日本語警察も黙る「土のう」と「土のう袋」の違い

1月に能登半島地震があり、その月の12日から現在に至るまで、移行で空いていたBS3チャンネルでNHK金沢放送局の番組をほぼそのまま放送するようになってます。

ある日のお昼時にテレビをつけておりましたら、災害ごみの回収が始まることを知らせていました。そこで、できるものは分別して出してほしいみたいに言ってました。

嫁はごみの分別をまるで実の親のように憎んでいますので、その告知を聞いて被災者にさらにそんな仕打ちをさせるのかとえらく憤慨しておりました。一方、日本語警察(私のことです)はまったく別のところに耳が留まりました。

こんな風に言っていたからです。下の引用は別ソースからですが、ほぼこの内容です。※下線は引用者

災害片付けごみを出される時は、
土のう袋等に色々な物を混ぜて出さずに、できるだけ「回収できるもの」の番号ごとに分別して出してください。

出典:令和6年能登半島地震における災害ごみについて|輪島市

土のう袋ってなんやねん、アホっぽいな。が第一印象でした。

土のう袋について調べてみました。

要約:Executive Summary

飛ばない豚はただの豚ですが、詰めない土のうはただの土のうではありません。

詰めない土のうは土のう袋です。

一見アホっぽい日本語「土のう袋」には、現場の知恵が詰まっていました。

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紅の豚|スタジオジブリ より

土のう袋を考えるための12章

土のう袋ってなんやねんを考えるための要素をいろいろと挙げていきます。

「のう」と言える日本語

「土のう」の「のう」とは、袋のことです。

漢字では「嚢」と書きます。

カンガルーの子供が入ってるお腹の袋を、育児嚢といいます。

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キンタマ袋は陰嚢です。

本来なら「袋」不要

ですから土のうに袋は必要ありません。「のう」と「袋」で意味がかぶるからです。

もし陰嚢を「陰のう袋」と書いたら、それはキンタマ袋袋です。いやそっちも2つかよ、とか、こっちもかぶってんのかーい、とか、そんな声もしてきそうです。

大事なことなのでもう一度。土のうに袋は要りません。付けるなら有料(中3円・大5円)です。それがSDGsです。

高度すぎる「のう」

嚢は袋のこと、説明すればこれだけのことです。

けれど語彙レベルとしてかなり高度な日本語です。高度すぎて、一般人の日本語運用能力を超えています。

だから土のう袋なのです。

私も「嚢」の字は書けません。当記事では以後「のう」とかな書き表記に揃えます。

標識成分「袋」

「土のう」じゃわからないので、それが何なのかを端的に表す「袋」を付けて「土のう袋」とする。

これはこれで知恵のある賢いやり方です。一見SDGsに反するようでいて、実は持続可能なあり方なのです。

土のう袋のような言葉、けっこうたくさんあります。まとめて「標識語」と呼ぶことにしました。ここでの「袋」のように、それが何なのかを端的に表す部分を「標識成分」といいます。詳しくはこちらの記事で。

日本人の10割が知らない標識語の世界―「沸騰化」への「射程距離」
日本語の語彙の中には、標識のついた言葉があります。 標識にあたる部分を「標識成分」、標識成分の付いた語を「標識語」といいます。 日本語を話す人の10割がこのことを知りません。いま、私が作ったからです。 そんな標識語の世界を取り上げます。

昔からあった

国立国会図書館のデジタルコレクションをあたってみると、1960年代の文献に「土のう袋」の用例がありました。一例です。

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出典:日本科学技術情報センター編『科学技術文献速報』p.241(123コマ)(1966)|国立国会図書館デジタルコレクション

昨日今日の新語ではなく、単に私が土のう袋を知らなかっただけでした。

それでもまだアホっぽい感が半分ぐらいは残ってます。

徹底検証:土のうと土のう袋に違いはある?ない?

