「わからない」を粗末にする奴が嫌い

こんにちは。ヘイトスピーチのブルーオーシャンを目指します。

この記事で言いたいこと

「わからない」は、大切に取り扱いましょう。

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「わからない」を粗末にする愚

世の中には案外と高い割合で、「わからない」を粗末にする人がいます。嫌いです。

「わからない」を「わからない」ままにしておけるだけの知性を備えていないところがダメです。愚かです。

騒がしいのも嫌い

しかもタチの悪いことに、「わからない」を粗末にする人の方が、世間では声がでかく、発言が広い範囲に届く傾向があります。粗末で俗耳に入りやすいからでしょうか。そこもイヤです。

かかる知性を持ち合わせていないがゆえに下品に騒げるのでしょうけれども、こっちがげんなりします。

以上トータルして、嫌いです。

私のポジション

自己評価では、私は騒ぐことが好きな方ではありません。面白そうな話題に乗っかることは厭いませんし、それどころか過去には「こんなのアリかよぉ!」と先頭切って騒いだ話題もあります。しかし、騒ぐことを目的にして騒ぐことはありません。

なので「騒ぎ好き度」を10段階で表すなら、4ぐらいでしょうか。

こういう立ち位置からの見解です。

嫌い。「わからない」を粗末にする人の騒ぎ方

「わからない」を粗末にする人には、固有の生態があります。

ある事案における「わからない」の範疇を自分で勝手に「補完」し、へんてこりんに復元させてしまうことです。

早すぎる

たしかに私にも、「わからない」範疇を想像力で補うことはあります。

けれども「わからない」の扱いが粗末な人の場合、その補填作業のタイミングがとっても早いんです。早すぎるんです。自分の「わかる」「わからない」を洗い出して整理する前に、これをやってしまう。

品質が悪すぎる

タイミングが早すぎる点を措いても、勝手に補った部分の品質が劣悪で、蓋然性や論理的整合性に欠けているという問題が残っています。

その結果、復元された「全体像」が歪むことになります。嫌いです。

こちらとしては、そんな「復元図」には同調できません。よって乗っかれません。

「わかる」で語られがち

そしてそれらを全部一緒くたにして、あたかもそれが既定路線の周知の事実であるかのように、わかったように語られるので、さらにキツいです。

反転形での例:伊集院光 vs. 狂言

ところでTwitterの「ざわつき」で知ったのですが、8/25放送の伊集院光さんのラジオ番組に野村萬斎さんがゲスト出演されたみたいですね。興味深かったのは、中にこんなツイートがあったことです。

伊集院さんが狂言について「なにも知らない」と発言したことに対し、驚きや称賛のニュアンスを帯びたコメントが上がっているのが面白いです。

そこにのっかって拡張させると、それだけ世の中には自身の「わからない」を「偽のわかった」に塗りつぶして語る奴らが跳梁跋扈していることの証左ともなりましょう。

粗末にしないで!「わからない」

「わからない」を粗末にする行いがなぜ嫌いかをもう少しだけ説明します。

要因は「情報量」と「騒ぎ方」のアンバランス

「わからない」の扱いが粗末なことに対する私の嫌悪をひと言で表すならば、

なんでそれだけの情報でそんなに騒げるの?

となります。

「それだけの情報」の2つのパターン

「それだけの情報」=情報量が少ないケースは、次の2つのパターンに分けられます。

  • 絶対的に「とにかく情報が少ない」ケース
  • 情報はそこにあるのに「読み取れていない」ケース

いずれにしろ、これで騒げるというのは、その人の「認知能力が低いから」というのが目下の仮説です。

新3大・「わからない」が粗末にされててげんなり事案(2016年8月版)

実例として、8月第4週の話題から「わからない」を粗末にされててげんなりしたものを3つ挙げます。

  1. 「安倍マリオ」に対する英ガーディアンの論評記事(8/22付)への反応
  2. 「マツコ&有吉怒り新党」(8/24 OA)での紹介をきっかけにネットで話題の「共感性羞恥」
  3. 高畑裕太さん逮捕(8/23)からの騒ぎ

どれもげんなりします。でも生きる。

以下、簡単にそれぞれのポイントだけ。ニーズに応じ、詳細は別途記事を分けて進めます。

(1)英ガーディアン「安倍マリオ」論評記事への反応

リオ五輪閉会式での「安倍マリオ」に言及した

この記事に関して日本語ネット界でいろいろ言われているのですが、それらの論点に入る前の段階でげんなりです。

私の見かけた日本語ツイートでは、記事最後の1行:

Don’t say: “Thank God you’re here. The toilet block has flooded again.”

