200回の意味―小保方晴子さんの会見に思う(2)

こんにちは。

この記事で言いたいこと

4月9日の記者会見で小保方晴子さんがSTAP細胞の作製に成功した回数として挙げた「200回」という数字。

これ、数量記述ではなくて「たくさん」程度の意味でしょう。200の値に厳密さはありません。そう思います。

仮説ですが、こういう「200」の使い方を、彼女は英語表現から覚えて使ったか、従来の日本語表現を控えめに使ったかのどちらかです。

いずれにしろ、割り引いて承っておく話でしょう。

具体的な数値と解釈してのツッコミは筋が悪いと思う

4月9日の記者会見で、小保方晴子さんが質問に「STAP細胞は200回以上作製に成功しています」と答えられていました。

これに対し、研究者らサイエンス界隈からは、「1週間かかるのに?」「実験器材は?」「そのときの実験ノートは?」「データは?」といったツッコミが出ています。

正当な疑問ではあるのですが、僕はこれは、ツッコミとして筋が悪いように思えます。200という数字に踊らされているからです。具体的な数値が出てくるとついつい厳密にいきたがるのは、理系アタマの悪い癖です。

ここまでで、彼女がデータの取り扱いもずさんなおぼこい研究者であることは明らかになっているはずです。自分たちと同じ基準が適用できるはずがないではありませんか。

ですから「200」の数値を前提としてその方面であれこれ進めても、厳密な値ではないやら何やらで、いくらでもエクスキューズできます。

「回」「成功」の定義も不明

「回」「成功」にしても、定義が不明確です。同じく手筋が悪いです。理詰めで疑義を呈しても、そういう意味で使ったのではないとなるからです。

イッた回数を聞くようなもの

非常にゲーセワなたとえですが、それはあたかも、セックスの後で女性に「何回イッたか」を尋ねているようなものです。「回」も「イッた」も、定義を明確にしていないと検証不可能ですし、仮に申告結果と観察結果が一致していても、演技されていれば嘘を見抜くのは困難です。

セイコウ違いもはなはだしいお話で失礼しました。成功回数の話に戻します。

「200回」とは「たくさん」の意味

過去の新聞記事をリンクで示し、小保方さんのいう成功回数「200回」とは、単に「すごく多い」の意味では?と指摘するツイートを見かけました。リンクされていたのはこちらの記事です。 ※下線引用者

大学院生だった08年夏。半年間の予定で米ハーバード大の幹細胞研究の権威、チャールズ・バカンティ教授の研究室に留学した。帰国が迫ったころ、小保方さんは「骨髄細胞を使った幹細胞の最新研究」について発表することになった。1週間ほとんど寝ず、関連する論文約200本を読んで、発表に挑んだ。

毎日新聞:万能細胞:祖母のかっぽう着姿で実験 主導の小保方さん(2014/01/29付)

僕もその見解を支持します。きっと「たくさん」を言いたいときに、彼女はこうなるのでしょう。

「200回」の由来―2つの仮説

小保方さんの「200回」はどこからきたか。2つの仮説を示します。

仮説1:英語で覚かた?

1つめの仮説です。小保方さんがもし「200回」を「たくさん」の意味で使っているのなら、彼女はそういう表現を英語から覚えたのではではないかと思います。

というのも、僕はこの種の「200回」を、オーストラリアで聞いたことがあるからです。

以下、老人の昔話です。

オーストラリアで聞いた「200回」の思い出

20年前、生まれて初めての海外旅行でオーストラリアに行ったときのことです。

オプショナルツアーの半日体験コースで、水上スキーをしました。川だったか湖だったか、とにかく淡水の場所でした。水はしょっぱくなかった記憶があります。

1~2時間の講習でまっすぐにだけは立ち続けられるようになりましたが、そこまでボートに引っ張られーの、ひっくり返って水飲みーのをくり返したせいか、車酔いのような症状になって気分が悪くなり、胃薬をもらって水辺のクラブハウスでしばらく休んでいました。

そんな僕の目の前では、地元の10歳ぐらいの女の子が、モーターボートと一緒にすいすいと行ったり来たりしています。

戻ってきたその女の子に「上手だね。今まで何回ぐらいやってるの?」と聞いたその答えが

「200回」。

「たくさん」のつもりか、あるいは本当にカウントしてのその数なのか。どちらにせよ日本では聞いたことのない面白い答え方だなあと印象に残って、もう20年前のことですけどよく覚えています。

あのときの女の子も、健在なら今頃小保方さんぐらいの年格好になっているはずです。

英語での用例は珍しくなさそう

調べてみると、英語で「200回」を「たくさん」の意味で使う例はありました。

米国英語コーパスのCOCAで「200 times」を検索してみると、162件ヒットしました。その用例のなかから、必ずしも厳密に「200回」ではなさそうなもの、または、むしろ「たくさん」の意味に解釈できそうなものをいくつか引用します。

My own father raped me. I know it happened at least 200 times.(ABC_Nightline, 2010)

I read this book to my daughter maybe 200 times. (Houston, 2009)

Susan thought her husband was still alive, even though she’d just stabbed him 200 times (CBS_48Hours, 2008)

It was a familiar one. I’d heard it at least 200 times.(Bk:FidelityFiles, 2008)

I must have had my picture taken 200 times, (Chicago, 2007)

I always wonder why people think that, because something is said 100 or 200 times, it’s necessarily true.(CNN_Talkback, 2003)

Hans, do you remember — and he has told this story to you about 200 times.(CNN_Chung, 2002)

といった具合です。

ざっくり10~15件に1件ぐらいはこんなニュアンスですので、とりわけ珍しい使い方でもなさそうです。

今年(2014年)で建国238年の国ですから、200という数字はアメリカ人にとって「たくさん」のひとつの通り相場なのかもしれません。

どの程度ポピュラーな言い方かを判断するには、類似表現との使用頻度の比較などさらなる検証が必要ですけれども、ここでは「英語圏ではそういう意味で使う例も珍しくなさそうだ」という点だけを述べておきます。

仮説2:日本語ではるこ?

もう1つの仮説は日本語由来です。それをつつましい大和撫子の美徳と呼ぶとこじつけになりそうですが、控えめに割り引いて使った説です。

日本語の八は「たくさん」の意味

「たくさん」を表現する際に数字を使うパターンは、日本語にもあります。

うち、最もポピュラーな数字は8でしょう。

  • 八重桜
  • 八百屋
  • 大江戸八百八町
  • 千代に八千代に
  • 八百万の神々

などなど、どれも意味は「たくさん」です。8という値自体にさほど厳密な意味はありません。

数字を4倍「盛る」日本語表現:八重歯

中には、表現が実態よりも「水増し」されるケースも実在します。「八重歯」です。

重なって生えている歯を「八重歯」といいます。しかしその歯を観察してみれば、八重ではありません。二重です。

4本生えれば八重歯かもしれませんが、1本でも八重歯です。

表現が4倍盛られています。4倍に水増しされています。

反対に4分の1にした説

二重なのに「八重」歯と言うケースを彼女が意識したわけではないでしょうけれど、「200」という数字は、反対に元の数字の4分の1にまで割り引いた結果じゃなかろうか。そう見ています。

嘘八百じゃ多すぎるので、4分の1ぐらいに配合しておいたんじゃないかと。

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ドラえもんフィギュア:帰ってきたドラえもん
※画像は、のび太のくせに生意気だ!|三線中毒日記♪(2011/03/17付)より

こちらからは以上です。

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