村上隆さんを知る6000字語録~『芸術起業論』とツイートから

こんにちは。デザイン芸人「デザインや」です。

神戸アニメストリートの「目玉ロゴ」との一件を機に、村上隆さんのことを知った気になろうと思って『芸術起業論』(2006)を読みました。その読書メモです。

印象的なくだりを抜き出して周辺情報を含めると、トータルで6000字を超えました。

ロゴのゴロ? 村上隆さんを知る語録

『芸術起業論』での村上さんの語りから、順不同で拾い出していきます。

ところどころ関連情報をさしはさみます。

公正な慣行にチャレンジして引用テキストだけで綴るという、編集芸の新ジャンル開拓の試みです。

大事なところに線を引いておきます。強調および下線はすべて引用者によるものです。

大学院修了まで

ぼくは勉強ができませんでした。言葉もうまくありませんでした。
風体からも、周囲とはコミュニケーションがしづらかったのです。
だから何かものを作るということはなくてはならないものでした。それがなければ周囲や世界とコミュニケーションが取れなかったのです。
ぼくにとって、ものを作ることは自由を手に入れてゆくことでもありました。(p.158)

大学四年の頃は、朝七時から夜十一時まで卒業制作に取り組みました。「四十五分描いて十分寝る」という一日中絵を描き続けるテクニックをあみだしたのもこの時期です(今もたいへんな時はこの方法で乗りきっているのです)。(略)五か月以上かけて右手の甲を腱鞘炎(けんしょうえん)にしてまで作ったので「首席も狙えるぞ」と思っていましたが四席に留まりました。(p.231)

大学院二年の頃の卒業制作では、更に複雑な画法と画材で再び腱鞘炎になるも結果は次席。悔しくて悔しくて、歯ぎしりして泣きました。(p.231)

辛い前半生でした。

原動力

ちなみに、ぼくの欲望ははっきりしています。それは「生きていることが実感できない」をなんとかしたい、なのです。(pp.93-94)

世界水準の勝負の原点は、個人の欲望の大きさからはじまります。
ウォーホールには、ほとんどそうした欲望しかありませんでした。(略)
欲望のかたまりだけでできている。(略)
ハゲは恥ずかしいからカツラをかぶるとか、アートをやっていると尊敬されるとかいう下世話な欲望の集積が彼の芸術活動だったのです。(p.93)

怒りはぼくを動かしています。
不満なのです。
表現しきれていない不完全な感じがいつもあるのですが、最近はそういう感触が大事なのかもしれないと思うようになりました。(p.197)

芸術家も商売人

芸術家が作品を売って生計を立てる。これは通常のビジネスです。
ところが、芸術と金銭を関連づけると、悪者扱いされてしまいがちです。(略)
どこが悪いのでしょう。(p.45)

アートピースとは、作り方や売り方や伝え方を知らなければ生み出せないものなのです。(p.24)

芸術家とは、昔からパトロンなしでは生きられない弱い存在です。
冒険家と変わりません。(p.47)

芸術家も商売人です。
(略)芸術作品はコミュニケーションを成立させられるかどうかが勝負です。(p.50)

営業しなければものは売れない。
待っているだけでは状況は変わらない。
つまり芸術作品は自己満足であってはならない。
価値観の違いを乗りこえてでも理解してもらうという客観性こそが大切なことなのです。
価値観の違う人にも話しかけなければ、未来は何も変わらない。(pp.53-54)

ただし芸術家が一人で作るしかけには限界があります。大勢の人間の知恵を集めた結晶体である必要があります。(p.45)

マネジメントが無軌道なら才能は簡単に枯れてゆくのです。
アーティストにとって作品同様に大切なのは独自のマネジメント哲学の構築なのです。(p.60)

世界に通用する方法について話していると、
「マネジメントに集中していく人間が勝つ」
と、意外と悲しい結論が出てきていますけど、もしかしたら未来はそういう努力型が勝利する世の中になっていくのかもしれません。(p.103)

お金のことは、アート業界ではことさら批判の対象になってしまうけれども、現状のお金の流れをまずは全面肯定して内部に入りこまなければ、美術のメインストリームで活躍する当事者にはなれません。
当事者になれなければ、美術業界の構造そのものの鎌首にナイフをつきつけることさえできません。(p.61)

