【緊急特集】五輪エンブレム委員会、最終審査を待たず「詰んで」いた

こんにちは。研究主任の生田斗真です(ウソ)。

国内有数のヒマ人ぶりを誇るデザイン芸人が五輪エンブレム問題を調査していたら、身の毛もよだつ恐ろしい事態をひとつ見つけてしまいました。

「選択」科学のアリエール?

いや、ありえないでしょ。(デザイン生田談)

はじめに:この記事に書くこと

この記事で書いていることは、ただただこの1点に集約されます。

選択肢となる「候補」を選び出してから
審査手続きや投票方式などの「決め方」を定めた
エンブレム委員会のヤバさ加減

これだけです。本当にこれだけです。

「選ぶ」を研究する「選ぶ学」からの評価は、
「詰んだな」です。
目も当てられない事態で恐ろしいです。

以上のことを説明しようとして、合計で8000字以上を費やしている記事でございます。

この記事で言いたいこと【結論】

五輪エンブレムの審査は、既に「詰んで」います。

「選ぶ学」の観点からは、「投了」です。

20160414_img_gendai

画像は、五輪エンブレム最終候補のカゲで見え隠れする「炎上要素」~結局また“ギョーカイ”で決めるの!?(藤本貴之)|現代ビジネス(2016/04/14付)より

上の記事で指摘されていた数々の「炎上要素」も、いまや取るに足らない些事に思えます。

やれやれ。

もくじ【進め方】

このヤバさ加減を一人でも多くの方に伝えたいがため、あの手この手をくり出して延々とくり返しております。

記事全体の流れは、大見出し単位で次のとおりです。

  • はじめに:この記事に書くこと
  • この記事で言いたいこと【結論】
  • もくじ【進め方】 ←いまココ
  • 「詰んだ」とは?
  • 解説1:「将棋」で説明してみる
  • 解説2:村上春樹風に説明してみるスレ
  • 存在しない「完璧な多数決」
  • 解説3:エンブレム委員会「投了」地獄
  • 解説4:最後の難関「嫁テスト」
  • カスの歌を聴け―最終審査の無意味
  • まとめ:危ない!その無邪気
  • 【参考資料】
  • むすび

いちおうは、どこを拾っても趣旨が通るようにしたつもりでおりますので、お好きなようにお読みくださいませ。

付記:品質保証体制について【オリジナリティーの担保】

今回、記事の公開前に「わかりにくい」に対して遠慮のない嫁に伝わるかどうかの「嫁テスト」を実施しました。結果、5度にわたる大幅な修正を経てクリアしております。

オリジナリティー、わかりやすさ、革新と未来志向、スポーツの力、自己ベスト・一生懸命、日本らしさ・東京らしさ、一体感・インクル-ジョン、復興・立ち上がる力、世界の平和

以上のすべてを満たした記事であると強く自負するものであります(適当)。

また、あわせて「嫁リークス」案件の認定も関係当局へ出願し、先願権を確保しております。

「詰んだ」とは?

このような意味で「詰んだ」と述べています。

「不正」「不適切な投票」などに代表される、いわゆる「出来レース」疑惑が確定したからです。

正確には「既に確定していた」です。「既に確定していたのをいま知った」というのが、より誠実な説明です。

さらに正確を期し、つとめて丁寧さを損なわずに言うならば、数々の「不透明な選考」疑惑を払拭できる手段が、エンブレム委員会にはもはや残されていないのです。

詰んでいます。

どういうこと?

くどくどとくり返します。まずはこちらをご覧ください。

東京2020エンブレム委員会の発足について|tokyo2020.jp(2015/09/28付)から、宮田亮平委員長のコメントです。

東京2020エンブレム委員会 宮田委員長コメント
今後発足するエンブレム委員会においては、(略)透明性の高い議論と手続のうちに、皆様に愛され、ときめきを共有し、世界に発信できるような新たなエンブレムを作っていきたいと考えております。

※下線・強調は引用者

なるほど結構な心がけでございます。

しかし「選ぶ学」の観点で局面を分析してみると、いまやエンブレム委員会は、何をどうやっても「透明性の高い議論と手続」を実現できない状態に陥ってしまっていたのです。

もはや五輪エンブレムの選考プロセスに「公正」の評価を受ける資格はありません。それは無理筋というものです。

ゆえに「選考プロセスの公正さ」も保証できません。これから先、エンブレム委員会および組織委員会が、何をどれだけ開示し疎明しようとも手遅れです。

だから「詰んで」いると申し上げております。終わりです。

今後の選考および審査プロセスがいかなる過程をたどり、いかなる結果を迎えようとも、「不正」「不適切な投票」を伴ういわゆる「出来レース」疑惑が払拭されず残り続けることが既に決定しております。「確定」です。

「透明性の確保」? 無理です。なにそれおいしいの?

