「大喜利」の新聞初出を追うと【小ネタ】

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こんにちは。

出典マニアの寄り道報告です。本来の調査は未完です。

調査テーマは「大喜利」

大喜利を調べたくなりました。

辞書で「大喜利」って引いてみた

辞書で「おおぎり」を引くと、見出し語は「大切り」になっています。広辞苑の例から。

(「大喜利」とも書く)歌舞伎狂言で、その日演ずる最終のもの。切狂言。また、寄席で、その日最後の出しもの。

現今の用法よりも意味する範囲が広いです。

では大喜利はいつから、もっぱら今のような、テレビ番組で言えば笑点着信御礼!ケータイ大喜利、あるいはIPPONグランプリのような形式のものを指すようになったのでしょうか。

新聞記事文庫で探す

それを探るため、まずは(大切りから派生した)「大喜利」という新しい表記がいつ頃から使われているか、新聞記事文庫で探してみました。

2つ見つかったうちの古かった方、大正7年の用例から引用します。
※下線は引用者 漢字は新字体にしています

多見蔵一座の納涼劇開演中の浪花座は遂に午後九時半に至り大喜利「夜這星」を残して打出し、(後略)

出所:大阪朝日新聞(1918/08/14付)

広辞苑が指している、広い意味の「大喜利」です。

むしろこっちが気になる

というかこの記事、

2014-05-21_2202

他より大きな活字になってる「形勢不穏の兆あり」とか「内外の燈火を滅し」ってなに?

こんな書き出しだし。

千日前、道頓堀の盛場に於ても十三日宵の頃より何となく形勢不穏の兆あり

見出しもこんなです。

2014-05-21_2203

※画像は、盛場皆燈火を滅す : 主なる興業物は中途で閉場 : 此んな光景は嘗てなかつた 大阪朝日新聞(1918/08/14付)|新聞記事文庫より

「此んな光景は嘗てなかつた」とか、煽り成分を差し引いてもただならぬ雰囲気が感じられます。

なのに、なんでそんなことになっているのか、何も書いてありません。リアルタイムのその時点では、わざわざ書く必要のない周知の話であったようです。

大正7年8月の大阪にいったい、何があったのでしょうか?

正解は

日付の近い記事を探してみると、答えがわかりました。

正解は

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十二日午後大阪市南区田島町方面に現れたる白昼の米商襲撃団は漸次其数増加して五六百名となり数千名の弥次馬の中に巧に潜み(略)一隊は(略)藤原亀吉方を襲い「金を出すから二升呉れろ」と五十銭紙幣を突附け二三人を相手に家人が売る売らぬの押問答中に忽ち三十余名の多人数となり既に暴行を為さんとせし

大阪も全市騒擾 : 各方面に襲撃団起る|大阪朝日新聞(1918/08/13付)

米騒動

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博多華丸さん(2005)
※画像は、第7回 細かすぎて伝わらないモノマネ選手権(2005/12/29 OA)より

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