ウィリアム・ギブスンの語る「テレビ」2題(1988, 1996)

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こんにちは。以前に書いた

出典マニアが「『ニューロマンサー』冒頭の空の色は青」とかいう珍説を供養しておきました。(2014/11/29)

を補う、サイバー補遺パンク記事です。

日数をカウントするとまだ早いですが、四十九日法要的な位置づけとして、追善しておきます。

この記事に書くこと

『ニューロマンサー』の作者、ウィリアム・ギブスン(b.1948)のテレビに関する言明を2つ紹介します。

そこから、彼にとっての「テレビ」像を探り、『ニューロマンサー』冒頭の一文にある「テレビの空きチャンネルに合わせた空の色」とは「砂嵐」以外にありえないことの傍証を目指します。

※画像は、ja.wikipedia.orgより

1.「Computer Gaming World」誌インタビュー(1988)

1988年に『Neuromancer』が米国でコンピュータゲーム化された際に、ギブスンがゲーム雑誌でのインタビューに答えていることを、こちらのツイートで知りました。

当該のインタビューは、「Computer Gaming World」 #051(1988/09)(PDF)の30ページにありました。

テレビに関する言明を抜粋します。

2015-01-05_2145

日本語にしてみました。

CGW: (略)Do you perceive this "street-wise" technology as a positive, neutral, or negative impact on social evolution? Does the evolution of computer entertainment have a place in this?

(拙訳)
CGW誌: 社会の進化に対する影響として、こういう「ストリートワイズ」な(≒現代の都市で生き抜くための)テクノロジーを、ポジティブか、ネガティブか、中立的か、どうとらえていらっしゃいますか? そのなかに、コンピュータエンタテイメントの進化も入ってくるでしょうか?

Gibson: Positive or negative, it’s just there. We’re surrounded by the stuff, we’re of it. I’m old enough (40) to remember when there was no tv. Then there was, a little round screen the size of a saucer, mounted in this big box of varnished wood. Hold that image while you fastforward about thirty-five years to … what? MTV? How could anyone have predicted this from the fact of that?
Computer entertainment will probably have a similar impact. I don’t see why it shouldn’t. Although I don’t think we’ve yet grasped what it is exactly that television has already done to us …

(拙訳)
ギブスン: ポジティブであれネガティブであれ、テクノロジーはただそこにあるだけです。みんなそういうモノに囲まれ、それに属しています。私もそこそこの年ですから(40歳)、テレビのない時代を覚えています。当初テレビは、お皿サイズの小さな円い画面でした。つやつやした大きな木の箱に入って。そのイメージのまま、35年ほど時間を進めてみてくださいよ…ね?MTV? どうやってそこから今日のテレビを予見できるっていうんですか?
コンピュータエンタテイメントも、たぶん今日のテレビと同じような影響力を持つでしょうね。私には、そうならない理由がわかりません。といっても、テレビが一体われわれに対して何を為したのか、自分自身で腑に落ちているわけではないですが…

具体的に『ニューロマンサー』とからめてどうこう言えるレベルではありませんが、ギブスンとテレビとの距離感、また彼のテレビ観がうかがえる記述ではあります。

2.インターネットは時間の浪費(1996)

勃発!『ニューロマンサー』冒頭の「空の色」問題【Tweetまとめ】(2014/11/29)を公開した頃に、こんなツイートがありました。

そうなんですね。

ツイートの添付画像に写っているのはこちらの書籍でした。

このなかで、ギブスンはテレビに関してこのように述懐しています。(白石朗訳)

ぼくは一九四八年生まれ。テレビ以前の時代は記憶にないけれど、自分がそれを体験したことは知識として知っている。ベークライト製の武骨なつまみ類に、いまこれを書いているパワーブックのディスプレイと五十歩百歩の画面のついた、木製の家具のようなものがわが家にやってきたときのことも、おぼろげながら覚えている。(pp.67-68)

「空の色」に関連しそうなくだりはここからです。

最初のうちその画面には、ただ〝 雪〟が降っているだけだった。やがて〝テストパターン〟という名前のついた標的のような模様が、夜ごと画面に降臨してくるようになった。いまでは信じがたいことだが、それを見るためだけに人々があつまりさえしたのだ。
いまネット・サーフィンでWWWをうろついていると、あのテストパターンのことが思い出されてくる。(p.68)

「テレビ」のイメージ according to WG

ここから、ギブスンにとっての「テレビ」の状態を時系列に展開すると、さしずめこうなるでしょう。

    時期:状態

  • 「降臨」以前:「雪」
  • 「降臨」:テストパターン
  • 生きている(alive):様々な番組コンテンツ
  • 死んだ(dead):?

『ニューロマンサー』冒頭の解読・再び

ではここであらためて、『ニューロマンサー』冒頭の一文を検討してみましょう。

港の空の色は、空きチャンネルに合わせたTVの色だった。

The sky above the port was the color of television, tuned to a dead channel.

この印象的すぎるフレーズ、「a dead channel」=「死んだチャンネル」は、原作者ギブスンにとってどういうイメージだったのでしょうか?

つまるところそれは、テレビの「雪」=日本語でいう「砂嵐」以外にありえないように、私には思えます。

テレビの「臨終後」時代を示唆?

また、当記事で紹介したような周辺情報をふまえれば、チバシティの港の空が、テレビの「死んだ」チャンネルの色だった。という記述からは、この作品の時代設定が、「テレビが旧時代の遺物と化した未来」を示唆するものにも読み取れます。

同じテレビの「雪」(砂嵐)でも、それはテレビの「降臨」を感じさせる雪ではなく、テレビが「臨終」を迎えた後の「核の冬」的な雪なのであります。

付記

いくつか補足事項です。


テレビの「砂嵐」は、英語では「snow」です。(Wikipedia: noise (video)


ギブスンによるエッセイの英語原文はWebで全文公開されていました。無料で読めます:

The Net Is a Waste of Time(nytimes.com)(1996/07/14付)


「a dead channel」というのは、日常での用例がほとんどない、非常に文学的な表現です。詳しくは

『ニューロマンサー』「空の色」問題・外伝―原文フレーズがえらく文学的(2014/11/29)

に書きましたのでそちらをご覧ください。


日本語の『ニューロマンサー』では「a dead channel」が「空きチャンネル」となっています。けれどもこれがきわめて独特なフレーズである事実を考慮すれば、直訳で「死んだチャンネル」とした方がまだ適切だったのかもしれません。

「翻訳の根源的困難」という切り口で、別途記事にしたい話です。

ひとまずは以上です。


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