漢字はキラキラ読むもの―反・キラキラネーム批判(1)

こんにちは。名前を研究しています。

世のいわゆる「キラキラネーム」に関する議論がいろいろ錯綜しているので、スタートラインを揃えておきます。

要旨:Executive Summary

キラキラネームについて何か言うなら、せめて次の2つをふまえてからにしてください。

  1. 漢字はキラキラ読むもの
  2. 真の問題は「名前かぶり忌避」という信仰

でないと建設的で有益な議論ができません。

※photo by Dick Thomas Johnson from flickr.com

この記事に書くこと

この記事では、ふまえておいてほしい2点のうち、前者の

  • 漢字はキラキラ読むもの

を詳述していきます。

的外れすぎる「読めない」批判

世の「キラキラネーム」に対して、「読めない」という方面からの批判は、すべて的外れです。

なぜなら漢字とは本来がキラキラ書いてキラキラ読むものだからです。

なぜ漢字をキラキラ読むか

なぜ漢字がキラキラ読まれるかというと、漢字は表意文字だからです。

決まっているのは「意味」

漢字は表意文字です。その字が表しているのは、あくまで「意味」です。漢字とは「意味」を表している字なのですから、極論すれば、その意味を逸脱しないゾーンでどう読もうが自由です。

表意文字に多様な読み方が表れるのは理の当然です。

「アラビア数字」の例で考えてみると

それがもっともよくわかる例が、数字(アラビア数字、洋数字)でしょう。数字もまた、表意文字です。

「1」と書けば、ほぼ世界中で意味が通じます。しかしその読み方は、言語によってさまざまです。

その字が表しているのは意味であり、読み方は決まっていません。

漢字はどう読まれるか

漢字の読まれ方には、次の2つの系統があります。

  • その字とともに(または遅れて)伝来した、中国での読み方
  • 字の意味に相当する日本語をあてた読み方

だいたい前者が「音読み」、後者が「訓読み」に対応します。

「一」を例に

漢字の「一」を例に見ていきます。

「一」の一般の読み方は「いち」です。これは音読みです。中国伝来の読み方のひとつです。

また、「一」は「いつ」とも読みます。「均一」「同一」のときの「一」です。これも音読みです。Wikipedia音読みによれば、「いち」が呉音で「いつ」が漢音だそうです。

一方、「1」を意味する日本古来の言葉は「ひ(と)」でした。「一つ」の「ひとつ」です。

「ひと」「かず」「はじめ」といった日本語を「一」の字に適用させての読み方を、訓読みと言っています。

「読み」は事後的に決まる

ここで、あまり一般に理解されていないように思えることをひとつ指摘しておきます。

「漢字の読みは、事後的に決まるもの」という点です。

漢字とはあらかじめ「こう読む」と決まっているものではありません。表意文字であるがゆえ、厳密な意味では読みに制約がないからです。

大事なことなのでくり返します。漢字は意味を表す表意文字ですから、その読みは、あらかじめ決まってはいません。

既存の漢字の読み方は「試された」結果

漢字は「表意」文字、すなわちある事物なり概念なりを表しているわけですから、それを表すことばというものは、文字を使おうとするそれぞれの言語において一定の範囲に定まってきます。

それでも、表意文字をどう読むか、読み方の発信は各自の勝手です。それが読み方として通用するかどうかは、ひとえに受容側に委ねられている事柄です。

漢字の読み方というのは、想像以上に自由です。

漢字で遊ぶのが大好きな日本人は、漢字の新しい読み方を日本社会の中で続々と試し提示し続け、その「審査」をくり返していると言えます。

読みの決定システム

大陸から伝来してきた音読みも含め、時代時代にこんな読み方どう?というのが出てきて、みんなで審査した結果「合格」したものが残る。漢字の読みは、そういう過程を経て定まります。

いまある漢字に対する既存の読み方も、すべてそういう「審査」過程を経た結果残っているものです。

音読みも審査されたはず

たしかに日本語の側から見れば、「音読み」はあらかじめ決まった読み方ではあります。ですがそれも、その時代の中国語であり、当時の中国大陸(の一部)での読み方が伝来したにすぎません。

