利益や採算「度返し」な人たち【Tweetまとめ+】

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こんにちは。お祝い返しは微笑にして届けるタイプです。

日夜ネット世間に現れるクリエイティブな日本語を観察するシリーズ、今回は「度返し」です。

2019年8月末のスナップショットとして記録しておきます。

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※写真と本文は関係ありません

プロローグ:「採算度返し」との遭遇

Twitterのタイムラインでこんなツイートを見かけました。

「採算度返しで経験を買う必要がある」そうです。「度返し」はたぶん「どがえし」と読みます。

要約:Executive Summary

  1. Twitter世間には「度返し」する人がいます。
  2. 8/19~8/25の7日間で、合計50回ばかり「度返し」されていました。
  3. 「返す」の概念がふんわりしているところに「度」の語感が加わって「度返し」が生まれたのかなと考えます。

今週の2大「度返し」(2019/08/19~2019/08/25)

8月19日(月)から25日(日)1週間の「度返し」ツイートを収集し、何が度返しされているかをカウントしてみました。

同じ内容がくり返し投稿されていたbotっぽいアカウントからも、1回限りで採集しています。

7日間で合計50の「度返し」が収集できました。

第1位:利益(7回)

最も度返しされていたのは、利益でした。

7回でしたので、単純計算で1日1回度返しされていたことになります。

第2位:採算(6回)

次に度返しされていたのは、採算です。1位と僅差の6回でした。

「度返し」勢力図は群雄割拠

利益と採算が「度返し」の二大勢力だとわかりました。

あとは使いみちが割れていました。ここらが2回で続く「第2グループ」となります。

効率(2回)

手間・コスト(2回)

何もかも・全部(2回)

人生いろいろ 「度返し」いろいろ

あとは1回ずつです。

ざっくりとグループ分けしておきます。

カネ勘定的な何か

カネ以外の勘定的な何か

直接はカネの絡んでいない勘定に関する「度返し」たちです。

その他もろもろ

以上、全部で50の度返しをご紹介しました。

いやー、度返しって本当に面白いですね。

また来週、お会いしましょう(しない)。

「度返し」公安警察も捕捉済み

当ブログで取り上げるクリエイティブな日本語には珍しく、同じ期間に「度返し」ってなんだよとツッコむツイートも観察できました。

ご説ごもっともな面もあるのですが、ボケはボケとして承認してあげることが方向性としてハッピーだと考えます。文脈から「度外視」のことだと理解できているのですから。

飯間浩明さんへは、2015年4月の段階で既に「タレコミ」があったようです。

推定「度返し」人口は、多めに見積もって100万~200万人

むろん、検索すれば「度返し」よりも「度外視」の方が断然多くヒットします。

多すぎてきちんと数えていませんが、「度外視」の登場頻度は1時間あたりで10~30というところでした。「度返し」の方は1日あたり7~8回ですので、ざっくりの計算で度外視に対する度返しの出現頻度は1~2%になります。

以上のデータを元に、日本の人口すべてが日本語「度外視」「度返し」のいずれかまたは両方を使うとの仮定を加えて多めに見積もれば、「度返し」総人口は100万~200万人程度と推定できます。

考察:日本語の「返す」、概念として高度すぎる説

次のような興味深い分析をされている方もいました。

としてみると、「度返し」の「度」は「ど真ん中」や「ど根性」なんかの「ど」と同様の強調表現にも通じると解釈されているんですかね。なんでことごとく漢字の「度」表記なのか?って反論には弱いですけれど。

さて、ここからあらためて検討してわかったのは、日本語の「返す」という言葉の持つ概念が高度すぎて、時として一般人の理解を超えてしまうということでした。

次のケースから例証します。

レジでの「お返し」を考える

私ごとですが、平日の昼ご飯をだいたい職場近くのスーパーに買いに行ってます。

会計に並んでいますと、レジの人がいろんなものを返しています。

いわく

  • ポイントカードをお返しします。
  • ○○円(釣り銭)のお返しです。

などなど。

私の番が来ます。ポイントカードは持っていないし、支払いはいつもキャッシュレス(Suica)なので釣り銭もありません。でもほぼ毎回、最後にこう言われます。

  • レシートのお返しです。

心の中で「いや違うがな」と返すのもほぼ日課となっています。

順に検討してみましょう。

ポイントカードの場合

  1. 客が店員に渡します。
  2. 店員は読み込みなどの操作をして、客に返します。

物理的に見て、ポイントカードは客が持ってきた物体です。「お返し」で何の問題もありません。

釣り銭の場合

お釣りも「お返し」で違和感はありません。けれどもよく考えてみると不思議です。

  1. 客は支払いとして店員に現金を渡します。
  2. 客から預かった現金が代金より多いと、店員は客に釣り銭を渡します。

このとき釣り銭として「お返し」される紙幣や硬貨は、元々客のものではありません。店のものでした。なのになぜ「返す」なのでしょうか?

そう考えると、釣り銭の場合、ポイントカードとは「返す」の性質が違うことがわかります。

釣り銭の場合に本当は何が返されているかというと、紙幣や硬貨という物体そのものではなく、一時的に

支払い額>買い物代金

となっていることによって店側に生じた一種の「負債」です。負債が釣り銭によって返されているという関係です。つまり釣り銭の「お返し」とは、物理的な何かを言っているのではなく、概念上の操作を指していることになります。

レシートの場合

先ほど、レシートの「お返し」は違うだろと毎回心の中でツッコんでる、というように述べました。

  1. 私はお昼ごはんを買って、Suicaで支払います。
  2. 品物とレシートを受け取ります。
  3. そのとき店員は「レシートのお返しです」と言います。

なんでやねん。

私は買った品を「返して」もらっていないのと同じように、レシートを「返して」もらっているのではありません。

買った昼飯もレシートも、元々私のものではありません。さらに釣り銭のように、レシートについて私が店に対して何らかの「貸し」が生じているとみなすのにも無理があります。

それでも店側に「レシートは概念としてお返ししているのです」と主張されると、対抗するのは困難です。ここからあれこれ議論をシミュレーションしてみましたが、分が悪かったです。

いずれにしろひとつ確実に言えることは、私が昼食を買いに行くスーパーのレジの人にとっては、ポイントカードや釣り銭と同じく、レシートも客に「お返し」する部類のアイテムだということです。

そして次のケースで、「レシートのお返し」という認識を崩すことが至難の業であると思い知らされました。

ケース2:骨を土に返す

三省堂国語辞典(第七版)で「返す」を引いてみますと

もとあった〈ところ/状態〉にもどす。

との語釈とともに

骨を土に返す

という用例がありました。私はこれを見て、思わずはぁ~~と深く息をついてしまいました。すごく面白く、かつ厄介な表現だったからです。

骨は土からできていません。土からはどうやっても骨は作れません。にもかかわらず、骨は土に「返す=もとあった〈ところ/状態〉にもどす」んです。なんということでしょう。

骨を土に「お返し」できるのは、概念、もう少し踏み込んで述べれば日本人の宗教観のなせるわざに思えます。

まとめ

あらためて考えてみると、日本語の「返す」は相当に高度な概念でした。

これまで返すのことをずいぶんと侮っていました。これでは「度外視」が数%の確率で「度返し」になってしまうことにも理があります。

「度返し」ってなんだよと笑っていた頃の私たちは幸せでした。

普通の日本人に戻りたい(ウソ)。

微笑がえし(1978)
キャンディーズ
¥250

おわり

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