入門してみた「選ぶ学」

身もふたもない結論となった調査研究レポートの出発点となったのは、平野敬子さんのブログにあったこの記述です。

今も、2日目の審査の持ち票1票という方法が最適であったのかという思いはくすぶり続けています。

014 最終の審議(2015/11/19付)

このくだりを読み、審査会の2日目(2014年11月18日)からまるまる1年を経てもなお、自問を続ける平野さんの魂のありように、わが胸を打たれました。

そして、えらく勿体をつけた言い回しを使うならば、何かこの問いに答えを出せるような学術的知見が、あるいは答えは出せずとも、何か「よりよい決め方」のヒントとなるような研究の成果が、もしかすると既にこの世に存在するのではあるまいか?と疑問がわいてきて、以来ぼそぼそと調査研究を進めてきたところであります。

もったいらしく続けると、そこから「選ぶ学」学徒の学究生活が始まったわけであります。

そしてたどり着いたところがなんとまあ、言語に絶するほどに恐ろしい、多数決をめぐる社会選択理論の真実だったというわけです。

「多数決をめぐる冒険」の結果がこれとは、世も末です。

いまここで私が語っているこの話の怖さ、恐ろしさ。伝わっていますでしょうか?

やれやれ。

解説1:「将棋」で説明してみる

以下、話の根幹は同じです。

しかし何種類かの解説のアプローチを試みることで、一人でも多くの方になんとか伝わるように努めます。

まずは将棋になぞらえてみます。さしずめ「選ぶ学」版の「大盤解説」です。


想像の世界の話をします。今この世で、

  1. 「選択」「選ぶこと」分野の知見が、「将棋」と同等レベルで社会に蓄積されており、
  2. 羽生善治さんのようなトッププロがいて、五輪エンブレム審査の「指し手」と「盤面図」を見たとしましょう。

その人はきっと、こう言いますよ。

「あ、詰んでますね」

「投了図」までの「詰め将棋」(要約)

「投了図」に至るまでの「指し手」を、以下に具体的に綴ります。

文脈を見せるため前後も引用していますが、ポイントとしては下線部だけで十分です。

(1)2016年1月9日

1月7日・8日に、エンブレム委員会メンバーが個々に全作品を採点した上で、本日朝からエンブレム委員全員で議論を行い、採用候補作品の4作品を決定いたしました。

出典:第8回エンブレム委員会を開催|tokyo2020.jp(2016/01/09付)

ほう。

(2)2016年3月8日・28日

今回の委員会では、採用作品を決定する最終審査の実施方法について議論をいたしました。

採用作品の選定までの手順について意見交換を行い、1人1票で、1つの作品が過半数を超えるまで投票することなど、基本方針を決定しました。

出典:第12回エンブレム委員会を開催(2016/03/08付)

あら?

前回に引き続き(略)エンブレム委員の討議と投票方式の基本方針を決定

出典:第13回エンブレム委員会を開催(2016/03/28付)

はいここまで。

「選ぶ学」棋戦、以上2手をもちまして「投了」です。詰みました。

終わりです。ありがとうございました。

解説2:村上春樹風に説明してみるスレ

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」

村上春樹「風の歌を聴け」(1979)
講談社文庫版 p.3

突然ですがこんにちは。ハルキストです。ウソです。

これまた唐突に、ここから村上春樹作品のテキストをいじりもって進めます。で、のっけから「知らんがな」の名文なのであります。

世の中には、こんな本まであるぐらいで。

今回のネタ元とさせていただいております。ありがとうございます。

やれやれ。と僕は言った(いろんな意味で)。

存在しない「完璧な多数決」

しかしこの世にはちゃんと、「春樹村上の知らんがなな話」よりずっとずっと確かな話があったのでした。

その「確かな話」とは、

  • 完璧な「多数決」などといったものは存在しない。

というものです。浅学非才のデザイン芸人ではございますが、これは間違いないと請け合っておきます。「この世の真実」としても構いません。

以下に理由の一端を記しておきます。

理由その1―"VOTING SYSTEMS" (John Alley Paulos, 1991)

