『ファクトフルネス』共訳者の上杉周作さんと未来完了時制を学ぶ

人の不足だけを取り上げる下品な記事です。そのつもりでどうぞ。

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『ファクトフルネス』の翻訳ファクトチェック(サンプル版)

『ファクトフルネス』の翻訳ファクトチェック(サンプル版)
人の成果には目もくれず不足にだけ注目する下品な記事です。そのつもりでどうぞ。電子書籍のサンプル版を使って、『ファクトフルネス』邦訳と原書の情報と見比べてみました。引用部の下線はすべて引用者によるものです。書誌情報訳書は honto電子書籍版...

で、電子書籍のサンプル版を元に『ファクトフルネス』日本語版の翻訳ファクトチェックをしました。

うち、イントロダクションの「サーカス、再び」と訳されたセクション、この第1パラグラフの日本語訳が読解の面で疑問だらけだったので、別途特集することにしました。それがこの記事です。

訳文はこうなっています。文ごとに改行を入れて引用します。

サーカス、再び|Back to the Circus

サーカス、再び

わたしが時おり講義の終わりに剣飲みの芸を披露するのは、一見不可能なことが可能になり得ることを、身をもって証明するためだ。

芸をする前にはいつも、世界についてのクイズを出すようにしている。

そこでまず、世界が想像とはまったく違っていること、解決不可能に見えた世界の課題がすでに解決していることを伝える。

それでも、いままでの思い込みや、毎日ニュースで流れていることから頭を切り離して、世界には可能性があふれていることに気づいてもらうのは難しい。

大きく言うと、問題は2つあります。

  1. 第一の問題は、時制の情報が軽視されていること、
  2. 第二の問題は、しばしば原文から離れすぎた解釈を加えていることです。

原書と対照して日本語訳の問題点を示し、改善を図ります。

原文

対応する原文をまずまとめて見ておきましょう。こうです。センテンスごとに区切ります。

I occasionally swallow swords at the end of my lectures to demonstrate in a practical way that the seemingly impossible is possible.

Before my circus act, I will have been testing my audience’s factual knowledge about the world.

I will have shown them that the world is completely different from what they thought.

I will have proven to them that many of the changes they think will never happen have already happened.

I will have been struggling to awaken their curiosity about what is possible, which is absolutely different from what they believe, and from what they see in the news every day.

このパラグラフには、以上の5つのセンテンスがあります。

各センテンスの主語と述語動詞だけを抜き出しますと、こうなります。

  1. I swallow
  2. I will have been testing
  3. I will have shown
  4. I will have proven
  5. I will have been struggling

です。各センテンスの時制に注目します。

1は現在時制です。習慣を表していると解せます。

残りの文2,3,4,5の4つは、いずれも未来完了時制です。未来のある時点までに、その動作が完了していることを意味します。

文2と文5は未来完了の進行形になっています。未来のある時点でも動作・状態が継続していることを意味します。

あとは、主語がすべて一人称単数の「I」なのも特徴的です。

これらを頭の片隅においておきましょう。

翻訳ファクトチェック

下線はいずれも引用者によるものです。

センテンス1:現在時制

訳書

わたしが時おり講義の終わりに剣飲みの芸を披露するのは、一見不可能なことが可能になり得ることを、身をもって証明するためだ。

原書

I occasionally swallow swords at the end of my lectures to demonstrate in a practical way that the seemingly impossible is possible.

コメント

主節の動詞swallowは現在時制です。習慣を表すニュアンスを出したいところです。

あとthat節の動詞はisなので「なり得る」ではなくて、「なる」です。

こうしてみました。

ファクトフルな日本語文案

わたしは時おり講義の終わりに剣飲みの芸を披露し、一見不可能なことが可能だと身をもって証明することにしている。

センテンス2:未来完了進行時制

訳書

芸をする前にはいつも、世界についてのクイズを出すようにしている。

原書

Before my circus act, I will have been testing my audience’s factual knowledge about the world.

コメント

むしろこの文が現在時制っぽい訳し方になっています。単体ならこれでいい気もしますが、未来完了時制を前面に出すとこんな感じでしょうか。

ファクトフルな日本語文案

今度芸を披露する前にも、世界の事実に関する受講者の知識を試しているだろう。

センテンス3、4:未来完了時制

訳書

そこでまず、世界が想像とはまったく違っていること、解決不可能に見えた世界の課題がすでに解決していることを伝える

原書

I will have shown them that the world is completely different from what they thought.

I will have proven to them that many of the changes they think will never happen have already happened.

コメント

訳書では、原書の2つのセンテンスを1つにしています。それ自体は構いません。

「課題」となっている訳語に対応する原書のファクトは「change」です。「課題」とはどこかchallengeっぽい訳し方ですが、訳の元にした版がそうなっていたのでしょうか。

同じく、未来完了時制を前面に出すとこんなところです。

ファクトフルな日本語文案

そして世界が想像とはまったく違っていること、彼らがありえないと思っている変化の多くがすでに起こっていることを示し終えている。

センテンス5:未来完了進行時制

訳書

それでも、いままでの思い込みや、毎日ニュースで流れていることから頭を切り離して、世界には可能性があふれていることに気づいてもらうのは難しい。

原書

I will have been struggling to awaken their curiosity about what is possible, which is absolutely different from what they believe, and from what they see in the news every day.

