れりごー(Let It Go)が初めての人に教えてあげたいちょっとしたこと

こんにちは。

「れりごー」が流行っているみたいですね。独居老人のところにも評判が届いてきました。

まさに、飛ぶ鳥をれりごーレリゴーする勢いです。

流行っているれりごーは初めて知りましたが、「Let it go」自体は昔からありました。

この記事では、「Let it go」歴だけは長い老人が、次の2つのことを書きます。

  1. れりごー(Let it go)とはどういう意味か
  2. 「れりごー」が「ありのままで」になる(本当の)理由とは

大したことではありません。ちょっとしたことです。

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れりごーとはどういう意味か

「れりごー」を英文で書くと

Let it go

です。

日本語での意味をRPG(ドラクエみたいなやつ)のコマンド風に書くと、

させる > (とりあえず)それ >  ゆく

です。

まとめると「それをゆかせる」となります。

it のそれは、「なんかわかんないけどとりあえずそれ」ぐらいに思っておいてください。

なんかわかんないけど「それ」をゆかせるんだな、というぐらいの理解でいいです。

次の2つの例で、その理解を補ってみましょう。

蛇足:文法的には「命令」

蛇足で文法の側から述べると、れりごーは動詞で始まる命令文ですので、厳密には「ゆかせろ」という命令の意味になります。

ここではざっくり大意をつかむことが目的ですから、どっちでもいいことでした。

れりごーの例 その1

たとえば、わんこをドッグランに連れていってリードを外してあげたとします。

犬は好きなところに行きます。

それがれりごーです。

この場合は、「Let your dog(s) go」です。

れりごーの例 その2

検索してみると、こんなページが上位に出てきました。

ひとつだけへんてこりんなことが書いてあったので、笑いものにしておきます。

言葉を正確に翻訳するのであれば、『ありのままで』は、『Let It Go』より『Let It Be』のほうがその言葉の意味に近いものかもしれないが、(後略)

ど素人です。

中途半端な高学歴が、浅い知識と思考で頭の悪い内容を語ってしまっている、最悪のパターンに陥っています。

低学歴の皆さんも無視して構いません。放置しましょう。

頭の悪い文章を放置しておく。

これも「れりごー」です。

ここでの「it」は「頭の悪い文章」となります。ありのままで頭悪くいてもらいます。

「れりごー」が「ありのままで」になる(本当の)理由とは

ここからは、中途半端な高学歴向けの話です。

低学歴の方には必要性が薄く、高学歴の方には言わずもがなのことです。

さきほど

言葉を正確に翻訳するのであれば、『ありのままで』は、『Let It Go』より『Let It Be』のほうがその言葉の意味に近いものかもしれない

という言明を「ど素人」としました。

結論から述べます。言葉を正確に翻訳した結果が、「ありのままで」です。

「れりごー」での「it」が具体的に何を指しているのか確かめてみれば、それがわかります。

それより根本的な話として、「れりごー(Let It Go)」から「ありのままで」になったのに、なんでそれを逆に考えているのか意味がわからないです。頭悪いのがうつるとイヤなので、その点はこれ以上触れずにおきます。

れりごーの文脈をたどる

文脈を知るため、ディズニーのアナと雪の女王公式サイトから、英語版と日本語版のれりごーを視聴しました。

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れりごーとはこんな歌

歌に合わせて、映像では女性キャラクターが氷の城を作りあげていました。この人が雪の女王なんでしょうか。

関連動画に「歌詞付きバージョン」がありましたので、そちらを見て歌詞を確認しました。

姉・エルサの心情をエモーショナルに歌い上げる主題歌

だそうです。

自分の感情や気持ちを解き放ち、自分の城を築いて、そこの女王になるんだと歌っていました。

「ちびまる子ちゃん」風に言うと

意味なく「ちびまる子ちゃん」風に要約すれば、

「いい子でいなさい」とか「女の子がはしたない」とか、あたしゃそんなのやだね。

という歌でした。

れりごーの「it」とは何か

「れりごー」での「it」とは何か、何をgoさせろと歌っているのかというと、歌い手である自分の心情と解せます。内心に起こる感情や気持ち、思い、そういった類のものです。

