選挙へ行く人・行かない人へ言いたいこと

今日は選挙の投票日だ。投票所へ向かう道すがら、こんなことを考えた。

2013-07-21_a0002_011326

選挙へ行くことはできるのか

「選挙へ行く」「選挙に行く」と言う人がいる。

でも厳密に考えると、これはおかしい。

行けるのは、最も狭い意味では、投票所

われわれは選挙へ行くことはできない。選挙とは、選び出すことだからだ。選び出すことにまつわるもろもろをひっくるめて、その総体を選挙と言っている。行くことができるのは、選挙ではない。投票所だ。

投票へも行ける

もっとも日本語では、ある具体的な行為をするためにある場所へ行く場合、その行為の名称で「~へ行く」「~に行く」と言うことができる。「買い物へ行く」「ゴルフに行く」などがそうだ。

だから、「投票へ行く」「投票に行く」でもかまわない。

でも選挙へは行けない

しかし、「選挙へ行く」はおかしい。選挙はある特定の具体的な行為ではないからだ。投票所へ出向いて投票するという行為は、たしかに選挙の一部ではあるが、選挙そのものではない。

選び出すことは、その後で行われる。あるいは、もっと前から始まっている、という見方もできる。

選挙は行為ではない。くり返すが、投票行為を含めた「選ぶこと」の全体を指している。言ってみれば、抽象的な概念だ。だからわれわれは、厳密には「選挙へ行く」ことはできない。

選挙と投票は、目的と手段の関係

何かをやってもらう誰かを選び出す。これが選挙の目的だ。

満20歳以上の日本国民は、限られた例外はあるが誰もが法を根拠とした選挙権を持つ。選挙権とはすなわち、選び出すことのできる権利だ。権利のある人だから、有権者と呼ばれている。

われわれには選び出す権利が与えられている。選挙権を行使する手段として、投票がある。

まとめると、選挙という目的を果たす手段として、投票がある。

こういう関係になっている。

投票しない選挙の可能性

投票という手段で選挙を行っているのは、乱暴に言ってしまえばたまたまそれが最善だからである。

選挙権が正当に行使されていることを担保し、また不正な権利の行使がされていないかをチェックするために、最も有効だろうから、投票という手段が採用されているにすぎない。

だから、権利が正当に行使できていること、不正な行使が行われていないことを担保できていれば、たとえばの話だが「いちばん金を集めた奴が当選」などの方式で選挙を行ってもいいはずだ。

大事なのでもう1度:選挙は目的で投票は手段

くり返す。選挙は目的で、投票はその手段である。

そして選挙もまた、ある目的を達成するための手段である。ただしここではこれ以上触れない。

選挙へ行ったとか行かないとか

選挙へ行ったとか行かないとか、そんな言い方は間違っているから改めろと言うつもりはない。

日常的にはそれでほとんど何も問題ない。何を言わんとしているかはわかる。

雑な言い方・雑な考え方

ただ、選挙へ行ったとか行かないとか聞くと、そういう人の言葉の使い方、ひいてはものの考え方が、ずいぶん粗くて雑だなとは思う。「選挙」という目的と、「投票」という手段を区別せず、渾然ととらえている。両者を一緒くたにしているからだ。

短縮語としての可能性

あるいは「選挙へ行く」とは、意識的か無意識的かによらず、短縮された言い方なのかもしれない。

「選挙へ行く」を縮めずに言えば、
選挙というイベントに、選挙権を行使する側として参加するため、手段である投票という行為を行いに、投票所へ行く

とでもなろうか。

同じ構造をした言い方に、「コンパへ行く」がある。

コンパとは、ある種のイベントの総体を指す呼称である。何かの行為を指す名称でもなければ、場所の名前でもない。

だから縮めずに言えば、「コンパというイベントに参加するため、会場へ行く」となるだろう。

いずれにしても、はしょって言ってしまうやり方も、「粗くて雑」に含めてよいと思う。

結論

「選挙へ行く」と言っても、日常的にはほとんど何も問題はない。問題に遭遇しないまま、生涯を終える人も多いだろう。

ただ生きていると、そのような粗雑なものの言い方、ひいては粗雑な思考ではかなわない事柄が出てくることがある。それが何かはここでは述べない。時機が来れば書こうと思う。

「選挙へ行く」と言い続けるもよし。考え直すもよし。僕はどちらでも構わない。

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