むしろ必要なのは「自我のダイエット」―8月4日「あすなろラボ」林修さん授業感想(10)

シェアする

こんばんは。林修ナイトの時間です。

「あすなろラボ」でのおデブ向け授業の感想シリーズ、その10です。

僕が真っ先に思い浮かんだ本と、その周辺についてです。

2013-08-17_a0002_001220

要はこういうこと

僕の言いたいことを、取り巻く社会状況とひっくるめて雑にまとめると、こういうことになります。

  • デブとはボケです。「太る」というボケをかましているからです。
  • 肥満推進社会である一方で、そこへ乗っかって「太る」ボケを体現したデブには、ツッコミの総攻撃が待っています。現代日本には、こうした二律背反的な社会状況があります。
  • ネットを筆頭に、世の中自我が肥大してしまっている人だらけです。デブと違い、自我は目に見えないだけに厄介です。
  • むしろボケましょう。肥大した自我をそぎ落とせます。

『一億総ツッコミ時代』のいま

今回の林さんの授業を聞いていて、真っ先に思い浮かんだ本があります。『一億総ツッコミ時代』(2012)です。

著者は槙田雄司さん。「マキタスポーツ」の名でお笑い芸人もされている方です。ツッコミ過多な現代日本に警鐘を鳴らし、「ボケ」と「ベタ」を勧めている1冊です。

ダイエットとはツッコミである

槙田さんは現代日本の状況を「ツッコミ高ボケ低」の気圧配置が閉塞感を生んでいるとし、「ツッコミ文化」が幅を利かせすぎていることが問題だと指摘しています。

そのなかで授業のテーマに関係するのは、このあたり。

 ダイエットというのは、その最たるものだと思います。ダイエットは、すごくツッコミ的な行動だと僕は思います。
 まず、ゆるい自分を許さないという気持ちがある。
 ダイエットをする人は、欲望の赴くままに食べたい時間に食べたいものを食べることをやめ、自分に制限をかけていきます。カロリーなどを計算したり、(略)余分なものを排除したりしていくのです。 (pp.58-59)

「ストレスはノーカロリー」に「夕食不要論」。授業で話されていた林さんの持論と自身の生活様式は、まさにこのまんまでした。

自我のダイエットのススメ

槙田さんは、現代がツッコミ過多である要因をこう分析されています。

 今は、誰もが自我を肥大させてしまっています。みんながツッコミをしたいと思うのは、ツッコミをすることによって肥大した自我を守ろうとしているわけです。 (p.72)

林さん流の言い回しを借りれば「贅肉は自我につく」わけですね。

そこで、このように「自我のダイエット」を提唱されています。

 一度、自分の「しょうもない部分」を認めてあげたほうが楽になるのです。そこからさらに進んで「しょうもない部分」を持つ自分を「ボケ」として周囲に提示し、周囲からツッコミを受けてみる。
 これが「自我のダイエット」です。 (p.73)

僕も自我の太りやすい人間なので、心してかかっています。

自我のダイエットが果たせるフィールドのひとつがお笑いです。といっても、ツッコミを入れるのではなく、ツッコミを受ける側に回るのです。

 お笑いの場合、評価の指標ははっきりしています。ウケなかったものは評価されない。笑いの取れたものしか残りません。自分がどれだけいいと思っていようが関係ない。自我など関係ありません。 (pp.71-72)

自我のダイエットには好適な環境です。

周回遅れの不幸

ただ、本書にあったような思考の過程を経ないとベタなボケに回れなかったこと、言うならば、ボケはボケでも「周回遅れのボケ」であることが、槙田さん、マキタスポーツの不幸だとも言えます。

「周回遅れ」の側が立ち止まり寄り道しているあいだも、ナチュラルボーンなボケは、ずっとボケを生きています。それ以外できないのですから。そうして「周回遅れ」がボケ路線に乗った頃には、「向こう」はとっくに先のボケを生きてしまっています。だってそれ以外できないのですから。

ですから「周回遅れのボケ」と、ナチュラルボーンな「向こう側のボケ」との差は、広がることはあっても縮まることは永遠にないのであります。

これはこじつけですが、生放送だった「歌ネタ王決定戦2013」(5/18放送)の大舞台で、図らずも「シールドが抜けていてアンプから音が出ていなかった」という大ボケが飛び出したにもかかわらず、いまいち乗り切れなかったマキタさんを見て、僕はあーやっぱりそうなるかと思ってしまいました。

それこそシールドの抜けたギターのように、ボケが“生音”のままで終わってしまい、アンプを通して増幅されていかなかった。

周回遅れでも、やるんだよ

けれども、これはもう宿命みたいなもので、いかんともしがたい面があります。「周回遅れ」の側はそういうものだと諦め割り切って、それでもそこを生きるしかない。

これはナチュラルボーンなボケなら絶対にしないことですけれども、「周回遅れのボケ」が自我のダイエットを継続するには、ボケとして生きやすい場所を見つけて、ボケていくしかないのかなと、そんなふうに思います。

ナチュラルボーンな「天然」のボケを生きる人は、自分自身がいま生きている生き方以外に一切関知せず、たとえ他の生き方を知っても自身の生き方は揺るぎもしません。「いまここのこれ」、これ以外にないからです。

おのれの自我や自意識の肥大に気づいてしまった人間がどうやったって、そんなナチュラルボーンのボケには勝てません。勝てっこないです。でも、やるんです。

あと余談ですが、自分を「天然」という奴、あれはみなニセモノです。

そこも含めて、このあたりは掘り下げるに値するテーマなのでいつか一段と深く論考して著したいです。

スポンサーリンク
Google AdSense
Google AdSense

シェアする

フォローする

スポンサーリンク
Google AdSense

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)