恋愛論授業に存在した「不連続面」―9月15日「あすなろラボ」林修さん授業感想(2)

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こんばんは。林修ナイトの時間です。

9月15日の「あすなろラボ」授業の感想シリーズ、その2です。シリーズに通底するキーワードは「ポジション」です。

この記事では、僕が見て感じた林修さんの「授業」外の課題について書きます。

この記事で言いたいこと:Executive Summary

  • 今回の林さんは、「全員の見せ場を作る」というポジションにもいたことがこれまでと違いました。
  • そして林さんは「見せ場を作る」ポジションとしての働きは十分ではありませんでした。
  • その意味でこれまでの授業とは不連続だったのですが、不連続であることが意識されていなかった、ないしは見過ごされていたように思います。
  • ひな壇トーク番組での明石家さんまさんのパフォーマンスは、芸術です。

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「授業」外の課題とは

「あすなろラボ」での授業シリーズの第4弾になって、林修さんにはこれまでにない役目が課せられていました。それは「見せ場を作る」です。

林さん自身の見せ場ではありません。生徒の見せ場です。それも全員の。

むろん、生徒だった芸能人も各自がプロなのですから、林さんに100%の責任があるとは言いません。

ですが、「全員の見せ場を作る」という観点で見たとき、林さんの働きも十分ではありませんでした。

これが僕の言う「授業」外の課題です。

今回の授業に観察された「不連続面」

生徒の見せ場を作る。それも全員の見せ場を作る。

このようなことは、講師を務める予備校での授業ではもちろんのこと、これまでの番組での授業でも考えなくてよかったことです。

その意味で、不連続面があった。と言えるでしょう。


※画像は「モホロビチッチ不連続面を語る。」より

教室全景の第一印象

教室の全景が映り、メンバーを見ての僕の第一印象は、林さんの「ギャラ上がった感」がすごいな、でした。

ギャラ上がった感の正体を考える

当然ですが、実際のギャラがどうだかは知りません。

なのに自分が第一印象でなぜそう感じたのかを考えてみました。

要因は、生徒の質が変わったから

これまでの「あすなろラボ」での授業と違っているのは、今回の生徒が芸能人だったという点です。

したがって、これまでの生徒とは質的に明らかな違いがありました。

明らかな違いとは

第3弾までの「落ちこぼれのヤンキー」「子供の勉強に悩む母親」「痩せないおデブさん」と比べたとき、生徒が芸能人になったことで質的に何が違ったかといえば、生徒にとって、生徒であることが明確に「仕事」だったというところです。

これまでの「生徒」も、制作サイドに呼ばれて集められたという意味、すなわち、頼まれて出演しているという意味では、同じく「仕事」だったと言うことができます。しかし、生徒各自の側には、授業の成果に対してほとんど責任を持つ必要はありませんでした。そこが違います。

プロの生徒には成果が必要

仕事として授業を受けている芸能人の生徒は、プロの生徒として明らかな成果を出すことが求められます。目立った成果がなければ、次の依頼も来ません。

ここでいう成果とは「授業を受けてお利口になる」という意味ではありません。そこも含む場合もありますけれども、第一義的には、それぞれのポジションでのきっちりした仕事、それが成果であり、ひいては評価対象となります。

ですから今回の「あすなろラボ」の授業は、授業の形式を取ってはいますが、ひな壇トークの一種だったと言えます。

ひな壇トークを束ねるポジション

ひな壇トーク型のバラエティ番組では、出演者それぞれが仕事をしやすいように、全体を束ねる司令塔的なポジションが置かれています。

そしてたいてい、そのポジションに就く人が「全員の見せ場を作る」という役割も負っています。

「全員の見せ場を作る」ポジションの具体例

過去に林修さんが出演した番組から、2つの具体例を示します。

1)世界一受けたい授業(8/17出演)

全員の見せ場を作る役割を担うのは、「教頭」の上田晋也さんです。生徒側に配された、相方の有田哲平学級委員長との間で、トーク回しのくりぃむしちゅーセンターラインが作られます。そのラインの要所要所に、堺正章校長が入ってくることで、要石の重みを加えています。

だいたいそういう基本構成となっています。

その部分の基本がしっかりしているので、講師の側の質のばらつきは大きな問題とはなりません。どんな先生が来てどんな授業が行われても、よほどでない限り成立するようにできています。

2)プレバト!!(8/29出演)

こちらでは、ダウンタウンの浜田雅功さんが、MCとして全員の見せ場を作るポジションにいます。

林修さんが芸能人の50文字自己PR文の添削を行った講義では、「生徒」は全部で12人いました。浜田さんならできて当然というレベルですが、全員のさばき方と見せ場のこしらえっぷり、目配り心配りは見事でした。

