同級生を考える(2):正岡子規は「同学年」の意味で使っていた―「同級生」原理派への反論

こんにちは。用件はタイトルのとおりです。

同級生を考えるシリーズの後編です。6000字を超える長文となりました。

前回までのあらすじ

  1. 「同級生」の3階層
  2. 原理派的「同級生」判定―有名人の事例から
  3. 「同級生」原理派は正統か?
  4. 「同級生」のルーツを求めて
  5. 20世紀初頭の「級」の揺れ

のうち、1.2.について述べました。

巷間で用いられる意味としては最も狭い「同じ学年&同じ学校&同じ学級」のみを「同級生」ととらえる一派を、便宜的に「同級生」原理派と呼んでおきました。

そのつづき、3.4.5.を述べていきます。

結論:明治期の「級」は「学年」のこと

本稿での検討を経た結果、次の説が導かれました。

明治30年代半ば=20世紀初頭、「級」はもっぱら「学年」の意味だった。

正岡子規がそういう使い方をしているのが確認できるからです。

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正岡子規(1867-1902) ※近代日本人の肖像|国立国会図書館 より

以下、順に述べていきます。

パート3.「同級生」原理派は正統か?

「学年・学校・クラスが同じ」以外を「同級生」と認めない「同級生」原理派の“教義”は、はたして正統(正当)なのでしょうか。そこを検討していきます。

感触としては、どうもその正統(正当)性は危ういです。

「同級生」原理派のみなさん

「同級生」原理派は、テレビ局方面に多く見られます。

ネットで確認できた具体例としては、ざっと次のあたりです。肩書きは、引用元での表記どおりです。

※以下、いずれも下線は引用者

1)高井一さん(東海テレビ編成局専門局長)

ブログ・空言舌語(tokai-tv.com)でこう述べられています。「言葉の揺れ」(2013/01/11付)より。

 「同級生」を同年齢の意味で使う例も増えました。本来は同じ学級のクラスメートを指す言葉です。

こういう見解ですので、

今では同じ学校の同学年だけでなく、出身校が違っても同い年なら「同級生」とします。これは誤用と判定したいですが、これだけ誤用が広がると「揺れている」とされるようになってきます。
 こういう「揺れ」は、言葉の使い分けの慣用を無視して手近な表現ですませようとする、いわば「手抜き」です。これまでの事例からすると、こういう「揺れ」が始まってしまうと、もう元に戻ることはありません。

という具合に、同級生の「揺れ」を誤用の広がりととらえ、好ましく思っておられない様子です。

2)梅津正樹さん(獨協大学非常勤講師・元NHKアナウンサー)

こちらのWeb記事

のなかで、次のように解説されています。

『同級生』は『同じ学級の生徒・クラスメート』という意味なので、同じ学年であってもクラスがちがえば同級生ではないのです

リンク先の写真を見て「ことばおじさん」としてミニ番組に出られていた方だと思い出しました。

「同級生」原理派への疑問

「同級生」原理派の方々が正統として唱える用法が、「同級生」の最も詳密な使い方であることはわかります。自身の「同級生」の用語法をふり返ってみても、ほぼこのルールで運用していたようにも思います。

しかし、原理派が掲げる「同級生」のみを真正の「同級生」とし、それ以外を「同級生」と認めない、その根拠はいったい何なのでしょうか?

僕はそこがまだわかりません。

ガイドラインも特になさげ

マスコミにはそんな内部規定でもあるのかしらと思い、「テレビ」の資料ではないですが、図書館へ行ったついでに共同通信社の『記者ハンドブック 新聞用字用語集』(2005)、『朝日新聞の用語の手引』(2007)の2冊を見てきました。いずれも「同級生」については特に何も触れていませんでした。

雑な結論

結論を先に述べると、上のおふた方については、先輩に教えられたことを同じようになぞって言っているだけの気がします。あしざまに言ってしまえば、薄弱な根拠で断言してしまっている老人の世迷い言です。

