この番組を見た人がこんな番組を思い出しています―6月9日林修ナイト感想戦・その2

こんばんは。林修ナイトの時間です。

この記事は、行列のできるシャカイ実験「裏番組ダブルブッキング」の結果判定―6月9日林修ナイト感想戦の続きです。長くなったので記事を分けることにしました。

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かつて見た、同じような景色

15年前にもあった同じ趣向の企画

林修さんが「落ちこぼれのヤンキー」に特別授業を行った、9日OAの「テレビシャカイ実験あすなろラボ」を見ていて、ふと、

前に教育テレビで、美輪明宏さんが似たような状況で話してたなー

と思い出しました。「vs 若者たち」の構図が共通していたことが、うっすら残った記憶を呼び起こしたのでしょう。

突き止めました。これです。Google およびWikipedia に謝意を表します。

  • トークドキュメント キ・ミ・ト・ハ・ナ・シ・タ・イ10代との対話 ―NHK教育「未来潮流」1998年1月17日OA

それよりなにより、この放送から15年が経っていることに慄然としました。この勢いじゃ、早けりゃ今日にも人生終わるぞ。

この番組について言及していた本もあった

私はつづけて、
確か、誰かが本の中で、この番組のこと書いてたよなあ
と思い出していました。

誰だったっけ。なんか、哲学の文章を書く人だったような…

そこで、Google の検索窓で、「美輪明宏」の後ろへ該当しそうな名前をいくつか入れて探ってみました。これぐらいに記憶があいまいだと、蔵書を当たるよりも早く正確にたどり着けるのです。そんな時代です。

見つけました。これです。

内容を確認したかったのですが、残念ながらこの本は引っ越しのときに手放してしまっていました。しかしKindle 版ならダウンロードすればすぐ手に入ります。対価数百円。取得の労力ほぼゼロ。だったらいつ手に入れるの?

今でしょ!

買い直しました。

「未来潮流」で話したのは、実は美輪さん含め3人

実は、このNHK教育「未来潮流」の中で若者らを前に話したのは、美輪さんだけではありません。男性の予備校講師、女性評論家、美輪明宏さんの3人でした。3人がひとりずつ順番に、それぞれ同じ若者たちを前にして、かわるがわる話したのでした。すっかり忘れていましたが、ひとりが林さんと同じ予備校講師だったとは、なんたる偶然。

ただねぇこの予備校講師、「あすなろラボ」での林さんと違って悲惨だったのです。ひどいもんでした。

中島義道さんによる「未来潮流」番組レポート

中島さんが番組の様子を書いたくだりを、『私の嫌いな10の言葉』から抜粋します。当然、中島さんの主観を通した描写であり、細かい部分で私の記憶と合わない記述もあるのですが、そのまま引用することにします。

同書「10 自分の好きなことがかならず何かあるはずだ!」の「社会的成功者の傲慢」からです。

まずは、スタジオに集められた若者たちの描写。聴衆はこのような集団です。

スタジオには、小綺麗ななりをしたやや緊張気味の優等生軍団と、茶髪やピアスやひどい化粧で顔を塗りたくった伸びやかなしぐさの不良軍団がはっきり色分けされていて、しかも誰も違和感なく適当に仲間を作って集合している。不良軍団は床にしゃがみ込んだり寝そべったりしている。

ズタボロだった予備校講師のくだり。ほんとひどかったです。

次に有名予備校の有名教師が、東大出より近くの飲み屋(でしたっけ?)の女将さんから人生について学ぶことが多かった、東大出にクズのような奴がいることも知っている。東大出ではない人にすばらしい人がいることも知っている……としみじみした口調で語りました。そして、会場から質問を受けますと、ただちに不良軍団の一人の少女から「なんで東大出のことばかり気にしてんのお? あたし、もともと東大出なんかなんとも思ってないんだけどお」という鋭い矢が浴びせかけられました。

 彼はその不意打ちに驚いて、必死に自分は東大出なんかなんとも思っていないとかとか弁解していましたが、なおも会場のあちこちから彼の東大病に対する追撃は止むことがない。(略)
 予備校教師はついに涙を流してお説教しましたけれど、若者たちには全然通じない。(略)最後に「あんた、予備校やめたら」とまで言われ、敗退しました。

この事態を、中島さんはこう評しています。

あたりまえです。彼は予備校という東大を餌にして儲けているところに所属しているかぎり、「東大出なんか駄目だ」と演説しても説得力はない。勝ち目はない。

言うよね-。
ちなみに中島さんも東大を出ています。

そして美輪さんのくだり。

 しかし、三人目に美輪明宏が豪勢な衣装を身にまとって登場し、『愛の讃歌』を歌ったところ、それをはじめて聴いた若者たちは神妙な面持ちで聞き入り、拍手喝采したのでした。なぜなら、その前にみずからの半生を語った彼は、お説教を一切言わなかったから。自分が「化け物」とか「非国民」とかの言葉を投げつけられたことをそのまま語っただけだったから。

前の二人は、美輪さんの力を引き立たせるための役回りでしかありませんでした。その落差は、くだんの講師と評論家に前にひどい扱いを受けた制作者が、罠を作って呼び寄せて意趣返ししたのかと邪推するほどだったのを改めて思い出しました。

中島さんによる総括。

 ああ、これでいいのだな、若者たちの感受性は確かだな、と私は思いました。

記憶があいまいなままで申し訳ないのですけど、確かこのときの《愛の讃歌》って、日本語の訳詞ではなくて「岩谷時子さんの詞も素晴らしいんだけど」とかなんとか前置きして、エディット・ピアフの作詞した原語のままを歌ったような気が。

半分それ前提ですが、美輪さんには必ず伝わるといえるだけのことを積み重ねてきた自負があったのでしょうね。

そして15年が経った

二の轍を踏まなかった林さん

「あすなろラボ」での林修さんも、ひとつ間違えば15年前の教育テレビで無残な姿を晒した予備校講師の同じ轍を踏みかねないところでしたが、持ち直しました(そこにいくらかの演出成分があったとしても)。その修正能力の高さは見習いたいところです。

林さんはきっと、予備校講師の仕事がもともとは望んで就いたものでなかったこともあって、自分が予備校で教えて「東大を餌にして儲けている」ことの意味・意義をおのれに問い、内省しつづけてきたのだろうと思います。林さんの言葉は、そのような内的プロセスを経て出てきているものに、私には感じられます。

でもあとは、なんにも変わってなくないか?

一方、美輪明宏さんといえば、2012年大晦日の「NHK紅白歌合戦」に出演して歌った《ヨイトマケの唄》が話題になったことが記憶に新しいところです。

ふりかえってみて、苦い気持ちがわき起こってきました。

15年経っても、なーんも変わってないからです。

  • 若者たちの感受性が確かなこと
  • そして、確かなはずの若者たちの感受性が、日常的にとことんまで圧殺されている世の中であること

承知しています。「人類の進歩と調和」(1970年の大阪万国博覧会テーマ)が、今では至極のんきな与太にしか見えないことも。こんなテーマを掲げて邁進していられた時代は、とっくに終わっていることも。

「進歩と調和」などズケズケの嘘っぱちで、人類はもうどうしようもなく進歩も調和もしないのです。知っています。

それでも、それにしても、若者たちを取り巻く状況が、なーんも変わってなくないか。いや、むしろ悪化してはいないか。

さすがにそれは、まずくないか。

当時既に若者を自称するのもはばかられる年齢で、今ではすっかり老いの領域に足を踏み入れている私ですが、こんなもやもやざらざらした気持ちを抱えたまま、今日を生きています。

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