なぜなら、多数決には「決め方」次第でどの候補も当選させることができるという、そんな奇怪な「選ぶ側の好みのパターン」が実在するからです。

これを指摘した人物の名にちなんで、日本語では「パウロスの全員当選モデル」といいます。

別の言い方をすると、「選ぶ側の好みのパターン」が適合していれば、A・B・C・Dのどれを「1位案」に選び出すかは「決め方」次第で自由自在なんです。

怖いですね~

一口メモ:「パウロスの全員当選モデル」

「パウロスの全員当選モデル」という名称は、こうしたパターンの存在を著書で指摘した人物にちなんだ、恐らくは日本語圏限定の呼び名です。名称含め、とあるモノの本で紹介されていました。

オンラインで「ネタ元」の洋書を見つけて当該のくだりを読んでみたところ、対応する表現が特に見当たりませんでしたので、たぶん国内に持ち込んだ人が説明の便宜上付けた名前だと思われます。

当該のくだりはこんな感じです。いまは雰囲気だけで。

2016-04-15_0038

出典:Googleブックス > John Allen Paulos『Beyond Numeracy』(1991)VOTING SYSTEMS

「全員当選モデル」の弱点:あくまで「一事例」

しかし「全員当選モデル」が指摘しているのは、「時にそうなることもある」です。「必ずそうなる」ではありません。

「決め方」次第でどの候補も当選させることができる、そんな奇妙キテレツな事態が成立するようなケースは、あるいは極めてまれなのかもしれません。

いったい、どれぐらいの確率で成立するものなの? しごく真っ当な疑問です。

しかしそこを検討せずとも、別の定理が地獄へ叩き落としてくれました。

それが「アローの不可能性定理」なのであります。

次項へつづく

理由その2―Arrow’s theorem

完璧な「多数決」などといったものは存在しない。を「この世の真実」たらしめたのが、「アローの不可能性定理」です。

ここから少々難解なんですが、私の理解を書きます。半ばツッコミ待ちの構えです。

※理解度の問題もあり、当記事の範疇では十分に論証しきれておりません。その点は予めご了承ください。

つまり、デザイン春樹(誰やねん)の主張する

  • 完璧な「多数決」などといったものは存在しない。

が、「そんなこともあるね」でなく「そのとおり!」となるのを立証したわけです。

実は存在する「完璧な多数決」

厳密を期するため付け加えます。デザイン春樹の「完璧な多数決など存在しない」歌(なんだそれ)が聞こえないケースもあります。

そうしたケースとは、

「二択」 すなわち 「選択肢が2つのとき」

です。要するに「二者択一」であれば「完璧な多数決」が存在するんですね。

なのでたとえば年末のNHK紅白歌合戦の勝敗なんかは、「完璧な多数決」で決定できる…かもしれません。すみません、あやふやな知識を語ってしまいました。お前ははるな愛かと。勉強して出直します。

言うよね~

より厳密な「多数決の歌」

これをふまえて「多数決の歌」を書き換えてみましょう。より正確を期すればこんな話になります。

 

    完璧な「多数決」

  • 「2択=二者択一」にのみ宿る。
  • 選択肢が3つ以上なら、存在しない。

さらにいくつか参考資料(一覧は後述)を読んだ感触ですと、3択のケースを子細に検討した場合、一部限定的な条件の下で「完璧な多数決」が成立するケースもあるようです。ただし、それは本当に「多数決」なのか?問題も併発するような感じでした。ということで、大ざっぱには前掲の理解でよかろうというのが目下の認識です。

ここらもまだあやや、いや、あやふやです。つづけて勉強してまいります。松浦亜弥です。

ところで「完璧な多数決」って?

ところで、さっきからくり返している「完璧な多数決」ってなんだね?

