林修さんの特別授業をテキストにしました(1)「あすなろラボ」2013年6月9日OAより

こんばんは。林修ナイトの時間です。

林修さんが「落ちこぼれ」の生徒たちに特別授業を行った、9日OAの「あすなろラボ」は大変素晴らしいものでした。研究のベースラインとするために、録画から授業内容をテキストにしました。

林さんの発言と資料等に関する注釈は分けて書き、感想は別記事にします。

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基本情報

テレビシャカイ実験あすなろラボ(フジテレビ系 2013/06/09 21:00-21:54 OA)

番組内容(地デジ番組表データより)

【実験テーマ『林先生はたった1回の授業で落ちこぼれをやる気にさせることが出来るのか?』】

→今回は勉強が嫌いな子や高校を中退した子など、普段予備校で教えている生徒とは真逆のいわゆる“落ちこぼれ”を相手に特別授業を決行!
果たして“落ちこぼれ”たちをやる気にさせることができたのか!?衝撃の結末が!?

総勢19名の「落ちこぼれのヤンキーたち」を相手に、教室を模したセットで林修さんが特別授業を行いました。

林修さんの特別授業

授業の進行とあわせて、林さんの言葉、ならびに生徒とのやりとりを記します。

生徒の待つ教室に入り、自己紹介
「本職は予備校で、現代文って科目を教えてます」

20分間のテストを始めると説明

「ただこれはみんなが、勉強ができるとかできないとかってことをね、見るためにやるんではなくて、僕はこれを生徒に教えることで生活している人間です。ですから、僕がやってることを、みんなにわかってもらうための、これは自己紹介。こういうことをやって、生活している人間がいるってことを少しわかってもらいたいんで、そこは少し、付き合ってください。では、用意スタート」

生徒達は東京近郊に暮らす10代から20代前半の若者たち。高校を中退したり、中学卒業後に進学せず社会に出た、いわゆる「落ちこぼれ」。

用意したテストは、センター試験の国語の問題。

/* 注:

ここで使われた問題は、センター試験2000年本試験の「国語I・II」の第1問。問題文の出典は、作曲家・近藤譲さんの「『書くこと』の衰退」です。問題文と設問は、こちらのページで見ることができます。

また、出典となった「『書くこと』の衰退」は、『音を投げる―作曲思想の射程』(春秋社, 2006) に収められています。(Wikipedia:近藤譲より)

*/

場面は変わり、収録7日前の打ち合わせの様子が

最初にテストを行うプランを伝える林さん

「問題をいちおう渡します。で、それを彼らがどうするかは自由です。で、それについて解説をしていきます」
「僕は現代文講師ですから、僕がそれ以外の話をしても仕方がないんで」

ディレクター)聞いてくれそうですか?
「ただいつもね、初めて会う相手に自分の言葉を投げ込んで、その中で通じる言葉を瞬時に選んで、全体の授業を組み立てるっていうことをやってきてますから」

とはいえ、受験生向けのテストは彼らにとって明らかに手に余る代物。答案には空欄が目立つままテストは終了。

(採点時間を兼ねて休憩)

授業開始

「はいこんにちは」
「途中で、もう疲れたと、もう聞きたくないという人は、部屋を出ていって大丈夫です。ただし静かに。ね。あのぅ、ま誰も聞く人がいなくなって、1人になったらもうそこで終了だけど。じゃ今から授業を始めますけれども」

「どうだったこの問題やってみて? 素直な感想をまずちょっと聞かせて」

八木さん(運送業)「難しい」

「難しい。あとは?」
「これ書いたヤツになんか一言ない?」

八木さん(運送業)「もっとわかりやすく書いてほしい」

「なるほどね。君どうかな?」

北島さん(採石工場)「読んでない」

「読んでない。読もうともしなかった?ちょっとは読んでみた?」

北島さん(採石工場)「ちょっとは読んだけど」

「うん。君はどうだった?」

市川さん(解体屋)「なに書いてあるかわかんないっス」

「何書いてあるかわかんない。そっか。」

市川さん(解体屋)「わかんないっス」

「答案見た? 答案、机の中に入ってる」

各自に返された答案を見る生徒たち

「よし!まあいいや。はい。世の中にはいろんな仕事があってね、君たちも立派な仕事をされてると思うけど、まぁこれがオレの仕事。君たちが、わかんない、読む気がしないって言うものを、まぁ一生懸命読んで、教えてる仕事をしてます。」

