こんにちは。爆笑ヨーグルト姫です(ウソ)。
※stardust.co.jpより(2017/10/11付)
皆さん、爆笑できていますか?
ひとりだとつい爆笑するのをためらってしまう。なんてこと、ありませんか?
素直に爆笑できず、どこか自分に言い訳してしまってはいませんか?
ちょうどこんな具合に。
爆笑してる(誤用)
— (精神が)腐ったおすし (@osushi_oec) 2017年9月16日
テンプレすぎて爆笑(誤用)してる
— 大志(わたあめ研究会@一橋祭) (@boujakubujinn) 2017年10月15日
爆笑(誤用)
— 水昌 (@sui_show) 2017年10月19日
爆笑してる(誤用)
— 角ちゃん (@railgunindex545) 2017年10月24日
いま、ひとりでは素直に爆笑できないでいる人たちにどうしても伝えたくて、この記事を書きました。
そんな言い訳は要りません。たとえひとりぼっちでもどうか安心して、堂々と爆笑してほしい。
結論
「爆笑」は、おひとり様からできます。何も問題ありません。
何の気兼ねも言い訳も要りません。「誤用」とか言うヤツもうGood Nightです。
皆さん、安心しておひとり様から存分に爆笑してください。大丈夫です。ニセ爆笑ヨーグルト姫の私が保証します。
むろん、みんなで爆笑しても全然OKです。念のため。
この記事で言いたいこと
この世間には
- 「爆笑」は大勢でするもの。
- 「一人で爆笑」は誤用であり、不適切。
と主張する人がいます。
名づけて「爆笑全体主義」です。
爆笑ものです。
「爆笑全体主義」との付き合い方
爆笑は「大勢が本来」「ひとりに使うのは誤用」とか言って爆笑全体主義をふりかざすもの言いを見かけたときは、にやにやと半笑いで見守ってあげましょう。
爆笑ものだけど、にやにやで。
「爆笑警察」の撃退法
あなたが「一人で爆笑」しているとき、誰かが「誤用だ」と取り締まりにやって来るかもしれません。
でも、大丈夫。言いがかりです。とんだ濡れ衣です。
そんなときは、背中のすすけた「爆笑警察」の方々にひと言
「なんで?」
と尋ねて、お引き取り願いましょう。
補説
たとえて言えば、「爆笑警察」の面々は、法的手続きを一切無視し、逮捕状も捜索令状も持たず手ぶらでガサ入れに来ているのに等しいのです。そんなことがまかり通るのは、狂った社会だけです。
ひとつ自白しておきますと、実は私自身がつい最近まで「爆笑全体主義」に染まっており、他人の爆笑にゾンビのごとく噛みついたりはしないまでも、単独での「爆笑」を長く自粛しておりました。それも今となっては爆笑ものです。
この記事に書くこと
ひとりで爆笑「できる」、その根拠を示します。
論証:ひとりで「爆笑」できるもん!
「ひとり爆笑問題」、学術的な結論は「できる」です。既に事実上の決着が付いているのです。ついぞ知りませんでした。
というのも、「できる」「できない」両方の説を検討すると、論理的にも歴史的にも理に適っているのは、「できる」側の主張だけだからです。
ポイントは次の3つです。
- 【論理的観点】単独での「爆笑」を排除できる合理的理由がない
- 【歴史的観点】文献に見える当初から「ひとりで爆笑」の用例がいくつも存在する
- 【地政学的観点】台湾も韓国も「爆笑」する人数は自由
詳しくはこのあと順を追って論述してゆきますが、ここで最初にひとりで爆笑「できる」側の私から、観点ごとに「できない」説へ疑問を呈しておきます。
「できない」と主張する側は、当記事で紹介した以上の「手札」は何も持っていないように思いますが、答えられますでしょうか?
- 【論理的観点】なんで「ひとり爆笑」がダメなの? 「爆」のつく熟語のうち「爆笑」以外に「ひとりではNG」って、ある?
- 【歴史的観点】1930年代当初から「ひとりで爆笑」できたのに、なんでここに至って制限するの? どういう心境の変化?
