「震災=3.11」の人が苦手

こんにちは。ありがとう。こんばんは。さようなら。

呼び名にこだわるどうでもいいおっさんが、日本の深夜帯を狙ってどうでもいい自分語りゲロポエムを吐く記事です。

この記事で言いたいこと

「震災=3.11」の人が嫌い……というか、苦手です。

なぜなら関西育ちの中高年である私にとって「震災」と言えば、

  1. 平成7年まで:関東大震災(1923)
  2. 平成7年以降:1.17=阪神・淡路大震災(1995)

のことだからです。

3.11はただの「震災」ではなくて、「東日本大震災」です。話が合いません。

20161015_640px-Ansei_Great_Earthquake_1854_1855

安政の大地震 from commons.wikimedia.org

ついでに:「てん」入りも苦手

ついでに、3.11を「さんてんいちいち」と「.」もろとも読んでしまうやり口も、あんまり好きじゃないです。3.11と書いてあっても、読み方は「さんいちいち」でいいです。

といった記事を以前書きました。

「1・17」を読むとき「てん」を付けないのが「美しい日本」―昭和平成 日付事件史から(2014/01/15)

そういう自己宣伝でした。

3.11がらみの「シン・ゴジラ」語りも苦手

その延長で、「シン・ゴジラ」を3.11の震災になぞらえて語ってしまう人もまた苦手です。自分はそこに乗り切れません。同様の事情で苦い感情が伴うためです。

連想するのも当然なシーンもありましたし、映像表現から連想してしまうその内心の自由も、それを表明する自由もまた保障しないといけないので、そこをやめろとばかり抑えつけるのも無茶な話です。承知しています。

だから誰も悪くないです。誰が悪いかをあえて特定するならば、自分が悪い話です。

ここが苦手。「震災=3.11」脳

「震災=3.11」が苦手な要因を考えるに、次の2点に集約されます。

  1. 結局他人事だった
  2. 多勢に無勢すぎた

作詞してみた。

なんかよくわかんないけどライムを紡いでみました。テキトーにリズムつけて読んでみてください。

Motion
SLik d & PUNPEE
¥200

↑これぐらいのテンポで。知らんけど。


Hey Yo, March the 11th―

Hey 地震当日、電車どうしたの?
どれも動かん 帰宅困難
Hey, hey 自身翌日、道路どうしたの?
まるで進まん 帰還困難

たどり着いたこんな東京 なんだこんな状況
つなぐのぞみGO 脱出グラントーキョー

津波バッサーン建屋ドッカーン
I said “Who is that Man?”
(Umm maybe someone said…)
He was the 官房長官

Radioワッサーン テレビ見てポッカーン
We’re クソ民間

いつもの日曜? でもサイン消えた街頭
いつもの日用品? でも全部消えた店頭
So What’s the 計画停電? 全部主客転倒

そう見たことのないHysteric集団
聞いたことないHistoric集団
とんだムラ社会だったよGranma

Hey, Young man there!! Now Listen!!!

Y.M.C.A
Navy Gravy
¥200

Here comes a little bit of Village People close to you!!

ヤングマン、たのしいなかまが
ヤングマン、あいさつするたび
ヤングマン、ともだちたくさんふえる だから

Y.M.C.A. (Single Version)
ヴィレッジ・ピープル
¥250

すばらしい YMCA YMCA

こんにちワン ありがとウサギ
こんばんワニ さよなライオン

YMCA YMCA

まほうのことばで
たのしいなかまが ポポポポ~ン

I’m guessin’ it might be sort of―YM, AC?
YM, AC?

え~し~~~~~~~~~~~~~~~

Y.M.C.A.
ヴィレッジ・ピープル
¥250

そんなこんなの そう此処トーキョー
そんなこんなの グッバイトーキョー

そんなこんなの そう此処トーキョー
そんなこんなの グッバイトーキョー

(F.O.)


というわけで。

東京を中心とする首都圏は本邦随一の人口密集地であります。2011年にかくなる強烈な経験をしてしまった末、無邪気にもそれをただ「震災」と呼んでしまう、最大数千万人の集団が東日本一帯にごっそりいるわけです。多勢に無勢です。

そして1.17を知らない若い年齢層の方々が「震災=3.11」となってしまうのは致し方ありません。「毎月1日は防災の日」を塗り替える強烈さであったことは十分同意できます。そうでない層もまた同じく、3.11に始まった震災経験が激烈な部類のものであったろうことは想像に難くありません。そこもわかります。

だけどさ

そういうの、阪神淡路でもうやってんだよね。とっくに。

って、流浪のおっさんは思ってしまうわけですわ。「震災=3.11」ってかい? するってぇとおめーさん、結局のところ1.17も他人事だったわけだね。と思い知らされるわけさね。

