you入れ替えちゃいなよ―『The DevOps 勝利をつかめ!』翻訳ファクトチェック(サンプル版)(2)

電子書籍のサンプル版で翻訳のファクトチェックをやってます。まとめポータルはこちらです。

『The DevOps 勝利をつかめ! 技術的負債を一掃せよ』翻訳ファクトチェック【サンプル版まとめ】
電子書籍のサンプル版を使ってまた原書と読み比べてしまいました。今回の対象ペアはこちらです。 結論から言うと、1冊通してこの日本語を読むのは私には辛そうです。 真面目で善良で不誠実だからです。
  • トピックごとに適当にタイトルを付けています。
  • 電子書籍を参照していますので、引用部分の表示として、ページの代わりに訳書独自の見出しタイトルとkindleの位置Noを使います。
  • 引用部の下線はすべて引用者によるものです。

第1章 島流し 9月3日(水)

ヤバいドキュメンテーション観―『The DevOps 勝利をつかめ!』翻訳ファクトチェック(1)
この日本語だけで、???となりました。 訳した人は、ソフトウェアシステムのドキュメンテーションをなんだと思っているのでしょう。学校の卒業文集とか、会社の○○周年史みたいな感覚なんでしょうか。

からの続きです。

#5:そのyouはだれ?

考えつく限りの可能性を検討して、結論を出すのにまる1日以上かかってしまいました。

いちおうは「正解」に近づいたと思うんですが、どうでしょうね。

訳書

 マキシンは、立ち上がって言った。「はいはい、わかりました。波風立てないようにします。それじゃあ 4 か月後に。クリス、あなたも自分のポストを守るためにせいいっぱいだったんですよね。わかってますよ
(フェニックス・プロジェクト)

この場面で出てくるセリフそのものとしては、特に不自然ではないです。けれども原文と並べると、どこか違和感がありました。

原書

原文です。

“Yeah, yeah. Don’t rock the boat,” she says, standing up. “See you in four months. And you’re welcome for helping you keep your job. Super classy, Chris.”(位置No.206-208)

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端的に、ここがそんな意味になるかな。なるとしたら、どう読めばいいのかな、と疑問がわきました。

具体的には

  • なぜここが「you’re welcome」なのか?
  • しかもイタリック体表記なのか?
  • そしてなぜ文頭にAndが付いているのか?

です。

後ろの「Super classy,」も気になります。「超イケてる」ぐらいのニュアンスですけど、Andとともに、訳からは落とされています。パズルのピースが余ってしまったような感じがします。


1日以上考えて出した結論だけ書きます。

元の訳は、原文下線部のyouを、クリスと解釈しています。ごく普通の、素直な読み方ではあります。

けれども実は、you=クリスではなくてyou=マキシンと読むことで、上記の疑問がほぼ全部解決するのです。

「you’re welcome」の対象は、クリスが「自分(クリス)のポストを守ること」ではなく、「マキシンがクビにならないよう尽力したこと」なのです。だからyou’re welcomeのyouも、マキシンのことです。

ちょっと待った、の声が聞こえそうです。この文は、””で囲ったマキシンのセリフの中に出てきます。youは二人称の代名詞です。マキシンのセリフ内の二人称youがマキシン自身を指すとは、いったいどういうことでしょうか?

こういうことです。上手く表せているといいのですが。

ファクトフルな日本語文案

「はいはい、波風立てるなと」マキシンは立ち上がって言った。「4か月後にまた会おう。君のクビがつながるよう手助けしたのも、礼には及ばんよってとこすか。超カッコいいですね、クリス」


ここのマキシンは、クリスのセリフを言っているのです。先回りして。

よくわかる解説

「Don’t rock the boat,」は、クリスの直前のセリフのオウム返しになっています。ここがヒントと言えばヒントです。

次の「See you in four months.」以降、マキシンは自分の返事を飛ばして、これからクリスが言いそうなセリフを先回りして言っているわけです。だからThank youではなく you’re welcomeなのです。そしてここがクリスのセリフ部分の最後のセンテンスなので、文頭にAndが付いているわけです。

こう読むと、きれいに整いました。

もしもアメリカ人がこの小説を映像化したら、ここのくだりはきっと女性のマキシンが男口調で話す演出になるはずです。話はそれますが、直接話法の中で他人のセリフを話すのは、大阪のおばちゃんの得意技でもあります。

類例:「英会話を始めた妹」

大阪のおばちゃん含め「直接話法の中で他人のセリフを話す」いいサンプルがすぐに見つけられなかったので、これに似た例として、嫁定番の「すべらない話」となっている「英会話を始めた妹の話」を持ち出します。

嫁は、

  • 英会話行ってるんだって?
  • そうそう。講師は日本人なんだけど、観てるドラマとか一緒でさ、すっげー話が合うんだよね。
  • へーすごいね。そんなの英語で話せるんだ。
  • 何言ってんの。日本語に決まってんじゃん!

という嫁と妹との会話全体を、まるごと再現してくれます。ものまねは嫁の特技なので、面白さも倍増。

何回聞いてもほんま、すべらんなー。じゃなくって、引用部分もそういう形式の発話なんじゃないのかなって話でした。

全部先回りしたひとりディベート

読み方としてひねりすぎでは?素直にyou=クリスと読めば?との反論もあるかもしれません。そこで、ひとりディベートしてみました。

素直に読めば?への反駁

物語では、異動を言い渡されたマキシンの反応を、否認、怒り、取引と、キューブラー・ロスが唱えた「死の受容への5つのプロセス」になぞらえています。訳注によれば『死ぬ瞬間』に出てくるらしいです。これを読解の補助線にできます。

次のステップの「抑うつ」は、このくだりの後に出てきます。なのでこの時点のマキシンは、突如言い渡されたフェニックス・プロジェクトへの異動という「死」の「受容」には、まるで遠い状況です。

なのに「See you in four months.」ってありですか?

それって、全然受け入れてしまっている人の言いぐさですよね。変じゃありませんか?

言葉と内心とが違うって、よくあるのでは?への反駁

そんな私の反問に対しては、「本心から遠くかけ離れた、心にもないセリフを言っている」という解釈も十分に可能です。その可能性も検討してみました。

結論から書くと「その場合は、テキストの文言が変わるはず」です。

直前のクリスのセリフを訳書から引用します。

「マキシン、よく聞いてくれよ、鳴りを潜め、波風立てず、アウテージ(障害によるサービスの停止)から距離を置けよ。そうすれば大丈夫だ。去年のふたりみたいに給与システムのせいでクビにならずに済んで運がよかったと感謝するんだ」クリスは懇願するような口調になっていた。

メッセージングプロトコルのように考えてみましょう。

クリスからの要求(request)電文は、ざっくり

  1. 懇願するような口調(implores)ではあるものの、
  2. 波風立てるな(Don’t rock the boat)、
  3. 感謝するんだ(Thank your lucky stars)

という内容になっています。

これに対するマキシンの応答(response)電文は、

  1. (内心は違うが、言葉の上では)了承する「はいはい」
  2. (内心は違うが、言葉の上では)リクエストを受け入れる「波風立てません」「4か月鳴りを潜めます」
  3. (内心は違うが、言葉の上では)感謝する「クビにならずにすんでありがたいことです」

となるのが妥当です。

ですので、たとえば次のような言い回しになるのが自然に思います。

“Yeah, yeah. I won’t rock the boat. See you in four months. Thank you for helping me keep my job, super classy Chris.”

ここでのクリスは懇願口調ですが、マキシンに感謝しているわけではありません。感謝もされてないのに「you’re welcome」と返すのは、変じゃないですか。どうでしょうか。

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