舛添要一さん、『戦争と平和』を語る(2015)―「林修・世界の名著」より

お久しぶりです。林修ナイトの時間です。

2015-16年にBS-TBSで放送されていた対談番組「林修・世界の名著」。その第1回(2015/04/09 OA)のゲストが、舛添要一さんでした。

意外と読まれていない世界の名作を、林修先生とその本に感銘をうけた本好きのゲストが解説をし、読みどころを魅力的にお話しする!

番組内容より

舛添さんが選んだ名著は、トルストイの『戦争と平和』(原著 1869)です。

先に感想

このタイミングで録画を見直してみると、実に味わい深い内容でした。とりわけ舛添さんの「歴史観」「女性観」あたり。

今ここでのタイミングで舛添さんの語録を抜粋してテキスト化するという、悪意に満ち満ちた記事なのでございます。

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※画像は、東京五輪見据え主張/舛添氏ポスター|nikkansports.com(2014/01/25付) より

#01 舛添要一 『戦争と平和』(トルストイ) ハイライト

工藤精一郎訳の新潮文庫版が底本でした。全4巻です。

一部で番組内の順序を入れ替えて記述しております。あらかじめお知りおきください。

こんな作品

*番組での字幕スーパーから

ナポレオンとの戦争に巻き込まれたロシアを舞台に
複数の貴族たちの生活とその興亡を描いた群像小説

連載期間約4年 登場人物 559人

ゲストが選んだ一節

「戦争と平和」 × 東京都知事 舛添要一

歴史の法則の研究のためには、われわれは完全に観察の対象を変え、皇帝や大臣や将軍たちはそっとしておいて、群衆を動かしている同種の無限小の諸要素を研究しなければならない。

※出典の確認は後回しにします。わかったら追記します。

選んだ理由

林「まず最初におうかがいしたいのは、あの一節を選ばれた理由は何なんでしょうか?」

舛添「あのぅ、『戦争と平和』ってのは基本的にナポレオン戦争、でナポレオンがロシアに攻めていくわけですねぇ。そうするとわれわれが歴史を見るときに、徳川時代っちゅうと徳川家康かと、織田信長がその前にいたなあとかね、豊臣秀吉とこうなっちゃいますね。そういうヒーローだけをこう見ていってるけども、意外と生活してる普通の人に対して視点が当たってない」

舛添「だけど、今の日本を見たときに誰が動かしてんだ?つって。もちろん総理大臣とか大臣とか、私も知事だけど、いるんだけど、別に、知事が世の中を動かしてるとは思わないでしょ?」

林「いやでも、けっこう舛添さん東京のことを決めてるんじゃないですか?」

舛添「いやそんなことない。やっぱりそりゃ議会があったり、新聞とかメディアがあったりいろんな方がいろんなことを言って」
「だから歴史見るときに、大多数の群衆とか、その歴史に名が残ってない一人ひとりの総合的な挿話が、歴史を形成したっていう」
「何もかもナポレオンだけ見てたらわからないよっていう、そういう歴史観ってのは面白いなと」

作品に出会ったきっかけ

舛添「たまたま高校生のときに、ある文芸評論家が講演したのを聞きに行ったときに」「トルストイの話をしてくれたんですよ」「トルストイっていうのは、イワンの馬鹿なんてのもありますけども、面白いなあって思って。そうするとやっぱり」「いちばんの作品てのは『戦争と平和』だろう。で高校2年か3年だったと思いますけども、読み始めたんだけどとにかく終わんないぐらい長いんで」

林「終わんないですよ」

舛添「それをだから受験勉強をね、夜中の12時ぐらい1時ぐらいまでやって、それですぐ寝ないで、そこまで受験勉強やったからいいだろうと思って、そっから読み始めるわけ。そうすっと3時とか4時とかになっちゃって、もう寝不足でたまんなかったっていう、思い出が残ってます」