コメント

「から頭を切り離して」というのは身勝手な読解です。

後半2つのfrom句、from what they believeとfrom what they seeは、どちらも形容詞differentに接続します。よって,which以降は、what is possibleがこの2つとは違うという意味になります。同じく未来完了進行形を意識して、こんな感じです。

ファクトフルな日本語文案

わたしは、彼らの思い込みや毎日のニュースで見ることとはまったく違った、世界の可能性に対する好奇心を呼び覚ますのに苦労し続けているだろう。

ファクトフルな日本語にしてみた

以上を整えると、これぐらいです。

わたしは時おり講義の終わりに剣飲みの芸を披露し、一見不可能なことが可能だと身をもって証明することにしている。今度芸を見せる前にも、わたしは世界について受講者の知識を試し、その姿が想像とは全然違い、ありえないと思っている変化の多くがすでに生まれていることを立証し終えているだろう。思い込みや毎日のニュース内容とはまったく違って、世界は可能性にあふれているのだ。それでもなお、みんなの心を躍らせるには悪戦苦闘が続く。

未来完了時制「will have」総まとめ

サンプル版には、will haveの文型があと3か所出てきます。訳としては、いずれも特に問題ではありません。時制を強く意識しなくても影響は小さかったと言え、その意味でラッキーでした。それだけ確認しておきます。

The UN predicts that by 2100 the world population will have increased by another 4 billion people.

国連の予測によると、2100年にはいまより人口が40億人増えるとされています。

文意としては、西暦2100年時点には40億人分の人口増加が完了しているのですが、日本語はそこまで時系列の表現にシビアでないので、これでいいと思います。

つぎ。

First, when you have finished this book, you will do much better. Not because I will have made you sit down and memorize a string of global statistics.

まず、この本を読み終える頃には、もっと良い点が取れているはずだ。もちろん、世界の統計を丸暗記しろなんて言うつもりはない。

直訳だと「あなたを座らせて、世界の統計データを暗記させてしまうからではない」ぐらいですけど、工夫の範疇に収まる訳と思います。

そして残り1つ。

You’ll do better because I will have shared with you a set of simple thinking tools.

暗記の代わりに、これからシンプルな世界の見方を伝授しよう。

試しに直訳すると、「もっとうまくやれるだろう。シンプルに考えるための道具一式を伝授するからだ。」ぐらいになるでしょうか。

前の文もそうですが、前段でwillを使っているので、時制の一致で完了時制もwill haveになっています。

時制に基づいてこの文章を読みとくと、この本の中で伝授して、読み終えるときには当然伝授も終わっているから、読者のあなたはうまくやれる=世界についてのクイズにいい点を取れるようになっているだろう。というロジックになっていますが、日本語で逐一表現しようとすると、どうしてもくどさが出てくるのが否めない気もします。

その点、訳文は自然な日本語表現になっていて上手だなと思います。

未来完了については、こちらの記事がわかりやすかったです。

あなたは説明できる?未来完了形・未来形・未来完了進行形の違い|スタディプラス(2017/05/23付)

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記事タイトル「学ぶ」なのに丸投げ~~~

未来はどこにあるか?

となると哲学的な問いになってくるわけですが。

すべてIを主語にし、未来完了時制の文章を重ねてこのパラグラフに記された内容は、筆頭著者のハンス・ロスリングがくり返してきたことです。

推測が入ってしまいますが、ハンスは2017年に亡くなっていることからすると、執筆時点で既にこういうことができる体調ではなかった可能性もあります。

総合すると、このパラグラフは、未来完了時制を使うことで自身の来し方を回想しているという読みも可能です。

補強する情報として、BBC Learning EnglishのThe Future Perfectでは、未来完了時制で過去の不確かな事実に対する推量を表す用法が紹介されていました(Take note: future perfect for past?)。

見出しでやりに行ってる説もアリ?

もうひとつ、未来完了形をくり返してくるところから、もしかすると「Back to the circus」という見出しタイトルは、「Back To the Future」をもじっているんじゃないか?って読みも出てきます。


バック・トゥ・ザ・フューチャー(字幕版)

ただしこの読みが妥当かを検証するには、他のところでどれだけやりにきているかも見極める必要があって、ただ横の英文を縦に書いていくよりも、まー何十倍も難しいところです。

たとえばchapter oneの最初の見出し「Where It All Started」ですが、同名の楽曲タイトルがあったりします。

Where It All Started(1988)
ニュー・エディション
¥250

これらが仮にやりにきているとして、そこを訳に反映させるかっていうとさらに難しい問題です。2倍3倍じゃきかない労力がいるうえ、成功する確率も低いという誰得な構造ですから。

まとめ

『ファクトフルネス』の翻訳は、自然な日本語表現を追求するあまり、それ以前にあってしかるべき「原書の英文を読み取る」過程がところどころでおろそかになっていました。

簡単に言うと、米原万里のいう「不実な美女」の傾向が認められます。

以上、サンプルの範囲からの傾向でした。

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