「東京五輪・公式エンブレム全力応援!プロジェクト」はじめました。―計画書(1)

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そうだ!できる!大丈夫!キミならできる!!

残暑お見舞い申し上げます。デザイン修造です。

オリンピック公式エンブレム全力応援!プロジェクトを始めます。


『大丈夫! キミならできる! —松岡修造の熱血応援メッセージ』(2012)

そんな、デザイン芸人のデザイン修造チャレンジです。

公式エンブレム全力応援!プロジェクト憲章

www.tokyo2020.jp/jp/より

デザイン芸人「デザインや」は、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会・公式エンブレムのデザインを全力で応援します。

その魅力を存分に語ることにより、次のツイートに集約されているような世の声にお答えしてまいります。

ここにいます。アレが良いです。

というわけで、多くの素人諸氏にシックリきてもらうことが当プロジェクトの目的です。

そんな全力応援プロジェクトを遂行するために、まずはプロジェクト計画を策定しました。

※注 当該のエンブレム・ロゴについて、以下「五輪エンブレム」と表記します。

基本的な考え方(スコープ)

プロジェクトが狙いとするスコープとは、

素人とのコミュニケーション です。

以下はその説明です。

基本的考え方:五輪エンブレムの素晴らしさ

あの五輪エンブレムは素晴らしいデザインです。デザイン芸人の知る限り、他のどの対案よりも優れています。

なぜならば、

  • 最も「公式」の矜持と責任を感じるデザインだからです。
  • 言わば、デザインが「公式」を背負ってゆく覚悟を持っています。

この点において、定義上から無責任なあり方しかできない素人さんには、太刀打ちができません。

その魅力(1)

まず表面的なところから魅力を語ると、

  • シンプルかつフラットな図案
    • 加えて、きわめて日本的な配色
  • 優れた拡張性
    • とりわけ、デジタル表現との高い親和性

です。

こうした各点に、従来のエンブレムにはないところでのメッセージの強さを感じます。

これだけでは「何のことやら」でしょうから、のちのち個々のトピックのところで詳しく語っていくことにします。

魅力(2)「21世紀型社会の確立」志向をもシンボリックに表現

ですから一段と大げさに吹いてしまうと、この五輪エンブレムは来るべき「21世紀型社会の姿」すら表象しているように、私には思えてくるのです。

というのも、この五輪エンブレムには、ここ10~15年の間に進行している世界の動きがシンボリックに取り入れられているからです。

それをひとことで言えば、

  • 「近代」の衰退、そして終焉

であります。近代産業しかり近代国家しかり、あらゆる「近代」が限界を見せを退潮を迎え始めているのが今世紀初頭の流れです。もちろん近代オリンピックも、その例外ではありません。

近代の「終わりの始まり」が始まっています。

従来の華やかな色使いのエンブレムデザインとは一線を画す五輪エンブレムの意匠に、どことなくそんな潮流を取り入れた主張を感じているところです。

来るべき社会のありようを提案

つまり別の言い方をすると、

  • そろそろ次は、こういう社会を目指そうよ

という「21世紀型社会の確立」を志向する、それだけの理念をデザインが持っているということです。

五輪エンブレムの“真の姿”からは、そんな「声」すら聞こえてくるような気がいたします。

新しすぎて早すぎるゆえ弊害も

しかし残念ながら、世間一般では、エンブレムが秘めるこうした新しさ、未来志向まではほとんど理解されていないように思います。

最大の理由は素人向けコミュニケーションの不足と不全でしょう。けれどももうひとつの理由としては、そうしたコンセプトまで取り込んではいても、表現が抽象的すぎることにもあるように思います。

作者からは「そこまで意味ないよ」と言われてしまいそうですけどね。

このデザインの持つ「声」が完全には理解されていないという点では、大会組織委員会も例外ではありません。海外からの「酷似」指摘の対応を見るに、「デザイナー」不在にすら見えてしまいます。

ここらも視野に入れつつも、語りはつとめて平易に進めていきたいと思います。

問題点は、対「素人」コミュニケーションの失敗

以上で述べたように、私にとって五輪公式エンブレムは非常に優れたデザインであるわけです。

にもかかわらず、そういった魅力が素人の側にまったくと言っていいほど伝わっていません。五輪エンブレムに対する世評には、不正確な、ないしは表層的で偏狭な視点からのものが少なくありません。

