ハチロクといえば頭文字Dの出典マニアが、賢者モードで選びました。
※画像は@initialD_PR より
読了したものだけでなく、図書館、書店、Kindleサンプル版での立ち読み斜め読み分も入れています。「読んでおきたい」私の事情です。
選書リスト2020(全16冊 and more)
犬ざっぱなジャンル別です。極力最新の研究成果を取り入れられればと、うち10冊は今年(2020年)出たものから選びました。それでも足りないところはお利口さんに補ってほしいわん。
- 真鍋禎男『広島の原爆―記憶と問い』(2020)
- NHK出版編『ヒロシマはどう記録されたか』(2003, 2014)
- 賀茂道子『ウォー・ギルト・プログラム』(2018)
- 廣部泉『黄禍論 百年の系譜』(2020)
- 藤野裕子『民衆暴力』(2020)
- エイコ・マルコ・シナワ『悪党・ヤクザ・ナショナリスト』(藤田美菜子訳, 2020)
- 鈴木義昭『仁義なき戦いの“真実”』(2014)
- 住吉雅美『あぶない法哲学』(2020)
- 高史明『レイシズムを解剖する』(2015)
- 山口真一『正義を振りかざす「極端な人」の正体』(2020)
- ジョージ・サイモン『他人を支配したがる人たち』(秋山勝訳, 2014)
- 鈴木宏昭『認知バイアス』(2020)
- 武田砂鉄『わかりやすさの罪』(2020)
- 中島義道『「哲学実技」のすすめ』(2000, 2014)
- ドナルド.C.ゴース、G.M.ワインバーグ『ライト、ついてますか?』(木村泉訳, 1987)
- レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(渡辺由佳里訳, 2020)
広島への原爆投下
今年(2020年)出たを理由に読んでみると意外によかったので、1冊推すならこれです。
平和祈念館で「全三一七巻、六万余の被爆体験記を通読した」(p.267)成果を、時空間上に丹念にプロットし直した労作でした。評点高めなのは、あいだに挟まる著者のコメントが陳腐で当初の期待度が低かったギャップもあるかもしれません。それでも「広島への原爆投下」という出来事の再現が、書籍メディアの限界近くまでやり尽くせているのではないかなと思えます。
ほか、証言者によって細部が食い違う「ラジオの声」についても、本書の見解がほぼファイナルアンサーでしょう。
少し古いですが、「ひろしまタイムライン」いち当事者の過去の仕事がこちら。
折々の「ハチロク」企画の時流がなんとなく知れます。上下巻に分かれて刊行された文庫版(2014)は未読です。
原爆投下の「アフター」について。
特に原爆投下は、米国のみが行った行為であったため、GHQが占領にあたって原爆投下の事実に頭を悩ませ、注意を払っていたことはさまざまな史料から読み取れる。(pp.18-19)
タイトルだけだとイカれた界隈向けと見まがう代物ですが、膨大な史料/資料を丁寧に読み解いたガチの研究書でした。
敗戦後の占領政策の一端が詳細に知れます。本書のスコープ外ですが、戦後処理が米国主導となった歴史的経緯も、別途おさえておきたいです。
「ビフォー」です。
原爆投下の決定へと至った思想的背景としておさえておきたいです。
暴力
「朝鮮人だ!!」ツイートを論じたいなら、暴力についてもふまえたいわけです。
当時の人びとが暴力をふるうには、相応の「論理」があったはずである。(p.iv)
…民衆暴力を掘り下げることは、今とは異なる価値観と秩序を持っていた社会や、人びとの意識や行動の様式を理解することにつながるのである。(p.iv)
統治機構と暴力との関係についてはこちらを。
暴力つながりで、ちょうど「原文」と「原文からの創作」の関係が、ひろしまタイムラインの相似形にも思えるのがこちら。
「暴力」カテゴリーに収まらない内容ですが、すごくよかったです。
軽妙な語り口でありながら、善良な一般人が忘れたり見落としたりしがちな領域へずんずん入り込み、澱みをかき回すような、ある種えげつない本でした。
憲法も含め、法律を制定し維持するのは暴力である。(p.25)
人権は人類の中だけで通用する(p.163)
自分の臓器を提供する人に対しては、そのサービスに見合った対価を与えるべきである、というのが私の考えである。(p.183)
この考えに感情的に反発するのは簡単ですが、筋を通して反駁するのは、相当難しいですよ。私は諦めました。
敗戦後の社会
ピンポイントのテーマだった鈴木久美『在日朝鮮人の「帰国」政策―一九四五~一九四六年』(2017)に、プラス基礎資料として大月書店の「資料日本現代史」シリーズとか、岩波書店の「シリーズ戦後日本社会の歴史」にも軽くあたってみたのですが、ますます「こりゃわからんな」となりました。
史的観点からの検証は当面見送ります。推論の精度を上げるための労力がハンパない。
朝鮮人差別
ひろしまタイムラインを差別者にしたい側の主張を検証するには、背景知識もいるなあ、ということで、リストアップしました。
高史明, 雨宮有里「在日コリアンに対する古典的/現代的レイシズムについての基礎的検討(2013)|J-STAGE をベースに書籍化したものと理解しています。
リンク先のPDFを読むと、レイシズムの古典的(Old-Fashioned)と現代的(Modern)の分類は、McConahay(1986)によるものとのこと。アメリカの黒人に対するレイシズム分類を在日コリアンに対するレイシズムに当てはめる試みでした。
そもそも朝鮮人に関して、まだまだ基礎から不足しています。私がハングルを読めないハンデもあり、食指の動く文献を見つけられていません。ゆる募しておきます。
話はそれますが、各種資料へアクセスしてわかってきたのは、被爆者もまた、差別される存在であったことです。