林「なーるほど、受験勉強やってトルストイ読んでかつ合格した受験生だったんですね」

舛添「そうです。そうですっていうか、いやいや(笑)」

「戦争と平和」主な登場人物

  • ベズウーホフ伯爵家:ピエール
  • ロストフ伯爵家:兄ニコライ 妹ナターシャ
  • ボルコンスキイ公爵家:兄アンドレイ 妹マリヤ
  • クラーギン公爵家:兄アナトーリ 妹エレン

好きなシーン

舛添「これはナターシャ含めて」「ロシア貴族の生活っていうか、この華やか、さっていうのが非常に目についたっていう感じがしますね」

舛添「3つぐらいの大きなファミリーっていうか、公爵とか伯爵とか、そこのロシア貴族にこう光を当てていったときに、やっぱり彼らは働かないで飯食えるわけですから、社交界で毎日ダンスしたり踊ったりして、やってるわけですよね。で、そういうなかで恋愛ってつきものなんで、だから次々と恋する相手を変えていくっていうのはあたりまえで」「それがやっぱ華やか、なんですね。で騙したり騙し合ったり決闘したりってなシーンも出てくるんで。だから」

舛添「エンターテインメントとして面白くないといけない。こんだけ長いの読んで、辛くなったりがっくりきたらしょうがないんでやっぱり楽しいから受験勉強を終わったあともやってて、あーあと何ページ読もうとか、あーもう、一部の、第一章の一部二部三部とこうなって、あーもうちょっとやったら一部終わるなと。こういくから2時3時4時ぐらいになっていく。で、あの、面白くなきゃ途中でギブアップしますよ」

舛添「私この前ロシア行って思ったんだけど、この番組女房が見てないことを期待するんだけど」「私が若いときに、ソ連邦であってよかったなあと思ったのは、あのときロシアが今みたいな自由なロシアで、もしロシアに行ってたら、こんなきれいな人がいる国はいないと思ったね」

林「なるほどー」

舛添「めちゃめちゃきれいですよ。もう、街歩いている、ちょっとそのあたりのお嬢ちゃんポッと連れてくれば、もう日本のテレビ(で)は最高の美人ですよ。私が恐らくロシアに行ってたら、ロシアの女性に恋してたと思いますよ」

林「で、あの…その恋愛も、じゃあきっとあの、『戦争と平和』に出てくるようなあの、ああいう華やかな恋愛に」

舛添「と思いますね。やっぱ」「楽しい恋愛やった方がいいじゃないですか。ナターシャとかソーニャとかマリヤとかねぇ。言葉がうまくなるって、恋愛をやると。外国語」

Q. 最も魅力的な女性は…

林:ナターシャ・ロストワ
舛添:マリヤ・ボルコンスカヤ

林「ちょっとひねくれてません?」

舛添「いやあだからマリヤさんって、あまり目立たないんだよね」

(アンドレイの妹、マリヤの描写)

公爵令嬢マリヤはほっと溜息をついて、右側の方に立っている大きな姿見を見やった。鏡面は格好のよくない弱々しい身体と痩せた顔を映した。

公爵令嬢の目は大きくて、深みがあって、すがすがしい光をたたえていて、じつにさわやかだったので、顔全体が美しくないにもかかわらず、その目が美しさをこえる魅力をそえることがしばしばあった。

(第一巻 第一部 22章)

舛添「描写見る限りそれほど美人じゃないんですよ」

林「なんかもう家から出るなみたいな扱いを受けてますよね」

舛添「だけど、非常にそういう質素っていうか控えめっていうか、まあそういうのがいいんじゃないかなあというんで。というのはね、若いときみんな華やかなんで、先ほど言ったように若いときロシアへ行ったらもうあのロシア美人たちにもう魂を奪われると思うけど、その人たちも、お婆ちゃんなるとロシアのお婆ちゃんですよ。バーブシキ、バーブシカ(бабушка)っていう、あの」