あるいは「れりごー」とは、自分の飼い犬ならぬ「飼い感情」をつないでいたリードを外します、そう宣言している歌だとも言えます。

日本製の類似ソング

これにいちばん近い日本の歌は「123 GO!」です(ただし地域限定)。

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※画像は、メイキング・2013年「宇宙」篇|イイカオ!キャンペーンサイト(nobuta123.co.jp)より

GOです。

れりごーは2つに分解できる

したがって、れりごーは次の2つのステップに分解することができます。

  1. 自分の心情を解き放つ
  2. あとはそれのゆくにまかせる

心情の扱い方に見る日英両言語の違い

自分の心情とは、必ずしも自らの意志で制御しきれない存在たちです。引き綱を外した犬と同じく、れりごーの結果どうなるか、どこへ行きつくかはわかりません。

英語での場合:他人事

それを英語では、自分の心情であっても「Let it go」のように客観的、記述的に記します。自分の心情を、記述の主体である自分とは切り離し、別ものとして扱っています。

また、自分の心情であるにもかかわらず、その取り扱いを「Let it go」と命令文の形式で書いていることにも注目です。これも同じく、英語が客観的、第三者的記述をする傾向の高い言語であることの現れと言えましょう。

日本語の場合:自分の一部

一方、英語と比べると、日本語は「主観」に属する範囲が広い言語です。

さまざまな心情・感情・気持ち・思いといったものは、自分自身と不可分の存在たちです。

よって日本語は、英語と違って、自分の心情というものをもっぱらそれを記述する自分と一体に取り扱います。他の事物と同じく単なる一対象物として、客観的に他人事のように扱いません。言わばそいつを「オブジェクト指向」で取り扱うことに慣れていない言語だと言えます。

ですから、自分の中に起こるさまざまな気持ち・心情である「それ」が「自分」と同一であるケースが多くあります。主観である「自分」のエリアが広いのです。

通俗的な例で言えば、「俺の酒が飲めないのか」です。

「俺の酒が飲めない」=「俺の気持ちを受け入れない」=「俺を尊敬しない」

という図式でのもの言いです。

日本語とは「自分」が肥大した言語であるとも言えそうです。

日本語での「自分」観

日本語の世界で「自分」とはどういう存在であるかを確認しておきます。

次の2つの特徴があります。

1)コントロールできない部分を含む自覚はある

日本語話者は、「自分」に属するエリアの中に、必ずしも自らの意志で制御できない「自分」が含まれている自覚はあります。

れりごーを、たとえば「なすがまま」と訳しても、どこかしっくりこないと感じることができるからです。

詳しくは後述します。

2)それでも、意志的に取り扱うべき

それでも日本語の世界で、「自分」とはどこまでも意志的に取り扱うべき存在です。言い換えると、日本語話者にとって「自分」は意志的に動いてくれないと困るのです。「自分勝手」じゃダメなんです。

実際のところ、「自分」の中にある「自分の心情」は決して意志的に取り扱えないことを公然と認め、その「なすがまま」にしていると、それを周囲は「気まま」「わがまま」「エゴ」と言います。

「自分勝手」を含め、どれもいい意味ではありません。

エルサの「自分」観(日本語版)