- 【地政学的観点】台湾語も韓国語も今なお「爆笑」する人数は自由なのに、日本語の「爆笑」だけなんでソロ活動を禁じたいの? どういう了見?
また、読者の皆さまにはひとつお願いがあります。もしもどこかで、検討に値するような「できない」派の学説に万が一にも遭遇した際には、当方までご一報をいただければ幸いです。
1.「ひとり爆笑」問題の対立軸
「ひとりで爆笑」について、まず「できる」「できない」の両説を簡潔に紹介します。
「できる」説
「できる」説のエッセンスは、
〔笑う人数が問題にされることが多いが、もともと、何人でもよい〕
とする、『三省堂国語辞典・第七版』「爆笑」の注釈に集約されています。
爆笑ヨーグルト姫(ウソ)もこの説を支持します。
別途、参照した各種情報をまとめておきました。リンクの紹介をもって謝意の表明といたします。
一人でも「爆笑」できる資料集【支持者のおぼえ書き】(2017/11/22)
「できない」説
他方、ひとりで爆笑「できない」説は、私の見るところでは
ばくしょう【爆笑】
(名)スル
大勢の人が一度にどっと笑うこと。大辞林 第三版の解説|コトバンク
などの国語辞典の記述が出どころのようです。
手持ちの辞書を引いてみても、3種類すべてで「爆笑」を
大勢が大声でどっと笑うこと。
『広辞苑 第五版』(1998, 2006)
大勢が声をあげていっせいに笑うこと。
『明鏡国語辞典』(2002-2004)
おかしな話を聞いて、その場に居る人が一斉にどっと吹きだすようにして笑うこと。
『新明解国語辞典 第四版』(1991)
と、どれも「大勢」「その場に居る人」が「どっと」「一斉に」するものと説明しています。
「爆笑全体主義」の起原
明示的には禁止されていなくても、複数の辞書に「大勢で」と書かれていれば、「一人で爆笑しちゃダメ」と受け取ってしまうのも無理はありません。
実際、受け取って発信しちゃってる人たちがいます。
テレビを見ていて一人で爆笑はできません! 本当の意味とは
「爆笑」は「大勢の人が一斉にどっと笑う」ことを言います。
出典:コトバ解説:「大笑い」と「爆笑」の違い|毎日新聞(2014/07/01)付
そのまま教科書に載りそうな「爆笑全体主義」です。新聞界には、こうした「爆笑全体主義」が蔓延しているようです。
ある爆笑全体主義者は、「考え方は読売新聞に相当詳しく書いてあるから熟読していただきたい」と言いました(言ってない)。
熟読すると、考え方がほどほどに詳しく書いてありました。
*爆笑 大勢がどっと笑うこと。一人で大声を上げて笑う場合に使うのは不適切。
出典:『読売新聞用字用語の手引 第5版』(2017)「誤りやすい慣用語句、表現」p.387
こんな具合ですから、スポーツ紙はまだしも、ひとりで爆笑している一般紙はまれです。当方でネット検索した範囲では、各紙の「爆笑」の用例はどれも大勢での爆笑でした。
「爆笑全体主義」への疑問
以上を「諸説あります」とまとめるわけにはいきません。その点強調しておきます。
というのも、ひとりで爆笑「できない」説には、爆笑を「大勢」に限定できる根拠がどこにも見当たらないからです。
だから「できない」派に聞きたいのです。
なんで「大勢」限定なんですか?
なんで?
