なぜ、「私以外私じゃないの」か?―ゲスの極み論考。

スポンサーリンク

こんにちは。ゲスの極み中年。です。

当たりまえだけど、当たりまえだからこそ、報われない気持ちも整理して考えてみました。

2015-05-29_0953

はじめに

コーラのCMソングで面白いことを言っていました。

私以外私じゃないの
当たり前だけどね

ゲスの極み乙女。《私以外私じゃないの》(詞・曲:川谷絵音, 2015)でした。

楽曲の公式動画がYouTubeにありました。

ゲスの極み乙女。 – 私以外私じゃないの(2015/04/07付)

なお上の画像は、この動画からキャプチャしたものです。

CMギャラリー

CMは「あの人と。」「みんなと。」「あいつと。」の3パターンがOAされています。それぞれの動画を埋め込んでおきます。

【コカ・コーラ】TVCM 「ネームボトル バイク」篇 15秒 Coca-Cola TVCM(2015/04/05付)

【コカ・コーラ】TVCM 「ネームボトル バンド」篇 15秒 Coca-Cola TVCM(2015/04/05付)

【コカ・コーラ】TVCM 「ネームボトル ボルダリング」篇 15秒 Coca-Cola TVCM(2015/04/05付)

なぜ、「私以外私じゃないの」か?

ゲスの極み論考。の本稿では、次の各点を検討します。

  • なぜ「私以外私じゃないの」か?
  • 「私以外私じゃないの」とは何か
  • 「私」とは何か
  • 「私以外私じゃないの」の論理
  • 「私以外私じゃないの」は本当か?
  • 「私」と「私以外」のあいだ
  • 「私」のケーススタディ:免疫系
  • 「当たり前」の残念さ

なぜ「私以外私じゃないの」か?

♪私以外私じゃないの~

なぜだろうか?

そういうことにしておく」からである。

もう少しかみ砕いて述べると、

  • 「私以外」を「私じゃない」ということにしておく
  • 「私じゃない」範疇を「私以外」としておく

のである。

「私以外私じゃないの」とは何か

「私以外私じゃないの」

これは、排中律の表現と考えられる。

排中律とは

排中律とは、ある命題が

  • 「Aである」
  • 「Aでない」

のどちらかであり、中間はない。とする法則を指す、論理学の用語である。

「中」間を認めない(=「排」する)から、「排中律」または「排中原理」という。

「私」とは何か

先に、ここでの題材である「私」を片づけておこう。

「私」とは何か?

これはなかなかの難問で、「我思う、ゆえに我あり」のデカルトを筆頭に、古来いろんな人が考えてきた。

「私」とは、存在の一形式である。

というのが、ゲスの極み中年。による目下の暫定的な答えである。

たぶん、最終回答は出ない。

「私以外私じゃないの」の論理

くり返すと、「私以外私じゃないの」は、排中律の論理に則っている。

  • 「私」の外=「私以外」は、「私」じゃない。

ひっくり返すと、

  • 「私じゃない」ところを、「私」の外=「私以外」とする。

そういう定義文だと解釈できるからだ。

別の言い方をすると、この世界は

  • 「私」
  • 「私じゃない」

のどちらかであり、両者の中間は認めない。

すなわち、A「である」「でない」のどちらかに限る。この形式の言明では、

  • 両方を否定:「私」でなく、「私じゃない」でもない
  • 両方を肯定:「私」であり、「私じゃない」でもある

というようなあり方は認めないのである。

「私以外私じゃないの」は本当か?

しかし、本当に排中律を適用して「私以外私じゃないの」と言い切れるのだろうか?

次のような例を考えると、疑わしくなってくる。

排中律への疑問 (1)円周率

排中律への疑義としてよく引き合いに出されるのが「円周率」である。

円周率π(パイ)の数字は、3.14159…と無限に続く。

この数列の中に、私のケータイ番号の11桁が並んでいる箇所はあるだろうか? を考える。

見つかれば「ある」と言える。

10の11乗=100億桁ぐらい探せば、「090」で始まる私の番号が見つかるかもしれない。

しかし、見つからなくても「ない」とは言えない。

100億桁まで探してなかったとしても、もっと先まで探せばあるかもしれないからだ。

無限の厄介なところである。

排中律への疑問 (2)カモシカのような脚

同種の問題に、

「カモシカのような脚」とはどういう脚か?

