そうであることと「そうである」と言うこととの関係

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こんにちは。

考えをハイレベルで整理するための記事です。特にオチはありません。

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この記事で言いたいこと

  • そうであること
  • 「そうである」と言うこと

この両者は別の話です。究極には無関係です。

ところが、この2つが別でない世界があります。もう少し正確に述べると、この両者を区別なく同一視する人が、確かにいそうな感触があります。

三色パンモデル

私の提唱する「三色パンモデル」になぞらえて言えば、

  • そうであることは、事象に属する話
  • 「そうである」と言うことは、記述(+受容)に属する話

です。別の話です。

図:世界を表す「三色パンモデル」

しかしこれらが混然一体となってしまう世界観の持ち主が、少なからず実在するようなのです。

そう考えてしまうのも、世界のとらえ方が複雑になったヒトゆえの、生物種としての業病のようなものかなという気がしています。

なおモデルの詳細については過去記事「世界のあり方を示す「三色パンモデル」の提案」(2014/11/02)を参照してください。

2つの事例

レベルを下げて、2つの例で述べてみます。

  1. STAP細胞
  2. 阿曽山大噴火さん

1.STAP細胞

  • STAP細胞があること
  • 「STAP細胞がある」と言うこと

両者は別のことです。究極には無関係です。

数々の事実から「ない」ことが強く示唆されたにもかかわらず、「STAP細胞はあります」と言っているのだから実在するのではないか、と言葉に引っ張られてしまった層が一定数いた、現時点からふりかえるとそう言えそうです。

「ある」に関する補足

1点補足します。

「空想の産物」という意味で「STAP細胞はある」とも言えてしまうので、ここでの「ある」とは、

  • 酸性刺激により多能性が獲得できた細胞の実在が裏づけられた実験結果が存在する

ほどの狭い意味においてです。

2.阿曽山大噴火さん

裁判傍聴を主な活動のフィールドにされている、阿曽山大噴火(あそざん だいふんか)さんという方がいらっしゃいます。

本名の「阿曽」姓から付いた芸名のようです。

さて

  • 阿蘇山の活動
  • 阿曽山大噴火さんの活動

の両者は別のことです。無関係です。

また

  • 阿蘇山大噴火
  • 「阿蘇山大噴火」と言うこと

この両者も別のことです。究極には無関係です。

「関係あり」発想

ところが、無関係に受け取れない層が実在します。

代表として、一部公開されていたこちらのテキストを借ります。

もし仮に今週のニッポン放送ラジオのゲストが「阿曽山大噴火(あそざんだいふんか)」さんだったとして、そのまま出演していただくかとなると、ん~、私がディレクターなら考えますね。

出典:辛坊治郎メールマガジン第188号(10月3日発行)「御嶽山に関するデマ」(2014年10月03日発行)より

裏づけは取れていませんが、実際、御嶽山の噴火があってからしばらくの間、阿曽山さんは「あそちゃん」や本名の「阿曽道昭」名義でラジオ出演されていたようです。

阿曽山さん本人も

とツイートされていました。

示唆に富むテキスト

この人の芸名は、今回の大噴火とは全く関係ありませんし、もちろん不幸な状況についてなんら責任を問われるものでもありません。

としながらも、

でもねえ、この事態にゲストが「阿曽山大噴火(あそざんだいふんか)」は、マズくないですか?

としている辛坊治郎さんのメルマガテキストは、非常に示唆に富んでいます。

なんでマズいと思うのか? という話です。

「記述が事象に関与する」という世界観

どうも世の中には、互いに無関係であるはずの

  • そうであること
  • 「そうである」と言うこと

を、関係があるかのようにとらえる層が実在していそうです。

大噴火さんの不都合な真実:誕生日

奇遇にも、御嶽山が噴火した9月27日は、阿曽山大噴火さんの誕生日でした。上述の、辛坊治郎メールマガジン第188号(10月3日発行)「御嶽山に関するデマ」で知りました。

この人の誕生日は9月27日です。正に御嶽山大噴火の日です。

無関係と割り切れない層に受けそうなネタではあります。

言霊思想と?

メルマガのテキストは、こう続きます。 ※下線は引用者

この日に阿曽山大噴火さんをゲストに招いて、「大噴火さん、おめでとうございます」は決して言えません

なぜでしょうか?

井沢元彦さんなら、これを「言霊(ことだま)思想」と言うでしょう。

言霊思想を簡単に説明すると、事象と記述の両者を同一視し、

  • そうであること
  • 「そうである」と言うこと

の両者を同一の地平でとらえる思想です。そうした世界観をおしすすめると、「私は金持ち」と言っただけで、私は金持ちになれます。

「言霊」のように、世の事象の因果を「言ったこと」に求め関係づけてしまう発想は、種として「記述」が発達したゆえの、素朴な、きわめて人間らしい考え方、信仰とも言えます。

「ボツになった番組タイトル候補」

阿曽山大噴火さんにからんで、こんなツイートも見かけました。番組タイトルにまつわるものです。

付言しておきますと、番組制作サイドが言霊思想の信奉者というわけではないでしょう。

彼らの「マーケット」、すなわち、テレビ・ラジオ番組の視聴者(聴取者)層に合わせているという話です。

まとめ:言霊の、その先へ

御嶽山噴火による死亡事故があってから阿曽山大噴火さんが芸名で活動できなかったことや、事故後を想定して「雪崩式」というタイトル付けを避けることの根底には言霊思想がある。そういう見方を取れば、大枠では説明が付くように思います。

しかし言霊だけですべてを語りきれるかというと、それもまた十分でないのではという気もいたします。何も根拠はないですが。

別の方向からも考えようと画策していますが、いまだノープランです。世間の過半がこの水準へ到達する前に、自分の議論は先へ進めておく予定です。

特にオチはないです。

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