当記事での本題です。土のうと土のう袋に違いはあるのでしょうか。ないのでしょうか。

いくつかの使用者集団に区切ってサンプルを取得し、用例用法を見て検証します。

一般人の場合

一般人の「土のう」と「土のう袋」はカオスです。両者が無秩序に入り乱れています。

一例として、次の文書からサンプリングします。

[PDF]『令和元年度台風19号(令和元年東日本台風)八王子市災害ボランティアセンター活動報告書』|八王子市社会福祉協議会

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p.22

「土のう」と「土のう袋」に何の法則性も見いだせません。私の目には、報告者めいめいが好き勝手に呼んでいるように見えます。chaosを英語読みして「ケイオス」って言いたい。

この報告書では、私立中学の教諭による報告だけが、旧来の「土のう」で統一されていました。

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p.21

私の保守的な土のう感覚とも合致する使い方です。

行政の場合

面白かったのは、行政文書です。うっすらと法則を見いだせたからです。

八王子市(2019)

[PDF]「令和元年台風」八王子の記録|八王子市

を見ると、さっきと趣が全然違っていて驚きました。同じ地域・同じ時期の文書なのに。

「土のう袋」と「土のう」が並んで書かれていたのです。

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土のう袋・土のう配布

p.40

ですって。2つを並べて書いてるので「別もの」だと認識してるんでしょうけれど、何が違うんでしょうか。

この文書に「土のう袋」が出てくるのは上で引用した1回きりです。一方「土のう」は、ほか計7か所に出てきました。登場順に全部挙げます。

  • 土のうによる浸水防止(2回)
  • 土のう積み
  • 土のうの作成
  • 土のうの配布
  • 積み土のう工法
  • 土のう等による浸水対策活動

ここでは「違いはこうかな?」の仮説どまりで、結論までは出ませんでした。

検証仮説

私の立てた「土のうと土のう袋の違い」の仮説はこうです。

  • 土を詰めたものが「土のう」
  • 詰める前が「土のう袋」

先ほどの報告だけでは決め手に欠けましたので、別の自治体の文書も見ることにしました。

川崎市(2021)

先に結論を言うと、その仮説で合っていそうでした。

土のう置き場(土のうステーション)を設置しています |川崎市多摩区(2021/11/18付)

をここでのサンプルとします。このページには、合計26回「土のう」が現れます。

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といった具合です。

これら土のうにまじって、2回だけ「土のう袋」が出てきます。うち1つのキャプチャです。

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サイズ的に見づらいので、画像ファイルも転載しておきます。

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「収納箱」にはスコップ、土のう袋が入っています。

出典:土のう置き場(土のうステーション)を設置しています |川崎市多摩区

なるほど。

  • 川崎市の土のうステーションに備蓄された「土のう」には、土が詰まっています。
  • 一方、収納箱に入った「土のう袋」に土は詰まっておらず、袋だけです。

どうやらそういう違いがあるようです。

ちなみに川崎市の土のうステーションは、その形状を見るにトーテツ製のようです。

土のうステーション – 株式会社トーテツ

土のうステーション|株式会社トーテツ

違ってたらスマン。

中の人の場合

土のうもしくは土のう袋を供給する業者の「中の人」は、行政のように2つの言葉を使い分けているのでしょうか。

結論から言うと、明確に使い分けているわけでもなさげでした。相対的に一般人よりもカオス度は低めでしたが、直線上でプロットするなら、かなり一般人寄りです。

ネットで見つけた2社の事例からサンプリングします。

エスエス産業株式会社(福岡市)

土のう袋でした。

土のう袋 | エスエス産業株式会社
中に土砂や廃材を入れるために使用する袋です。主に国産品は、土や砂をつめ、水や土砂を防ぐことができるので、水害時や土木工事などでよく使用されています。

土のう袋 | エスエス産業株式会社

モダンなスタイルです。

供給段階で「土のう袋」なのは、行政発のケースから見いだした法則とも整合します。

ならば使用局面のそれを「土のう」と呼ぶのかなと思って、リンクされていた「中の人」の商品紹介動画も見てみました。

土のう袋|エスエス産業株式会社(2017/09/19付公開)

明確に「土のう」とすべき文脈は動画内になかったのですが、いざその文脈で「土のう」と呼ぶようにも感じませんでした。詰めた土のうも「土のう袋」で通しそうです。

萩原工業株式会社(倉敷市)