「カイカイキキ」というブランドを作っているのは、賢いなと思います。「個」では出し切れない力の集積が図れているように思えます。

金しかないなぁ

ぼくは、三十六歳になる頃までコンビニの裏から賞味期限の切れた弁当をもらってくるような、お金のない時期を経験しました。
金銭があれば、制作する時間の短縮を買えます。(p.27)

何があっても作品を作り続けたいなら、お金を儲(もう)けて生き残らなければならないのです。芸術家も一般社会を知るべきです。(p.27)

「目」との出会い

ぼくは子供の頃、水木しげるさんの漫画『ゲゲゲの鬼太郎』の大ファンでした。水木さんのキャラクターには体中に目を持つ「百目」という妖怪がいて、その妖怪が大好きだったのです。(p.162)

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※百目 iPhoneに水木しげる妖怪!日めくりカレンダーアプリ登場|コミックナタリー(2011/04/09付)より

「たくさんの目」は、まるで未来を見つめることが可能になるような、不思議な魅力がありました。(p.162)

「多数の目を並べると人を見つめ続ける圧迫感を与えることができる。これも錯覚だ!」
(略)『スーパーフラット』の構想が浮かんだ時には、その概念をいちばん表現しやすいのは多数の目だと思いました。これが『メメクラゲ』のイメージを作るきっかけになったのです。(pp.162-163)

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JELLYFISH EYES, from The Psychedelic World of Takashi Murakami|Artspace(2013/03/21付)

以下は、2013年のネットニュース記事からです。

その起源はつげ義春さんの漫画「ねじ式」の中に出てくる「メメクラゲ」というセリフなんです。つげさんは鉛筆で「××(バツバツ)クラゲ」と書いたのだけでも、編集者と写植屋さんがカタカナの「メメ」と勘違いをして「メメクラゲ」になり、それが日本のシュール漫画の代表的なカットとして流布されています。

出典:【インタビュー】村上隆「日本はアートに対して無知」 – 映画『めめめのくらげ』(杉浦志保)|マイナビニュース(2013/05/08付)

作戦は「日本発・欧米ゆき」

いきあたりばったりで作っていた初期のぼくの作品には弱点があったのです。(略)
部分的なきらめきがあっても欧米の美術史における文脈づけが弱ければ、外国に渡っていくパワーにおいてはぜんぜん不足しているのです。(p.83)

日本のサブカル的な芸術の文脈をルール内で構築し直し、認めさせる。
これが欧米の美術の世界で生き残るためのぼくの戦略でした。
ぼくは日本のサブカルチャーをハイアートに組みこむことで、欧米の美術の世界における新しいゲームを提案してきましたが、
「ハイアートとロウアートの境界を理解した上で、ロウアートをハイアートでわざとあつかう楽しみ」を提示したからこそ新解釈として理解されるのです。(p.112)

ぼくには日本の文化を「欧米の美術の文脈」の中でちゃんと伝えられている自負があります。
アメリカで芸術の文脈や理論の構築方法を学んだからこそ、翻訳ができているのです。(p.151)

「日本」への二律背反的思い

ぼくは日本に生まれた人間です。
海外では二日とおかずに日本食が食べたくなります。日本人としての記憶に抗(あらが)うことも試してみましたが、無理があるので最近は素直な欲求に随(したが)うようにしています。(p.154)

ぼくの等身大の感情は、ニューヨークの町角で日本のアニメを見かけると「お!」と思うというものだということがはっきりしました。(p.115)

…海外から日本に帰ってくると常に強く感じるのは「東京が世界でいちばん狂っている」ということです。(p.220)

ぼくの作品は無軌道に作られているかのように思われがちで、確かに欧米文化のいいとこどりもしていますが基本的には「ぬぐいきれない日本文化」を素材に欧米で表現しています。
日本の文化を欧米に伝えるには、西洋の味の模倣をするのではなく、日本の味のまま濃くするべきなのです。(pp.154-155)

伝えたいことがあるなら脚色を加えておもしろく説明をする努力は必要不可欠でしょう。
日本人の説明は真面目一辺倒でつまらなくなりがちですが、ものを伝えることは娯楽だと割りきらなければなりません。
興味を抱かせて、楽しませて、ひきこんでゆく。(pp.152-153)

ただ、ぼく個人としては、日本のアート市場の商売は難しいです。
日本では時代のある瞬間にスパークする要素をバラバラまいていないと大勢には受けません。瞬発力のある人しか生き残れないような社会なので、ぼくは日本の表現の世界は苦手です。(p.95)