この「Don’t say:」に続く文章を正確に読み切っていた人は皆無でした。誰ひとりとして、書いてあるとおりに読めていなかった。なので珍解釈だらけです。げんなりします。

他人事ながら、筆者の趣旨が伝わってないのはキツい。

(2)共感性羞恥

8/24放送の「マツコ&有吉 怒り新党」で紹介されて以来、ネットではぶんぶんとにぎやかです。代表例として2つ。

こちら↓で、拡散のきっかけとなったトークがダイジェストしてありました。参考まで。

怒り新党 心理現象 恥をかくシーンを見たくない 共感性羞恥とは。|別館.net.amigo(2016/08/25付)

しかし既に述べたとおり、私も嫁もまるで乗っかれてません(乗っからなくていいのですが)。それは「共感性羞恥」なるものを感じないからではなく、そもそもの話として、なぜに「そこ」限定でそのように呼ぶのかが全然わからないからです。取り残されています。

ちなみにTwitter界では、実は半年以上前から「静かなブーム」なのでした。こちらのまとめでわかります。

"恥をかくシーン"が苦手な人たち|togetter.com(2015/10/21付)

「共感性羞恥」まとめて成敗してやる件【ティーザーVer.】

私の「わからない」を端的に述べると、次の2点に集約されます。

  1. 他人(対象)の感情と無関係にこっちが勝手に恥ずかしくなるパターンは何と呼ぶのか?
  2. そもそも「恥ずかしい」の感受性は人それぞれのはずなのに、なぜ先にそっちの分布を解明しないのか?

そこらが全然わかりません。

そして「恥」に限らず、どんな感情もそのスイッチのありかは一人ひとりぜんぜん違うだろと。

  1. 感情のスイッチ
  2. 共感性の強弱

この2点をごちゃまぜに論じているのが、頭悪すぎです。こっちが恥ずかしいわ。

とまさに今ここで生まれているこの羞恥感情、なんて呼べばいいの?

共感性羞恥の「わからない」を粗末にしている面々は、

  • あれこれ騒がしいネットにとどまらず
  • 拡散元の「怒り新党」も
  • なんか実験していた日本の大学の先生も
  • 名称の元となった原論文の著者も

みな同様です。私の感じた「わからない」に誰も答えられていません。

この記事ではここまで。あとは別の記事に分け、「わからない」を粗末にする面々を順番になぎ倒してから、論を立て直す予定でいます。

(3)高畑裕太さん逮捕

ネット内外で大盛り上がりの本件、私も次のように一度は乗っかりかけましたが

今一度「よくわからんな」と考え直しました。

最大の「わからない」は、逮捕容疑が強姦ではなく強姦致傷であることです。それゆえ、事件当日の現場でいったい何があったのかが私にはよくわからないことになっています。なのに世間ではいろんな話が流布されてしまっており、話についていけません。ついていく気もないけど。

というわけでこの件もここまでです。

本件に対して今後さらに「わからない」が高じたときは、過去の強姦事件、強姦致傷事件の主要判例を読み比べてみることにします。

まとめ

以上、「わからない」を粗末にすることへの嫌悪を示してきました。

最後に、どこぞの馬の骨のおっさんがほざいたところで何の痛痒も与えないケースを想定し、有名人のおっさんの威を借ります。

おっさんの威を借るおっさんのコーナー

ここで威を借るおっさん有名人は、林修さんです。

林さんの持論である

勉強は「わからない時間」が尊い

に乗っかっていきます。Ride on!

林先生の、勉強は「わからない時間」が尊い、という話

林さんが「今でしょ!」でブレイクした2013年当時の出演テレビ番組から採録しました。※下線は引用者

「ほんとに世の中に、勉強の本質がわかっている人が少なくて、なぜわからないの?っていうことをすぐ言うんです。(略)しかし、わかることに意味ないんですよ。勉強ってどこに意味があるかっていうと、わからない時間が尊いんですよ」

「…わかる問題解いて何の意味がある。わからない問題がある。わからない問題を頭に入れてなんでだろ、どうして解けないんだろ、そういろいろ考えるところで脳は育つわけですよ」

「だからわからない問題を抱えて困っている、お子さんがいたら、楽しいね(って)。一緒に悩んだりお母さんも考えてみる。でいろんな問題に正面から取り組んでわかんない問題を悩んでるうちにだんだんわかる脳になっていくんですよ」

以上、テレビシャカイ実験あすなろラボ「未公開編!林修の子育て論」(2013/07/29 OA)より

「…人間にとって大事なのは『わからない』、尊いのはわからない時間ですから。わかっちゃうなんてつまんない話ですよ」

「…わかんないことをみんなが考える。そのわかんないこと自体に価値を見いだすっていうことをしていかないと、考える頭ができない

「答えが出なくてもいいよと。そういうふうにして、考えること自体を楽しめる子供にしてあげるっていうことが、僕はとっても大切だと思ってます」

以上、日経プラス10「トーク+ 教育改革するのは“今でしょ!”」(2013/08/08 OA)より

「ですからわからないってことを責めるんではなくてわからないことをほめてあげて、むしろ共有するようにしていかないと、なかなかほんとうの意味でね、考える力ってものが、ついていかない。と思いますねほんとに」

最後に再び、あすなろラボ「未公開編!林修の子育て論」(2013/07/29 OA)より

そういうことです。どうですかお客さん。

わからない? ならよかった。


以上、「わからない」を「わからない」のまま留め置けない、思考の不自由な皆さんに対するヘイトスピーチでした。

多くの部分で嫁と意見が一致したこともあり、夫婦ともども末永く嫌っていきます。ご静聴ありがとうございました。

各論へとつづく、予定

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