「写生」をめぐる斉藤斎藤さんの対話録【Tweetまとめ】

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こんにちは。

先日、斉藤斎藤さんのTwitterアカウント(@saitohsaitoh)で、「写生」について(というか、それ以前のレベルで)非常に繊細な議論がかわされていたので、勝手に採録しておきます。

ところどころツイートの要約をはさんで続けます。

「写生」とは言語化不可能な「現実」に向き合うための方法

斎藤茂吉の「写生」と佐藤佐太郎の「写生」はぜんぜん違う

文章からは「短歌には詳しくなくても、文学理論で裁断していい」という短歌に対する差別を感じてしまう

主題である佐藤佐太郎(誰?)の「写生」との類似性に踏み入る前の段階で、大変に繊細な議論となっていました。

後半は、

という方向での、また別のアカウントとの対話録です。

斉藤斎藤さんの短歌の妙味を存分に味わうには、このあたりに漂うデリカシーを理解できるかがポイントのような気がします。私見です。

このポイントで齟齬を生じると、こういう結末となります。これも私見。

思うに、斉藤斎藤さんのいう「(言語化不可能な)現実」と「写生」のあわいのどこかに、斉藤さんの繊細な「わたし」に属するエリア、卑俗な言い方をするとデリケートゾーンがあって、その自覚もなくそこへうっかり分け入ってしまっているから、かみ合わないまま追い出されて終わっているんだろうなあと。そんな感想を持ちました。

そんなこんなで

詳細な文脈までつかめませんが、ともかく、デリカシーの足りない人って、およそ文芸には向いていないと思います。いい悪いではなくて、向き不向きの話。とかいうこれ自体も、デリカシーを欠いた大ざっぱなもの言いですけどね。

わかりやすく図式化していえば、デリカシーが服を着たような弟・千原ジュニアさんと、がさつが服を着たような兄・千原せいじさんとの違いです。

ジュニアさんいわく「デリカシーのかけらもない」「残念な兄」せいじさんは、半面、誰とでも一瞬で打ち解けることができ、特に「世界の村で発見! こんなところに日本人」(ABC系)のアフリカロケでは抜群の適性を見せています。そんな感じの向き不向きの話。

おまえの世界に
存在しない
俺の世界の
ほぼど真ん中
ガムを噛んでいる

斉藤斎藤

マツコ&有吉怒り新党(2015/06/03 OA)で紹介されていた一首をまるパクリしてみました。

おわり

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