遠くの災難など、しょせんは対岸の火災以上の他人事。誰にも知られず森の中で倒れる一本の木同然なのであります。

それが人の世の真理です。けれども真理とはときに、もの悲しくてやりきれないものでもあります。

げにいみじうこそあはれなりけれ

「壊滅的」も嗤う

また3.11発生当時、地震、津波、原発事故などなどで「壊滅的被害」という言い回しが多用されていたのもよく覚えています。いまここで打ち明けますと、内心、どこが壊滅的なんだよと嗤っていました。いや、決して張り合うもんではないですけどね。それでも、それらがチンケに思えてしまってどうしようもないほどの「壊滅的被害」を経験して知っているからね。

全部内心のことなので、ほらねとお見せできないのが残念です。

まとめ:全部ブーメラン

以上、すべて自分に返ってくるブーメランです。

実際問題、大正の大震災以降もあまたの同一規模の地震が日本列島ならびにその近傍で起こり続けているわけです。

1925年から2016年までに日本で発生したM7クラス(M6後半含む)の地震は全部で49回です。

だそうです。
(出典:マグニチュード7クラスの大地震は昭和・平成で何度起きたか?【地震歴史まとめ】|武将ジャパン)

どれも「震災」たる資格十分です。

記憶に新しいところでは、今年(2016年)4月に起こった熊本の地震もまた、マグニチュード7.3の大規模なもの(16日発生分)であり、地震発生による被害もまた甚大でした。

よって「平成28年熊本地震」も、ただの「震災」と呼ばれる「震災オブ震災」、震災王座に就いていいはずですし、当地では実際既にそうなっているやもしれません。

けれども私の「震災」はいまだ、9.1でも3.11でもなく、ましてや4.14からの16でもなく、1.17なんです。まるで揺るぎません。なんという耐震性。

むろん今年熊本で被災された方、たいへんだなと思います。お見舞い申し上げます。でも言ってしまえばそれだけです。あと何もしてません。しません。結局は他人事です。

誰も悪くないです。誰が悪いかをあえて特定するならば、自分が悪い話です。決まっています。

すべて自分に返ってくるブーメランです。

寅彦寺田の箴言

でもここでひとつ言わせて。3.11以後、寺田寅彦の随筆を読んでいたら、こんなことが書いてあった。

青空文庫「天災と国防」(初出1934)から。

しかしここで一つ考えなければならないことで、しかもいつも忘れられがちな重大な要項がある。それは、文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である。

災害の運動エネルギーとなるべき位置エネルギーを蓄積させ、いやが上にも災害を大きくするように努力しているものはたれあろう文明人そのものなのである。

ああそうか、おぉ、確かにそうだわな。って思ったよ。この発想はなかった。

先住アイヌが日本の大部に住んでいたころにたとえば大正十二年の関東大震か、今度の九月二十一日のような台風が襲来したと想像してみる。彼らの宗教的畏怖(いふ)の念はわれわれの想像以上に強烈であったであろうが、彼らの受けた物質的損害は些細(ささい)なものであったに相違ない。前にも述べたように彼らの小屋にとっては弱震も烈震も効果においてたいした相違はないであろうし、毎秒二十メートルの風も毎秒六十メートルの風もやはり結果においてほぼ同等であったろうと想像される。

…食物も衣服も住居もめいめいが自身の労力によって獲得するのであるから、天災による損害は結局各個人めいめいの損害であって、その回復もまためいめいの仕事であり、まためいめいの力で回復し得られないような損害は始めからありようがないはずである。

この観点は持ってなかった。気づかなんだ。

逆に、文明の進んだ今ですらこんなに一大事なんだから、昔の人はもっと大変だったろうなって、愚かにも思っておりました。

文化が進むに従って個人が社会を作り、職業の分化が起こって来ると事情は未開時代と全然変わって来る。天災による個人の損害はもはやその個人だけの迷惑では済まなくなって来る。村の貯水池や共同水車小屋が破壊されれば多数の村民は同時にその損害の余響を受けるであろう。

だから未開の時代に戻ろうという話ではないです。

仮にいま、室戸台風(1934)がもう1回来たとしても、特に人的被害は、あってもきっとぐっと少数でしょう。当時と比較して各種社会資本が防災性をはるかに高めていると評価できることは、まことに慶賀すべきであります。

そういうこれまでに文明が築いた成果も人類としてエンジョイしつつ、一方で、時にはいろんな意味の「備え」を「あれ? これってもしかして、妄執?」と、自らあるいは互いに、顧みる機会はあってよかろうと思うわけです。

だって持ってないと、楽だもん。楽ですよ~

それこそ天地がひっくり返るような大災害が起こって壊滅的な被害に見舞われても、一体どうなのさこの、おのれが生きて在ることの揺るぎなさ。

何の話かわからなくなりだしているので、このへんで切り上げます。ご静聴ありがとうございました。

世間的にどちらかと言えば持ってない方だと思う、わりあい楽に生きているおっさんですが、ただひとつ、お金だけがなくて困ってます。

だからお金くださいマジで。

いや無理だな。他人事だもんな。

おわり

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