林「ちょっと、お婆ちゃんなったとき前提なんですか?」

舛添「あー、あのぅまあ、お婆ちゃんになること考えたら、お婆ちゃんのときに、落ち着いた女性がいいじゃないですか」

林「舛添さんは、マリヤとナターシャがいたら、二人でどっちか選んでくれって言われたら、マリヤいくんですね?」

舛添「いや、あのぅ…」

林「いやちょっと待ってください。もっとも魅力的な女性」

舛添「恋愛するときはナターシャと、いくけれども、結婚するときはマリヤと」

林「それ、都知事として不適切な発言」

舛添「いやいやいや、いやいや、いやいや、これはあの、架空の、われわれいま、現代日本人だから、ロシア、19世紀のロシアならばっていうことを言ってるんで問題ないです」

林「問題ない、わかりました。ちなみに、エレンみたいなのはどうですか?」

舛添「これもいいですね」

林「いいですねやっぱり」

(すべての男を虜にする悪女として描かれているエレンの描写)

公爵令嬢エレンはにこやかな笑みを浮かべていた、彼女は客間に入ってきたときとそのままの、完全な麗人の変わらぬ微笑をたたえたまま立ち上がった。

エレンはあまりにも美しすぎて、媚態(びたい)の陰影も見られなかったばかりか、かえって、その逆に、自分の疑いもない美しさ、あまりにも強烈に、征服的に作用する美しさに、はじらいに似たうしろめたさを感じているふうであった。

(第一巻 第一部 3章)

舛添「こんな絶世の美女に会ったらもう、こういう人とあの」「舞踏会行くとかオペラなんか観たら最高だと思うね」

舛添「あれぐらい綺麗で、すべての男を手玉に取る、ああいう女性ってのは、いいなあ。だから、逆に言うと、帝政ロシアにはエレンみたいな女性が非常に多くて、で何度も言うようにソ連邦っていう、一段階があるもんだからそういうのはあり得なくなっちゃったんですよ。で今またロシアになって戻りつつあるんで、まあでも、そういう華やかな方がいていいんじゃないかなと思います」

Q. 自分と似ている人物は…

林:アナトーリ・クラーギン
舛添:アンドレイ・ボルコンスキイ

ナレーション「舛添さんが選んだのは、実直な男として描かれるアンドレイ」

ピエールはアンドレイ公爵をあらゆる完成された美質を備えた典型と思っていた。

ピエールはつねづね、どのような人々にも落着きはらって対することのできるアンドレイ公爵の能力と、そのまれに見る記憶力と、広い知識と、そして何よりも彼のはたらき、そして学ぶことのできる力に、感服していた。

(第一巻 第一部 6章)

舛添「似てるってあまりいないなあと思ったんだけど、ピシッと一応請け負った仕事はちゃんとやるという意味で、アンドレイってやりましたからね、軍の仕事も。だから、まあアナトーリよりいいんじゃないかなと」

アンドレイの死について

アンドレイは戦地で受けた傷により死ぬ間際
アナトーリの誘惑に乗り婚約破棄したナターシャを許す

林「アンドレイの死のシーンがありますけど、あれについては何かご感想をお持ちですか?」

舛添「いや、だから死ぬときに、それはあなたに聞きたいんだけど、ナターシャに会うじゃないですか。それでナターシャは婚約するって一年待ってっていうんでその間、も浮気したりするっていうことがあって、それであの、許しを彼女が乞うわけだけど、まあ許したことになってるんだけども、そのときの心境はどうなんでしょうか。それは本当に許したんだろうかっていう、なぜ、死にそうだったから許したのかなあとかなんかいろいろそういうので、アナトーリ(を挙げた林)さんに聞いてみようかなと」