土のうでした。

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土のう | 萩原工業 合成樹脂 製品ポータルサイト

ここだけ見ると昔気質のハードボイルドでクラシックなスタイルに思えます。

ならば製品ライフサイクルのあらゆる局面を「土のう」で通してるのかと思えばそういうわけでもなく、「土のう袋」も併存していました。

たとえば公式オンラインショップの土のう(関連品含む)カテゴリの内訳に「土のう袋」がありました。

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また「中の人」からの発信では、パッケージに土のうと書いてある商品を、1つのツイートの中で土のうと呼んだり土のう袋と呼んだりしていました。

ケイオス

NHKの場合

放送&ネットメディアに加え、文研(放送文化研究所)なる独自の研究機関をも備える、国内屈指の日本語インフルエンサー組織は、どうでしょうか。

おおむね行政の用法に準じていそうです。近年のツイートからいくつか見つろっておきます。

と、詰めない土のうは「土のう袋」であるのに対し、詰めた土のうは次のとおり「土のう」になってます。

ただし、彼ら彼女らがそこにどのぐらい自覚的かまでは読めてません。

次のWeb記事のヘッドラインは「土のう」でしたが、ページ内の記事原稿を見ると「土のう袋」でした。

宿毛市に石川 小松市からブルーシートと土のうの支援物資届く|NHK 高知県のニュース
【NHK】今回の地震で震度6弱の揺れを観測した高知県宿毛市に石川県から支援物資としてブルーシートと土のう袋が届きました。 宿毛市では、今月17日の…

高知県宿毛市に石川県から支援物資としてブルーシートと土のう袋が届きました。

届いたのは、ブルーシート500枚と土のう袋1万4000袋で、

宿毛市に石川 小松市からブルーシートと土のうの支援物資届く|NHK高知県のニュース(2024/04/20付)

ここでの文脈からすると、「土のう袋」が妥当です。

中間まとめ

「土のう」と「土のう袋」の使い分け度合いを並べ替えると、使い分け傾向が明らかな順に

  1. 行政
  2. NHK
  3. 中の人(業者)
  4. 一般人

となっていました。

よって少なくとも行政発の文脈においては、

    • 「土のう袋」とは、袋だけのもの
    • 「土のう」とは、その袋に土を詰めたもの

と見てよさそうです。

比較:「土のう袋」黎明期の世界

時間軸上で比較してみます。

「土のう袋」が世に出るよりも前に、土を詰めてないその袋を行政は何と呼んでいたのでしょうか。

「土のう袋」が世に出るか出ないかの草創期と言える1964年当時の資料が次世代デジタルライブラリーにあったので、見てみました。

「土のう」でした。

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出典:総理府大臣官房審議室『新潟地震災害対策記録』p.9(11コマ)(1964)

文脈からして、被災地に他県から送るのは「詰めない土のう」で間違いなかろうとの判断です。

別のページでは「土のう資材」でした。表の先頭2行の「土のう」と区別されています。

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出典:同・p.22(18コマ)

まとめると、詰めない土のうはただの土のう、もしくは「土のう資材」でした。

サンプルがこれだけなので暫定的な結論とし、確定判断までは避けます。

徹底比較! 土のう VS. 氷のう

「土のう」周辺の業界とも比較したくなったので、国語辞典で「のう」のつく言葉を探しますと、「氷のう」がありました。

詰めない土のうが土のう袋なら、詰めない氷のうは氷のう袋のはずです。

しかし用法用例をつぶさに調べていくにつれ、その様相はかなり違うことが明らかとなりました。

はるかによわよわだった「氷のう袋」勢

氷のう袋、あるにはありました。

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氷のう袋 L
氷のう袋 L

画像は氷のう袋 L|スポーツオーソリティ公式 より

しかし業者のあいだで「氷のう袋」の勢力はまったく微弱なものでした。土のう袋と比べると“よわよわ”もいいところです。

Amazon.co.jpで「氷のう袋」を検索しても、出てきた商品はほぼ全部が「氷のう」となっていて、見た範囲で「氷のう袋」は1件のみでした。

キャプチャしますとこんな具合です。

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詰めない氷のうはただの氷のうでした。

一般人の場合もここまで顕著ではなかったですが、土のう袋と対照的に「氷のう袋」の勢いは全然よわよわでした。

これはいったい、どういうことでしょうか。

こんなに違った!国語辞典の「土のう」と「氷のう」

先ほど国語辞典を使って「土のう」に似た言葉を探して「氷のう」を見つけたとき、ひとつ引っかかりました。というのも、「土のう」と「氷のう」2つの説明がまるで違っていたからです。

「そりゃ、中に入れるものが違うからでしょ」 との声が聞こえそうです。

はい、それはそのとおりです。土のうに入れるのは土、氷のうに入れるのは氷です。でさーね。

そこではなくて、中に入れるものの違いなどまるでチンケに見えるほどに、まったくもって違っていたところがあったのです。わかりますか?

