新国立競技場の失敗を記念して『失敗の本質』を読もう!

こんにちは。

能の無い生涯を送る老人が百家争鳴に乗っかり、人の無能を嗤います。

用件はタイトルのとおりです。

失敗案件「新国立競技場」の誕生

近ごろは新国立競技場の事案が派手にやらかしています。

新国立競技場|日本スポーツ振興センター より

かつての新加勢大周どころでない盛り上がりようです。

20150713_54367_200805070768740001210145563c

新加勢大周(現・坂本一生さん)|ORICON STYLE(2008/05/07付)より

独居老人のところにまでもれ伝わるニュースを見聞きして、完全に『失敗の本質』入りの案件だわなあと思って、久しぶりに同書を読み直してみました。

大東亜戦争における諸作戦の失敗を、組織としての日本軍の失敗ととらえ直し、これを現代の組織一般にとっての教訓あるいは反面教師として活用することをねらいとした

(文庫版カバーより)

という本です。

再読『失敗の本質』

新国立競技場の事案と一致度の高いところを2つピックアップします。

日本(軍)の戦略・組織特性

二章末尾の「要約」にある「日本軍と米軍の戦略・組織特性比較」(表2-3)からです。

日本軍の部分のみ取り出しました。

    <戦略に関して>

  • 目的:不明確
  • 戦略志向:短期決戦
  • 戦略策定:帰納的(インクリメンタル) ←「積み上げ式」ということ
  • 戦略オプション:狭い ―統合戦略の欠如―
  • 技術体系:一点豪華主義
    <組織に関して>

  • 構造:集団主義(人的ネットワーク・プロセス)
  • 統合:属人的統合(人間関係)
  • 学習:シングル・ループ ←最適解の追求にのみ邁進し、目標と問題構造を問わない学習スタイル
  • 評価:動機・プロセス

ここらが、構造主義(システム重視)・結果重視でダブルループ学習を行う米軍と実に好対照をなしていると、『失敗の本質』の著者たちは指摘します。

そのまま日本的組織の特性にスライドできます。その意味で「軍」いらない。

あらためてメシウマ(飯が美味い)です。

インパール作戦

私のTwitterタイムラインで「同じじゃねーか」と評判しきりだったのが、同書の一章に収められている事例研究の4つめ「インパール作戦」です。

冒頭のくだり。 ※下線は引用者

しなくてもよかった作戦。戦略的合理性を欠いたこの作戦がなぜ実施されるに至ったのか。作戦計画の決定過程に焦点をあて、人間関係を過度に重視する情緒主義や強烈な個人の突出を許容するシステムを明らかにする。

ははは。

決定過程が面白いように符合していました。やっべー。

末尾の「アナリシス」のくだりは先に記事化ずみです。

新国立競技場の失敗が、30年前から『失敗の本質』で予言されていた件(2015/07/13)

一致しすぎてメシウマ

新国立競技場にまつわるあれこれを伝え聞くだに、やばいほどそのまんまです。

おすすめです。きっとメシウマです。

まとめ

なんでみな当事者になると、えてして無能になってしまうのか。

考えるべきはそこかなと思います。

関連サイト

関連情報の記載されたサイトをいくつかリンクしておきます。

概要

若干品性を欠く書きぶりがアレですが、おおよその経緯はつかめます。

すでに「ご同輩」あり

アゴラチャンネルにて池田信夫さんのVlog、「新国立競技場『失敗の本質』」を公開しました。

と、いろいろとアレな評判も絶えない池田信夫さんとネタがかぶってしまったのもアレですが、あれはあれとします。

「負ける」提案

百家争鳴の中から検討に値する提言も多く出ているように思います。見聞きした中での一例として。

建築は、設計者の自我の主張、押し付けではない。むしろ、周辺の環境に「負ける」ことが大切。

規模を追い求める愚かな発想はやめ、原点に戻った最低限の仕様にすべきである。これも、政治決断が必要な点だろう。

しめの論語

最後に孔子のありがたいお言葉を頂戴してお開きと致します。いずれも、テキストはWeb漢文体系から取りました。

子罕第九 24

子(し)曰(いわ)く、忠信(ちゅうしん)を主(しゅ)とし、己(おのれ)に如(し)かざる者(もの)を友(とも)とする毋(な)かれ。過(あやま)ちては則(すなわ)ち改(あらた)むるに憚(はば)かること勿(な)かれ。

「子曰く」以降の現代語訳です。(下村湖人訳)

忠実に信義を第一義として一切の言動を貫くがいい。安易に自分より知徳の劣った人と交わって、いい気になるのは禁物だ。人間だから過失はあるだろうが、大事なのは、その過失を即座に勇敢に改めることだ

衛霊公第十五 29

子(し)曰(いわ)く、過(あやま)ちて改(あらた)めざる、是(これ)を過(あやま)ちと謂(い)う。

同じく、下村湖人による現代語訳。

過って改めないのを、過ちというのだ

と、いうことですわーね。

以上、安易に交わると危険な、生きる無能からでした。

(偶然にも上の行までで2020文字)

コメント

タイトルとURLをコピーしました