この事実は非常に残念で、悲しく思います。

なぜ、そんなことになっているのでしょうか。

問題構造の分析

くり返しますが、なぜならば「デザイン」の側からの素人へのコミュニケーションに失敗しているからです。

といっても、デザイン自身は、デザインによってしか語れません。語りようがありません。

そこに専門家の出番があります。しかし今回の一連の騒動でわかったのは、「専門の人」の側からの素人向けの言葉が、きわめて貧弱であることです。リエージュ劇場ロゴ盗作の疑惑を受けて5日(8月)に開かれた組織委員会と佐野研二郎さんの記者会見でも、悪手が目立ちました。

その貧弱ぶりも、ベルギー側の提訴によって「事件」へ発展した盗作騒動の遠因になっているようにすら思えます。

共通する問題構造として

「素人とのコミュニケーションの貧困問題」、これはなにも、デザイン業界に限った話でもありません。どの業界でも大なり小なりある構造的な問題に思えます。

今般「素人」を検討してきてわかったのは、絶対的な不変の素人など、存在しないということです。「素人」を構成する人員は、場面場面の状況ごとに入れ替わります。

自身が素人である状況を思い返してみても、「玄人」の側からまるで意思の疎通が図れないコミュニケーションスタイルを取られる経験は、しばしばあります。

という具合に、一段ハイレベルにとらえると、業界に関係なく、ほとんどの人にとって他人事でない問題として受け止めることができるかと思います。

参考過去記事:「じゃない」でわかる「素人」論―「東京五輪エンブレム」「STAP細胞」会見後のツイート比較から(2015/08/13)

改めて述べますと、ここは「素人との意思疎通を通じたケア」をプロジェクトのスコープ(計画および実施の範囲)とします。

到達目標

五輪エンブレムに対する
「誰が見ても」「どう見ても」の緩和

に目標を設定します。低い目標ですが、この水準でさしあたりはOKです。

説明

ツイートやその他ネット内外の論調を見ていますと

  • 誰が見ても○○
  • どう見ても/考えても××

式のもの言いがしばしばされていることがあります。

少なくとも、不肖デザイン芸人「デザインや」は、ぜんぜん違う見方をしているのになーと感じる、そんな日々です。

見方として、人として、どちらもカウント対象にされていないようで、さみしく思います。

取り組み方

そうした「誰が見ても」「どう見ても」式の論説への対抗として

  • こうも考えられる
  • こんな見方もある
  • こう受け取ってはどうか

と紹介、提案していきます。

小粋に言い換えると、それはちょっぴり、世界を豊かにする方法たちです。

目指さないこと:相違の解消

当プロジェクトでは、そうした素人の見解にひとつひとつ反論を加えていくわけですが、無理に相違を解消したり、反対にかえって対立構造を強化させたりすることが、その目的ではありません。

見解の相違は残っていていいです。議題に関する観点は出し尽くしたい、そういう話です。

効果の計測

ネットに出現する「誰が見ても」「どう見ても」式の論に対し、同調だけではなく、異論も返ってきているかどうか、その具合で効果を計測します。

監督対象

Twitterの関連キーワードでの検索結果を監督対象とします。

対象の各論点については、当計画書の後半で述べます。

おことわり:「作品」全力応援!ですから!

ひとつ誤解がないように申し添えておきます。

当プロジェクトにおいてデザイン芸人が全力で応援したいのは、五輪公式エンブレムという「作品」です。それ以外の何ものでもありません。

重ね重ね、この点取り違えなきよう切にお願い申し上げます。

エンブレム「酷似」指摘後の騒動をめぐる対応を見聞きする範囲でも、一方の「作者ら」という「ひと系」の側はあまり評価できません。大会組織委員会にしろデザイナーにしろ、悪手・失点が多すぎます。

「デザイナー」とされる佐野研二郎さんの過去の業績については私などよりはるかに熱心な方がおられるようですので、観察事実からうかがえる大会組織委員会の闇の部分についても、別途具体的に照らしていく所存です。

(第3回選抜総選挙的な)総括

総選挙のスピーチ風に申し上げるならば、要するに、

  • デザイナーのことは嫌いでも、デザインは嫌いにならないでください。

ということです。

後半へつづく

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