それは「まなざし」です。

2、3辞書を引いておいおいマジかよとなり、手元で引ける辞典を片端から確認しました。いうて両者を「似たもの同士でしょ」と見くびっていた私には、まったく意外な事実でした。甘あまだった自分に反省しきりです。

土のうと氷のうではそれぞれへの「まなざしが違う」というその一点において、どの辞書も完全に一致していました。見た限りで例外なしです。

証拠として、抜粋した語釈をぜんぶ並べますね。面白いですよ。「土のう」と「氷のう」で全然違ってますから。

国語辞典の「土のう」たち

  • 土を入れたふくろ(広辞苑 第七版)
  • 土を入れた袋(大辞林 第四版)
  • 土を入れた袋(デジタル大辞泉)
  • 袋に土を詰めたもの(精選版 日本国語大辞典)
  • 土をつめこんだふくろ(三省堂国語辞典 第八版)
  • 土を詰めこんだ袋(新明解国語辞典 第八版)
  • 土をつめたふくろ(三省堂現代新国語辞典 第七版)
  • 袋に土を詰め込んだもの(明鏡国語辞典)

国語辞典の「氷のう」たち

  • 氷片や水を入れて患部を冷やすのに用いる袋(広辞苑 第七版)
  • 氷片や水を入れて患部を冷やすのに用いる袋(大辞林 第四版)
  • 氷片や水を入れて患部を冷やすのに用いるゴム製などの袋(デジタル大辞泉)
  • 身体の患部の熱を下げるために氷を入れてあてがう袋(精選版 日本国語大辞典)
  • 氷を入れ、からだの一部に当てて冷やす袋(三省堂国語辞典 第八版)
  • 氷を入れて熱のある部分(患部)に当てて冷やす袋(新明解国語辞典 第八版)
  • 氷や水を入れて、病人の熱のある部分に当てて冷やす袋(三省堂現代新国語辞典 第七版)
  • 氷片や水を入れて患部を冷やすのに用いる袋(明鏡国語辞典)

ほら、全然違いますよね。

「まなざし」の違い、わかりましたか?

解答編:「まなざし」の違い

そんなに引っぱってもしょうがないので答え言います。

どの国語辞典もこぞって、

  • 土のうは容器と中身
  • 氷のうは容器だけ

見ているのです。

別の言い方をすると

  • 国語辞典の「土のう」にはすべて土が入っているのに対し、
  • 国語辞典のどの「氷のう」にも氷片や水は入ってません。これから入れるのです。

キンタマ袋にたとえて言えば、氷のうでは袋だけを見ているのに対し、土のうではキンタマ込みで見ているのです。

辞書のどれか1つぐらいは、土のうを袋だけで、氷のうをキンタマ込みで

  • 土のう:土を入れて堤防などを築くための袋
  • 氷のう:氷片や氷を入れた袋

みたいに書いてあってもよさそうなものです。試しに書いてみて、決して間違った説明だとも思いません。しかし、見た限りで皆無でした。あったら教えてください。

なんということでしょう。なんで世の中の国語辞典は、揃いもそろって土のうと氷のうに対してこれほどまでに「まなざし」が違うのでしょうか。

そしてこれは決して国語辞典に限った話でなく、一般人の「まなざし」をも多分に反映したもののはずです。

なんということでしょう。ネットミームなら、横転したりひざから崩れ落ちたりするところです。

日本語における「容器と中身」の記述に関する一考察~「土のう」と「氷のう」を例に

国語辞典の記述から示唆されたのは、「土のう」と「氷のう」それぞれに対して、日本語話者のまなざしがまったく違っていることでした。「氷のう」はキンタマ袋の袋のみであるのに対し、「土のう」はキンタマ込みで見ていることが明らかとなったからです。