もっとも、「大陸での実績あり」という面で、日本語での「審査」に合格しやすかったという性質はあるかと思います。

日本人は漢字「新機軸」のトライアルが大好き

日本人は漢字に対して、伝来の読み方だけでは満足しませんでした。

既存の日本語の語句に当てはめるにとどまらず、「意味に相当する新しい読み方」や「ことばに相当する新たな表記」をあれこれ試すのが大好きです。

思いつく例を挙げてみると、

  • 七夕
  • 東海林
  • 飛鳥

など、どれもそのトライアルのたまものと言えます。漢字の新しい読み・表記を試したがるのは、ほとんど日本人の「習性」と呼べるほどの特質です。

上の各例については別途記事にしましたので、詳しくはこちらを参照してください。

「国字」作りもその一環

本題からは外れますが、「相当する日本語」にふさわしい字がないとなれば、意味に合う字を作ってしまったりまでします。「国字」と呼ばれるものがそうです。「畑」「働」「峠」あたりが代表例です。

キラキラネーム検討

以上をふまえて、世のキラキラネームのキラキラぶりを検討していきます。

「意味」の逸脱はない

よくよく観察してみると、世のキラキラネームがキラキラしているのは読み方だけです。意味の側は全然キラキラしていません。

「キラキラネーム」の例で私が一読できないものはたくさんあります。大半がそうです。しかし意味まで逸脱しているかというと、そうは言い切れません。

たとえば「愛」の字が名に使われていれば、それをどう読むかにかかわらず、「愛情」「親愛」「ラブ」といった意味が込められていると言えそうです。

おおむね、その文字が表意する範疇に収まっていると評価できます。

カタカナ・ひらがなでは「読み」も逸脱していない

そして、読み方がキラキラしているのは漢字だけです。カタカナ・ひらがなはそうではありません。

あらためて述べておくと、日本で子の名に使える文字は次の4種類です。(戸籍法施行規則・第60条)

  1. 常用漢字
  2. 人名用漢字
  3. カタカナ
  4. ひらがな

 

このうち、カタカナ、ひらがなは表音文字です。発音・音韻上で多少の変化はあるものの、読み方がだいたい決まっています。

たとえば「マツコ」と書けば読み方はきっと「まつこ」であり、「デラックス」ではないでしょう。また、別名があるからといって「ふかわりょう」と書いて「ロケットマン」とは読みません。

同じように、子の名で使われるカタカナ・ひらがなの読み方について言えば、私の見聞きする限りではまったくキラキラしていません。きわめて保守的です。表音文字であるカナ・かな文字については、既定の読み方に沿っています。

私は「読めないカタカナ・ひらがなの名前」という事例を全然知りません。

新しい読みや表記に貪欲

日本人は、漢字の新しい読み方や表記に非常に貪欲です。

貪欲の極北:W杯

一例を挙げると、日常生活を送るなかで私が最先端を行くキラキラな用例だとなと思うのは、

W杯

という表記です。漢字の域を超えてしまっていますが。

これを素直に読むなら、「ダブリューはい」または「ダブルはい」です。しかしそう読んでいる人に、これまで会ったことがありません。

「W杯」が批判されない不思議

「月」と書いて「るな」、「木星」と書いて「じゅぴたー」という類のキラキラネームを批判する人は、同じように「W杯」も批判しなければいけないはずですが、寡聞にして「W杯」への批判を聞いたことはありません。