「同級生」中立派もいる

そう思うのは、マスコミ関係サイトのなかにも、探せば中立的な各論併記の記述も見られるからです。詳しくは後述しますが、有力な反証になりそうなものもありました。

1)NHK放送文化研究所

日付が2001年と古めですが、このような記事がありました。筆者の表記は(メディア研究部・放送用語 柴田 実)となっています。

NHKではほとんど毎年、10あまりの語について全国調査を行い、放送で使う優先度を決める参考にしています。

のだそうです。

出所:ことば(放送用語)>ことばは揺れているか(2001/01/01付)(nhk.or.jp)

「同級生」については、いままで調査されたことはありませんが、「同じ学級」の卒業生、同じ学校の「同学年」の卒業生、学校は違っても「同年齢」と様々な解釈が存在しているようです。

と、観察事実だけを述べている中立的な記述となっています。

2)毎日新聞・校閲グループ

「同級生」はクラスメートだけか|毎日ことば(2013/06/23付)とする記事がありました。筆者名の表記は【松居秀記】となっています。

国語辞典の引用が多くてGood!

この記事のいいところは、数多くの辞書から「同級(生)」の説明を引いているところです。のべ9種類が紹介されています。

しかし、「同級生」と、「生」をつけて見出し語にとっている辞書は少なく、「同級」という見出し語の用例として出てくることのほうが多いのです。(略)この書き方は多少微妙ですね。(略)「同じ等級」とは、「同じ学年」のこと、という理解も成り立ちうるような気がします。辞書も多少曖昧なわけです。

としたうえで、

現状、使われている実態からは、「同じ学年」の解釈を紙面から排除していくのは、かなり難しいと思われます。

と結論づけています。つまり、「同じ学年」が間違いとは言い切れないということです。

別の言い方をすると、実態ベースで判断すれば「同級生」原理派の主張には理がない、そんな結論です。

『新編大言海』での「同級」―原理派あやうし

前項では飛ばしましたが、先述の「同級生」はクラスメートだけかでは、『新編大言海』での「同級」の語釈が紹介されていました。

こちらが、原理派が“教義”とする論理への反証となる重要な記述です。※下線は引用者

◆新編大言海「【同級】(一)階級ノ同ジキコト。同ジ等級(二)同ジ学年」

と、むしろ「学級」の語がありません。新編大言海は、1937(昭和12)年までに刊行された「大言海」を、戦後の新仮名遣いにした以外は、ほとんど改変していないということですので、「同級」を「同じ学年」とする解釈は戦前からあった、ということになります。

小まとめ

「同じ学級」のみを正当(正統)とする「同級生」原理派ですが、その根拠は、いまひとつ明らかでないままです。

戦前からの流れを汲む『新編大言海』が述べていることに、対抗できていないからです。

パート4.「同級生」のルーツを求めて

ところで、なぜ『大言海』がそのような「同級(生)」の語釈を記載するに至ったのでしょうか。

そこを探るため、古い方へ古い方へと、「同級生」の用例を求めてみることにしました。

『大言海』にあるが『言海』にない「同級」 

くり返しますと、『新編大言海』は、1937(昭和12)年までに出された『大言海』を新仮名遣いにしたものといいます。

昭和初期の『大言海』の元になったのが、明治期の辞書『言海』です。その1904年の小形版が、ちくま学芸文庫で復刻されています。書店で見かけたので確認してみたら、そちらに「同級(生)」の項はありませんでした。

こちらは、国立国会図書館デジタルコレクション収蔵の原典版からのキャプチャです。「等級」はあっても、「同級」は見当たりません。

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※『言海』日本辞書 第1-4冊(大槻文彦, 1889-1891)

よって、「同級(生)」は、19世紀末~20世紀前半あたりで国語辞典に収録されるようになった言葉、という話になります。

青空文庫での「同級生」検索結果から

古い用例を求めて、青空文庫で「同級生」を検索してみました。

まず、恐らくはサイト内で最古の用例がこちらです。

内村鑑三『後世の最大遺物』(1897)

