「一億総白痴化」は大宅壮一と松本清張の「合作」だった

シェアする

こんにちは。用件はタイトルのとおりです。

出典マニアのくせに一次資料の確認なし。二次情報だけで書く雑な記事です。4000字弱と字数だけは多め。

「一億総白痴化」とは

「一億総白痴化」という言葉があります。Wikipedia「一億総白痴化」の項では、最初に

一億総白痴化(いちおくそうはくちか)とは、社会評論家の大宅壮一が生み出した流行語である。「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると、人間の想像力や思考力を低下させてしまう」という意味合いの言葉である。

と説明されています。

2014-03-29_tv-162002_150

僕も、「一億総白痴化」の言葉は大宅壮一(1900-1970)が生みの親という認識でした。しかし調べてみると、「大宅壮一が生み出した」とするのは、やや正確さに欠けることがわかりました。

Wikipediaの同項でも続く「背景」で多少詳しく説明されてはいますが、大宅は一億”“白痴化とは述べていないからです。

以下、いくつかの情報を突き合わせての推論を述べます。いずれも一次資料にまではたどり着けていません。

出典の確認

正確には、大宅壮一は「一億白痴化」と述べました。「総」は付けていません。

大宅の言葉としてよく引き合いに出されるのは、東京新聞が出していた週刊誌『週刊東京』の1957年2月2日号に載った時評「言いたい放題」です。

孫引きとなりますが、表記として原典に最も忠実そうに思えた文献から引用します。

テレビにいたっては、紙芝居同様、いや、紙芝居以下の白痴番組が毎日ずらりとならんでいる。ラジオ、テレビというもっとも進歩したマス・コミ機関によって〝一億白痴化〟運動が展開されているといってもよい

孫引きした元はこちら。『テレビの青春』(今野勉, 2009)です。

これも孫引き:大宅壮一と『週刊東京』

当時大宅は『週刊東京』に連載を持っていました。これも孫引きですが、

その大宅は毎週、東京新聞編集局デスクにデンと座って原稿を書くのが常だった。

のだとか。(引用元:激動の日々(50)~「週刊誌『週刊東京』~4年余りの栄枯盛衰」|大友涼介です。)

こちらの元記事は、2012/12/09付の「東京新聞」とのことです。

しかしこれは「初出」ではない

1点強調しておきます。前述の『週刊東京』1957年2月2日号掲載の時評、これは大宅壮一による「白痴化」の初出ではありません。僕も今回調べてはじめて知り、少々意外でした。

「一億総白痴化」出典マニアの今野勉さんに学ぶ

『テレビの青春』著者の今野勉さんは、「一億総白痴化」誕生の経緯をかなり熱心に追いかけて同書に記述されています。出典マニアの僕も認めざるを得ない熱さです。ここでの紹介は省きますが、その私的事情も述べられていました。

同書の記述から、「一億総白痴化」の発生と成立の経過を学んでいくことにしましょう。

「白痴化」の初出はもう少し前、1956年11月

今野さんによれば、大宅壮一がテレビを論じるのに「白痴化」という言葉を使い始めたのは、『週刊東京』に時評が載るその前年、1956年11月ごろのことです。

早慶戦をめぐるテレビのアホ騒ぎがきっかけらしい

Googleブックス『テレビの青春』から引用します。

1)1956年11月3日 NTV『何でもやりまショウ』

コトの起こりは、NTVの視聴者参加番組『何でもやりまショウ』にあった。
一九五六年一一月三日、神宮球場での早慶戦一回戦。一塁側早大応援席のどまんなかで、慶大の三色旗を振っているバカな男がいて、早大応援団ともめた。
 その騒ぎを撮ったフィルムがその夜の『何でもやりまショウ』に流された。男は、番組から課題を与えられた視聴者で、その課題とは、早大応援席で慶大の応援をすること、であった。男は見事賞金五〇〇〇円を獲得した。(p.24)

この記述のとおりなら、後の同局の「電波少年」シリーズ(1992-2003)だったならば、さしずめ松村邦洋さん・松本明子さん、あるいは若手のお笑い芸人が出向いてしそうなことを、視聴者がやっていたのですね。ワイルドな時代です。

2)1956年11月4日 六大学連盟、日テレの中継を拒否

 翌四日、早慶戦二回戦を中継するはずのNTVのチャンネルは「しばらくお待ち下さい」のテロップを出したまま、いっかな中継を始めなかった。前日の『何でもやりまショウ』を、悪どい商業主義と怒った六大学野球連盟が、NTVの中継を拒否したのである。(p.24)

テレビに限った話でもないですが、黎明期にありがちな荒っぽさが、なんかいいです。

3)1956年11月5日 東京新聞、顛末を報道

 一連の事件を大々的に報じたのが『東京新聞』で、五日の記事の中で、心理学者の宮城音弥の談話を載せた。
「(略)あれは元来人間を痴ほう化する番組で(後略)」(p.24)

4)1956年11月7日 東京新聞に大宅壮一登場

 七日の続報で、『東京新聞』は、今度は大宅壮一の談話を載せた。
「最近のマス・コミは質よりも量が大事で、業者が民衆の最底辺をねらう結果、最高度に発達したテレビが最底級の文化を流すという逆立ち現象――マス・コミの白痴化がいちじるしい。(略)新聞も時々『白痴番組一覧表』をつくって、それらが物笑いになるような風潮にしたい」(p.25)