飛躍の度はこちらが上であるにもかかわらず、です。

アルファベットのWは表音文字です。なのに「W杯」では、単語の頭文字とはいえ、表音文字たる「W」から逸脱しすぎた、字音にあるまじき読み方をしています。

漢字をキラキラ読むというレベルを超えてしまっています。なのに、あまり問題視されてはいないようです。

まとめ

漢字はキラキラ読むものです。表意文字である漢字が示しているのは「意味」だけだからです。

現存する「漢字の読み方」も、予め決まっていたのではなく、すべて数々のトライ&エラーをくり返して「審査」を通過したものです。つまり、事後的に定まったものです。

キラキラネームに見られる新奇な読みや表記も、歴史のなかでくり返されてきた、そうしたトライ&エラーの一環にすぎません。

そしてこれからも、日本人がこれまでやってきたとおり、漢字の新しい読み方、表記法がどんどん試され続けていくことでしょう。

漢字をキラキラ読ませるキラキラネームは、漢字の受容の伝統に則った麗しき所産とすら言えます。

「読めない」と、読みの新奇性のみを根拠にキラキラネームを批判する人に対しては、「W杯」を何と読んでいるかを尋ねることで、的外れぶりを自覚してもらうのがよいと思います。

次回予告:探究すべきは、「実験場」にされる原因

漢字はキラキラ読むものだからといって、そのトライ&エラーを行う実験場が「子の名前」でいいのか? という問題提起はここで当然あっていいです。

ではなぜ、現状として子の名前が漢字の新たな読みや表記の実験場になっているのでしょうか? 考えるべきはその点です。

取っかかりとして指摘しておきたいのは、子の命名において「ありきたりの、人と同じ名前は避けたい」という心理が背後で強く作用していることです。

この「名前かぶり忌避」という、ほぼ信仰の域に達している命名方針は、何に由来するのでしょう。そこを考えていかなければいけません。

つづく

補遺

(2014/12/04追記)

ツイッターでこちらのコメントをいただきました。ありがとうございます。

ご指摘の各点に対し、自身の見解を示しておきます。

1.勘違いパターンに関して

例示されているような勘違い読みについては、「それはないわ」と、社会のみんなの「審査」に通りにくいというのはあるでしょう。けれども、読まれる漢字の側からすると、その読みが勘違いに基づくか否かはどちらでもいい話です。

これは翻訳語の例ですが、「帝王切開」のように勘違いパターンが「審査」に通ってしまっているものも実在します。

話によると、「切る」を意味するラテン語(sectio caesarea)がドイツ語に訳される際に「Kaiserschnitt」と勘違いされたのが、そのまま「帝王切開」と引き継がれた由。

参照元:トリビア第11問解答|志木南口クリニック

あるいは、ハリウッド(Hollywood)の漢字表記「聖林」も、勘違い由来なのに定着した例と言えるでしょう。

検索したところ、「ヒイラギ(holly)はクリスマスの飾りつけに使われる木だからあえて「聖」を使ったと思いたい」といった説も見かけました("Hollywood (ハリウッド)" = 『聖林』は誤訳?)が、私自身は、単純にホーリーだから「聖」と、大して考えず字をあてたものと見ています。

2.表音文字的な使い方について

音訳や当て字のパターンですね。まず述べておきますと、こうした音をあてたタイプの漢字表記は、読み方として「前例踏襲」なのですから、キラキラはしていません。

たしかに、使われている漢字の字義から逸脱しすぎた用例もあるだろうとは思いますが、仮にそういうケースであっても、使用者にとっての「いい字」が選ばれているようには感じられます。

たとえば鮨(すし)の当て字、「寿司」など、そう言えそうです。

ついでに述べておくと、鮨の本来の意味だった「発酵させた魚」ではなく、握り・巻き・ちらし・稲荷といった「すし」なら「寿司」と表記する方が私は好きです。今日一般に「すし」と呼ばれる「ネタ+酢飯」パターンのものは、既に魚へんを超えてきているからです。

世のキラキラネーム批判にはいろんな論点が混在しています。論じるならそこを整理してからだろうという気がして、記事にしています。

以上も念頭に置きつつ、続編を準備します。

コメント

  1. […] ~常設展示室で一般公開へ – PC Watch 漢字はキラキラ読むもの―反・キラキラネーム批判(1) 相対性理論を日常の中で感じる8つの方法 : カラパイア […]

  2. 塚田 より:

    全く仰る通りだと思います。