普通の人には「嘘も100回聞けば真実」
ひとりで爆笑「できる」説を唱える『三省堂国語辞典』、その編集委員である飯間浩明さんは、あるWeb連載でこのように書かれています。※下線は引用者。以下同じ
しばらく前から、「『大笑い』はひとりの場合に、『爆笑』は大勢の場合に使う」という説を、テレビなどで見るようになりました。「ひとりで爆笑」は誤りだというのです。
これは根拠のない説です。
出典:「居眠り・うたた寝」「爆笑」|分け入っても分け入っても日本語(18)|Webでも考える人(2017/05/11付)
爆笑ヨーグルト姫(ウソ)の私もこれを支持します。
けれどもひとつ苦言を呈すと、「根拠のない説」との書きぶりは、あまり普通の人たちに寄り添ったものには思えません。なぜなら、普通の人々にとっては「誰かが書いていた/言っていた」だけで十分に根拠となりうるからです。
普通じゃないとよく言われる私でも、別の場面では「辞書に書いてある」を根拠にすることはままあります。ましてや普通の人ならば推して知るべしでしょう。
俗に「嘘も100回言えば真実となる」と申します。たとえ嘘八百のでたらめでも、これだけあちらこちらでくり返し見聞きすれば、普通の人ならうっかり本当かと思ってしまうのも無理のない話です。
参考:『ゲッベルスは「嘘も100回言えば本当になる」と言った』というのは嘘|techpr.jp: できない、困って→問題解決(2011/06/22付)
2.「爆笑全体主義」の不合理
大勢による爆笑のみを「正統」とし、ひとりでの爆笑を「異端」視したあげく、できない・誤用だ・不適切だと排除する爆笑全体主義。
いちばんの問題は、明に暗にこの主義を信奉する「爆笑全体主義者」の存在は確認できても、爆笑全体主義を支える理論的支柱が何ら見あたらないことです。
すなわち、ひとりで爆笑「できない」とする爆笑全体主義の主張には、学術的根拠がまるで認められないのです。
群れを嫌い、権威を嫌い、束縛を嫌い(←なに門未知子?)、
- 論理的観点
- 歴史的観点
- 地政学的観点
これら3つの観点から、爆笑全体主義の不合理を述べてゆきます
(1)論理的に不合理
爆笑は「大勢」限定。「ひとりで爆笑」は誤用、不適切。
納得できませーん。
まったく筋が通りません。
もし、ひとりの「爆笑」がNGならば、同じく「爆」を比喩的に使ったこれらの場合はどうなるんでしょうか?
- ひとりの金持ちが「ここからここまで全部」とやるのを「爆買い」と呼ぶこと
- 『湘南爆走族』2代目リーダー江口洋助がひとりオートバイで走るのを「爆走」と呼ぶこと
- 教室や列車内や助手席などでひとりどっぷり眠る誰かのさまを「爆睡」と呼ぶこと
- 松坂季実子さんの単体出演作のタイトルに「爆乳エンゼル・乳淫感者」と付けること
これらもまた誤用であり、不適切なのでしょうか?
乳房は2つあるから爆乳でOK。そういう話なのでしょうか?
(2)歴史的にも不合理
ひとたび「爆笑全体主義」に冒され重症化すると、人はこんなことを言いだします。
「○○さんが爆笑しながら見ている」。違和感なく読めてしまいますが、爆笑は本来「大勢の人が笑うこと」なので「大笑い」に直しました。元々は大勢がすることなのに1人がしても使われがちという意味で「乱入」「輩出」と同じですね。〔ゆ〕
— 毎日新聞・校閲グループ (@mainichi_kotoba) 2011年12月14日
大勢が笑うのが本来?元々?
同意、いたしません。
爆笑ものです。
「爆笑」の真相
結論から述べると、「爆笑」の歴史的事実は次のとおりです。
- 「爆笑」は昭和初期、1930年代前半に一般化した語
- 当初から「ひとりで爆笑」できた
なお、上のツイートで同時に言及されている「乱入」「輩出」のことは関知しません。
私、失敗しないので(ウソ)。
爆笑!「爆笑」90年史
平成の「爆笑」王、飯間浩明さんの前掲のエッセイからです。
(1)昭和期に一般化
「爆笑」はそう古いことばではなく、昭和時代に入ってから広まった新語の一種です。
出典:「居眠り・うたた寝」「爆笑」(2017/05/11付)
追跡調査してみると、だいたい同感です。
国立国会図書館デジタルコレクション
収録の国語辞典『言海』『大言海』『大日本国語辞典』『大辞典』のどれにも「爆笑」は見あたりません。いずれも明治~昭和戦前期の辞書です。
ちなみに、平凡社『大辞典』(1936)収録の「バクショー」は、「幕将」「爆傷」の2語です。
後者「爆傷」の説明が妙に詳細で笑えます。笑いごとじゃないけど。