林「いやいやいや、これは昭和30年代の純喫茶の会話ですね」

林「アンドレイのあの実直な性格から考えて、死ぬときに俺は死んでもお前は許さないって言ってくキャラではないですよね」

舛添「まあそうは言わないと思うけども、トルストイ自身がどう思ってたんだろうというのがあって」

林「でもあそこで殺さないと結局二人くっつかないですよね」

舛添「そうです」

林「ご存じかどうかわからないですけど、タッチってアニメで和也を殺さないと達也と南がくっつかないのに近いところが、あるのかなという」

舛添「ずっと連載して書いた本なんですね、これ。だけど、連載してるとわかるんだけど、私も連載で書いたことあるんだけども、途中で変わることがある。最初こういうふうにやろうと思っても、書いてると、そのときの気分とか、ちょっと新しい資料見つけたら、ちょっと変えた方がいいなあ、とかいうのがあるんで。それで恐らくですねやっぱり、ナポレオン戦争っていうのが、横糸でずーっと流れてて、それにこの人物の縦糸を紡いでいったときに、こう結節をするときにどうやるかってのは、なかなか、書いている本人も難しかったような気がしますけどね。だから私に言わせると、あのアンドレイがいまわの時に、ナターシャを許すようなシーンっていうのは、まあさっとすべり込ませざるを得なくなったのかなあっていうような気もしないでもないんで」

林「いや僕、そこはもうちょっと、都知事に刃向かうのは大変恐縮なんですが、僕のトルストイ仮説を聞いていただけますか」

林「僕はおっしゃるように普通長いあいだに連載すると、変わってきますよね。それが普通だと思うんですよ。[北斗の拳になぞらえるくだりは略] でもトルストイを読むと、なんか全部上からこう、全体を俯瞰しているっていうか空間的に把握しきってて、そこで人物を上手に動かす、完璧なコンピューターがトルストイの頭脳にあったような気がして」

舛添「かもしれないね。うん」

林「コンピューターがなかった時代に、あれだけの情報をああいうふうに管理するって、すごい男だな、ってちょっと腹立って嫌いだったりするんですけどね」

舛添「あのぅ、たとえば『戦争と平和』について言うと、先ほど横糸って言ったけども、歴史のナポレオン戦争の流れってこれはもう変わりませんですねぇ。その横糸を面白くするときにどういうドラマを入れていくかっていうんで、人物、誰と恋愛してどうだっていうのが主たる展開になっているような気がするんだけど、私に言わせるとナポレオン戦争はライトモチーフっていうか、その音が必ずそのバックにある」

/*

ライトモティーフ(ライトモチーフ、独: Leitmotiv )とは、オペラや交響詩などの楽曲中において特定の人物や状況などと結びつけられ、繰り返し使われる短い主題や動機を指す。Wikipedia

*/

舛添「でそのときに、ここでパーカッション使った方がいいかな、いやここはピアノだなあとかいうような形で入れていったような気がするんで。あとはその人物のちりばめ方ということと、あとまあ連載するんだけども、読んでもらうための工夫ってあったんじゃないかと思いますよ。途中でギブアップしないでみんなが読んでくれるっていう。だから、読み続けられるっていう感じがしますよね」

ゲストが選んだ名場面

ロシアがナポレオンを退けたクラースノエの戦い

「ウラー! 諸君」と顎(あご)を活発に兵士たちにしゃくりながら、彼は叫んだ。
「ウラ、ラ、ラー!」
と数千の声が咆哮(ほうこう)した。
兵士たちが叫んでいるあいだ、クトゥーゾフは鞍(くら)の上で背をまるめ、頭を垂れていた。そしてその隻眼(せきがん)に柔和な、あざけるような色が、きらりと光った。

(第四巻 第四部 6章)

