今こそ必読!日本コロムビア「佐村河内守の交響曲第1番を楽しむ50の方法」

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こんにちは。幻想音楽家ヤシロ河内です。

今こそ読む値打ちがあるWebテキストを紹介します。

A-bomb Hiroshima: commons.wikimedia.org

はじめに

とある日本語の来歴を調べていて「これって、新垣隆さんがゴーストライターとして曲を書いていた佐村河内さんと同んなじ構造じゃん」と思い至りました。

同んなじと言ってみたものの、当該の事案は騒動になって軽く乗っかった程度で、詳細な経緯はよく知りません。

そのあたりを確認するために検索して見つけたこちらのテキストが大変よかったです。

2014-05-25_1732

2013年6月、文中の言葉を借りれば「佐村河内祭り」のさなかに公表された文章となります。元は同社のメルマガに掲載されたもののようです。

筆者は「粟野光一」とありました。プロフィールを額面どおり受け取ると、粟野さんは社員や関係者ではなく、一介のクラシック音楽ファンの方のようであります。

なお、タイトルには「50の方法」とありますが、記事中に該当する記述は見当たりません。口悪く言えば、目に留めてもらうための「タイトル偽装」ですね。これ以上はどうでもいいです。

今こそ楽しめる「佐村河内守の交響曲第1番を楽しむ50の方法」(2013年6月)のお楽しみポイント

さて

2011年7月のリリース以来、クラシックとしては異例の17万枚の売上げを記録し、今なお売れ続けているという佐村河内守の交響曲第1番のディスクを、今更ですが私も聴きました。

と始まるこのテキスト、実は本当の作曲者が「ゴースト」新垣隆さんであったことをふまえて読むと、実に味わい深いのです。

特に強い感興を呼んだくだりをピックアップします。※下線は引用者

まず、全曲を聴いてみての感想は「素直にいい曲」ということに尽きます。(略)「素直に」なんて書いているということは、つまり、手放しに「いい曲」とは思えない、ということです。

まず、私には、この交響曲は、ただ苦しみや悲しみに耐え忍ぶだけの人が書いた音楽に思えるのです。いや、正確に言うと、耐え忍ぶことしか許されていない人の音楽

あまりに正鵠を得ているので、身震いしました。

こちらもいいです。

ただひたすら作曲者の内面で鳴り響くものが音楽になっているのであって、絶え間ない苦しみに呻き、痛みに身を捩り、ままならぬ体を横たえ、ただ救済の時を夢見るしかないという閉塞した絶望に塗りつぶされてしまった音楽だと思える。

…全身を覆っていたはずの苦痛がカタルシスを孕んだ陶酔へと転化していく法悦に貫かれそうになると、私の心が全力で抵抗する。思わず「違う!」と叫びたくなるのです。

鋭い。そうなんです。違ったんです。

聴き手側にも辛辣です。

…CDショップのHPのユーザーレビューや一部のブログ、そしてテレビ番組の予告などでのたくさんの熱狂的な賛辞を思い出し、「この人たちはもしかしてとてもナイーヴな人たちなのではないだろうか」と冷笑的に見ていた自分を思い出して胸が痛むのです。そう、ナイーヴというのは、繊細なという意味ではなく、「うぶでだまされやすい」という言葉本来の意味

これも鋭い。

白眉はこちらです。

と、そのようないささか不毛な逡巡をしているうち、私は、この佐村河内守の交響曲とは、実は最も本質的には、聴いている主体に対して「お前は何者だ?」と厳しく問いかける音楽なのだと思い至りました。

ひとしきり大笑いして、うなってしまいました。

まるで予言の書です。

まるで、記者たちがこぞって佐村河内さんに「お前は何者だ?」と厳しく問いかけた記者会見を見通していたかのような書きぶりです。

答えは周知のとおりです。

おことわり

なお念のため付け加えておきます。僕はこの《交響曲第1番 HIROSHIMA》を、1秒たりとも聞いたことがありません。

本当は聞こえていた

となると気になるのが「あの人は今」です。

上の文章を書かれた粟野さんは、新垣さんによるゴースト暴露会見のあった2014年2月、ご自分のブログの「自己批判」などのカテゴリーで、長い長い「ポエム」を書かれていました。

リンクだけ張っておきます。

けれども僕が思うに、上で引用した文章に関しては、何ら恥じることはないです。

引用した部分からは、はっきりとではないにしても、この方には確かに聞こえていたことがわかりますから。

考察

教訓その1

ここから教訓めいたものをひとつひねり出すならば、

  • ナンシー関(1962-2002)は正しかった

となります。

評伝 ナンシー関』(横田増生, 2012)の受け売りですが、彼女は「画面に見えているものしか見ない」と公言し、批評のポリシーとしていたといいます。

何人であれ、何かを語るにあたっては、それが最もストイックで誠実な姿勢である気がします。

あるいは見えていない部分を語るのなら、少なくともそれを語る自分が、それが創作の物語であることの自覚を持っておかなければいけません。

教訓その2

そして常に、「それは違う」という心の声を聞き逃してはいけない。そう思いました。

結論に飛びついてはいけないが、
自分の第一印象は無視するな

出典:『ライト、ついてますか』(ゴース/ワインバーグ, 1987)

けだし名言です。それはゴーストではないのです。

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