これがいったいどういうことなのかを考えていきます。

はじめに

常々述べていることをくり返しますと、日本語というのは、要素同士の関係の記述に対してきわめて関心の低い言語です。

「揚げ」を例に出すと

  • 「凧揚げ」で揚げるのは凧ですが、「釜揚げ」で揚げるのは釜ではありません
  • 水上の荷物を陸へ揚げることは「水揚げ」であり、同時に「陸揚げ」です
  • 「油揚げ」とは油で揚げた食べ物全般の名前かと思いきや、その大半は薄く切った豆腐の揚げものと相場が決まっています

という具合に、語形からは要素間の論理構造をまったく読めないのです。

まさにケイオス、めちゃくちゃです。

秩序のない日本語にドロップキック、アゲーーーーーー

「土のう」「氷のう」の語構造は「中身+容器」

土のう・氷のうの「のう」とは「袋」のことでした。ですからどちらも、語としての形は

中身+容器

となっています。

日本語における「容器」と「中身」の語形と意味

日本語の語形において

  • 「容器+中身」は、容器に入った中身を
  • 「中身+容器」は、容器のみを

意味することが多いです。

たとえば、容器が「樽」、中身が「酒」だと

  • 樽酒(容器+中身)⇔酒樽(容器のみ)

という具合です。

土のう・氷のうに戻ると、どちらも語形は「中身+容器」ですから、「酒樽」のパターンです。

よって、先ほどの国語辞典の説明に照らせば、「容器のみ」を、すなわち袋だけを見ている「氷のう」の説明がこの語形の本則ということになります。

解明したいその疑問

しかし「土のう」の場合、どの国語辞典もことごとく「容器+実存する中身」を説明していました。とりもなおさずこの事実は、「土のう」に対して大半の国語辞典が袋だけでなく中のキンタマ(ではない)までをも眼差していることを意味します。

なぜこんなことになっているのでしょうか。解明したい疑問はここです。

あいまいな「容器」と「中身」の日本語

先ほど

日本語の語形において

  • 「容器+中身」は、容器に入った中身を
  • 「中身+容器」は、容器のみを

意味することが多いです。

と述べました。しかし日本語語彙の例にもれず、この法則性はあるようでなく、ないようである、きわめてあいまいな存在です。

あるのかないのかないのかあるのか、容器別にまぁちったら、みにゆきましょう。

ある「瓶」「グラス」

  • 瓶ビール(容器+中身)⇔ビール瓶(容器のみ)
  • グラスワイン(容器+中身)⇔ワイングラス(容器のみ)

なら法則があると言っていいでしょう。あります。

あるのかないのか「缶」「パック」

次の例では、どうでしょうか。

  • 缶コーヒー(容器+中身)⇔コーヒー缶(容器のみ?)
  • パック寿司(容器+中身)⇔寿司パック(容器のみ?)

中身+容器形の意味を「容器のみ」としてよさげな雰囲気もかもしつつ、法則性は揺らぎだします。

なぜなら、「コーヒー缶」「寿司パック」のどちらにも、容器+中身を意味する用例が実在するからです。Twitterからのサンプルを1つずつ。

ブラックコーヒーとイカの寿司が、それぞれ缶とパックに入ってますね。

見つけるのはわりあいに簡単でした。もちろん、容器のみを意味する「コーヒー缶」や「寿司パック」を見つけるのもまた、同じく簡単です。

ほぼない「折」

厄介なのは「折」です。

薄い板やボール紙などを折り曲げて作った箱(広辞苑 第七版)を「折箱」、単に「折」といいます。その折です。

ここまで積み上げてきた法則が何ひとつ意味をなしません。使用実態がこうだからです。

  • 折寿司(容器+中身)⇔寿司折(容器+中身)
  • 折菓子(容器+中身)⇔菓子折(容器+中身)

これまでの法則が当てはまるのなら、中身+容器の語形である「寿司折」「菓子折」は「容器のみ」を意味するはずです。実際、一生懸命探すと容器のみの「寿司折」「菓子折」がありました。

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出典:寿司折|株式会社箱音

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菓子折65足付 紫白房紐
外寸:(縦×横×高)㎜素材菓子折65足付194×194×67(42)ファルカタ+紙菓子折65用 カブ

出典:菓子折65足付 紫白房紐|有限会社ヒダヤ

ですが想像してみてください。謝罪の場面で容器だけの菓子折を出す/出されることが、はたしてあり得るでしょうか?

