松本人志の異人論

こんにちは。

この記事で言いたいこと

松本人志さんのコント・映画に出てくる登場人物の、1つの類型が「異人」です。

小松和彦さんの「異人殺しのフォークロア」(『異人論』所収)を読めば、それがわかります。

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「異人」とは

『異人論』(1985, 1995)所収の「異人殺しのフォークロア」での定義を引用します。

さまざまな位相の一つに出現する、民俗社会にとっての「他者」

民俗社会の外部に住み、さまざまな機会を通じて定住民と接触する人びと

それが異人です。でもって、

日本の民族社会(ムラ社会)における異人観や異人との交渉の研究を行なってきたのは、民俗学であった。

としています。「異人殺しのフォークロア」はその系譜に連なる論考と言えます。

松本人志の「異人」たち

松本さんのコント・映画に出てくる登場人物のうち、当ブログで「異人」と認定するものは次のとおりです。

  • とみよしさん(1996-1997)「ダウンタウンのごっつええ感じ」
  • カッパの親子(1992-1993)「ダウンタウンのごっつええ感じ」
  • トカゲのおっさん(1996-1997)「ダウンタウンのごっつええ感じ」
  • 坂東(巨人殺人)(1999)「VISUALBUM “安心”」
  • 大佐藤(2007)「大日本人」

大日本人アート&シナリオブック
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順に人物造形とストーリーを述べ、「異人」たる所以を説明します。

とみよしさん―出現

こんな人です。

別名・スキマ男。穴や隙間に挟まれるのが好き。(略)駆けつけた警官(板尾)を困らせる。

銭湯の吸水口、洗濯機のホース、オートバイのマフラー、小便小僧、酒の自販機、ゴルフホール、流し台の排水溝など入り込んだ場所は数知れず。

「出すことばっかり考えんと、なんで入ったかを考えろ」

出所:『ダウンタウンのごっつええ感じ完全大図鑑』(1998)

先ほど引いた、小松和彦さんによる「異人」の定義

さまざまな位相の一つに出現する、民俗社会にとっての「他者」

そのままです。

カッパの親子・トカゲのおっさん―被虐

同じく『ダウンタウンのごっつええ感じ完全大図鑑』より、「カッパの親子」について。

だんなさん(浜田)と、坊っちゃん(板尾)親子の行く先々に現れる、カッパの父(松本)と息子(今田)。父ガッパは、ワガママな坊っちゃんにイジメられている子ガッパを助けようと出没する。だが、(略)逆にだんなさんにどつかれまくり、弱腰&涙目に…。以来、父は暴力に怯え、息子が虐げられていても見て見ぬふりをしたりと、強い者に逆らえない弱者の哀しい性を露呈する。

「トカゲのおっさん」と、その流転の物語はこうでした。

人間に飼われることで、雨ざらしの暮らしから脱出しようと試みるトカゲ男。

見せ物として売られたり、金持ちの家で理不尽な扱いを受けたりしながら、だんだんと人間が信じられなくなっていく。

旅に出た先でもその容姿から「怪しい奴」と判断され、殺人の罪をきせられた。それ以来、花巻刑務所に拘置されたままだ。

刑務所に「拘置」されることはありえませんが、ともかくトカゲのおっさんもカッパの親子も、民俗社会の外部に住む非定住民=異人です。

異人ゆえの扱われ方

そして『異人論』が述べる、民俗社会の異人観の一般的傾向はこうです。 ※強調部は原文傍点 下線は引用者

日本では古くは異人を歓待する面が強かったが、次第にそれが、忌避・虐待(排除)の面の方が前面に出てくるようになった

カッパの親子もトカゲのおっさんも、人間に虐待されています。異人であるがゆえです。

坂東(巨人殺人)―異人殺し

こちらは、「坂東」という異人に対峙する民俗社会の側にスポットを当てた物語です。

Wikipedia「HITOSI MATUMOTO VISUALBUM」の「巨人殺人」より。

関(松本)・稲葉(板尾)・アキ(木村)・太一(今田)の4人は、奈良の大仏ほどもある巨人の坂東にいつも虐げられていた。そんな彼らのうっぷんは溜まりに溜まり、4人はついに坂東の殺害を決心。

「異人殺しのフォークロア」そのものです。

小松和彦さんが『異人論』で扱っている「異人殺し」伝説もまた

民俗社会の人びとが異人を虐待したという事実もしくは虐待したとしても不思議はないという観念が存在しなければとうてい成立しえないような伝承

です。「異人殺しのフォークロア」には、28の異人殺し伝承が紹介されています。

大佐藤(大日本人)―歓待から忌避へ

Wikipedia「大日本人」の「ストーリー」から。

大佐藤大(だいさとうまさる)は”獣”(じゅう)と呼ばれる巨大生物を退治する「大日本人」である。彼の家系は代々日本国内に時折出現する獣の退治を家業としており、彼はその6代目に当たる。

しかしかつてと違って大日本人に対する世間の風当たりは強く、軍備の整った現代においては不要であると唱える者も出る始末。プライベートにおいても妻との別居、跡取問題、かつての英雄である祖父(4代目)の介護問題など悩みの種は多かった。

「大日本人」という異人をかつて歓待していた民俗社会が、徐々に忌避し始めた時期を舞台とした物語だと言えます。

全編通じて、民俗社会の異人観が色濃く反映されていた映画でした。

「異人」アイデアの出所

アイデアの出典を示しておきます。

松本さんの作品の「異人」は、僕自身の発見ではありません。『なぜ「丘」をうたう歌謡曲がたくさんつくられてきたのか』(村瀬学, 2002)で松本さんのコントと『異人論』との関連に言及されていました。

同書は、英国出身のビートルズをアメリカ人のように扱っていたり、御巣鷹山中に墜落したのがANA機だったりと、でたらめな記述も多いですが、このアイデアは買えました。

まとめ

むろん松本さんらが、制作にあたって『異人論』を下敷きにしたわけではないでしょう。

だからこそ、そこに「民俗社会の心性」(『異人論』副題)が等しく息づいていることが面白いです。

関連資料

本稿で取り上げた「異人」はこれらで参照できます。

小松違いですが

関連して、高須光聖さんと小松純也さんによるこちらの対談記事で、「トカゲのおっさん」第1回目の誕生過程の一端もわかります。

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