「これなんでこんな風に書くんだろうね? もうちょっとわかりやすく書けばいいと思う?うん」

「ちょっと、こっちの列のいちばん右の(後方に向かって右側、最後部に座る生徒に)その髪型は、あのぅ、気に入ってるよね?」

國井さん(解体工)「そうですね」

「で、こだわりとか、あるよね?」

國井さん(解体工)「いや… まあ周りの人とかぶらない感じで」

「かぶらないように 要するに自分らしい、オレだけの、表現、でしょ。(教卓を軽く叩いて)この作者も一緒。この人はこういうふうにしてオレのことをわかってくれっていうタイプなの。わかる?」

「僕は正直言って、ああいう髪型に自分がしようとは思わないけれども、だけど、ああいう髪型をしている人をわかんないからっていって、ハネつけはしない。きっとあそこに、彼なりの考えがあるんだろうな、こだわりがあるんだろうな。そういう彼を、なんとか理解しようとする」
「こういう文章を、なんとか読んであげようっていうのは、そういう気持ちと、一緒なんだよ」

「だから、わかんないから、読まない、ってやるのは、簡単なんだけど、わかんないけど、わかってやろうとする気持ちも持っている人が、世の中にはいるわけ。僕が担当している現代文という科目は、そういう気持ちがあるかどうかを見る科目なんです」

(板書)

「筆者っていう人間は世の中には何人もいてこういう文章をいっぱい書くんです。で受験生はこういったセンター試験っていって50万人以上の人が受ける、日本でいちばん多くの受験生が受ける試験。でこれ、まぁはっきり言って読まされるだけです。もし僕が本屋でこの本を見たら買いません。もっと面白い本たくさんあります。でも1人の人間が、とりあえずこんなにわけわかんない形にして一生懸命文章を書いたってことは事実なんですよ」
「そうすると、ここにですね(板書)この問題を作った人、出題者の人です。この人は、筆者がこんなにわかりにくく、はっきり言ってわかりにくく書いてあるのこれ。わかりにくく書いてあるものをわかる人です。こいつが言いたいことはこうだな。だから、じゃあこの受験生も、おんなじようにこの人たちが、この人が言おうとしていることを、我慢して、受け止める気があるだろうか? それを見ている試験なんですよ。だからわかんないからってパッとやめちゃうことは簡単です。でそれは別に悪いことでもなんでもないんです。」

/*注:

ここで板書したのと同じ図を使って林さんが説明をしている動画が、Youtube のToshinHighSchool チャンネルにありましたので、参考に添付しておきます。

 

東進 冬期特別招待講習 – 現代文 林 修 先生「難関大合格への現代文 」(公開日:2012/11/27)
*/

「僕はいつも授業で言ってるけれども、全員が受験勉強を熱心にやって全員東大行って全員学者になったら、この国はつぶれると。たとえば運転手の人がいる。あるいは、建築会社でがんばっている人がいる。そういうふうにそれぞれがそれぞれの仕事でがんばっているから世の中がうまくいく。だから全員が勉強をやればいいなんてこれっぽっちも思ってない。しかし、自分がやらないからと言って、一生懸命そういう世界でがんばっている人を否定するのもどうかと」

「ちょっとずつ、中身説明したら聞く? あまり聞く気もしない?」

斉藤さん(施工業)「聞きたくないでーす」

「聞きたくない。そうか。じゃ君は自分のこと人にわかってほしい? わかってほしくない?」

斉藤さん(施工業)「うーん別に、どっちとも思わないですね。別にわかってもらいたくもないし、別に… まぁわかんないです」

「今、どっちでもいいって言ってたでしょ。わかってもらってもいいしわかってもらわなくてもいいと。じゃ、ちょっと、オレが今から説明するから、少し付き合ってくれる?」

斉藤さん(施工業)「はい」

「よろしく。じゃあ、そうするとちょっと読むよ。「よく知られているように」ですね。ルネサンスに「記譜法」、記譜法って楽譜に音楽を書くってそういうことが発明されたと。君ら楽譜があるの当たり前と思っているかもしれないけど、よーく考えてごらん。音だよ。音書くってすげーヤツがいたと思わない? それが記譜法ってやつ。
(問題文の音読)
《基本的には口頭伝承に依存したものであったわけだが、合理的な記譜法の発明は、そうした音楽を紙の上に書き留めて保つことを可能にしたのである。
そして、ルネサンス期に、そうした記譜法が、更に、ひとつひとつの音の高さや長さを合理的に正確に示し得るように改められてゆくにつれて、かつての口頭伝承依存の時代には思いもよらなかったような、A》