夫の愛情に支えられる一方で、外を歩けば「赤鬼が通る」とはやし立てられました。息子は学校で「ピカの子」といじめられ、人目を避けて山道を帰ってきたことも。「いつもうつむいて生活し、子どもと泣いた。何度死にたいと思ったか…」
『記憶を受け継ぐ』 阿部静子さん 大やけど 差別に屈せず|ヒロシマ平和メディアセンター(2020/01/14付)
私自身は周囲に該当者が見あたらないところで生まれ育ったせいか、被爆者を差別する発想がまったくなかったです。この世界の片隅でいまだ差別対象とされているのかもしれませんが、自身の視点から「存在であった」としました。
人物録
誰かを安易に「くくり」に入れるまねは慎むべきなのでしょうけれども、ごく素朴な直感として、ひろしまタイムラインには次のようなタイプの人々が関わっているような印象があります。
「炎上はマスメディアが生み出す」「SNSは世論を反映しない」「炎上加担者はごく少数」など、気鋭の研究者がデータ分析から意外な真実を導き出す。
の惹句にそそられ読みました。
第3章「極端な人」の正体 より。
結局、「極端な人」というのは、己の中の正義に従って他者に攻撃を加えている、不寛容な人なのである。
本人たちは自分が正しいと思って、正義感からやったと考えていたとしても、心の奥底にはそれとは異なる、生活や社会への「不満」があるということである。
正義感から攻撃を仕掛けることで、その不満を解消しようとしているのだ。
そうかもしれません。Twitterでのいくつかのやりとりを思い返してみても、当たっている節はあります。
第5章「極端な人」にならないための5箇条 より。
自分に甘く他人に厳しい人というのは、こうして相手の間違いやミスはすぐに見つけて責め立てるのに、自分のことは振り返れない人だ。
このような現象を、「行為者・観察者バイアス」という。
引きつづき傾向を念頭に置いて、要求は受け入れずとも、言い分は受け止めてあげるよう心がけます。
そこにプラス、こちら成分もありそうです。
人というものはいかに頻繁に争い合い、いかにして攻撃をしかけてくるものなのか、そして、そのときどんな手段が用いられ、相手とのかけひきにはどのように対応して自分を守っていけばいいのかなど、こうした知識を得ることですべての状態に変化が訪れるのである。(p.227)
「潜在的攻撃性パーソナリティー」の手口と対処法を知る事例集として有用でした。
ある日Kindleストアのおすすめに出てきてまんまと読んでいます。
一般に、私たちは自分の行動の原因をその時の状況に求めるが、他人の行動の原因はその人の性格、意思、態度などに求めることが多い。これは対応バイアスと呼ばれている。
(3・9 帰属と対応バイアス)
読みやすいのに、説明に出てくる例のクセが強めなところが好きです。
未読ですが、以下も近々見ておきます。
昨今、どうにも、相手と同じであることを「正解」と規定されることが増え、なおかつ、そこにたどり着くまでのスピードが速ければ速いほど優れている、と思い込まされるようになった。(はじめに)
ひろしまタイムラインのTwitterアカウント運営サイドにも関わってくるテーマです。
そもそも論
さらにさかのぼって、ひろしまタイムラインを運営する側、批判・抗議する側、双方への違和感を探ります。
言いかえれば、「悪」について徹底的に考えるとは、単にパズルを解くように考えることではなく、きみの生活の隅々まで、きみの思考や感受性の隅々まで「悪」がこびりつくことだ。いかなる悪も自分が犯しかねない親密なものとしてとらえなおすことだ。
(8 精神のヨタモノになる)
演劇のことは不案内ですが、朗読劇の台本として読んでも秀逸に思います。
「問題」について
未熟な問題解決者は、きっと解くべき問題を定義する時間を惜しんで解答に飛びつくものである。(略)(引用者補注:「急ぎたい」気持ちに)負けてしまえば、解答はたくさん見つかるが、それが解くべき問題の解答だという保証はない。(略)他人の頑固さを攻撃し、違った視点もあり得るということに気づかない。(pp.6-7)
問題について考えるなら、いまだ本書がライフタイムベストです。
なのに金に困って売り払ってしまったので、お手頃価格だった原書をダウンロードして読み直しています。
「それ」について
エッセイ集のようですが、個人的にあちこちで著者の名に遭遇するので、何かありそうです。Amazonレビュー読んだ感じだと翻訳がつらい予感大のため、読むならこれも原書を候補にします。
新井俊一郎
私自身の倫理基準として、ひろしまタイムラインについて何かものを言うなら、新井俊一郎さんに関する書籍資料は逐一目を通してからにしようと思ったわけです。
- 「昭和二十年の記録」刊行委員会編『昭和二十年の記録 全滅を免れた附中一年生』(1984)
- 新井俊一郎『軍国少年しゅんちゃんのヒロシマ日記《復刻版》』(2004)
- 新井俊一郎『激動の昭和史を生きて 戦争の時代を乗り越え半世紀』(2009)
- 新井俊一郎『軍国少年シュンちゃんのヒロシマ日記《復刻版》』(2009)
- 新井嘉之作『震災・原爆の業火を超えて ―私の人生―』(1982)
- アカシア四一期会『手記集 わが昭和史』(2001)
- アカシア四一期会『中学入学60周年 記念誌 わが昭和史(続編)』(2005)
- ヒロシマ青空の会『遺言「ノー・モア・ヒロシマ」第5集』(2008)
- アカシア四一期会『高校卒業60周年 記念誌 わが昭和史・完結編』(2011)
以上、日本の図書館で閲覧できる資料は全部読んだつもりです。
それが俺なりのひろしまタイムラインです。
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