今でしょ!の由来を林修さんに聞いちゃう人って…

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こんばんは。林修ナイトの時間です。

ネガティブな感情を書いた記事です。

東進ハイスクールの「今でしょ!」のCMを見て、由来を林修さんに聞いた人がいる事実にいらつきます。その人が怠慢だからです。

イラッ!

林さんの『今やる人になる40の習慣』を読んでいて、「今でしょ!」の由来に関するくだりにイラッときました。

2009年夏期の、高2東大現代文の中で僕はこの言葉を発したようです。なぜこんな曖昧な言い方をするかと言えば、その状況を覚えているわけではないからです。(p.183)

イラッとしたのは、「今でしょ!」が出た状況を林さんが覚えていないからではありません。こちらです。

これだってテレビに出演した際に「由来を正確に教えてください」と言われて、慌てて調べ直してようやく把握したにすぎません。(p.183)

誰が言ったのか知りませんが、何という怠慢な態度なのでしょう。自分で調べろや。そう言いたくなりました。

どこが怠慢か

CMのつくりをわかって尋ねる態度が怠慢

東進タイムズ2010年11月1日号から引用します。

東進の名物講師が次々に登場するこのCMは、実際の講義の中から抜き出された映像を使用している。講師陣の発する印象的なフレーズは、撮影用に用意されたものではないのだ。

こういう形式で制作されたCMなのですから、本人がはっきり覚えていないことは、容易に想像がつくでしょうに。

これがわかっていて本人に聞くという態度が、怠慢です。

CMのつくりが見抜けないのが怠慢

ここの文脈では考えづらいですが、そうとは知らず聞いたケースもありえます。「今でしょ!」が撮影用に用意された言葉であるか、あるいは「林先生といえばコレ」みたいな定番の決まり文句であると誤解して、林さん本人に聞いたという可能性も、あると言えばあります。あるいは別の状況では、誤解した状態で聞いた人もいたのかもしれません。

であればそうした人は、CMのつくりを見抜けない、リテラシーが足りないという意味で怠慢です。用意されたセリフを言ったものではないことが、CMを見てもわからないわけですから。

見えるはずのものが見えていないのです。十分な情報量が取り出せず、情報不足のままの自分に甘んじているのです。怠慢そのものでしょう。ここは譲らんぞ(←パクリ)。

※ただし、2010年以降の東進ハイスクールCMにおいて、「今でしょ!」が連続で使われることで定番化していったのは事実です。

以上のどちらの意味においても、「今でしょ!」の由来を林さん本人に聞いてしまうような人は、怠慢です。

関連情報

事前にきっちりとセリフを用意せず、長時間の撮影素材からCMを作る手法は、特別珍しいものではありません。パッと思いつくあたりで

があります。

聞くならこうだろう

僕が聞く立場なら「問い合わせたいので、CMを制作した部署の連絡先を教えていただいてよろしいですか?」としますけどね。

連絡先を知らないからではありません。連絡先ぐらい、だいたいの当たりはつきます。事実、先ほど引用した東進タイムズ2010年11月1日号を見れば、制作会社の担当部署まで特定できます。

少し調べればだいたいの当たりがつく連絡先をわざわざ尋ねるのは、問い合わせた際、なるべく時間を費やさず、スムーズに回答が得られるようにするためです。「林先生にこちらをご紹介いただいたので」と前置きして問い合わせれば、話が通りやすいでしょうから。と同時に、尋ねることで自分が調べをつけておいた連絡先と突き合わせて確認する目的もあります。

反省すべきは何か

このあたりの経緯は、林修さんのブログ記事「今でしょ!」誕生に関するお詫びと訂正 ~大反省の巻~(2013年3月3日付)にも、書籍より少しだけ詳しく書かれています。

これまで由来を聞かれるとネットで見たあいまいな情報のまま答えていたが、調べ直すと実はそれが誤りだったのが分かった。というのが、書籍には記述のなかった経緯です。

裏付けを取らず間違った答えを返してしまっていた。いかんなー。ということで、「大反省の巻」なのでしょうね。

いつ、どこで言ったのか明確に認識していなかったんですよ。

 しかし、それは確かに無責任です。

「わかりました、調べて正確な事情をお伝えします」

 と、お答えして、調査開始!

そんな林さんもご自身では突き止められず、正解を得た手段はといえば

結局、あのCMを作成してくださった広告代理店の方に電話して

なのでした。

苦言めいたことを書いてしまいますが、自ら調査に乗りだしてしまった林さんは、僕の目にはいささかナイーブにすぎるように映りました。

責任感の強いことは結構ですが、これを仕事ととらえれば、林さんが自ら動くべき案件ではないからです。利害関係者を俯瞰したとき、分担すべき労力の配分がおかしくなっています。

授業で話した一言一句を覚えていないことが無責任であるなら、自分がかけるべき労力を相手に負わせることは、何と呼べばいいのでしょうか。

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