ケイオス

ないのかあるのか「折」

ところが同じ「折」でも、そのビジネスパートナーが寿司や菓子から弁当に交替すると話が違ってきます。

  • 折弁当(容器+中身)⇔弁当折(容器+中身?)

ちょっとトリッキーですが「容器+中身」タイプの弁当折もありました。

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画像出典:京弁当・行楽弁当 [折] 1,200円~3,500円|仕出し弁当の宅配専門店。魚㐂久(うおきく)

けれど弁当折の保守本流は「容器のみ」です。用例として、弁当折(hakooto.co.jp)、経木弁当折カブセ蓋付(中敷き使用可)(origoshi.com)を挙げておきます。

そんななか、とある「弁当折」の通販サイトを見てみると、こんな商品画像がありました。

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ログウッド深黒 焼肉弁当折

画像出典:形状で選ぶ 【一段折】|折箱・重箱など弁当容器の通販サイト【さくらい屋】

画像は「容器+中身」です。けれど総合的に考えて、この商品を注文しても中身入りで届くわけではなさそうです。単価248円でこの画像の弁当は無理でしょ。

通販サイトでの弁当折といったら、すべくあらく、こうだろうと思うのです。

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わじま朝市弁当折

画像出典:同上


なんかうまい具合に能登に帰ってきたのはさておいて、ことほどさようにひどいもんです。恥知らずとはこのこと。羞恥心のない日本語に水平チョップです、アゲーーーーーー

中間まとめ

「容器」と「中身」の日本語は、こんなことになっていました。いかがでしたか?とクソブログの常套句も飛び出すっちゅうもんです。

よく言えば融通無碍と言えますが、悪く言えばあまりにテキトーでいいかげん、無原則もはなはだしい。

かくまでプリンシプルのない日本語のさまは、白州次郎も助走を付けて殴りかかるレベルです。

疑問(再掲)

今一度、解明したい疑問を整理し直します。

  • 中身+容器の語形なら、本則としての意味は「容器のみ」のはず。
  • 事実、「氷のう」はどの国語辞典も「容器のみ」を説明していた。
  • しかし「土のう」の場合、ことごとく「容器+中身」を説明している。
  • なぜなのか?

同じ問題を書き方を変えて記述してみます。

  • 中身+容器の語形なら、本則としての意味は「容器のみ」のはず。
    • 事実、「氷のう」の説明はどの国語辞典も「容器のみ」だった。
  • ところが以下の例は、語形が「中身+容器」であるにもかかわらず、表す意味は「容器のみ」ではない。「中身の入った容器」である。
    • 「コーヒー缶」「寿司パック」の何割か
    • 「菓子折」のほぼすべて
  • 「土のう」もまた同じく、「中身+容器」形であるにもかかわらず、国語辞典の説明はことごとく「中身の入った容器」であった。
  • なぜなのか?
  • そこにどんな力学が働いているのか?
    • それらは各パターンで共通するのか?しないのか?

考察:「土のう袋」その癒やしと救済、または「名と体の乖離」の一切皆苦について

ここからは想像の世界です。正しさの保証はありません。

  • 「土のう」が「土のう袋」になりがちな一方で
  • 「氷のう」はそれほど「氷のう袋」になりやすいわけでもない。

その理由は、

両者の中身、すなわち土と氷が持つそれぞれの「重み」の違いです。

「容器のみ」と「容器+中身」とで、差がどのぐらいあるのか、まずは物理で試算してみました。

結果は次のとおりです。土のうの中身の重みは、氷のうとは桁が違いました。

氷のうの重み(物理)

氷嚢 アイスバッグ ザムスト スポーツシーンでのアイシングにおすすめです 結露しにくい設計です
ケガの応急処置やクールダウンに

ザムスト アイスバッグ (氷嚢)、によれば、こちらの氷のうLサイズの直径は26cm、重量は140gです。どれだけの氷が入るかのデータはなかったので大きい方へ倒して球体として計算しますと、約9.2Lです。

