肥満推進社会に棹さす自由を―8月4日「あすなろラボ」林修さん授業感想(9)

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こんばんは。林修ナイトの時間です。

「あすなろラボ」でのおデブ向け授業の感想シリーズ、その9です。

この記事で言いたいこと

  1. 「肥満推進社会」の流れに棹さす自由は、もっとあっていいと思うのです。
  2. 上の文は日本語で書いているにもかかわらず、日本語話者の8割に伝わりません。悲しいです。

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1.肥満推進社会に棹さす自由を!

林さんは授業で、現代社会を

  • 美食化=高カロリー化
  • 低価格化
  • 24時間化

の3要素が揃った「肥満推進社会」と称していました。

現代日本が、史上類を見ない太りやすい社会であるのは同感です。自分自身、初老を迎えて体感もしています。食べるとてきめんに太るようになりました。

太るのは楽しい。だが何か間違ったことをしてるんじゃないかというやましさがある。林さんはそんなふうにも言われていました。

また、生徒らの発言のはしばしからも、「向こう側」の非デブが想像する以上に周囲にものすごく気を遣っていることがうかがえました。

僕は数々の武勇伝をはじめ、想像を絶する「デ文化」に絶句しつつ、と同時に、デブの方々が「デブがデブでいることのやましさ」、内外からのすさまじい圧を、その大きな体に受けて生きていることも知りました。

林さんは「デブが悪いなんてひと言も言っていない」と言われていましたし、その言葉に嘘はないとも思います。

しかし、肥満推進社会の世であるにもかかわらず、世の中からデブへは暗示的・明示的に、さまざまな形で「悪い」とメッセージを送っているようにも見えます。いかんです。

僕は思うのです。伴う責任とセットなのを前提としますが、もっと、肥満推進社会に棹さす自由を世の中がデブに許してもいいんじゃないかと。

2.日本語話者の8割に伝わらない悲しさ

「肥満推進社会の流れに棹さす自由を」と訴えても、少なく見積もって8割の相手には正しく伝わりません。そのことが僕には悲しいです。

棹さすの意味

「棹さす」とは、順方向の意味です。

「時流に乗る」(広辞苑)という意味です。上でも「肥満推進社会の時流に乗る」方向で使っています。

棹さすの通じない日本

しかし、これが伝わりません。

文化庁サイトの「流れに棹さす」の意味(文化庁月報 平成23年5月号>連載 言葉のQ&A)に

平成18年度の「国語に関する世論調査」で,「その発言は流れに棹さすものだ。」という例文を挙げて,「流れに棹さす」の意味を尋ねました。

として、調査結果が記載されています。それによると、回答のうち最も多かったのが、誤用である

  • 傾向に逆らって,ある事柄の勢いを失わせる行為をすること(62.2%) ×

その次に多かったのが、

  • 分からない(18.5%)

で、正解である

  • 傾向に乗って,ある事柄の勢いを増す行為をすること(17.5%) ○

を選んだのは、全体の2割弱という結果だったそうです。

棹さすの由来

同じく、文化庁の「流れに棹さす」の意味からです。(下線は引用者)

昔,まだ日常生活の中で舟がよく使われていた頃には,船頭が長い棹を流れの中にさすようにして水底を押し,舟をうまく水流に乗せて進めていく光景がよく見られました。その様子を「物事が思うままに進む」という意味で,比喩的に用いた慣用句が「流れに棹さす」です。

ある時代の生活実感のこもった、素敵な言葉だと思います。

僕が「棹さす」を覚えたテキスト

僕は「棹さす」という言葉を、夏目漱石の『草枕』の書き出し部分で覚えました。名文でもありますので引用しておきます。

山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。

テキストは青空文庫から取りました。読みがなのルビはかっこ書きに開いています。

中間まとめ:「棹さす」が使えない悲しさ

くり返しますが、「棹さす」とは、流れに乗っかっていく順方向の比喩表現です。

先に述べたとおり、日本語話者の集団は「棹さす」について

  • 逆の意味に誤解している層
  • そもそも言葉の意味が分からない層

の両者で8割を占めるため、そのような層にも伝わることが重要な場面では、「棹さす」という言葉が使えません。

あえて使おうとしたなら、最低限、この記事と同じような説明を積み上げて、誤解なく伝わるようにするための根回しがいります。

僕の好きな「棹さす」が、こんなにめんどくさくて使いづらい言葉になってしまっていることが、僕はさみしくて悲しいです。

まっすぐな道

正しいは貧しい

ここから、少し傾向の違う話をします。

正しいは貧しいです。

正しいものとは、だいたいが大して面白いものではありません。なにより多様性に欠けます。

ネットでの「棹さす」の現れ方からしてそうです。

先ほど紹介した文化庁のアンケート調査結果とは違い、検索して上位に出てくるのは、少数の例外を除き「間違った意味に取られている」と書いたページばかりです(この記事もそうです)。

このことは、アンケート調査で「流れに棹さす」の意味を間違えて答えるような人の大半は、はなから(少なくともネットで)そんな日本語表現は使わないことを示唆しています。

アンケートで聞かれたから、これじゃないのって答えてみただけってことでしょう。

正しさを前面に出してもつまらないだけ

正しい話は、たいてい「(それは間違い。)これが正しい」で終わってしまいがちです。つまらんです。「流れに棹さす」の誤用を指摘するだけの記事がつまらんのも、きっとその辺りにあります。

間違いは豊か

一方で、間違いは豊かです。人が何かを間違えるとき、間違い方はしばしば多様で、個性豊かです。

無知なのか無恥なのか、「正しい」などはなから無視です。

破天荒で無鉄砲で愚かですが、「正しい」にないエネルギーを感じるのもまた事実です。

この辺の話は、前に「一色単」という語を素材にして「雑な思考はイノベーションの原動力(かもしれない)」にも書きました。

まとめ

何度もくり返していますが、僕は規格外の物事に対して、できる限り寛容でありたいです。

相手は太ったデブに限りませんが、今の社会が、楽しく生きている他人を一律の規格へ押し込めようとするところや、それでなくてもやましさを感じさせてるようなところは、変えていきたいです。

次回予告

シリーズ次の記事では、ダイエットより大切なものについて書きます。

この記事でも若干意識していますが、テーマは、上で引用した、夏目漱石『草枕』書き出し部分の続き、このあたりです。(下線引用者。太字部は原文傍点)

 住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟(さと)った時、詩が生れて、画(え)が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣(りょうどな)りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束(つか)の間(ま)の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。

つづく。

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