同じく、国立国会図書館デジタルコレクションの所蔵資料で言えば、書名に「爆笑」が登場するのは1930年代前半、昭和ヒト桁の頃です。
- 矢沢健三『執務漫談 警官の爆笑』(1931)
- 万歳演芸協会編『爆笑万歳大会』(1934)
- 安藤十九木『エノケン爆笑伝』(1935)
などに、爆笑の語が見られます。
新聞記事文庫(神戸大学経済経営研究所)
明治末~昭和前半の新聞記事スクラップがデータベース化された「新聞記事文庫」をあたってみました。
同文庫で「爆笑」を検索すると、最も古い用例は1931年のこの記事でした。
しかし結局偉大なナンセンスに接しても決して爆笑出来ないわれわれの、よほどアフリカが染みついたものと見えます
出典:新聞記事文庫 > アフリカの心臓部へ【第三信】(六) 「民踊」の夕べ 太鼓の音につれて|大阪毎日新聞(1931/07付)
青空文庫
青空文庫収録作品から探しますと、やはり用例が見つかるのは1930年代以降です。で、
昭和八年度は、活躍開始の記憶すべき年だった。一月七日から公園劇場で喜劇爆笑隊公演に特別出演し、[後略]
出典:古川ロッパ昭和日記 昭和九年(1934)
という用例があることからすると、「爆笑」は演芸業界、寄席の席亭あたりが使用例のはしりだったみたいで、「興行ビジネスでの煽り文句」が普及に貢献したとみてよさそうです。であるならば、その点は「爆乳」と同じですね。
またあるいは、
分類の基準は雑然としておりますが、思いつくままに挙げて見ます。(略)それから「嘲笑い」「嘲笑」、「大笑い」「哄笑」「爆笑」などという新語もあります。
出典:岸田國士「笑について」(1954)
との証言もあります。戦後、1950年代のこのテキストで「爆笑」は新語扱いです。なお「哄笑」は宋代11世紀の漢詩に用例がありますので、ここで新語と認識されているのは「爆笑」だけと解して差し支えないかと思われます。
(2)当初から「ひとりで爆笑」できた
引用つづき。
意味は「吹き出すように大きく笑うこと」。当初から、大勢の場合にも、ひとりの場合にも使われました。
出典:「居眠り・うたた寝」「爆笑」(2017/05/11付)
青空文庫
近代の文章を集めたインターネットの「青空文庫」で「爆笑」を検索すると、ひとりで笑っている確実な例がいくらでも出てきます。
出典:同
ということで、青空文庫から間違いなくひとりで爆笑している用例集です。極力古めの用例をピックアップしました。
そして彼は陰欝に爆笑した。
――徳田秋声「街の踊り場」(1933)
彼は不機嫌な顔をしてゐる
ときどき大きな声で爆笑する、――小熊秀雄(1901-1940)中期詩篇「新らしい青年へ」
が、それに横蔵は、波浪のような爆笑をあげた。
――小栗虫太郎「紅毛領域」(1935)
しかし、事態を悟ったグレプニツキーは、意外にも、安堵(あんど)したような爆笑を立てた。
――同
ことごとくひとりで爆笑しており、大変すがすがしいです。
新聞記事文庫
新聞記事文庫にも、「ひとりで爆笑」が濃厚な例がありました。2つ紹介します。
まず、座談会の模様を収録したものです。
高田氏 こんどは魚がとれ過ぎて魚を買上げるか(爆笑)
安藤氏 さういふ風に行けば簡単に行きますな
出典:米の問題座談会(八)|大阪朝日新聞(1934/02付)
この記事の(爆笑)は、同席した各位の反応ではなく、発言者の高田氏(高田耘平・衆議院議員)当人の爆笑と解釈してよいかと思われます。だいいち、面白くないし。
ちなみにこの直前の部分では
上山氏 四面海ですからそれなら簡単ですね(笑声)
梅原氏 (略)仙台米がどの位東京湾の魚の飼料になつたか分らない、魚に食はせるとその魚がうまい、その魚をお菜にして食へばうまいから余計飯を食ふ(笑声)
と、(笑声)表記となっております。
2つめ。こちらは確実に「ひとりで爆笑」です。
これがプールかと齋藤君に話しかけてゐる横から少佐[引用者注:海軍兵学校の体育課長]は
(略)
近く全国の体育団体から派遣の若手選手をコーチしてもらうことになってゐる当分は帰れないと覚悟してゐてほしい
とリオ・デ・ジヤネイロの空の如くほがらかな爆笑だ、
出典:新聞記事文庫 > 日伯親善の楔/水泳使節・本社の齋藤巍洋君/ブラジルでも大もて|東京日日新聞(1935/06/04付)
中間まとめ
以上から、「爆笑」の歴史的事実は
- 1930年代に使用例が増え一般化し、
- かつ、当時からひとりでも爆笑していた
とわかります。
よって、「爆笑は本来大勢で」云々はすべて嘘・妄言です。
くり返します。「爆笑は大勢でするのが本来」って、まったくのウソ!