単純化して氷ないし氷水の比重を1としますと、「氷のう」の中身がないとき:あるときの重量の比率は、およそ65倍となる計算です。

土のうの重み(物理)

ターピー スーパー土のう商品ページの情報によると、200袋入りの梱包重量が約8kgですから、単純に割って1袋あたり40gです。かつ「ラインまで砂を入れると約25kgの充填」とありますので

中身がないとき:あるときの重量比は、ざっと625倍です。

氷のうとは文字どおりに桁が違います。

名が体を表さない時:プリンプルのない日本語

ところでわれわれ(誰?)は、当事者がいくら「焼そば」と自称しようと、お湯を入れて作るタイプは「カップ焼きそば」と呼び、通常の焼く焼きそばと区別します。まったくの別ジャンルの例では、細かい人だと電気自動車になると燃費やガス欠ではなく「電費」「電欠」と呼んでます。

私みたいなもんは日清U.F.Oもペヤングも「焼そば」「やきそば」でいいし、電気自動車の話でも「燃費」「ガス欠」で全然いいです。けれどもそこを分けていきたい気持ちは、まぁわからんでもないです。

ところが一方で、24時間営業の「セブン-イレブン」や、ジャガイモでんぷんが原料の「片栗粉」は、まったく当たり前に受け入れています。

USBフラッシュメモリのことを「USB」と呼ぶのをバカにするかたわらで、電灯のことを「電気」と呼んで平気でいます。法則性も一貫性もあったものじゃありません。

私には、縁なき衆生の「こだわりライン」がまったくわかりません。戸惑いを隠すことだけで精いっぱいです。もう隠せてませんけど。

一切皆苦です。

ケイオス

「名」、その心理の重み~「土のう袋」を例に

土のう袋の話でした。

  • 「土のう」ではなんだかわからないので、標識成分「袋」を付けて標識語「土のう袋」にした。

言葉は悪いですが、こちらを「アホルート」と呼びましょう。

土のう袋という言葉は、アホルートのみで成り立ったのでしょうか? 私にはそうも思えないのです。少なくとももう1つのルートがあったのではないでしょうか。

  • 土を詰めた袋が「土のう」ならば、土を詰める前の「それ」は何と呼べばいいのか?

ある日あるところで、こう苦悩した地方公務員の姿が浮かんでくるからです。

私みたいなもんは、それも「土のう」でええやんと安易に考えていました。私にとって土のうの中身である土の物理的重みは理解できても、その心理的重みはまったく軽いものだったからです。

物理と心理とで「重み」は必ずしも比例しません。ここポイントです。

もしかすると彼または彼女はある日、国語辞典で「土のう」を引いたかもしれない。しかし国語辞典もまた、彼または彼女を救いはしなかった。その苦悩と絶望はいかばかりであったでしょうか。

「土のう袋」とは、そんな名もなき地方公務員のかつての苦悩と、その魂の救済の産物にも感じられます。

「ネギトロ偽縁起」を問い直す~救済の物語として

なぜこんな妄想に近い想像をくり広げているかというと、問題構造の似た言葉を知っているからです。「ねぎとろ」です。以前検証し、その後も折に触れて考えています。

追跡・ネギトロ嘘語源:始まりは、葱のない「ねぎとろ」の方便説
2007年7月以前に「ねぎる」または「ねぎ取る」を聞いたことがある。と推定できる証言から 葱のない「ねぎとろ」を提供するときの方便だった を、「ねぎ取る」の始まりに関する新たな仮説として示します。

まぐろ全体から「ねぎとろ」が工業生産されるようになったのは、1987年、赤城水産が始まりです。厳密に言えば同社がそう主張しているだけですが、それを否定したり覆したりするような材料も、目下出てきていません。

赤城水産の「ねぎとろ」に、当時から「ねぎ」は付いていませんでした。今も同じです。追って市場に参入した他社の生産する「ねぎとろ」もまた同様です。工業的製法によってマグロ全体をペースト状にしたもの、それが終始、彼ら彼女らの「ねぎとろ」です。

「ねぎとろ」の中の人たちにとって、「ねぎとろ」における「ねぎ」の心理的な重みは、物理と同じか、もしくはそれ以上に軽いものだったのかもしれません。

いわば「シチュー」感覚です。

シチュー感覚とは

たとえばいま、市販のシチューのルウだけでいわゆる「シチュー」は作れません。具を別に用意する必要があります。なのに今日びシチューのルウのパッケージは、ざっとこんな感じです。

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ゲタ、はきすぎちゃう?