既にこの時点で、「テレビと低俗」の論点が出そろっているように思えます。

真の「初出」は『知性』11月号らしい

ほんとうの「白痴化」の「初出」は、もう少しだけさかのぼります。引用つづき。

 元NHKの北村充史の調べによると、大宅は以前から『何でもやりまショウ』に目をつけていて、『東京新聞』の談話の少し前の『知性』一一月号の座談会では、「とくにテレビなどということになると(中略)白痴的傾向が多いのです。なにか国民白痴化運動というようなね」と発言している。(p.25)

「テレビと白痴化」中間まとめ

 テレビに対して「白痴化」という言葉が最初に使われたのは、この『知性』の座談会であったようだが、一般に知られるようになったきっかけは、やはり、早慶戦中継停止事件という社会的事件と相まっての東京新聞報道からであろう。(p.25)

2014-03-29_tv-148809_150

まだまだ、終わらんよ

大宅壮一のテレビへの白痴化呼ばわりは、その後も続く。(p.25)

と、大宅のテレビ攻撃は終わりません。

 翌一九五七年の一月二一日付『東京新聞』夕刊の匿名コラム欄で大宅は、テレビの娯楽番組について、「国民白痴化運動」とけなし、(pp.25-26)

ときての

ついで『週刊東京』誌の二月二日号で、こう書いている。(p.26)

で、冒頭に引用したくだりにつながるわけです。

「白痴」に「総」がついた経緯

くり返しますが、1957年2月2日号の『週刊東京』の時評「言いたい放題」でも、大宅は「一億白痴化」と述べたのであって、「総」は入れていません。

Googleブックス『テレビの青春』からも引用しておきます。

大宅のこの時評をもって「一億総白痴化」の言葉の始まりとしているテレビ史もあるが、それは、早とちりというものである。まだ「総」が入っていないのだ。(p.26)

「総白痴」草分けは松本清張

同書によれば、「一億白痴化」に「総」を付けたのは、松本清張です。引用つづき。

「一億白痴化」に「総」の字を入れて迫力満点にしたのは誰であろう。
 一九五七年、大阪の朝日放送は、広報誌『放送朝日』の八月号で「テレビジョン・エイジの開幕にあたって テレビに望む」という特集を組んだ。「テレビ馬鹿」「テレノーゼ」「一億白痴化」というコトバで表わされるテレビの弊害論が氾濫するなかで、世の識者たちはテレビにどんなことを望んでいるだろうか、というのが特集の趣旨である。
 談話を寄せた二〇人の識者のうち、「一億」「白痴」という表現を使った人が四人いる。
 宮城音弥(心理学者)「一億白痴化運動」
 石垣綾子(評論家)「一億白痴運動」
 徳川夢声(芸能人)「一億白痴化運動」
 そして、四人目、作家の松本清張が、こう言っている。
「かくて将来、日本人一億が総白痴となりかねない」
「総」の字の初登場である。「総白痴」の発明者は、かの松本清張だったのである。(pp.26-27)

これが、Wikipedia「一億総白痴化」になると、同じ『放送朝日』の特集記事に言及して

ここでも、松本清張が「かくて将来、日本人一億が総白痴となりかねない。」と述べている。

となっています。 ※下線引用者

しかしそれ以前に「総白痴(化)」の用例が見当たらないのですから、松本清張(1909-1992)が「総」の初出とする『テレビの青春』の記述の方が、より真相に近いように思えます。

まとめ

というわけで「一億総白痴化」とは、大宅壮一と松本清張の「合作」と称するのがふさわしい言葉だと言えましょう。

人間の記録 179 大宅壮一 自伝松本清張・黒の地図帖―昭和ミステリーの舞台を旅する (別冊太陽 太陽の地図帖 2)

画像は、人間の記録 179 大宅壮一 自伝松本清張・黒の地図帖―昭和ミステリーの舞台を旅する

あとがき:「大宅壮一文庫」の皮肉

東京・世田谷に、大宅の名を冠した大宅壮一文庫があります。国内ほぼ唯一にして最大の「雑誌の図書館」です。

一般人にどれだけ知られているかはわかりませんが、テレビ番組制作に携わるリサーチャーにとって、資料を求めて大宅壮一文庫にあたるのは「基本中の基本」です。

テレビのバラエティーや情報番組で使われている雑誌記事の出典情報や資料映像は、ほとんどが大宅壮一文庫のものと言っても過言ではありません。たとえば、「あのお騒がせ芸能人は今」といった企画で「当時の週刊誌にはこんな記事も」みたいにして出てくるやつをイメージしてもらえれば、登場頻度はけっこうなものと想像できるのではないでしょうか。

こんな具合に、黎明期のテレビを執拗かつ盛大に白眼視した大宅壮一の名を冠した施設が、今なお低俗の極みを進みゆくテレビ番組の制作に大きく貢献しているというのは、なんとも皮肉なものです。

次回予告

さて、『テレビの青春』で著者の今野さんは、こうも述べています。

 テレビ放送が始まってまだ四年、文化人こぞってともいうべき、こうしたテレビへの悪罵や揶揄、それが一九五八年という年であった。(p.27)

調べていくと、1958年には「一億総白痴化」にまつわる面白い話がもうひとつありました。

つづく(予定)

スポンサーリンク
Google AdSense
Google AdSense

シェアする

フォローする

スポンサーリンク
Google AdSense

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)