がある。

細いのか?それとも細くない(太い)のか?

「まだ決まらない」が答えである。

文脈に依存し、これだけでは何も言えないからだ。

以前検討したので、詳しくはこちらで。

「カモシカのような脚」は細い?太い?問題に決着!答えは「まだ決まらない」(2013/11/04)

最初の検討事項に戻ると、そういう疑義も視野に入れつつ、「私以外私じゃないの」と「いうことにしておく」のである。

「私」と「私以外」のあいだ

「私以外私じゃないの」に対して、もうひとつ起こる疑問が

「私以外」を、そんなに簡単に識別できるものだろうか?

である。

識別が非常に難しい領域は、実在する。

私とコーラ

英語には

You are what you eat.

という格言がある。直訳だと「あなたはあなたが食べる物である」となろうか。

食事の大切さを説いたもの、あるいは、食べるものでその人となりがわかる、といった趣旨の格言だと理解している。

私がコーラを飲む。

私はコーラだろうか?

違う。コーラは私ではない。

コーラを飲むと太る。

なぜだろうか。コーラの一部だった何かが、私の一部になっている。

いつのまに?

「私」のケーススタディ:免疫系

先ほど「『私』とは何か」はけっこうな難問だと述べた。

その難問に、ひとつの答えを出している系がある。免疫だ。

免疫における「私」とは、「分子配列の特定のパターン」である。

パターンに合わない「異分子」は、「私じゃないの」と認識され、攻撃され、排除または殲滅される。

たとえば、輸血のときに同じ血液型の血液を使うのも、血液型が違うと「私じゃないの」と認識されるからだ。

このシステムが、誤って「私」に向けられ発動されると、関節リウマチなど「自己免疫疾患」と呼ばれる各種疾患となる。

また、花粉症を代表とするアレルギーも、「私じゃないの」の反応が過剰になっている疾患症状と言える。

正確には「自己」

ただし、免疫系に係る文脈では、「自己」と「非自己」という言い方をする。

「私」と「自己」は似ている部分もあるが、同一ではない。排中律を適用すれば、「自己」は「私以外」である。

♪自己も非自己も私じゃないの~(字余り)

当たり前だけどね

「当たり前」の残念さ

続く「当たり前だけどね」という詞は、少し残念に思う。

せっかく「私以外私じゃないの」とセンスのいいところを切り取っているのに、いちど動き始めた思考が「当たり前」で止まってしまっているからだ。

これも、以前に検討している。

さて、「思考の動き」に注意して《私以外私じゃないの》の歌詞に耳を傾けてみると、とてもぎこちないことに気がつく。詞の中で、思考が何度も始動と停止をくり返していて、ぎくしゃくと、まるで昔のロボットの歩行みたいだ。

雑に総括すると、それが「若い」ということなのかもしれないが。

「誰も替われないわ」

ゲスの極み中年。としては、その当たりまえにもっと驚いてほしいところである。

普通でしょ?

まとめ

あらためて、検討結果の要点をまとめておきます。

  1. なぜ「私以外私じゃないの」か?
    →「そういうことにしている」から
  2. 「私以外私じゃないの」とは何か
    →排中律に則った宣言
  3. 「私」とは何か
    →(さしあたり)存在の一形式
  4. 「私以外私じゃないの」の論理
    →「あいだ」を認めない
  5. 「私以外私じゃないの」は本当か?
    →疑わしい
  6. 「私」と「私以外」のあいだ
    →「私」と「私以外」の境界は、ところによりあいまい
  7. 「私」のケーススタディ:免疫系
    →免疫系における「私」とは、分子配列のパターン
  8. 「当たり前」の残念さ
    →思考が停止しているところ

 

参考文献・サイト

ゲスの極み論考。にあたり、次の各文献・サイトを参考にしました。謝意を表します。

20世紀の数学が直面した計算することの限界—神様のコンピュータは止まらない?—|京都産業大学 コンピュータ理工学部 インテリジェントシステム学科 小林 聡 教授

免疫システムの基礎知識|メルクマニュアル 家庭版

おわり

コメント

タイトルとURLをコピーしました