比べてみると、今回の「あすなろラボ」よりも生徒の数が多かったのが信じられないです。

余談:ひな壇トークさばきの芸術

話はそれます。

今さら言うまでもないことではありますが、ひな壇トークバラエティにおける司令塔ポジションの第一人者といえば、明石家さんまさんです。

そこでのさんまさんの仕事ぶりは、もはや芸術の域に達しています。

音楽演奏にたとえてみれば、それがわかりやすいのではないかと思います。

音楽の演奏にたとえると

音楽演奏にたとえるなら、先ほど述べた番組での上田さん、浜田さんのポジションは「指揮者」だと言えます。

同様のポジションでの明石家さんまさんを同じく音楽の演奏にたとえるなら、さんまさんのやっていることは指揮だけではありません。コンチェルトのソリストも務めて、しかもそこで演奏する協奏曲そのものを、与えられたモチーフから即興で作曲しながらやってのける。それぐらいのことを同時にされています。すごいです。

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さらにすごいのは、芸能人(踊る!さんま御殿!!、さんまのスーパーからくりTV)のみならず、子供(あっぱれさんま大先生)、若い女性(恋のから騒ぎ)と、どんな「オーケストラ」でも指揮を執れることです。タイプが違うプレイヤーを相手に、同様のクオリティが保てるという技量は、はかり知れません。

このなかで放送開始が最も古いのが「あっぱれさんま大先生」の1988年11月(~2003年)ですから、明石家さんまさんはほぼ四半世紀、このポジションで複数番組のレギュラーを張り続けていることになります。恐ろしいです。

僕の見る限り、同じことのできる人は世の中に見当たりません。僕の知らない世界を探してみても、同じ真似のできる人はいないのではなかろうかと思います。

これが芸術でなくてなんでしょうか。

解答:「ギャラ上がった感」の正体とは

「あすなろラボ」の授業の話に戻ります。

以上をふまえて、「林修さんのギャラ上がった感がすごい」という、自分の第一印象を再検討してみます。

その正体は、制作側が林修さんに「あ、そこまで任せるんだ」という、ちょっとした驚きだったと言えそうです。

今回生徒が芸能人となったことで、「授業」から「ひな壇トーク」への質的転換がありました。

にもかかわらず、一見して生徒の中に「生徒全員の見せ場を作る」ためのポジションを設けた形跡もなく、したがってポジションを務められる力量を持った人も同じく見当たらなかったからです。

授業自体は面白かった

林さんの恋愛論授業自体は、楽しく見て聞けるものでした。与太と名言の甘辛両方の味付けが利いていました。多忙な中でも、質を落とさないよう十分に準備されてきたのだろうなと推測できます。

不連続面としては2つめ

「あすなろラボ」の授業で言えば、出現した不連続面は、今回で2つめです。

1つめの不連続面

過去に出現した1つめの不連続面は、第1弾の「落ちこぼれのヤンキー」向け授業にありました。

不連続だったのは、予備校の「聞きにきている生徒」とは違う、「聞く気のない生徒」への授業であった点です。

したがって、予備校での授業より高いレベルで、生徒を振り向かせるための工夫が必要でした。工夫の中には、話に込める情熱、話の熱量といったものも入るでしょう。

見る側としては、途中で林さんがそれに気づいて修正していったところや、前後の攻防に見ごたえがありました。

2つめの不連続面

そして今回の芸能人を相手にした授業に、2つめの不連続面がありました。どこが不連続だったかは、ここまで述べたとおり、生徒の側にも各ポジション相応の成果が求められること、そのために見せ場を作る役割を誰かが担わなければならないことの2つです。

Much ado about なう

恋愛論がテーマの授業だったこともあって、僕の目には番組がさしずめ「林修版・恋のから騒ぎ」にも見えました。もっとも、「恋から」で明石家さんまさんが見せたパフォーマンスと比較するのはあまりにも酷ですが。

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「あすなろラボ」で、これからも芸能人相手に同じ形態で授業が続くのであれば、林さんには今回の授業に存在した不連続を克服することが課題として残っています。今後の動向に注目しています。

まとめ:これも林修さんに教えてもらったこと

ずいぶんと偉そうなことを書きました。お前誰やねんという内面の声も聞こえます。

それでも不連続面の存在をここで指摘したのは、僕はこのような考え方を、他ならぬ林さんに教えてもらったからです。

林修さんの著書『いつやるか? 今でしょ!』の「成功は失敗の母?」から引用します。(下線は引用者)

物事は連続的に変化しているようで、ときに不連続の瞬間を含むものです。この不連続点を超えてしまうと、過去の成功原則が急に通じなくなってしまうのです。(p.144)

成功は喜びを伴い、強烈に記憶に刻まれます。それが次に生かせるかどうかは、そこに連続性があるかどうかで判断を変えるべきなのです。その認識を誤ると、「成功は失敗の母」となり、しかもかつて成功したという自信は、失敗を大きくしてしまいます。(p.145)

連続・不連続の認識は本当に大切です。これは(略)社会的な活動にとどまらず、個人的な生活の領域においても、重要な認識です。(p.145)

このような考え方を教えていただいた林さんに、一言お礼が言いたいです。ありがとうございます。

こちらからは以上です。

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