大きく言えば、「アローの不可能性定理」を打ち出したケネス・アローさんは、「完璧な多数決」の特質を2つに定めています。

  • 合理的であること
  • 民主的であること

なるほど。でも具体的にはどうなの?と、さらに条件は細分化されていくのですが、今はここまで。

一口メモ:ケネス・アロー(1921-)

Wikipedia「ケネス・アロー」によると

20世紀経済学史上の最重要人物の一人とされ経済学全般において革命的な論文を書いている。

方だそうです。1972年には史上最年少(51歳)でノーベル経済学賞を受賞されたとも。

「なぜ受賞しているんだ?」とデザイン春樹が言った。

言うべきではなかったのだ。

名前があった:社会選択理論

「選ぶ学」の一部には名前がありました。「社会選択理論」っていうんですね。はじめて知りました。

社会選択(Social Choice)とは、「社会の状態」を選択肢として、その社会の構成員個々の選好関係(Preference Relation) から、その社会において合理的と考えられる選好関係、すなわち社会的選好(Social Preference)を決定することである。

Wikipedia「ケネス・アロー」からの受け売りです。

ひとこと:とってもセクシー!

とにもかくにも、経済学分野の研究成果から生まれた理論を五輪エンブレム問題に適用できるという事実が、とってもセクシーです。たまらんね。

どこもかしこも闇だらけ。そんな末法の世を招来させたオリンピック東京2020大会。そこへ「アローの不可能性定理」が一隅を照らすひとすじの灯火となるなど、誰が想像できたでしょうか。

ありがとうアローさん。

長くなりました。次です。

解説3:エンブレム委員会「投了」地獄

そして恐ろしいことに、それは真実なのだ

村上春樹「風の歌を聴け」p.122

今一度くり返します。

次の3つが揃って、後手後手・エンブレム委員会、投了です。

(1)2016年1月9日

選択肢となる「候補」を4つ選びました。

(2)2016年3月8日・28日

1つ選ぶための投票方式=「決め方」を選びました。

(3)多数決は「決め方」次第

この世の事実「パウロスの全員当選モデル」とこの世の真実「アローの不可能性定理」、それぞれ要点をくり返します。

選び出す方法が「多数決」ならば、

  • 選ぶ側全体の「好み」のパターンによって、「決め方」次第でどの「候補」も当選させることが可能です。
  • 3択以上で合理的かつ民主的な決定を行うことはできません。

わかりますか、このヤバさ加減?

言い回しを少し変えてくり返します。

いいですか、「多数決」という方法はですね、

  • 時には「決め方」次第でどの「候補」も当選させることができるうえ、
  • 3択以上で合理的かつ民主的な決定を行うなど、できっこない夢物語

なんですよ。

わかりますか? ガチムチのヤバさでしょ?

いや~~ん、どんだけ~~

解説4:最後の難関「嫁テスト」

「説明して。」
「どのあたりから始める?」
「最初からよ。」

村上春樹「風の歌を聴け」p.39

マジっすか?

いったい何処が最初なのか僕には見当もつかなかったし、どんな風に話せば彼女を納得させられるのかもわからなかった。
(同)

ということでいましばらく模索します。恐れ入りますがもう少々お付き合いくださいませ。

そんなこんなで、当記事が「嫁リークス」案件にふさわしいものとなれるかの「嫁テスト」に臨んだわけです。

彼女はつまらなそうに唸ってからビーフ・シチューを一口食べた。

「風の歌を聴け」p.110

やれやれ。

嫁に伝わった(つまらない)説明

うまくいくかもしれないし、駄目かもしれない。僕は10秒ばかり考えてから話し始めた。

「風の歌を聴け」p.39

なんとか次の説明で、いまエンブレム委員会が置かれている局面のヤバさ加減をわかってくれました。


いいですか、五輪エンブレム委員会はですね、

(3)選者の「好み」と「決め方」次第でどの「候補」も当選させることが可能

そういう条件、言わば「多数決」の不都合な事実のもとで、

(2)「決め方」を選ぶ

その前に、なんとあろうことか

(1)選択肢となる「候補」を選ぶ

ってことをやっちまったわけですよ。先に。

致命的にヤバいでしょ? わかります?

