平野敬子さんの「抑止力」を味わう―公式ブログ1行要約・2016年分

こんにちは。デザイン芸人「デザインや」です。

に続き、忙しい人のために国内トップクラスのヒマ人が平野敬子さんの「HIRANO KEIKO’S OFFICIAL BLOG」を要約しておきます。2016年バージョンです。

保坂和志『未明の闘争』(2013)

【ダイジェスト】平野敬子ブログ・2016

日付順に、「各エントリのタイトル(リンク付き)」「要約」を記していきます。2015年分に続き、日本語版のみの要約です。

要約の文言は記事筆者(ヤシロ)によるものです。原文はこの通りではありません。不審点はリンク先をご確認ください。

【027-030】

【031-040】

  • 031 新聞寄稿文への異論 – vol.2(最終更新:2016/03/26付|公開日:2016/03/05) 
    原研哉さん、
    • 「開かれたコンペ」って結局いいの?悪いの?
    • つか、なんで「純然たる参加者」なのにコンペの質を問題にしてるの?
    • 個人の意見発信に「日本デザインコミッティー 理事長」ってどういうつもり?
    • あなた何様?
  • 032 新聞寄稿文への異論 – vol.3(2016/03/12付) ※3/19削除
    原研哉さんの発言が空々しい件。

【3/19追記】031・032の各エントリへは、現在アクセスができなくなっています。詳しい状況は不明です。当事者サイドからのアナウンスを待つことにします。

【3/28追記】エントリ031が再掲載されました。エントリ中に、修正のためにいったん掲載をやめた旨の説明がありました。

  • 032 1対3の構図 – 「A案」VS「BCD案」(2016/04/09付)
    五輪エンブレム最終候補4作品は、A案ありきと受け取りました。
  • 033 今を生きる(2016/05/15付)
    お久しぶりです。エンブレム発表の4月25日は手術当日でした。組織委員会など「情報をコントロールしたい病」の人たちとは今後も一線を画して、エンブレム問題を語っていきます。退院したばかりなので少し時間ください。どうぞよろしく。
  • 034 負の連鎖……を断つために(2016/05/30付)
    五輪エンブレムのコンペが依然不透明で気持ち悪い件。
  • 035 欲望の公害 精神の断絶(2016/06/15付)
    記者会見の後ろのパネルが嫌い。下品。
  • 036 イカサマ文書 by JAGDA – vol.1(2016/07/05付)
    無知で無秩序で無責任な業界体質が、五輪エンブレム問題の元凶であった。相変わらず原研哉さんが空々しい。
  • 037 イカサマ文書 by JAGDA – vol.2(2016/07/11付)
    五輪エンブレム問題に係る日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)のやり口が、第1回コンペの大もとの構造そのままである件。
  • 038 イカサマ文書 by JAGDA – vol.3(2016/07/28付)
    会員なのでJAGDAからお手紙着いた。けど意味わからん。説明して。
    というか詭弁だらけのイカサマ文書なんだから「即刻、破棄」でしょ。
  • 039 事実はひとつ(2016/08/05付)
    五輪エンブレム問題の原因や構造はとてもシンプル。なのに副会長の原研哉さんを筆頭にJAGDAが嘘をつき続け、その姿を歪めている。説明文書での文言の変遷からも明らか。
    まるで「我々、日本のグラフィックデザイナーは大嘘つきです。信頼に値しない存在です。」と宣言しているようなもの。ほんとうにいびつで気持ち悪い。
  • 040 新世界へ(2016/08/19付)
    JAGDA事務局からメール来た。相変わらずのイカサマぶり。自浄作用の働かない世界がもはや哀れ。私は、新世界へ進みます。

【041-045】

更新がありましたら随時追記していきます。

「平野敬子公式ブログ」の歩き方(2016年版)

いくつかガイドブック的に補完します。

キーワードは「抑止力」

年が改まって、平野敬子さんのブログに新たなキーワードが登場しました。「抑止力」です。

2016年になり、ひき続き文章を執筆してきましたが、ブログを更新しようとする度に抑止力が働いて、文章を公表するに至りませんでした。この抑止力は外圧によるものではなく、あくまでも自らの意思が働いた結果です。

027 「社会に位置づくデザイン」という観点(2016/01/31付)

が初出です(強調は引用者)。2015年分の要約に書き足さず、新たに記事を分けてまとめることにしたのも、この「抑止力」登場が理由です。

平野さんの「抑止力」という言い回しには、平野さん自身もまだうまく言えず現段階ではそうとしか表現できない、完全にはしっくりきていない表現であるような印象を覚えます。

そんな「抑止力」のゆくえが、今後の鑑賞と考察の重要ポイントになると見込んでおります。

あわせて読みたい:「ものわかりよさ」(1940)

2015年分を要約したエントリでも触れましたが、平野敬子さんのブログを読むなら、こちらとの併読がおすすめです。

しずかに考えてみると、ものわかりのいいということと、物の理解が正しくて深いということは全く別である。

という、宮本百合子の随筆「ものわかりよさ」(1940)です。

青空文庫版で全文が無料で読めます。

…私たちが生きているこの現代は、世界じゅうが一つの巨大なうごめきをしていて、硝煙の間で歴史が転換しつつある。経験というものはそういう時代になると、静的に解釈されれば何の力もないことになる。何故なら、去年あることがそうであったという事実は、今年同じあることがそうであるということにはなっていないのだから。

みたいに、時代を超えて共通するくだりがそこかしこにあって、五輪エンブレムを機に噴出した問題構造をとらえるにあたり、より多面的な検討と理解が図れると思います。

私には、

現実を知るということ、または大人になったということを、このものわかりよさに屈伏した内容でいうひとの多いことを、私たちはまじめにとりあげなければならないと思う。

餌をまかれてそれに支配されて来た男たちの游泳術を、それなりに追随したものわかりよさを、女も社会に出るにつけて身につけてゆくというばかりでは、あまり悲しくはないだろうか。

と書いた宮本百合子の魂と、

五輪エンブレム問題について、相変わらず無責任な態度を貫く人々と同じ空間に作品を展示することに対して著しく違和感を覚えましたし、何ひとつ解決していない現状において、そのような企画に参加すべきではないと判断し、理由を伝え、即日に展覧会への不参加の意向を伝えました。

028 無責任主義の村(2016/02/07付)

と述べる平野敬子さんの魂が、しばしば重なっているように感じられます。

「わからない女」の貴重さ

くどいぐらいにくり返しますけれど、平野さんの「ものわかりの悪さ」と「わからない女」ぶりは、本当に貴重です。

手前でも目下このようにしか表現できない言い回しを使いますと、私は私で、平野敬子さんの「魂の救済」を目指したり目指さなかったりしつつ、五輪エンブレム問題について書いていきます。自分の感覚では、まだ3割も書けてないです。

ひとまずそんなところです。

【12/26追記】要約版の更新はこの2016年分までとします。今後もウォッチは続けていきます。

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