まるでコーンフレークの五角形に牛乳の栄養素が入っているがごとく、具の力を借りまくっています。

けれどこれらのシチューに接して「シチューなのに具がない」と苦しむ人はたぶんいません。

シチュー感覚とはそれぐらいの意味です。

「ネギのないネギトロ」想像を絶するその苦痛

ところが、ねぎとろはそうではありませんでした。

「シチュー感覚」で生産流通したまぐろ肉のペースト、すなわち業務用「ねぎとろ」を仕入れた飲食店によって提供された「ネギなしのねぎとろ」に苦しむ衆生が、驚くほど数多くいたのです。

物理の世界で考えれば、ねぎとろにおけるねぎの重みなど微々たるものです。しかし心理の重みはそうではありません。

ネギのないねぎとろがもたらす苦痛は想像を絶するものであったに違いありません。地獄です。

そして苦痛に耐えかねた者たちは、こんなファンタジーを生み出しました。

  • ネギトロは、実はネギもトロも関係なくて(以下略)

偽の縁起、由来ですね。1度や2度ならず見聞きしたことある方も多いのではないでしょうか。

サイエンスの手続きに則れば、この言説はでたらめです。関係あるからです。

ネギは野菜のネギですし、トロはマグロのトロです。今のところこれを崩せる材料は、この世にありません。

もっとも、マグロ全部を使った製品に「トロ」の名前を付けるのはいささか粗野で乱暴な気もします。名が体を表せてないからです。けれども平成の初め頃まで「トロ」とはマグロの肉全般を指すのだとガチで思っていた私には、許容範囲です。

けれども「ねぎとろ偽縁起の流布」という事象をサイエンスの手続きだけで読み解こうとすると、誤ります。

なぜならネギトロの嘘語源、偽の縁起とは、シチュー感覚で雑に名づけられた「ねぎとろ」によって周縁に追いやられた者たちによる、救済の物語だからです。

そこには、虚構だけが持ちうる救いの力があります。言うなれば、それはもっぱら民俗学や文学が取り扱うのがふさわしい領域です。バイネームで挙げるなら、柳田国男や小松和彦、あるいはスティーブン・キングやカズオ・イシグロといった面々の仕事に重なります。


土のう袋の話でした。

サイエンスにとって幸いだったのは、詰めない土のうに苦しむ者たちにとって、「土のう袋」が救いになれたことです。嘘語源は必要ありませんでした。

まとめ:早く土のうになりたい!(土のう袋)

土のう袋について調べてみました。

「土のう袋」という言葉は

  1. 「土のう」じゃ何だかわからないので標識成分「袋」を付けたアホルート
  2. 名もなき地方公務員の「詰めない土のう」への苦悩と絶望からの「蜘蛛の糸」となった救済ルート

この2つがあたかも縦の糸と横の糸のごとく織りなして布のようにできあがっています。そうとらえることにしました。袋だけど。

始終カオスそのものの一般人たちのかたわらで、行政の現場では、なんとなーくのレベルながらも「土のう袋」を旧来の「土のう」と使い分けている様子がうかがえました。

往年の「妖怪人間ベム」のオープニング風にまとめると、こんなところでしょうか。

それはいつ生まれたのか誰も知らない。
暗く音のない世界で、1つの繊維が織られて増えてゆき、1つの袋が生まれた。
それはもちろん土のうではない。また氷のうでもない。
それは土のうになれなかった、土のう袋である。

当記事で明らかにした事実がもう少し知れ渡れば、この何年かのうちに

「詰める前なのに土のうは間違い! 土のう袋と呼ぶのがマナー」

とか言い出すクソ記事が出てくるのかなーって、楽しみにしています。

早く土のうになりたい!(土のう袋)

おわり

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