れりごーの日本語版の歌詞にも、この2つの「自分」観がきちんと反映されています。

この部分でよくわかります。大事なところに線を引いておきました。

ありのままの 姿見せるのよ
ありのままの 自分になる
何も怖くない 風よ吹け
少しも寒くないわ

1)コントロールできない部分を含む自覚はある

同じ「ありのまま」でも、姿の動詞は「見せる」で、自分は「なる」です。

意志的に見せることもできる「姿」と違い、「自分」というものすべてを意志で制御できないことをうすうす感付いています。

2)それでも、意志的に取り扱うべき

実は日本語では、「ありのままの自分」というものに対しても、「わがまま」「気まま」ほどでないにしても、あまりいい顔をしないのが一般です。

日本語における「自分」とは、あくまでその意志でコントロールすべきものだからです。

たとえそれが自分の意志と関係なく「なる」ものだとしても、「ありのままの自分」でいると、あまりいい顔されません。

歌のエルサも、「ありのままの 自分になるの」と宣言した直後、即座に「何も怖くない」とその自分に言い聞かせています。日本語の世界で「ありのままの自分になる」のは、基本的に怖いことだからです。

れりごーの日本語詞で「ありのまま」と「自分」を結びつけているのは、この1度だけでした。思うに、あまりそこを押していくと反発が強くなるだけだからでしょう。

「れりごー」が「ありのままで」に着地するまで

先ほど後回しにしました、「れりごー」が「なすがまま」だとしっくりこない理由を説明していきます。

なぜかというと、この「なすがまま」の「なす」とは、

  1. 自分の心情を解き放つ
  2. あとはそれのゆくにまかせる

の前半にあたる「解き放つ」ではなく、もっぱら後者の「ゆく」を意味しているからです。

「それは変だよね」となります。意志で取り扱えないものを意志的に扱っているかのようなもの言いだからです。

ならば「なすがまま」ではなくて何がいいかと探してみても、日本語では、

  1. 自分の心情を解き放つ
  2. あとはそれのゆくにまかせる

という一連の状況を、英語のれりごーのように端的に記述できる表現が見当たりません。

前段の「解き放つ」ステップでは自分(記述する主体)の意志が介在するのですが、後者の「ゆくにまかせる」には意志が介在しません。日本語には、そういうものを手短に言い表せる言葉が乏しいように思います。具体例が思いつきませんでした。

まとめますと、《「自分の心情」とは自分の意志で制御しきれないもの》という点が共通するにもかかわらず、日本語は英語と違い、その取り扱いに関して客観的に突き放して記述する言葉を持たないのです。

よって、それが「自分」の範疇に属するという事実認識の方は目をつぶり、「れりごー」が「ありのままで」となります。そんなメカニズムが働いているのです。

これが本当の理由です。

まとめ

くり返しますと、自分の心情というものは、すべてを自分の意志でコントロールできるものではありません。そこは英語でも日本語でも変わりません。

しかし、その記述のしかたには大きな違いがあります。

英語では「それ」は「それ」として客観的に記述的に取り扱いますが、日本語ではそうは扱いません。「それ」が自分と不可分の存在だからです。

よって日本語の世界では、意志的に取り扱うべきはずの「自分」に、なぜか意志的に取り扱えないものが含まれている状態となっています。

なので、意志的に取り扱いたい自分としてはなはだ不本意ながらも、そこを切り捨てて「れりごー」が「ありのままで」になっているのです。

そりゃ、あちこちでストレスもたまりますわ。

ですから《ありのままで》の歌詞では、そんなストレスのはけ口になってしまわないように、「ありのままの自分」が「いい顔」されるように、実に細やかな配慮が行き届いているのでした。

あとがき:日本人の集団れりごー

という具合に、日本語を第三者的に眺めていると、次の3つのどれかを直せばいいのにと思えてなりません。

  • 「自分」に属する領域
  • 「自分」に関する記述のしかた
  • 「自分」とは意志的に律するべきという通念

どれか1つ直すだけで、今よりはずっとうまくいくと思うのですが、手が着けられる兆しは見られません。

日本中れりごーレリゴーです。

以上、「イイ顔しよう」NOBUTAグループの提供でお送りしました(ウソ)。

♪少しも寒くないわ~

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