ナレーション)「非常に複雑な音楽が可能になってくる」、その理由を問う問題

「実はここだけでこれ答え出ちゃうんですよ。ま、実際にはそこだけで決めたら危険だけど、この2行だけちょっと集中して読んでくれない?」

「《記譜法が、更に、ひとつひとつの音の高さや長さを合理的に正確に示し得るように改められてゆくにつれて》、ここがよくわからないという人、手を挙げて」

「なるほど。記譜法っていうのは、(板書しながら)音符で音楽をこうやって書く。こういうの見たことあるでしょ? これこういうの記譜法って発明されたと。そうすると、たとえばね、オレも音楽よくわかってないんだけど、音楽才能ないから。ちょっとよくわかってないんだけど、この音がなんとか、ドとかレとかって名前付くよね。ちょっと覚えてるでしょ?オレも覚えてないんだけど。でこういう音符だったら、これが八分音符だっけ?これが四分音符だっけ?こう塗るとね。でこういうのがあって、この高さの音で、この長さですよってことが、はっきりわかるようにいろいろいろんな最初は書き方がされていたんだけど、だんだんと書き方が統一されて…こん中で音楽やる人いないの? ギターとかやる人? 誰もいない?でも楽譜を見て弾いてる友達とかいるでしょ? と、おんなじ楽譜を見るとおんなじように、まあ技術があればね、弾けると。そういう今の楽譜が作られたと」

「わかる? ここどうこの2行? これがちょっとわかってくれないと、前へ進めないんで」

北島さん(採石工場)「それどこの2行?」

「えっとねぇ えーと、傍線Aの2行前のとこ」

生徒「ぼーせんA?」「ぼーせんAっちゃどれね?」

「傍線Aっていうのはね… そうそうそう傍線Aっていうのあるでしょ。Aって書いてあるやつ太い線で。その2行前んとこに、
《記譜法が、(更に、)ひとつひとつの音の高さや長さを合理的に正確に示し得るように改められてゆくにつれて》って書いてあるのわかるかな?」

生徒「えっどこ?」「どこ読んでんの?」「傍線Aの2行前?」

(生徒の席に寄っていって)「この傍線Aの前のところで、《そうした記譜法が、更に、ひとつひとつの音の高さや長さを合理的に正確に示し》えー《得るように改められてゆくにつれて》って書いてあるでしょ。そこそこそこ。そうだよ。そうそうそうそう。そこの意味わかるかな? それが今説明したこと だから…」

生徒「ルネサンスて誰?」

「ルネサンスてのはまあだいたい、4~500年前かな。うん。
《ひとつひとつの音の高さや長さを合理的に正確に示し…》」

ナレーション)林先生が、かつて経験したことのないレベルの生徒たち。

「2番の選択肢3ちょ、じゃあ君ちょっと読んでくれる? あそう名前読みながらの方がいいね。名簿もらってたんだよねそういえば…あれ名簿置いてきちゃったかな。いいや。(指差して)うん」

ナレーション)このときのことを、林先生はこう語っている。
「まあホントね、慢心」

「ぶつかるどころか呑み込めると思ってた。実際そうやって予備校では授業やってるんで」

「おんなじ方向を向いてる。予備校の生徒は東大行きたいとかでしょ。そうするとその先に僕いるから、呑み込めるんですよ。だけどやつらは僕の方向向いてないから。こっち向かせようってときなんだよってガツーンとぶつかったら、意外とあいつらのほうが強かったんだよね」

ディレクター)向かせるためにいちばん気をつけたところはどこですか?

「人間としてぶつかること。人間力勝負」

「だから僕が普段使っている武器はほとんど使えない」

「ひとりの人間としてぶつかっていくしかない状況で」

ナレーション)この言葉どおり、ここからは、東進ハイスクールでは決して見られない、林修の人間力のぶつかり合いをご覧ください。

「これだけ使って、この文章の作者が言ってることはたったこれだけ。記譜法が発明されて音の高さ長さが正確に、表現できるようになった。だから複雑な音楽が可能になった。そういうふうに読めるでしょってこの人(出題者)は聞いてるわけ。だから文章がわかるかわからないかっていうのは、どこまで向き合って、その人を受け止めてあげようとしているかどうか。そういうことができるかどうかを見る科目、が現代文。
まあ、僕はこういう仕事をしているよって自己紹介はこの辺で終わって」

つづく。

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