肉の書き順―8月4日「あすなろラボ」林修さん授業感想(1)

こんばんは。林修ナイトの時間です。

8月4日の「あすなろラボ」で放送された林修さんのおデブ向け授業の感想を、いくつかの記事に分けて書いていきます。

1回目は、「肉の書き順」から考え始めます。

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この記事の内容

次の6つです。バラバラです。バラ肉も好きです。

  1. 林さんの「肉」の字の書き順がおかしかった。
  2. それに気づいたのは僕ではない。よく見てるなと思った。
  3. 林さんは、書き順を気にはしている。
  4. 自身の肉体をコントロールしきれていないのが、林修さんの問題点である。
  5. 「漢字の書き順」は「デブ論」にも通じる問題である。なぜならどちらも「規格外の物事に対しどういう態度を取るか」という問題だからである。
  6. 他人のあり方にはできる限り寛容でありたい、と僕は思う。

「肉」の書き順が変だった林さん

林さんが黒板に「焼き肉」と書いたとき、「肉」という字の書き順が変でした。先に「人」2つを書かれたのです。

日本の小学校では、肉の字の書き順をこう指導しています。画像はiwate-u.ac.jp のuPal から借用しました。

肉(6画)の書き順

先に周りの部分を書いてから、「人」2つを書きます。これが「肉」という漢字の“正しい”とされる書き順です。

よく見てますね

実は、これに気づいたのは僕ではありません。

昨日(8/5)検索から当ブログへ来たアクセスの中に、キーワードが「肉 書き順」というのがありました。書き順がおかしかったのかしらと思って録画を見直してみたら、そうでした。

僕は気づきませんでした。そのシーンも見たはずですから、何も思わなかったと述べた方が正確でしょうか。

よく見てるなあと思いました。

要因解析:2つの可能性

林さんは、なぜあんな書き順で肉の字を書いたのでしょう。2つの可能性を考えました。

  1. 書き順を知らなかった
  2. 知っているが、できなかった

断定はできませんが、僕は後者の「知っているが、できなかった」だと思います。

書き順を気にはしている林さん

林さんは、漢字の書き順に無頓着な人ではありません。それは次の例でわかります

「食」の場合

同じく4日放送の授業の中で、黒板に「食」という字を書くとき、林さんは1度「書き順間違った まあいいや」と言われました。どういう動機でかまでは測りかねますが、林さんは漢字の書き順を気にはしているとみえます。

そして「食」の字に関して言えば、林さんは正規の書き順を知っている、ということになります。

実際、授業では「過食症」「拒食症」「美食化」と、何度か「食」の字を板書する機会がありました。僕の見る限り、「書き順間違った」と言った以外では正規の書き順で書けていました。

つまり「食」の字に関しては、書き順を知っているが、その1回はできなかった ということです。

「肉」「食」の共通点

また、文部科学省サイトにある学習指導要領の別表 学年別漢字配当表を見ますと、「肉」も「食」も、どちらも小学2年で習う漢字です。

以上から僕は、「肉」も「食」と同じだったのではないかと推測します。

すなわち、書き順を知ってはいたが、そのときはなぜか知るとおりの書き順で書けなかった。というのが実状ではないでしょうか。

まあ、同学年で習うことが、間違って覚えてしまっている可能性を否定できる材料にはなりませんけれど。

林修さんと漢字の書き順

以上を一般化して言うと、林さんは、漢字について「習ったとおりの書き順を100%再現できない人」です。

林さんの問題点を再定義

前に僕は、「東進の出演情報になぜか載っていなかった林修さんの出演番組」という記事の中で、林さんの

  • ジョギングのフォーム
  • PCのタイピング
  • 滑舌

を例にあげ、「体の使い方が自己流すぎる」のが林さんの問題点だとしました。

今回の「漢字の書き順を知っているのに、100%再現できない」を加えて、問題点を「動作をコントロールしきれない」と拡張して再定義しておきます。

だが林さんにとって解決すべき問題かは微妙

他人事なのに「動作をコントロールしきれない」ことをここで問題点として論っているのは、問題が認知されていないかもしれないし、少しの努力で変えられることだし、変わればさらに素敵だろうにな、という自身の価値判断に基づくだけで、問題解決へ向けて取り組むことがこの場合本当に林さんにとってプラスになるかは、わからないです。

マイナーな問題点の改善に汲々として、武器として一段と磨くべき素晴らしい点を殺してしまっては、本末転倒ですし。

また、授業の中で林さんは、自身が太っているのが嫌いだとし、ダイエットを続けていると話されていました。その論理を展開すると「漢字を、知っている書き順で書けないときがある自分」は、それほど嫌いではないということになります。

デブ論と共通する問題

漢字の書き順をどう取り扱うか、という問題は、デブ論にも共通します。林さんの言葉を借りれば、どちらも生き方の問題だからです。

自身に関してもそうですが、ここでは他者との関わりを考えます。一般化して言えば、

何らかの意味で「規格外」である物事に対し、どのような態度を取るか。

という問題になります。気が向いたら別の記事で考察を進めます。

僕の基本姿勢

自身で考えるための材料として、漢字の書き順に対する僕の基本姿勢を書いておきます。

  • 僕自身、学校で漢字を習うときに筆順も一緒に教わって、その大半が身についている現状は、良いことだと思っています。
  • ですから僕は、なるべく正規の書き順で書きたいです。
  • 漢字の書き順がきっちりしている人は好きです。
  • ただしそれは、「きっちりしていない人が嫌い」という意味ではありません。それが理由で誰かを嫌うということは、ないと思います。そうしたいです。

賢くなりたい。優しくありたい

僕自身は、漢字を正規の筆順で書きたいです。誰かに漢字を教える立場だったなら、筆順も必ず教えるでしょう。しかし、書き順がおかしいことを理由に他人を糾弾したくはありません。

規格外の物事に対して、できる限り寛容でありたい。それが僕の生き方です。

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