収録されている底本は、後年になって改版されたものですが、冒頭の「はしがき」によると、明治27(1894)年の講話が元になっている冊子のようです。

「たぶん最古」以外何も言えない

でもって、『後世の最大遺物』本文に「同級生」が登場するのは下の1か所だけです。

私は私の卒業した米国の大学校を去るときに、同志とともに卒業式の当日に愛樹を一本校内に植えてきた。これは私が四年も育てられた私の学校に私の愛情を遺しておきたいためであった。なかには私の同級生で、金のあった人はそればかりでは満足しないで、あるいは学校に音楽堂を寄附するもあり、あるいは書籍館を寄附するもあり、あるいは運動場を寄附するもありました。

この用例での同級生は、「同学年」「同じ学級」のどちらの意味にも受け取れます。特に何も言えません。

正岡子規『墨汁一滴』(1901)

「同級生」の意味するところがよくわかる用例は、正岡子規『墨汁一滴』でした。初出の年は1901(明治34)年です。(正岡子規年表|biglobe.ne.jp による)

(間接的に)よくわかる

ただし、「同級生」が何を意味するかがよくわかるのは「間接的に」です。詳細は後述します。

正岡子規の「同級生」

「同級生」の語は、現在の東京大学にあたる「大学予備門」の受験と入学後のエピソードが綴られている「六月十四日」の段に出てきます。つごう4回出てきますが、うち2つを引用しておきます。

以下、青空文庫『墨汁一滴』からです。※強調と下線は引用者

試験受けた同級生は五、六人あつたが及第したのは菊池仙湖(謙二郎)と余と二人であつた。この時は試験は屁(へ)の如しだと思ふた。

こちらは予備門入学後のエピソードです。

ある時何かの試験の時に余の隣に居た人は答案を英文で書いて居たのを見た。勿論英文なんかで書かなくても善いのをその人は自分の勝手ですらすらと書いて居るのだから余は驚いた。この様子では余の英語の力は他の同級生とどれだけ違ふか分らぬのでいよいよ心細くなつた。

これだけでは、先述の内村鑑三による用例と同じく、何とも言えません。

現代と「級」の使い方が違う正岡子規

この『墨汁一滴』でむしろ大事なのは、正岡子規の「級」という語の使い方です。同じく六月十四日の段からです。※太字・下線は引用者

余が大学予備門の試験を受けたのは明治十七年の九月であつたと思ふ。この時余は共立学校(今の開成中学)の第二級でまだ受験の力はない、殊に英語の力が足らないのであつたが、場馴(ばな)れのために試験受けようぢやないかといふ同級生が沢山あつたので固(もと)より落第のつもりで戯(たわむ)れに受けて見た。

「第二級」というもの言いは、現在で言うところの「二年」に相当すると思われます。

そして決定的なのが、二月十一日の段です。

朝起きて見れば一面の銀世界、雪はふりやみたれど空はなほ曇れり。余もおくれじと高等中学の運動場に至れば早く已に集まりし人々、各級各組そこここに打ち群れて思ひ思ひの旗、フラフを翻(ひるがえ)し、祝憲法発布、帝国万歳など書きたる中に、紅白の吹き流しを北風になびかせたるは殊(こと)にきはだちていさましくぞ見えたる。

文中で明示はされていませんが、運動場に「早く已に集まりし人々」とはその高等中学の生徒でしょう。

したがって、「各級各組」を現代の言い方に置き換えるなら、こうなりそうです。

  • 「各級」→「各学年」
  • 「各組」→「学年内の各クラス」

以上の「級」の使い方から鑑みれば、正岡子規は「同級生」を「同学年」の意味で使っていたと考えるのが妥当だと言えましょう。

『言海』での「級」

いったん子規の時代の辞書『言海』(1889-1891)に戻り、「級」の説明を確認しておきましょう。

次のとおりです。キャプチャした範囲の真ん中がそうです。

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※『言海』日本辞書 第1-4冊|国立国会図書館デジタルコレクション より