(0)しかも「4択」ですから。

残念!ですよ。

「ふうん」と嫁は少し満足したように言った。

醤油の瓶を冷蔵庫のいちばん下の野菜室に移しただけでありかがわからなくなってしまう嫁ですが、この説明には多少なりともわかってくれた風でした。

「やれやれ」と僕は言った。

カスの歌を聴け―最終審査の無意味

「じゃあ、意味なんてないじゃない?」
「意味?」
「歯まで折られた意味よ。」
「ないさ。」と僕は言った。

村上春樹「風の歌を聴け」p.110

それにつけてもエンブレム委員会、そして大会組織委員会です。

はてさて、この状況でいったいどうやって「透明性」だの「公正な選考プロセス」だのを保証するつもりなんでしょうか。

考えるだに激ヤバです。この先、どこへ向かっても詰んでいるというのに。

地獄です。

※写真と本文は関係ありません

そんなこの世の地獄の存在を、何の因果か、ヒマ・興味・ 優れた学識(笑)すべてを持ち合わせたクソっカス芸人が見つけ出してしまったわけです。

世も末です。

まとめ:危ない!その無邪気

朝になったら冷たくなって死んでたよ

村上春樹「風の歌を聴け」p.43

エンブレム委員会は、自ら重大なエラーを犯しました。致命的です。「選ぶ学」の徒から見れば、既に致死レベルを超えてしまっています。

それなのに、今もって何の痛痒すら感じてさえいない(ように見える)エンブレム委員会の無邪気さと能天気さときたら。

だいたい最終候補4作品の発表イベント(4/8)でですよ、

議論に議論を尽くしてですね、選んだ渾身の作品でございます。
ちょっとわたくしも、は、今、うるうるになっております。

2016-04-13_2037

(全録)東京五輪組織委、大会の新エンブレム最終候補作品を発表 その1|FNNsline(2016/04/08)24:55付近~

などとのたまう宮田亮平「イルカおじさん」委員長の言いぐさからして、翔んだシュプリンゲン発言なのであります。

やれやれ。エンブレムは日本橋の三越だけにしておけばよかったものを、とすら思わされます。

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三越 日本橋本店新館エンブレム(2004)

そこで、選択に関する学問を志すことにした「選ぶ学」1年生が、先だって雑にツイートしたこちらの話をなんとか伝わるよう四苦八苦解説してみた次第でございます。

【参考資料】

この記事ではもっぱら「緊急」という速報性を重視しました。学説方面の話題への深入りは避け、最小限の説明にとどめております。
(深入りできるのかと叫ぶ者あり)

以下、参照したWebサイトと書籍の一覧を示しておきます。

ここまでで何か不審点が生じておりましたらば、下の各リンク先も照会していただければ幸いです。

「投票システム」の話

1. → 2. → 3.と、出典マニアが芋づる式に元ネタをたどりました。

  1. 民主的選挙は不可能?|はまのおと(2013/03/24付)
  2. 高橋昌一郎『理性の限界』(2009)第一章「選択の限界」
  3. Googleブックス > John Allen Paulos『Beyond Numeracy』(1991)VOTING SYSTEMS

「多数決」と「選択肢」について、ほかあれこれ

あわせてこちらを適宜参照しました。

以下は入門当初、ガイド&用語集的に役立った資料です。

各コンテンツの筆者・著者に謝意を表します。ありがとうございます。

さて今一度申し添えますと、「アローの不可能性定理」というやつが、当記事の内容を下支えする世にも恐ろしい「地獄の定理」となっておるのでございます。

今回はここまで。

むすび

覚えておきましょう。

選択肢が3つ以上あるとき、完璧な多数決などといったものは存在しない。

それが「アローの不可能性定理」が示した「この世の真実」です。

げに「この世の真実」とは、残酷で身もふたもないものであります。

三つ以上ものが数えられないんだ。
悪いけど君の方で数えてみてほしい。

村上春樹「羊をめぐる冒険」p.107

地獄です。

あらゆるものは通り過ぎる。誰にもそれを捉えることはできない。僕たちはそんな風にして生きている

「風の歌を聴け」p.90

「いや、むしろ知らないままだった方がよかったのかもしれない」とすら思う今日このごろの五輪エンブレム問題・多数決をめぐる冒険、名づけて豊洲今昔物語の段でございました。

20160414_IMGtoyosu_145044

いるかたち―豊洲今昔物語(部分, 2013)@東京メトロ豊洲駅
制作:クレアーレ工房|原画・監修:宮田亮平

そういえばしばらく海を見ていないな。

「羊をめぐる冒険」p.26

おわり

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