ。

それから、部活動は、(略)家族や友人に深刻な影響を与える。(略)あるときには「もうこれ以上我慢ならない」という気分にさせられ、周囲を翻弄してやまない。本書のなかで述べた部活動に対する見方が、こうした状況にうまく対処できるような理解と希望をもたらすならば、これはまさに私たちの望むところである。(p.174)

くり返します。引用したテキストは、部活動の本の記述じゃありません。依存症を扱った書籍のものです。

なにこれ。

比較的マイルドな言い換え案も用意

先回りして対策立案しておきます。

とはいえ「依存症」は相対的にどぎつい(※当社比)ワードなので、部活“ガチ勢”を中心に、部活動を依存症のサブカテゴリ扱いすることには感情的な反発もあるやもしれません。ですので場合によっては、「依存症」よりもマイルドな(※同)「濫用」「嗜癖」「嗜好」などに適宜置き換えてよいかと思います。

これら範疇のどんなワードでも、それがアディクションの問題であることに変わりはありません。リソースは有限です。建設的なアクションに割く方が賢明でしょう。

まとめ

依存症は人を奴隷にしてしまう。

この世にはまだまだ、別の名前で呼ばれている奴隷が数多く存在するようです。

そして部活動も同じく、人を奴隷にしてしまう一面を持っている。

であるならば、アディクション(依存症)の問題として部活動をとらえれば、何かとうまく進むのではなかろうかと、そのように考えました。

ちなみに依存症については、問題提起サイドのトップ集団は、既に何周回か先に進んでいると言えましょう。たとえば2014年に、依存症の問題を「ビジネスモデル」という角度からとらえた“告発ルポ”の邦訳が出ています。

一方で、問題を片づける方向の動きといえば、目下事態の収拾にはいまだほど遠い状況です。部活動については前掲の内田さんの著書でもまだ解決プランの案出しの段階のようです。

しかしながら、依存症に関する知見は各分野で蓄積されてきています。部活動のあれやこれやをアディクションの問題として捉えることを通じて、より精度の高い診断が下せれば、より適切な対処ができる確率は高まります。希望はあります。

テーマは「苦しみ」

内田良さんが最近のインタビューで次のように語っており、はたと膝を打ちました。

私の研究の原点は、人々の苦しみに向き合うことにあります。

出典:今、「部活がつらい」という声を出せるようになってきた――過熱する部活動から子ども・先生を救うには? 『ブラック部活動』著者、内田良氏インタビュー|SYNODOS(2017/08/10付)

「人々の苦しみに向き合う」。なるほどこれが、すべてに通底する内田さんのテーマというわけですね。素晴らしい。

と、こうして折々で賛意を表明することにします。けれどもそれ以上は特段動かない、ゆるいにもほどがあるサポーターです。最近は内臓脂肪の増え方もひどい。

ともかく、外野のおっさんまでがあまりに過熱しては「ミイラ取りがミイラ」のごとく、部活取りが部活になるというものです。

むすびにかえて:《部活動》(2000)

さて、部活動、じゃなかった、依存症と聞いて思い出すのは、椎名林檎さん2000年のこの楽曲です。

依存症(2000)
椎名林檎
¥250

いまの中高生にとっては幼少時、ないしは生まれる前のリリースですから、すでに懐メロゾーンに属する一曲となるのでしょうか。知らんけど。

UtaTenから歌詞を抜粋しておきます。よりライトなお遊びとして、めいめいで部活動との一致度をお計りくださいませ。

其れすら知りながら
あなたの相槌だけ
望んでいるあたしは
病気なのでしょう

翻弄されていると
いうことは
状態として
美しいでしょうか
いいえ 綺麗な花は枯れ
醜い過程が嘲笑うのです
・・・何時の日も

これもまさに、部活動に苦しむさまを歌っていますね(適当)。

そして椎名林檎さんといえば、Rio 2016閉会式でのハンドオーバーセレモニー(引き継ぎ式)のプロデュースを務めて話題を呼んだのがいまだ記憶に残るところです。以来、椎名さんが没頭する「TOKYO 2020」オリパラ部活の過熱ぶりも気にかかりますが、それはまた別のお話。

こちらからはひとまず以上です。

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