テキストにもしておきます。

きふ(名)[級] 段(キダ)。階(シナ)。クラヰ。

この伝でいけば、「同級」とは、《同じ「段。階。クラヰ。」》という話になります。

まとめると、「級」とは、現代語で言うところの「学級」ではなく、「学年」ととらえる方が適切に見えます。

パート5.20世紀初頭の「級」の揺れ

青空文庫で「同級生」の用例をあれこれ見ていくと、正岡子規『墨汁一滴』以後の数年間で、「級」の意味が揺らいでいったさまが観察できました。以下に紹介します。

「クラス」っぽい「級」:国木田独歩『画の悲み』(1902)

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国木田独歩(1871-1908) ※近代日本人の肖像|国立国会図書館 より

青空文庫で見つかった子規と同時代の「級」の用例には、意味として「学年」と「学級」のどちらを指すかが一見渾然としていて紛らわしいものもありました。

それが、国木田独歩『画の悲み』(1902)です。引用します。

元来志村は自分よりか歳(とし)も兄、も一年上であったが、自分は学力優等というので自分のいる(クラス)と志村のいるとを同時にやるべく校長から特別の処置をせられるので自然志村は自分の競争者となっていた。

語り手の「自分」よりも志村は一学年上だが、自分は特別に「飛び級」を認められていたので、自然と志村がライバルになっていった。そういう趣旨です。

よく読めば、ここの「級」はすべて「学年」「学年での学課」の意味です。しかし、級(クラス)の語が、現代で言う「学年」から「学級」へスライドしていきそうな気配もまた感じられます。

すなわち、

  • 「第○級」「そこでの学課」という抽象概念からスライドして、
  • 「学びの部屋」「そこで行われる授業」のような具体的な事物も指すようになる

といった意味の揺らぎが起こりそうな予感です。曖昧な言い方ですが。

蛇足:「飛び級」

何気なく使った「飛び級」の「級」も、よくよくみれば「学年」の意味ですね。蛇足でした。

完全に「クラス=学級」の「級」:夏目漱石『坊っちゃん』(1906)

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夏目漱石(1867-1916) ※近代日本人の肖像|国立国会図書館 より

1906(明治39)年の『坊っちゃん』になると、「級」は完全に「クラス=学級」です。

 三時間目も、四時間目も昼過ぎの一時間も大同小異であった。最初の日に出たは、いずれも少々ずつ失敗した。教師ははたで見るほど楽じゃないと思った。授業はひと通り済んだが、まだ帰れない、三時までぽつ然(ねん)として待ってなくてはならん。三時になると、受持の生徒が自分の教室を掃除(そうじ)して報知(しらせ)にくるから検分をするんだそうだ。

この用例での「級」は、「学級」「そこで行われる授業」の意味にとらえて間違いないでしょう。

「揺れ」のリレー完成

というわけで、正岡子規~国木田独歩~夏目漱石のリレーにより、明治30年代の1901~1902~1906年の足かけ6年間で「級」が揺らいでいるのが観察できました。

まとめ

「同級生」が使われ始めた明治期の辞書、ならびに同時代の用例からすると、「別の学校」まで範囲に入っていたかは措くとして、「同級生」とは、元々は「同学年」を指していた言葉だったと言って間違いなさそうです。

特にそのなかでも、正岡子規が随筆に遺した「級」の用法をふまえてみれば、「同級生=クラスメート」とする原理派の方々の論拠(らしきもの)は、不整合が生じてきます。

「本来は同じ学級のクラスメートのこと(キリッ」

みたいに唱え、現代の「同級生」をめぐる用法の「揺れ」を嘆く原理派の方々の言説のほうが、20世紀初頭・明治30年代に生じた「級」の用法の「揺れ」を引きずったあげくに生じた珍説に見えてきます。

あとがき

どちらかと言えば「同級生」原理派寄りだった自分にとって、記事を書き始めた時点では思いもしない結論になってしまいました。

今後気が向いたら、さらに「学級」その他の関連語句の発祥や用法の変遷を調べ、「同級生」原理派の諸姉諸兄にとどめを刺してみたいと思います。

現場からは以上です。

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