師・寺田寅彦の言葉をうっかり捏造しちゃった中谷宇吉郎、苦しい言い訳の巻

この記事は、以前

出典情報:柳田國男「美しい村」は、結城登美雄さんの「二次創作」でした。(2016/08/05)

の中に書いていたものを、別の記事として独立させたものです。

  1. 世の「名言」には、第三者が作った「二次創作」がある
  2. 「出典を気にしない人」がいろいろやらかす

さしあたりこの2点をふまえていただければよいかと思います。

要約:Executive Summary

  • 寺田寅彦(1878-1935)の言葉と伝えられる「天災は忘れた頃にやって来る」は、「二次創作」タイプの名言の代表例と言えます。
  • どうやら弟子の中谷宇吉郎(1900-1962)が「天災は忘れた頃来る」とうっかり捏造しちゃったのが、誕生のきっかけのようです。
  • 中谷は出典をそこそこ気にする人でした。そのせいか、後に苦しい言い訳をしていました。

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中谷宇吉郎(1946)

画像は中谷宇吉郎への旅|北海道人 より

「天災は忘れた頃来る」

レファレンス協同データベースにこんな事例がありました。

寺田寅彦の「天災は忘れた頃にやって来る」という言葉が載っている随筆をみたい。|埼玉県立久喜図書館(事例作成日:1997/06/09 登録日:2005/02/11)

読むと、「寺田の言葉を中谷宇吉郎?が端的に要約した文言を、後年追認した」という流れが見て取れる調査結果となっています。

この事例で、中谷の随筆「天災は忘れた頃来る」を知りました。青空文庫版からポイントを引用します。

今日は二百二十日だが、九月一日の関東大震災記念日や、二百十日から、この日にかけては、寅彦(とらひこ)先生の名言「天災は忘れた頃来る」という言葉が、いくつかの新聞に必ず引用されることになっている。

実はこの言葉は、先生の書かれたものの中には、ないのである。しかし話の間には、しばしば出た言葉で、かつ先生の代表的な随筆の一つとされている「天災と国防」の中には、これと全く同じことが、少しちがった表現で出ている。

もう十五年ばかりも昔の話になるが、たしか東京日日新聞だったかに頼まれて「天災」という短文を書いたことがある。その文章の中で、私はこの言葉を引用(?)して「天災は忘れた頃来る」という寅彦先生の言葉は、まさに千古の名言であると書いておいた。

出典:中谷宇吉郎「天災は忘れた頃来る」(初出1955)

中谷による寺田寅彦「名言二次創作」だと言えます。

無署名二次創作の悲喜劇

これが中谷に悲喜劇をもたらしました。

ところが、この言葉が、その後方々で引用されるようになり、とうとう朝日新聞が、戦争中に、一日一訓というようなものを編集した時、九月一日の分に、この言葉が採用されることになった。

私は九月一日「天災は忘れた頃来る」の解説を頼まれ、まず出所を明らかにと思って「天災と国防」を読み返してみたが、ない。慌(あわ)てて天災に関係のありそうな随筆を、片っ端から探して見たが、どうしても見当たらない。

大いに困ったが、この言葉の方は、すでに慎重な会議をなんべんも開いて、採用に決定していたので、止(や)めるわけには行かない。それで「天災と国防」の中にこれと全く同じことが書いてあるという理由で、解説を適当に書いて、勘弁してもらった。

苦しい言い訳

ここからあとは苦しい?言い訳の3連コンボです。連続した原テキストを区切って引用します。

もともとこの言葉は、書かれたものには残っていないが、寅彦の言葉にはちがいないのであるから、別に嘘(うそ)をいったわけではない。

まったくの嘘ではない。

面白いことには、坪井忠二(つぼいちゅうじ)博士なども、初めはこの言葉が、寅彦の随筆の中にあるものと思い込んでいたそうである。

あいつだって間違ってたし。

それでこれは、先生がペンを使わないで書かれた文字であるともいえる。

(昭和三十年九月十一日)

とにかく寺田先生の言葉なのだ。

そんな中谷の内心が透けて見えるようなテキストでした。うむむ。

うっかり間違っちまったことは、正当化しないで「正直、スマンかった」と認めて改めた方がずっと生きやすいのにって思います。ごまかし続けることの方がずっと苦しいし、見苦しい。

たとえば佐村河内守さんと新垣隆さんとを中心とした界隈で起こったケースからも、それを学べるはずです。

誰かのブラッシュアップ

中谷による二次創作は「天災は忘れた頃来る」なんですが、当今流布される文句は、

天災は 忘れた頃に やって来る です。

五七五のリズムへ収められている事実が、興味深いです。

そんなところです。

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