(3)地政学的にも不合理
前項で見たとおり、「爆笑」は1930年代に一般化した言葉でした。となると気になるのは、現在の近隣諸国です。
当時大日本帝国の領土だった「外地」では今、「爆笑」はどういう意味になっているんだろうか?
そう思って、それぞれ1, 2例ではありますが、台湾と韓国のオンライン辞書で「爆笑」を引いてみました。
結論から言えば、かつての外地の辞書で見る「爆笑」の人数は自由でした。なんの束縛も認められません。
台湾の「爆笑」は「突然大笑」
台湾の国語辞典には、こう書いてありました。
字詞 【爆笑】
釋義 突然大笑。
出典:教育部重編國語辭典修訂本・「爆笑」|dict.revised.moe.edu.tw
用例は大勢でする爆笑のようですが、語釈は「突然大笑いする」と解して問題ないでしょう。語釈あるいは人数の要件に関してトラップはないかと思います。
韓国の「爆笑」は「突発的に相次ぐ激しい笑い」
次は韓国語です。「爆笑」をGoogle翻訳で韓国語に翻訳すると「폭소(bogso)」でした。この語を韓国のオンライン国語辞典で引いてみます。
폭소 「001」「명사」웃음이 갑자기 세차게 터져 나옴. 또는 그 웃음.
出典:폭소|opendict.korean.go.kr
何書いてあるかちょっとよくわかんない。
ハングル読めないんだった。
そこでChromeのコンテキストメニューから「日本語に翻訳」を選んだ結果がこちら。
爆笑 (略) 笑いが突然激しく相次ぐ。またはその笑い。
だそうです。人数には一切触れていないので、任意でよさそうですね。
また、別サイトのKorean-English辞書にはこう書いてありました。
폭소 burst of laughter, uproarious laughter
出典:폭소|wordreference.com
こちらも「突発的な笑い」「とても大きな笑い声」と述べているのみです。
極東アジア「爆笑」ストーリー
以上から推測できる最も無理のない極東アジアの「爆笑」ストーリーは、次のとおりです。
- 「爆笑」は日本列島で生まれ、1930年代前半に一般化した
- もともと爆笑する人数は何人でもよく、おひとり様でも大勢でもOKだった
- 「爆笑」は当時大日本帝国の「外地」だった台湾と朝鮮でも使われた
- 台湾・韓国の両地では当初の意味が今もそのまま引き継がれて残っている
- ところが日本では、昭和20年代以降に「爆笑」を「大勢で一斉にする笑い」に限定する「爆笑全体主義」がおこった
- 爆笑全体主義に冒された爆笑全体主義者が、ひとりでする爆笑を「誤用」とか「不適切」とか言い出した
- そんなわけない ←いまココ
爆笑!goo国語辞書・デジタル大辞泉の「爆笑」
既に述べたとおり、爆笑の主体を「大勢」に限定する「爆笑全体主義」には、有効そうな学術的根拠が何ら認められないのです。
そこをふまえると、今回最大の爆笑ものだった国語辞典の「爆笑」の説明は、goo国語辞書の「爆笑」です。
大勢の人がどっと笑うこと。また、その笑い。
出典:爆笑(ばくしょう)の意味|goo国語辞書(デジタル大辞泉)
おなじみ、爆笑全体主義です。ここは似たり寄ったり。爆笑ポイントはこちらです。
[補説]近年、一人または数人が大声でわっと笑うことの意でも用いられる。
ほんと爆笑ものです。いや、爆笑しちゃいけませんかね。にやにやの半笑いに抑えておきます。
同意、いたしません。
ここまで述べたとおり、学術的に最も有力な説は「もともと、何人でもよい」です。認識が二重に誤っています。
goo国語辞書では「2人」が「大勢」
goo国語辞書には青空文庫収録作品からピックアップした例文が付いています。3つ挙がっている「爆笑」の例文のうち、3つめが実にいいんですよね。これです。
・・・もっぱら談話をリードしているその中の一人が何か二言三言言ったと思うと他の二人が声をそろえて爆笑する、それに誘われて話し手自身も愉快そうに大きく笑っている。
――寺田寅彦「三斜晶系」
出典:ばくしょう【爆笑】の例文|goo国語辞書
出典の出典:寺田寅彦「三斜晶系」(1935)|青空文庫
前掲の補説も盛り込んで総合すると、goo国語辞書版・デジタル大辞泉としては、2人は「大勢の人」で、今から80年以上前の1935年は「近年」だということですね。
にやにやと半笑いで承ります。
まとめ:ひとりから「爆笑」できる自由主義を!