舛添「ナポレオンはもう軍事の天才って言われてヨーロッパを席巻しちゃったわけですよ。で最後に立ちはだかったのがロシア、だったんですね。でクトゥーゾフという将軍が、結局もう負けに負けて、破竹の勢いで20万の大軍がフランスからやって来ますから。で最後ちょっと残ってる兵力でみんな決戦に挑めっていうんだけど、決戦に挑んだらどうしようもなくなる。じゃあどうするか、撤退すると。世界一広い国ですから、どんどんどんどんシベリアの方に向かって撤退していけば、もう奥はどこまでいってもたどり着かないわけです。そして冬が来るのを待つと。で、モスクワを放棄して、食糧も全部なくしてしまって、で放火して焼いちゃう。そうするとそこにナポレオンが入ってもご飯もないし、どんどん寒くなって、そして撤退していく。それはやっぱりロシアの大地というか、それの、ロシアの勝ちなんですね。ロシアの風土と天候と、大地の勝ちなんで」

舛添「勝ちどきウラーってこうあげますね。で、だからまさにその歴史観っていうか、一人の天才的な将軍や大統領がいてもダメですよっていうのを、やっぱりロシアの兵士が勝ったっていうときにウラーってこう」「雄叫びをあげるとこってのは、これはやっぱり、歴史を勉強する者として、非常に印象に残ってますね」

林「なるほど」

舛添「やっぱり、物語的に歴史読むってのは面白い、ドラマってのは面白いですから。面白く読みながら、そこで生身の人間が恋愛しながら、ないし戦争して怪我したり死んだりしながらっていうようなシーンがあって、そして全部読んだときに、ああこういう全ての人間の営みが歴史を作ってんだなってとこに行き着くんで」「結局自分の仕事として歴史研究やるようになって、しかもヨーロッパの歴史を研究するように、なってしかも使ってる言葉が主としてフランス語とかドイツ語とかロシア語になっちゃったんで」「だから高校の時に無理して読んだトルストイ、がそのままずーっと自分の、あれで人生を決めていったような感じがしますねえ」

この国の「戦争と平和」

林「作品そのものとは直接関係ないんですけれども」「都知事の立場から、この国の今後の『戦争と平和』について、何か考えはおありでしょうか?」

舛添「あのぅ、近代史を見たときに、だいたい100年に1ぺん大きな変動が起こってきている。だから今はアメリカがいちばん強い、しかし19世紀はやっぱりイギリスがいちばん強かったわけです。でそういうその、変化は何がもたらしたかっていうと、全部戦争なんですよ。たとえば、その戦争がだいたい30年ぐらい続くと。いちばんいい例が第一次大戦、1914年に始まって、えー18年に終わる。で今度、第二次大戦が1939年に始まって、だいたい30年。30年戦争をやると世の中が変わる」「で、今の時代っていうのは核兵器がありますから、よくぞ70年間大国間で戦争がなくて済んだなあ、そんな時代ないですから。必ずどっかで戦争をやってた。その前は普仏戦争とか、そのもっと前ナポレオン戦争ってまさに、やってたわけでしょ。だからそういう状況で見たときに、大国間で戦争をやって歴史を変えるっていう時代は終わったと思っています。時代は戦争できないのに、戦争によって変わる。だって国際連合だって、United Nationsでネイションズは戦勝国なんですから今のシステムってのは全部、第二次大戦で勝った国が決めたシステム。でこれを、戦争という手段ではなくて、他の手段で変えることができないのかなあっていうのが、いちばんの」

舛添「基本的には戦争ができない時代にどうするか。国力を上げるっていう観点から見たら、やっぱり経済と文化でしょうね」

エンディング:「戦争と平和」を一言で表すと…

(文庫本にサイン)

林「長い間ありがとうございました」

舛添「いやいや、勝手なことを言いました。ぜひあの、面白い本だと思いますのでみなさん読んでいただきたいと思います」

(以下、林修さん単独で)

歴史の中の
人間の営み

舛添要一

林「まあ確かにそうですね。大きな歴史のなかで、この作品のピエール、アンドレイ、ナターシャといった主人公たちの運命は翻弄されていく。恐らく、激動の日本のなかで、国会議員であり現在は都知事である自分の姿を重ねてらっしゃる部分もあるのかな。だからこそ、その人々の営みを少しでもいいものにしたいという思いも込められている言葉のような気もします」


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