日本人はアートにスーパーオリジナルみたいなものを求めすぎてしまうから成功していないのではないかと思うんです。だけど本当は柳の下にドジョウは何匹も隠れているんです。
もちろんオリジナルは大切なことですが、オリジナルでありさえすればそれでよくて、あとは何にも営業をしなくていいし説明なんてしなくていいというのは誤解ですよね。(p.97)

日本の戦前の美術は言ってみれば、貴族の抱えたもので、それなら世界の美術にも通じていましたが、戦後民主主義の世界には、「美術はすべての人の理解できるものであるべき」と認定されてしまいました
しかし欧米の美術は平等に楽しめないものです。(p.110)

アーティストとギャラリストはリスクも成功も共にするのが当たり前と思っていたけどそうでもないのがこの業界なんです。(略)
失敗してもギャラリストは痛くないのですから。
ただし、この状況に甘んじていては長く制作をできないのではないかと思いました。
八〇年代にハリウッドの映画業界に弁護士が介入してから俳優のギャラがあがってきたように、ぼくは自分の立場を主張するエージェントが必要だと考えたのでした。(p.67)

神戸の「目玉ロゴ」との件もある意味必然だったのかもしれません。

しんどそう

ここまででもうかがえるとおり、村上隆さんの言葉は力強く勇ましいです。勇ましいのですが、なんだかしんどそうです。どこかで度を超えた無理をしている気がします。

ぼくはルイ・ヴィトンとコラボをしてブランドビジネスがどれだけ過酷なものかを知りました。
超一流の人たちが、欲望だらけの人間を一挙に束ねて商売をする中で、大勢を幸せにしているというすごさ。(p.69)

歴史に残るのは、革命を起こした作品だけです。
アレンジメントでは生き残ることができません。(p.77)

アメリカで受けいれられた後に、はじめて、日本での評価も伴ってゆきました。
アメリカでの成功の秘訣は明確です。
人のやらないことをやること。(p.85)

作品を意味づけるために芸術の世界でやることは、決まっています。(略)
「世界で唯一の自分を発見し、その核心を歴史と相対化させつつ、発表すること」
これだけです。(p.140)

芸術家は自由な存在と思われがちですがそれは錯覚です。(略)
芸術家はしがらみから解放されているようでも現実の制約にがんじがらめになっている存在です。(p.187)

…ぼくは、漫画家がおかしくなっても、ぼく自身、変になってもぜんぜんかまわないと思います
「かつてすばらしい作品を描いていたのに、アホみたいになっちゃった」
これ、ぜんぜん、問題ありません。
すばらしい作品を描いていた人は、すばらしい作品を描いていた瞬間に、それまでの人生では見たことのないような光が見えていたはずです。それだけで、もうすばらしいじゃないかと思うのです。(p.218)

『スーパーフラット』展はぼくの名を欧米に知らしめてくれました。そこにははじめての衝撃がありました。
二〇〇五年に開催した『リトルボーイ』展の方が明らかに深度も精度も上まわるものだと自信があるのですが、それでもメジャーになった瞬間の怖さというものを感じましたね。つまりメジャーになると終わりがあるということです。(p.237)

「もうみんなが知ってしまった」という地点が来た後には、どうすればいいのか。(p.237)

「みんな」というほど、知られていないと思います。実際私は、大して知りませんでした。

2015年のツイートから抜粋

2006年の『芸術起業論』には、こういう話がありました。

ぼくは、自分の作品が理解される窓口を増やすために、自分や作品を見られる頻度を増やすことを心がけています。
媒体に出る。
人にさらす機会を増やす。
大勢の人から査定してもらう。
ヒットというのは、コミュニケーションの最大化に成功した結果です。(p.41)

2015年のツイートからです。

単体なら言葉どおりに受け取りますが、著書の言葉と見比べてしまうと、上島竜兵さんのいう「押すな、絶対に押すなよ」と同じ意味かな?と、見きわめが難しくなってしまいました。

著書でご本人は「変になってもぜんぜんかまわない」としていますが、気にかかります。

リツイートした結果

以上をリツイートして、読了後いつものように感想ツイートを出しました。

このあいだ、村上隆さんのアカウントページをのぞいてみると、

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ブロックされていました。

村上隆さんの健康と幸せを祈ります(手かざし)。

おわり

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コメント

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