ここまで専門医のライセンスと叩き上げのスキルだけを武器に(ウソ)、論証を重ねてきました。
というわけで、爆笑は「もともと、何人でもよい」のです。
「爆笑は何人でもよい」という「爆笑自由主義」の考え方は、飯間浩明さんの著書にも相当詳しく書いてありましたので、爆笑全体主義に冒された皆さんもぜひ、熟読してください。
第二章の《4・ひとりでもできる「爆笑」》がそれです。
なお同書では、爆笑全体主義の起原は「辞書編纂者の不注意ないし誤解によるもの」との見解です。
「爆笑」ユートピア・クドカンワールド2017
偶然にも、今期(2017年10-12月)放送のテレビドラマに「爆笑」の理想郷がありました。宮藤官九郎さん脚本の火曜ドラマ「監獄のお姫さま」です。
事件当時、繰り返し流された映像から“爆笑ヨーグルト姫”と呼ばれている。
※江戸川しのぶ 人物詳細|TBSテレビ・ドラマ『監獄のお姫さま』より
爆笑ヨーグルト姫は、ひとりで爆笑しています。
※『監獄のお姫さま』完全ガイド☆ドラマの見どころ&出演者の素顔に迫る!! 女囚&美男子たちの座談会【TBS】|TBS公式YouTuboo(2017/10/17付)より
また、たとえば第6話【決意と約束】(2017/11/21 OA)では、勝田千夏(菅野美穂さん)の
「もう1回あんたの爆笑見たいからね。っはは」
というセリフもありました。
完全に、ひとりで爆笑「できる」世界です。
にもかかわらず、ネット世間には不思議と「爆笑ヨーグルト姫の爆笑は誤用・不適切」とか指摘してくる「爆笑警察」が出動した痕跡が見つかりません。謎です。
あるいはひょっとすると、それを「不思議」「謎」と感じる方がおかしいのかもしれません。
たとえば私の嫁は「爆笑全体主義」の存在すら知らず爆笑していました。
爆笑ディストピアを「更生するぞ」
脚本の宮藤官九郎さんが「爆笑全体主義」の存在を承知しているか否か、そこは定かでありません。
また「監獄のお姫さま」は現在放送中の番組ですから、爆笑ヨーグルト姫こと江戸川しのぶが「冤罪」だと確定してもいません。冤罪のセンでストーリーが進んではいますが、土壇場での「どんでん返し」の可能性も残されています。
しかし、「ひとりで爆笑」に対する誤用だの不適切だのの指摘は、完全な冤罪事件、濡れ衣です。当記事でるる述べてきたとおり、これは事実上の確定事項です。
ここで今一度、爆笑全体主義を信奉している皆さまにおたずねいたします。
なんで爆笑は「大勢」限定なんですか?
なんで?
もしも、当記事の議論をふまえたうえでなお何の学説もなく手ぶらでやって来るのならば、それはもはや学問の範疇ではありません。弾圧です。
にやにやと半笑いで対抗します。
こちらからは以上です。
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